高天原より夢の続きに? (23)
「よりちっ。よりちっ、よかった! 意識を取り戻したんだね」
 目を開けると同時に聞こえてきたのは真弓の声だった。維依は慌てて辺りを見回してみ
る。
 みたことのない部屋。白いベッド、白いカーテン。こざっぱりとしていて、そしてどこ
か無機質な部屋。
 あまりの唐突な変化に維依は、きょとんとして目の前の親友の名を呼んでいた。
「まゆみ?」
「うん、私だよ。よかった。よりち、丸一日も眠っていたんだって。びっくりしたよ、も
う。よりちが病院にかつぎ込まれたって聞いて、慌てて飛んできたところ。でもさ、より
ち、栄養失調なんだって? もう、ほんと困った奴だな。過度なダイエットは禁止だぞ」
 真弓は一気に言い放つと、維依のおでこに軽く指をあてる。
 その時、初めて自分の右腕に点滴がつながっている事に気がついていた。
 栄養失調。つまり私はあの後、力を使い果たして倒れ、この病院に運び込まれたのだろ
うか。
 ゆっくりと上半身を起こす。身体は少々重くはあるが、案外素直に言う事を聞いてくれ
ていた。
「そうだっ、あのっ、真弓。えっと……お母さんは」
 本当は八握の名を呼ぼうとしてためらっていた。真弓は昨日の出来事は何もしらない。
なんと説明していいかわからなかったからだ。
「よりちのお母さんなら」
 真弓が皆まで言う終わる前に病室のドアが開く。
 静香は小さな花瓶にいっぱいになった花を抱えて部屋の中に入ってくる。
 何事もなかったかのようにベッドの脇のテーブルに花瓶を置いて、それから「あら」と
頬に手を添えた。
「維依ちゃん、目を覚ましたのね。もうお母さんホントに心配したのよ。もう無茶なダイ
エットなんかしちゃいけませんよ」
 静香はそういって真弓には見えないように片目を瞑ってみせていた。
 一瞬、維依には何の事だかわからなかったが、すぐに周りにはそういう話で通している
んだと気が付いていた。
 言われてみれば身体は確かにだるい。
 しかし急激に疲れているという事以外には、さほど変わったようには思えなかった。
 あれから一体どうなったのだろう。維依は心の中で思いを馳せるが、もちろん意識を失っ
ていた維依にはわかるはずもない。
 静香がここに立っている以上、母は助かったのだろう。天照が維依の願いを叶えてくれ
たのだろうか。だがそれにしては瑞紀や八握の姿が見えなかった。
 あるいは結局は維依は力が足りずに何も起きる事がなく、玉依としての力を稲垣に奪わ
れて、稲垣が約束を果たしてくれたのかもしれない。
 維依には何一つわからなかった。
「うん。あの、お母さん」
「ん? なにかしら、維依ちゃん」
 母はいつもと変わらない様子でにこやかに微笑んでいた。
「その、あの。八握さんは?」
 言いよどむように維依は呟く。
 だがその瞬間、静香はびくんっと大きく身体を震わせて、それから顔を背けていた。
「え、……お母さん!?」
 思ってもいない様子に維依は慌てて声を荒げていた。
「あのね。維依ちゃん、覚悟して聞いてちょうだいね」
「え? え? え?」
 渋い声で呟きだした母に、維依は思わず声を震わせていた。
 まさか。維依は呟いたつもりで、喉の奥で止まっていた。
 急激に空気が薄くなったような気がする。ぞくぞくと身体が冷たく凍えていく。
「八握さんね。私達じゃ入る事も出来ない、遠い世界に旅立ってしまったの。だからね、
いまは、会えない」
 静香の台詞に維依の心臓がばくんっと大きく胸打つ。
 目の前が急速に潤んでいく。あっという間に零れそうなほどに目端を濡らしていた。
 私、助けられなかった? 私、私のせいで八握さんが? 維依は奥に何かが詰まったか
のように息が出来ない。
「……そん……」
 言葉に出そうとすると同時に、ぽろりと涙を落とす。
 その瞬間だった。
 バンッと大きな音が響いてドアが開かれる。
「静香さんっ、腹を下してトイレに駆け込んだくらいで変な事いわないでくださいっ」
 ドアの前で八握が叫んでいた。
 維依は唖然として、口をぱくぱくと金魚のように開く。
「だって男子トイレは私達じゃあ入れないでしょう」
「静香さん。俺はあなたのそういうところだけはついていけませんよ」
 八握は呆れた様子で溜息をつくと、それから維依へと向き直る。
「よぅ、維依。もう具合はいいのか。無理すんなよ、俺は太ってるお前も嫌いじゃないぞ」
 八握が呟いた瞬間。
 維依は右手で枕を投げはなっていた。
「うわっ」
 八握は慌てて枕を受け取ると、ふぅ、と息をついて隣まで近付いてくる。
 だが維依はそれよりも、そばにいる静香の方へと向き直っていた。
「お母さんっ、なんてこというの! ひどい、私、真剣に心配したのにっ。あ、真弓もな
んでそこでわらってんのよーっ!?」
 維依はもう張り裂けんばかりに絶叫を上げていた。
「うふ。泣いてる維依ちゃんも、怒ってる維依ちゃんも可愛い」
 静香はくすくすと笑いながら、それから真弓の方へと顔を向ける。
「さてと、ここは若い二人に任せていきましょうか」
「そうですね、よりちのお母さん。いきましょう。ごゆっくり〜」
 静香と真弓はまるで打ち合わせたように、そそくさと二人で部屋を後にする。
