高天原より夢の続きに? (22)
「ち、姿を現して無くても気を放てるのかよ」
 八握は呟いて神経をとぎすます。
 同時に八握の背に稲垣の姿が浮かび上がる。
「八握さんっ、後ろっ」
 維依の言葉を聞くが早いか、八握は反射的に右に飛び退いて振り返る。
 稲垣の手が、そこを貫こうとしていた。
「ち、出たり消えたり厄介な。ホントに全て気の塊なのかよ」
 八握は声を漏らしながら、稲垣へと杖を突き出す。いや、つこうとしてその動きを止め
ていた。
「そうか、わかった。この中ツ国にあって肉体を持たずに生きていられる存在なんてねぇ。
消えたり出たり出来るのは、幽霊か、さもなくば幻の類だけだ」
 八握は杖を眼前に立て、それからふいに笑みを浮かべた。
「つまりお前も幻の類。最初に現れたお前がもうすでに気で生み出した分身だったって訳
だ。それなら消えたり出たり出来る理由も納得がいく」
「ふふ、正解だよ。だがわかったところでどうする。ここにいる私を倒す事は難しいし、
よしんば倒せたとしてもそれで私が傷つく訳ではない」
 稲垣の声が高らかに響き、そして二人の稲垣が姿を現す。
 どこがぼんやりとした霞のようにも見えるのは、攻撃をいつでも避けられるように完全
に具現化していない為だろうか。
「いってやがれ。そうだとわかればいくらでも手はある。くらえっ、宿曜召還、虚宿
(とみて)!」
 八握は叫ぶと同時に杖を斜めに振り下ろす
 さぁっと杖の先が青白く光った。
 だが稲垣の姿は再びうっすらと消えていく。
「無駄だ。何をやろと存在しないものを叩く事ばでき……なにっ!?」
 稲垣の台詞は途中でとぎれていた。
 もう一体の稲垣の姿が、完全に消えきらない。そして八握の杖が稲垣を打ち付ける。
 ぐぅんっ、と急激に低く音が鳴り響く。
 そしてその瞬間、稲垣は杖の中へと吸い込まれていた。
「ばかな。気を吸収しただと?」
 珍しく稲垣の声に動揺が含まれていた。
 八握がにやと口元に笑みを浮かべた。
「宿曜が一つ、虚宿。こいつは字の通り、杖に虚実のものを宿らせる。見ての通り、これ
はお前の分身体も例外じゃない。分身体で戦う限り、俺に力を吸い取られるばかりだぜ」
「……まさか、そんな技を使えようとはね。やられたよ。しかし、君にはもう殆ど力は残っ
ていなかったはず。なぜこんな高等な術が使える。先程の力が増した理由もわからない。
本当は何を隠し持っている」
「さぁね。だがもう一人も同じように吸い取ってやるぜっ、宿曜召還、虚宿!」
 八握が叫び杖を横手に振るう。
 さんっと空気を切り裂く音が響いて、杖が青白く響く。
 稲垣は後へと飛ぶ。
 だが先ほどと同じように杖が稲垣を吸い込もうとして――
 それだけだった。
「なに?」
「いっただろう。私の気は強めれば実体になる。出たり消えたりは出来ないが、常に実体
化していればその術は通用しない。そしてこのままでも私は君を圧倒出来る」
 稲垣はそういうと、右手を大きく振るう。
 八握は身構えて、杖を中段にとった。
 稲垣が何をするつもりなのかは、維依にはわからないが、何かぞくりと嫌な気が背中に
走る。
「八握さんっ」
「わかってる。心配するな」
 維依の叫びを受けて、八握が走り出した。
 稲垣も八握へと一気に駆け抜けていく。
「もはや下手な小細工はしない。完全に力で押し切れば済むこと」
 稲垣は自らの右手に気を集めていく。
 巨大な気の塊が稲垣の手のひらを覆い尽くす。
「負けるかっ」
 八握が杖で叩きつけようとする。
 稲垣の右手がそれを受け止め、弾こうとしていた。
 ぐぅわんっ、と鈍い音が響き両者が激突する。
 まるで力は均衡しているかのように、双方がぴくりとも動こうとしない。
 いや、そう思えたが、じわじわと稲垣が八握を押し込んでいた。
「く……」
 八握の鈍い声が伝う。
 稲垣がにやりと口元に笑みを浮かべていた。
「純粋な力比べでは私の方に分があるようだな」
 稲垣は呟くと、さらに八握を押し込んでいく。
 八握が微かによろけていく。
「八握さんっ、がんばって! 負けないで! 八握さんが負けないって信じてるからっ」
