高天原より夢の続きに? (21)
 さぁっと光が辺りを包みだして、まるで春の日差しに照らされているような温もりが、
維依をゆっくりとゆっくりと。
 目の前が真っ白に染まっていく。
 次の瞬間。しん、と冷たい空気が肌をなでていた。
 キィン、という金属の奏でる鋭い音が辺りに響く。
 はっとして辺りを見回していた。再び屋上へと戻ってきたらしい。
「残念だが、その程度の力では、私に抗うには力不足のようだね」
 稲垣の声が聞こえたかと思うと、ガッと鈍い音が伝う。
 慌てて維依はそちらへと振り返る。
「くぅっ!?」
 静香が小さな叫びを上げて、ぶわっと宙に浮かんでいた。そのまま維依のすぐ隣まで吹
き飛んでいく。
「お母さん!?」
「……ごめんね……維依ちゃん。私の力はここまでみたい……」
 静香は絶え絶えになりつつある声で呟くと、そのまま意識を失ったのか、がくりと首を
落とした。
「いやぁっ、お母さんっ、お母さんっ!」
 維依は悲鳴のような声を上げながら、静香へと駆け寄ろっていく。いや、駆け寄ろうと
した瞬間だった。
 その声は再び響き渡る。
「維依、落ち着け」
 伝う声に維依は思わず足を止めていた。
 ゆっくりと振り返る。
 必ず帰ってきてくれると信じていた。だけど、それでも涙が漏れだしてくるのは何故だ
ろう。
「八握さん!」
「維依。心配するな、静香さんは死んではいない。気を失っているだけだ。安心しろ、俺
が絶対に守ってやる。静香さんも瑞紀の奴も、そして何よりもお前を。俺が守る」
 八握ははっきりと告げると手にした杖を稲垣へと向ける。
「うん。私、信じてるから。八握さんが守ってくれるって。だから安心して待ってる」
 維依は目端を潤しながらも、それでもにこやかな笑み八握へと向ける。
 維依はもう疑いも迷いもない。八握が約束を果たしてくれると信じている。信じられて
いた。
「……やけに素直だな。なんか悪いものでも食ったか」
「うー、ひどい。もう八握さんなんか知らないっ。勝手に守りでもなんでも好きにすれば
いいじゃない」
 維依はぷいっと顔を背けると、それからくすっと口元に笑みを浮かべていた。
 本当は嬉しくて仕方がなかった。
 そして心から安心できていた。
 八握が戻ってきてくれたこと。きっとそれで全てがうまくいくと信じられる。
「八握か。まぁ、君が戻ってくるのはわかっていたよ。彼女の力を受け取っていたみたい
だしね。彼女があっけなく倒れたのもそのためなのだろう。しかし無駄な事だ。多少の力
を受け取って君が戻ってきたからとて何になる。少々抗う時間が増えたに過ぎないだろう」
「はっ。今までの俺と同じだと思っているなら大間違いだぜ。俺には分かる。今までに無
い力が浮かんでいること。その力があんたを凌駕すること。降参するなら今のうちだぜ」
「血迷ったかね。まぁ、いいだろう。どちらにしても決着はつけねば……なるまいっ」
 稲垣が叫ぶと同時に、稲垣の手の平からいくつもの気の塊が浮かんでいた。
 ダダダダダダッと、とてつもない勢いでそれは打ち出される。
 しかし八握は全くそれを気にもしない。目の前へと走り出していく。
 気の塊が八握を捕らえる。八握は避けようともしない。
 だが、その気の塊は八握を打ち付ける事はなく、そのまま八握を通り過ぎていた。
「ほう、気がついたか」
 稲垣が感嘆の声を漏らす。
「当たり前だ。俺はあんたの得意な術が幻術だって知っている。さっきの百足もずいぶん
と数が多く見えたが、あれも半分は幻術だったんだろう。どうりで手応えがない訳だぜ」
「正解だ。だが全てが幻覚という訳ではないぞ。さてどこまで見切れるかな」
 稲垣は再び気を練り上げる。
 再び無数とも思える気の塊が稲垣の周りへと浮かんでいた。
「さぁ、いけ」
 稲垣の合図と共に気が解き放たれる。
 八握はしかし走りを止めはしない。
 杖を左右に大きく振るう。
 ガッと鈍い音が響いて、気を打ち付けていた。
 だが全てを気を防いだ訳ではない。気の一部が八握を捕らえようとする。
「八握さんっ、負けないで!」
 維依が大きく声を張り上げていた。
 その瞬間、八握の身体が消える。いや、消えたかに思えるほどすさまじい速度で八握は