 あまりにも流れがよすぎて、一瞬維依は何が起きているのかもわからなかった。
「あ、そうそう、瑞紀ちゃんもあなたの事心配してましたよ。体調はまだ悪いのだから、
ベッドがあるからといっても、無茶してはいけませんからね」
 静香が部屋から出る直前に呟いた言葉も、何の事か初めはわからなかった。
 完全に部屋から出て行った後、ふいに思いついて維依の顔が真っ赤に染まる。
「お母さんっ!」
 維依の荒げた声もすでに遅く、静香と真弓の二人はもう部屋を後にして、ここには八握
と維依の二人しか残ってはいなかった。
「どうした、そんな顔して。トイレにでも行きたいのか。それだったら、お前はまだベッ
ドから降りられるほど体調がよくないから、ほら、隣にあるしびんで済ませろ」
「ばかぁっ、八握さんの変態っ!」
 いって怒鳴りつける。だが八握はにやりと口元に笑みを浮かべて一言。
「病院で騒ぐのは良くないぞ」
「う、うう、うううーっ」
 もはや何も言えずに唸りを上げるばかりで、維依はぷいっと顔を背ける。
「もう、八握さんなんか知らないっ」
 維依は顔を大きく膨らませていた。
 しかしその一方で嬉しさと喜びが浮かび上がってくるのは隠せずにいた。
 八握がここにいる。
 それなら事実は一つしかない。天照は維依の願いを聞き入れてくれたのだ。
「まぁ、でも、あれだな」
「なに?」
 顔を背けたまま訊ねる。またろくでもない事を言おうとしているのだろうか、と僅かに
身構えていた。
 しかし告げられた言葉は、思いも寄らない台詞だった。
「維依が無事でいてくれてよかった」
 八握が顔を俯けながら呟いていた。
 え、と思わず声には出さずに呟く。
「あの時、お前が天照を呼び出して俺は意識を取り戻した。そして、悔やんだ。すごく悔
やんだ。お前に無理させてしまったこと、お前を守りきれなかったこと」
 八握は顔を上げて、維依をまっすぐに見つめていた。そして維依のすぐ隣に立つ。
「あの時、俺達はみんな意識を取り戻した。力もほぼ戻っていた。天照が俺達の力を回復
させてくれたんだろうな。お前はその時にはもう気を失っていて天照も去っていたが、さ
すがの稲垣もこの状況では勝てないと踏んだんだろうな。すぐに引いていったよ。あの後、
あいつは行方不明だ。ま、戻ってきても今度こそ返り討ちだけどな」
 八握は笑いながら呟く。
 しかしその笑顔もすぐに消えた。
 そしてまっすぐな瞳で、維依をじっと見つめている。
「でも、そんなことどうでもいい。俺は、お前が無事でいてくれて、よかった」
 呟いた瞬間、八握は維依をぎゅっと抱きしめていた。
 え、え、えーっ!? と思わず維依は心の中で叫ぶが声には出さない。
 ぎゅっと胸が締め付けられて、それからドキドキと強く鼓動していく。
 以前であれば思わずはねのけていたかもしれない。でも今はされるままに抱きしめられ
ていた。どうすればいいのかわからなかった。
「え、えっと」
 思わず声に出してしまった瞬間、維依の頬が不意に濡れる。
 八握の、初めてみる八握の涙だった。
 八握が泣いていた。
 声は出さず、ただ維依を腕の中に抱いて、音のない嗚咽を上げていた。
 維依は思わず八握の頭に、そっと手をおいた。胸の中で、優しくて暖かい気持ちが浮か
んでくる。
 そして維依は、わずかに八握を見上げて。
 同時に。
「静香さん、覗き見は趣味悪いと思いますがね」
 部屋の外から声が聞こえていた。
 そして入り口の扉が突然開く。ばたばたばたっと静香と真弓がドアの影から転がり込ん
でいた。
 その向こうに瑞紀の姿が見える。
 八握が慌てて維依から離れていた。
「あら、偶然ねぇ」
 静香が頬に手を置いてそしらぬ顔をしていた。
 維依の顔が、かあっと真っ赤に染まる。
「偶然じゃないよっ、お母さんっ。もうっ、真弓までっ。あああっ、もうっ、やだぁっ」
 維依は一番そばにいた八握をばしばしと叩き付ける。
「う、うわっ。なんで俺を殴る」
「八握さんが変なことしたからいけないんだからぁっ。もうやだぁっ」
 維依はいいながらも叩く手を休めない。
 ただそのうちに、笑顔がこぼれていた。
 どうしても隠しきれなくて、ごまかすためにぽかぽかと八握を叩く。
 八握も叩かれながらも笑っていた。
 静香も真弓も。瑞紀すらも笑みを隠せないでいる。
 天照さん、ありがとう。私の願いを聞いてくれたんだね。私は何もしてあげていないの
に。心の中にいる神に向けて呼びかける。
 ふと声が戻ってきていた。
『礼には及ばぬ。お前は私は信じてくれた。それで十分だ。神は信じられれば、答えを返
したいと願うものだから』
 天照の声は、優しく響いていた。
 維依はこくりと頷く。
 笑えていた。みんなで笑えていた。
 それだけで、全てが優しく溶けてしまうように感じられて、維依も笑顔を浮かべていた。
 願いはまだ、消えずに残っていた。
Back
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない 
★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!