高天原より夢の続きに? (17)
 唐突な時間の変化に戸惑いを隠せずに、維依は辺りをきょろきょろと見回す。
 八握があり、そして朱月がいて、瑞紀が捕らえられている。
 あの瞬間から殆ど時間は進んでいない。緊迫した空気が、しんと冷たく流れ。
 だがそう思ったのもつかの間。八握の右手が左腕の中から引き抜かれる。
「ぐう、がぁっ!?」
 叫びを交えて、八握の腕から一本の杖が生み出されていた。はぁはぁと荒い息を漏らし
て、左腕をだらんとぶら下げている。
「朱月。最後通告だ。いますぐ瑞紀を解放してこの場に平伏せろ。そうしたら命だけは助
けてやる」
 八握は鋭い声で呟くと、杖を朱月へとまっすぐに向ける。怒りは全く失われていない。
今にも牙を向けそうな獣のようにすら見える。
 だがその八握の怒りも、どこか粗い目のようで恨むような、悲しむような切なさを瞳に
残している事も、いまははっきりと分かった。
 朱月にとって雪菜がどれだけ大切な存在だったのかはわからない。どれだけの愛しい相
手なら、こんな風に出来るのだろうか。
 初めて見た時、朱月は女の子のような顔だと思っていた。すごく整っていて、優しそう
な顔で芸能人だと言われても信じたかもしれない。だけど、いまはどこか吐き気がするほ
ど醜くて、辛くて、悲しい事実だと言う事に気がついていた。
 朱月の顔は、雪菜を思い浮かべさせた。うり二つというほどではない。男性的な部分も
多く残している。事実、雪菜の顔をみた時には女性的な柔らかさが先に立って、維依は気
がつきはしなかった。あるいは唐突に移り変わった記憶の世界に意識が囚われていたせい
かもしれないが、すぐにはわからなかった。
 しかし雪菜の顔を知ってから朱月の顔をみれば、どこか雪菜を想像させる事に気がつく。
一瞬、彼女がいまここにいるのではないかと錯覚させてしまう。
 八握が強く怒りを覚えるのも、その反面、どこか憎みきれないのも、そのせいなのかも
しれない。
 これが生まれつきなのか、あるいは意図的にそうなるように変えてきたのか、それは維
依にはわからなかったが、それほどまでに朱月は雪菜を愛しく思っていたのだろうか。
 だが維依のそんな内心をよそに、朱月は八握に向けて呟いていた。
「だれが。雪菜の仇を討つまで、君を許すつもりはない。殺してやるよ、君の大事な子を」
 朱月はちらと維依を見やると、ふと笑う。
 維依は言葉の内容に、あるいは朱月のそこまでの執念にか、ぞっとして後ろに下がって
いた。屋上の柵に背が触れて思わず振り返る。
 屋上から地面が見えた。崖を背に戦っていた八握達の姿と思わず自分をだぶらせる。
 スサノオを呼んだ雪菜。そして動かなくなって、八握が自らの手で殺した。それは八握
が雪菜を救うため。スサノオに奪われそうになった雪菜の心を守るため。あの時もしも八
握が手をかけなければ、たぶん雪菜という存在は残らなかった。同じ玉依である維依には
その事が良くわかる。
 それでも八握が苦しんだ事は、迷いと後悔の念に囚われている事は、誰よりも理解出来
ていた。だからこそあの時、維依は思わず駄目と叫んでいたのだ。
「雪菜さんの気持ちも、八握さんの気持ちも、何も知らないくせに勝手な事叫ばないで!」
 維依の喉から自然とこぼれ落ちていた。何も意図はしていなかったけれど、維依は叫ば
ずにはいられなかった。
 朱月は雪菜を愛していたのかもしれない。それでも朱月は一方的に過ぎる感情だと維依
は思う。
「な、に?」
 朱月も、そして八握すらもその声に驚きを隠せない。維依は雪菜の事を知らない、知ら
ないはずなのだ。
「維依、もしかしてお前……」
 八握は僅かに苦い顔を浮かべていた。
 記憶を読んだ事を察したのかもしれない。恐らく維依が八握の記憶を見る事が出来たの
は玉依の力なのだろう。だとすれば八握がその力を知っていても不思議ではない。
「あはは、これはいい。傑作だよ。八握の記憶を読んだのか。君も八握の意識を共有したっ
て訳だ。これはいい。これは……ふざけるな」
 朱月は笑ったかと思うと突然、叫びだしていた。それから頭を強く掻きむしって、ぎら
ぎらと飢えた獣のような瞳を維依に向ける。