飛び退いて、気を避ける。
 そして稲垣の側まで迫った。
「くらえっ」
 杖を大きく頭上から振り下ろす。
「甘いっ」
 だが稲垣は右手へと飛び退いて避ける。
 ガッ。杖が地面を強く打ち鳴らす。
「甘いのはそっちだ!」
 だがその杖は反動で大きくしなる。そしてその勢いを残したまま杖が稲垣を追いかけて
いた。
 ガンッ、と鈍い音が響く。杖が稲垣の身体を捕らえていた。
 いや。その寸前で、稲垣は手で杖を受け止めている。
 正確には手に触れる前に、稲垣が作り上げた気の塊がなんとか杖を抑え込んでいたのだ。
「危ない、危ない。まさか気の雨を抜けてくるとは思わなかったよ。なるほど、どういう
理屈かはわからないが、君が前にも増して力をつけたのは間違いないらしい」
 稲垣はそれでもまだどこかに余裕を残した声で口元に笑みを浮かべる。
 八握は思わず後ろへと飛びすざっていた。稲垣から何か嫌な気を感じたのだろうか。
「八握さん!」
 維依はもう一度叫ぶ。
「心配するな。負けはしない」
 八握は振り返りはせずに答えると、杖を突き付けるようにして稲垣へと向けていた。
「はは。その程度力を増したくらいでこの私に勝てるつもりでいるとはね。いいだろう、
なら私も全力で君に向かおうじゃないか」
 稲垣は不敵な笑みを浮かべると、両手を胸の前で合わせていた。ちょうど僧侶か何かの
ように。
 だがそれはさほど長い時間ではない。すぐに左右に広げられていく。
 だがその手の間にもくもくと上がる煙のような、何か白い巨大な塊が浮かび上がってい
た。その煙のようなものは次第に何かに形作られていく。
「いったい何が起きてるの?」
 維依は驚きを隠せずに、八握へと振り返る。
 だが八握は何も答える事はなかった。ただ一点を、その煙のようなものを睨み付けてい
るだけで。
 煙は次第に人のような造形へと姿を変えていく。だんだんと白から様々な色が浮かび上
がり、そして一人の人間の姿を浮かび上がらせていた。
 呼び出した当人。稲垣そっくりの姿に。
「は、何かと思えばまた幻術か。幻だとわかっている以上、恐れる事などねぇっ」
 八握は叫びを上げながら、稲垣へとまっすぐに飛び込んでいく。
 かぁっ、と気合いを込めて稲垣を捕らえる。
 いや捕らえようとした。だがもう一人の作られた稲垣が八握へと飛び込む。
 ガガギィッ、と鈍い音が響く。
「がっ!?」
 八握が痛みをこぼしていた。
「八握さんっ」
 維依の声が叫びを上げる。
 呼び出された稲垣がふわと笑っていた。そして口を、開いた。
「残念だったね。私は幻ではない。私自身が作り上げたもう一人の私なのさ」
「そう、どちらの私も偽物ではない。そもそも私の幻術は他の奴らのものと違う」
「私の幻術は幻を見せたい相手の感覚を狂わせて見せる訳ではない」
「私自身の気を練り上げ、そこにいない何かを生み出す」
「練り上げた気が少なければただの幻」
「だがさらに念を込めれば実体と化す」
『すなわち気練術』
 二人の稲垣は交互に呟くと、右拳を八握へと突き出していた。
「ち、俺とした事が油断したか」
「八握さんっ、大丈夫ですか。……無理しないで」
 維依は駆け出しそうになって、しかし足を止める。
 今、自分がそばによっても八握の邪魔になるだけだ。
 やはり何も出来ない自分に悔しくて歯を噛みしめる。
 いま出来る事は、信じること。それ以上に維依には出来ることなどない。
 なら信じる。八握さんが守ってくれることを、八握が稲垣には負けないことを。それが
八握の力になるはず。
 本当なら一緒に戦いたい。自分の為に誰かが傷つくなんて、何よりも嫌なことだ。
 初めは自分が我慢すればそれでいいと思った。そうしたら他に誰も傷つくことなんてな
いと。
 しかし本当はそうではなかった。
 殆ど面識もない維依を、玉依だというだけで守ろうとした瑞紀。
 数え切れないほど大きな愛情を注いでくれたお母さん。
 かつての約束を今でも一途に守ろうとしてくれた八握。
 それぞれには、それぞれの想いがあり、それを維依へと向けてくれた。
 ならここで投げ出すのは、そのみんなの期待を裏切ることになる。
 だから今は戦うしかない。戦って勝ち取るのだ。みんなの無事を、優しさを。