 維依が叫んだ瞬間だった。
 劣勢だったはずの八握が、一気に稲垣を追い返していく。
 そして逆に八握が稲垣を押し込んでいた。
「なに!?」
「俺はてめぇになど負けねぇ。俺は、維依を守るって決めたんだ」
 八握の決意が、八握に強い力を与えているのだろうか。八握は急激に力を増していく。
「馬鹿な。そんな事で力の絶対量が増す訳はない。せいぜいが元々出し切れていなかった
力が表面に現れる程度。君ほどの術者が力を出し切れずにいるはずがない」
 稲垣はなんとか堪えながらも、少しずつ八握に押し切られていく。このままでいけば確
実に八握の杖が稲垣を打ち付ける。
 この力のせめぎ合いは、同時に負けた方に大きな一撃を与える事になる。お互いの力の
余波が均衡を失った方へと流れ込むからだ。
「八握さんっ、負けないで!」
 維依はそんな事など知るよしもなかったが、それでも八握を後押しするのは言葉以上に
は今は持っていない。
 同時に八握が再び稲垣を押し込んでいく。
「そうか! なるほど、そういうことかっ。君も神の血をひいている。神は認識される事
で本来の力を発揮出来る。つまり信じてくれるものがあれば、力を取り戻す。君は、若宮
の心を受け取って神としての力を発揮しているのか!?」
 稲垣の顔に初めて驚愕と、そして恐れが現れていた。
 だが稲垣はなす術もなく、そのまま八握に押し切られていく。
「く……ばかな……私が力負けするだと」
 稲垣が鈍い声を紡ぐ。
 八握がさらに力を込めた。
「八握さん!」
 維依の声が響く。
 八握の杖が一気に押し寄せるっ。
 ガァッ、強い悲鳴が伝う。
 血が、ぽたぽたと滴っていた。
 一瞬、何が起きたのかわからなかった。維依はただ呆然として見回していた。
 稲垣の姿はかき消えている。
 そう、確かに八握の杖が稲垣を捉えたはずだった。
 稲垣は八握の杖に吸収され消え、八握は荒い息を放ちながら杖を降ろした。
 維依は息を飲み込む。
 その刹那、左手から巨大な気の塊が迫っていた。
 それが八握を撃ち抜いて――
「いやぁっっっ!?」
 維依は叫んでいた。喉が裂けるかと思うほどに。
 八握の身体は、ぴくりとも動かない。
 朱に包まれて、静かに、崩れる。
「八握さんっ、八握さんっ、八握さんっ」
 維依は声を幾重にも漏らしながら、駆け寄っていく。
 八握は間違いなく稲垣を倒したはずなのに、どうしてこんなことが起きたのか。
「まさか、ここまで追いつめられるとは思っていなかったよ」
 声は背中から響いていた。
 だけど維依の耳にはもう聞こえていない。
 八握のそばによって、あの時と同じように生玉を八握の手の中に握らせていた。
「若宮、無駄だ。その勾玉自体は何の力もない。君の母が力を込めていたからこそ、八握
は気を取り戻した。もうその勾玉で八握が意識を取り戻す事はない」
 稲垣の声が後方から聞こえてきていた。
 それでも維依はぎゅっと手を握りしめるのをやめようとしなかった。
「まさかこうして身まで晒す事になるとは思わなかったよ。彼の健闘は称えよう」
 稲垣の声が少しずつ近づいてくる。
 維依はそれでも信じていた。八握はまだ死んではいない。絶対に、もういちど意識を取
り戻してくれると。
「しかしあそこで力を使い果たすとは、私自身が姿を現す事はないと高をくくっていたの
か。それともあれが限界だったのか。恐らくは後者だろうな。彼は傷つき過ぎていた」
 稲垣の声は遠い。
「八握さんっ、八握さんっ。お願い、戻ってきて、死なないでっ、まだ、まだ約束果たし
てもらっていないよ!」
 維依の声は、しかしむなしく響くだけ。
 維依は何度も何度も呼びかけ続けていた。
「若宮、無駄だ。八握はもう助かるまい。生半可な力では、命を取り留める事など出来ま
いな。本当は殺すまでするつもりはなかったが、これも仕方あるないだろう」
 生半可な力では取り留める事など出来ない。
 そこだけが維依の心の中に届いていた。
 八握はもう助からないのか。自分の為に死んでしまうのか。維依の心の中に激しく痛み
を告げる。