「君も所詮その程度の人間って事だっ。生きてる価値もない。死ねっ、死ねよっ。殺して
やる。そして雪菜に贈ってやるんだっ」
 両手を大きく広げ、そしてなにやら呟いていた。その瞬間、ぶわっと熱い空気が流れて
辺りを包み込んでいく。
「ちぃっ、維依に手を出すんじゃねぇ!」
 八握の叫びは、しかし間に合わない。
 朱月の生み出した人形達が、足元から大量に生えてきていた。屋上全てを埋め尽くすか
のように。
「このっ、邪魔なんだよっ」
 杖をなぎ払う八握。その一降りで目の前の人形が一掃されるが、しかしその数は尋常で
はない。まだ維依との間には山ほどの人形があって。
「く、なんでこいつまだこんな力が。死返玉の瑞紀でさえ、これだけの数を呼び出す事は
出来ねーはずだっ」
「八握、後だっ。気をつけろっ」
 瑞紀の叫び声に八握は背中に意識を集中させる。そして杖を支えにして、大きく頭上に
飛ぶと、背後から襲いかかろうとした人形へと蹴りこんでいく。
 そのまま杖を引き抜き、まっすぐに突き立てる。鈍い音を立てて人形が消えていた。
「八握さんっ」
 維依は思わず八握の名前を呼ぶ。
 だが、気が付くと維依のすぐそばにも人形達は集まってきていた。これではまるで助け
を呼んでいるようにも見える。
 だが維依にはそのつもりはない。維依自身にも力がある。雪菜がそうしたように、維依
も自分の力で八握を守りたかった。
 そう、守りたかったのだ。
「こないで! きたら、貴方たちも消してしまうんだからっ、そうなんだからっ」
 維依は鋭い声で告げて、右手を差しだそうとする。だが右手はぴくりとも動かない。
 そうだった。私の右手は神様にとられてしまったんだった。維依は慌てて左手を構えよ
うとするが、その隙に人形が維依へと飛びかかる。
「や、やだっ。いやぁっ」
 維依が声を漏らす。
 その瞬間、目の前の人形がさぁっと消えていた。
 その向こう側には、八握の姿が見える。杖を持ち、そしてはぁはぁ、と荒い息を付いた。
「八握さんっ、八握さん」
 維依はただ名前を呼ぶ事しか出来ない。それ以上に何もする方法を知らなかった。
 ごめんなさい、と声には出さずに呟くと、ぎゅっと目を瞑る。八握の手を煩わせたくは
なかったのに、そうできない自分が悔しくて仕方なかった。
 溢れそうになる涙は、一瞬のうちに地面へとこぼれ落ちる。
「維依っ、お前は俺が絶対に守ってやる」
 八握は叫び維依へと一気に走り出していた。
 八握が守ってくれる。その事は、正直嬉しい気持ちもあった。だけど雪菜のあの意志を
見せられたばかりでは、その欲求に身を任せるには気持ちが揺れる。
 維依の内心を知ってか知らずか、八握はそのまま維依の手を取る。
 取ろうかとした瞬間。
 ヴン……と風が靡いていた。
 八握の背に強い圧力が掛けられる。
「なっ」
 その風は駆け出していた八握の勢いを増し、そばにいた人形にぶつかり。
 そして人形ごとそのまま屋上の柵を乗り越える。
「うおっ」
「八握さんっ!?」
 慌てて維依は八握へと手を差し出す。
 いや、差し出したつもりだった。
 だがその右手はぴくりとも動かない。そして八握は柵を乗り越え、その身を外へと投げ
出されていた。
 一瞬、意識が別の事に取られていた。だから咄嗟の判断が間に合わなかったのだ。
「うわぁっ!!」
 八握の悲鳴が響く。維依は落ちていく八握をなんとか助けようと柵から下を見下ろし。
 それなのに八握の姿が見える前に、髪を人形に捕まれていた。そのまま後ろへと引っ張
られて、維依はぺたんと尻餅をつく。
 八握の姿が見えないままに、ガッと強い音が響いたかと思うと、下の方からドサッと何
かがぶつかる音が聞こえ。
「ぎゃぁぁぁぁっ!!!!」
 同時に絶叫が伝わってくる。その声はあまりにも悲痛な叫びで、思わず耳を塞ぎたくな
るような声だった。
「八握……さん。やつか……」
 維依には何が起こったのか、はっきりとはわからない。
 いま起きた出来事を記憶の中で思い返していく。
 八握さんが私を助けてくれて、でもその隙に背中から攻撃されて。八握さんはそのまま
柵の外へと投げ出されて。そして悲鳴があがって。え?