 本当ならせめて一緒に戦いたかった。八握が守ってくれるという言葉は、いまは素直に
嬉しいと感じられる。だけど守られているばかりではいたくなかった。
 自分も戦いたい。大切な人を守るために、戦って勝ち取りたかった。
 だが維依自身も今までの戦いでずいぶんと力を使っている。いま手を出せば間違いなく
八握の足手まといになってしまう。
 それだけは避けたかった。なら悔しくても、いまはここで八握の勝利を祈るしかない。
「八握さん、私は信じているから。八握さんが負けないって信じているから。だから、だ
から死なないで!」
「ああ、まかせとけ。こんな奴、俺が本気になればすぐだぜ」
 八握は軽口を叩くと、杖を一度目の前に上下に突き立てる。
「はは、そうはいっても今はあの鬼宿とかいう術は使えまい。使えるのであればとうに使っ
ているはずだからな。つまり君は杖に宿した神の力は一度しか使えないという事だ」
「ちがうな、鬼宿など使わなくても、お前には勝てるって事さ。俺にはまだ披露していな
い術がいくつもある。軽口はこいつを受けてからにしてもらおうかっ、宿曜召還、柳宿
(ぬりこ)!」
 八握は叫びと同時に杖を一気に振り払う。
 ぶわっと鈍い音が響いたかと思うと、その杖がまるで柳のようにいくつもに分かれてい
た。
 その一つ一つが稲垣を打ち付けていく。
 ガガガガガガッ、といくつもの音が重なる。
 すごいっ。維依は思わず声には出さずに呟いていた。これでは稲垣といえど平気ではい
られないのではないかと。
「どうだ。こいつにはさすがのお前ではひとたまりもないだ……なに」
 八握は言葉の途中で驚きを漏らしていた。
 杖が今までと同じように一条と化した時、そこにあるはずの稲垣の姿はなかった。
「なに?」
「はは、八握。君は忘れているようだね」
 もうひとりの稲垣が嘲るように笑みをもらす。
「いまのは私が気で生み出したもう一人の私。現れるも消えるも私の思うままなのだよ」
「……ち。なら、本体の方から叩いてやるっ」
 八握が杖をまっすぐに突き抜く。
 その杖が稲垣を捕らえた。捕らえたはずなのに、本体であるはずの稲垣すらも、消えて
いた。
「ばかなっ!? いくら神だといえ、そう簡単に出たり現れた出来るはずがねぇっ」
 八握は慌てて辺りを見回していた。
「八握さんっ、左っ」
 維依の声に、慌てて八握は左手へと向き直る。
「遅いっ」
 稲垣の声と共に八握は左腕を強く打ち付けられる。
「がぁっ!?」
 八握が再び声を上げた。
 だが、今までと違い八握は左腕を右手で抑え込んでいた。
 激しい痛みに襲われているのだろうか。
「八握さんっ」
「平気だ……くそ……」
「はは。やはり君の弱点はそこだったかね。君の杖は左手から生み出されたもの。だから
左腕はうまく動かない。すなわちどうしても左側は反応が遅れるという事だ」
 言った稲垣の姿がわずかに揺らぐ。
 そして、再び消えていた。
「な……またか。どういう……原理だよ」
 八握は苦々しく呟く。
「はは。同じ神とはいえ私をその辺の有象無象と一緒にしてもらっては困るな。私は自ら
を全て気と化して肉体などというものには縛られる事はないのさ」
 稲垣の声はどこからともなく響く。確かに姿を消え去っているのだろうか。
「馬鹿言うな。そんな力があるなら初めから維依の力なんて奪おうとしなくても高天原に
いく事は出来るはずだ。そんなはずがある訳ねぇ」
「ふふ。何と言おうと私はこうして消える事も現れる事も自由自在だ。その私を捕らえる
事が君に出来るかな」
 稲垣は声と共に、ぶわっという音が伝い姿を現していた。二人の稲垣が口元に笑みを浮
かべる。
 二体の稲垣が同時に八握へと飛びかかっていた。
 右の稲垣がまっすぐに拳を突き出すと、左の稲垣は八握へと回し蹴りを振るう。
 八握は後ろへと下がると、そのまま杖で稲垣達を薙ぎ払う。
 だが稲垣は一瞬身体を薄くしたかと思うと、杖は手応えもなくすり抜けていた。
「くそ」
 八握は苦い声を漏らしたあと、不意に右手に飛ぶ。
 同時に八握がいた場所を気の塊が飛び去っていた。

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