「まぁ、八握は助かるまいが、他のものはまだ生きている。君の力を受け取ったなら、助
ける事を誓おうじゃないか。神の力さえ取り戻せばそれくらいの事はたやすい」
 稲垣の声に維依はびくん、と激しく震える。
 自分の為に倒れてしまった二人が助けを求めているようにも見えた。
 お母さん、瑞紀さん。
 二人の名前を呼ぶ。いくら今は死んではいないとは言っても、このまま放置しておけば
命を失う事もあるだろう。
 維依次第で二人の命は助かる。迷う事なんてはない。もう他にとれる手段は維依には無
いのだから、そうするしかない。
 二人の為に自分の身を稲垣に捧げる。そのこと自体には抵抗感はもうない。もちろん悔
しくも悲しくもあるけれど、それ以上に二人を助けたい。自分の為に傷ついた人達を助け
たい。確かにそう願っていた。
 維依は立ち上がる。
 そして稲垣へと振り返った。
「決心がついたかね」
 稲垣の顔は笑ってはいない。いままで願い続けていたものが手に入るのだから、もっと
笑みが浮かんでいても不思議ではなかった。しかし稲垣はまっすぐに維依を見つめていた。
 維依は思わず顔を伏せる。心がうずく。ズキズキと何度も激しく動悸させていた。
 本当にこれでいいの、いより。維依の心の中に葛藤が生まれていた。それも当然の事か
もしれない。だけど維依の決心はもう変わらない。
「お母さんも、瑞紀さんも、私を守ってくれた。私の為に傷ついて、私の為に倒れてしまっ
た。だから今度は私が守る番だよね」
 維依は稲垣の顔を見ることはなく、俯いたまま呟いていた。
 本当にこれでうまくいくのか何てわからない。だけど維依には、もうこれ以外の方法は
考えつかなかった。
 顔を上げる。そして稲垣を睨み付けるようにして、そして左手を稲垣へと差し出す。
「私の身体を全てあげるから。だから、お母さんを瑞紀さんを、そして八握さんを助けて。
お願いっ、天照さん!」
「なにっ!?」
 二人の声が交錯する。
 かぁっと維依の胸の中が熱くたぎる。
「馬鹿な、もう神を呼ぶ力など若宮には残されていないはずっ」
 稲垣の声が聞こえていた。だけどその声が少しずつ遠くなっていく。
 どくんどくんと激しく心臓が波打つ。
 自分の中に何かが満ちていくのがわかる。
 お願い、天照。お母さんも、瑞紀さん、八握さんも助けて。私が残してる力も、身体も、
みんなみんな貴女にあげるから。
 維依の心の中に残っていた決心はそれだけ。
 稲垣に身を捧げて、皆が助かるならそれでも良かった。維依は恐らくためらわずにそう
しただろう。
 しかしそれでは八握が助からない。誰よりも維依の為に傷つき続けてきた八握が助から
なくては意味がない。
 だから維依にはこれしか方法が残されていなかった。
 本当にこれで天照が呼べるのかどうかもわからない。いつもなら聞こえてくる天照の声
が今は聞こえない。
 それでも信じるしかなかった。天照が力をふるってくれること。母と瑞紀と、そして八
握を助けてくれることを。
 維依は胸の前で手を握りしめると、まぶたをぎゅっと閉じる。
 八握さん、ごめんなさい。八握さんの言いつけ、守れなかった。神様は呼ぶなって言わ
れていたのに。
 お母さん、瑞紀さん、ごめんなさい。これでみんなが助かるなんて保証はぜんぜんない。
稲垣先生に身を任せていたら、お母さんと瑞紀さんだけは確実に助かったのに。
 でもね。でも、私は八握さんを助けたかった。私を守ってくれるっていった八握さん。
八握さんを今度は私が守るんだ。
 私の力、ぜんぶぜんぶ使ってでも、私が、八握さんを守るの。
 お母さんも瑞紀さんも助けたい。みんなを助けたい。その気持ちは嘘じゃないよ。
 でも八握さんも、助けたいの。
 お母さん、私わがままかな。わがままなことしてるかな。ごめんなさい。
 でもこの一つだけ、わがまま言わせて。
 だって。最後には、みんなで。
 笑いたいよ。
 維依の心が急速に溶けていく。そして少しずつ少しずつ意識がおぼろげに消えていく。
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