 維依は放心したまま、首を微かに傾げていた。いま起きた事実を否定しようとして。
 だがすぐに聞こえきた声が維依を一気に現実へと引き戻す。
「はは、死んだ。死んだか。殺してやった。殺してやったよっ。雪菜っ、君の仇はとった。
喜んでいるかい」
 朱月は満面の笑みを浮かべて空を見上げていた。あははははっ、と伝わる声はどこか歪
みを覚えずにはいられない。
 しかしそれすらも今の維依の心には、何一つ届いてはいなかった。
「八握さん? 八握、さん、八握さん、八握さん八握さんっ。いやぁっっっっっ」
 維依の慟哭が屋上中に絶叫し、全ての終わったかのように泣きじゃくる。
 いま初めて八握の心を知ったと言うのに、八握の優しさも悲しみも、やっと見つけたば
かりだったと言うのに。
 八握を守ろうと、八握の為に何かしてあげたいと、初めて心からそう思えたのに。
 それを伝える間もなく、八握は命を失っていた。まるで現実とは、かくも無惨なものだ
と見せつけるかのように。
「く。朱月、貴様なんて馬鹿な事をっ。お前が雪菜に好意を寄せていたのは誰もが知って
いる。だがお前のしたことで本当に彼女が喜ぶとでも思っているのかっ、こんな事は許さ
れる事じゃないっ」
 瑞紀の声はどこか遠い。だけど朱月はその声に答えるように、笑みを漏らしていた。
「もちろんさ。雪菜は喜んでいる。ほら、聞こえる。聞こえるだろ。こんなにもはっきり、
聞こえる。え、なんだって。うん、そうか。そうだよね。雪菜、わかったよ。ボクが君の
願いを叶えてあげる。あは、あははは、あはははははははっ」
 朱月の声は次第に高さを増していく。
 狂ってる。誰の目にもはっきりとわかるほど、朱月の目はもうどこも見つめてはいない。
「あはははは。八握を殺して、ボクの復讐は終わったと思っていた。でも、でもね。やっ
ぱりダメなんだ。まだ終わっていない。そうだろ。ほら、まだ雪菜の無念を晴らしていな
い。だって、雪菜は玉依になったばかりで何も出来なかったのに。うん、雪菜。そうだね。
わかってる。わかってるよ。ほら、もうすぐだからね。あとちょっとで終わるよ。待って
いてね。雪菜、愛してる。愛してるんだ。ボクを置いてどこにもいかないで。うん、ほら。
願いを叶えてあげるから。あの腐れた玉依を、殺して、あげるよ」
 朱月は一人で喋り続けると、右肩の辺りを見つめていた。まるでそこに雪菜がいるとい
わんばかりに。
「……くそ……狂ってやがる」
 瑞紀が呟いていた。だがもはや朱月にはその声は聞こえない。
「こないでっ。八握さんの、八握さんの仇をとってやるんだからぁっ」
 維依は左手をぎゅっと握りしめる。
 いや、握りしめようとした瞬間。そばにいた人形が維依の髪を再びひっぱっていた。
「きゃっ」
 小さな叫び声をあげて、それから背中へと倒れ込む。もともと地面に座り込まされたま
まだったため、衝撃はあまりなかったが、完全に倒れ込んだ。
 人形達が維依を抑えつけていた。力を振るおうにも、身体が言う事を聞かない。
「やだっ、離してっ。離せっ、ばかあっ」
 維依は何とか身をよじろうとするものの、数体の人形にがっしりと抱え込まれていて、
ぴくりとも動く事が出来なかった。
「朱月っ、よせっ。私達は十人の神司だ。玉依を守るのが使命なんだぞっ。我らが十種の
神宝なんて物のように呼ばれるのも、自らの意志よりも使命を優先させるが故だ。お前の
使命を思い出せっ」
「ふふ、玉依っていうのは雪菜のことだろ。その雪菜の意志に従うんだ。何も問題はない。
さぁ、死ね。死ねよっ、死んでくれぇっ」
 瑞紀の静止も全く効果が無く、朱月は維依へと迫る。
「いやだっ。あんたなんかの言う事なんかきいてやるものかっ。絶対、絶対に許さない。
あんたを許さないっ。私は許さないから」
 維依の叫びはしかしむなしく響いただけだった。身じろぎ一つ出来ず、睨みつける事し
か出来ない。
 しかし維依はそれでも意志を失いはしない。今にも自分が殺されようとしているにも関
わらず、恐怖よりも八握を殺めた朱月に対しての怒りの方が強く表れていた。
「ふふ。君はここで死ぬんだ。許すも許さないもないさ。さぁ、終わりにしよう。死んで
くれっ、死ねよぉっ」
 朱月の手が維依に向けて伸びる。
 維依は思わず、ぎゅっと目を瞑っていた。
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