高天原より夢の続きに? (12)
「さて、いいのかい。話し込んでいて。もうすぐ八十神の霊達が迫ってくるよ。神を呼な
ければ喰われる事になる。喰われたくはないだろ。なら、さっさと神を呼んだ方がいい」
 朱月と名乗った少年は、くすくすっと笑みを漏らしながら、楽しそうに口を緩めた。
「これは貴方の仕業なの? 貴方がやったの? 少し前のも貴方の?」
 維依の問いにしかし朱月は何も答えない。代わりに立ち上がって、後に下がっていた。
 ドアの奥から人形の登る音が聞こえてくる。確かに朱月の言う通り、もう時間の猶予は
ない。彼の事は気になるが、それに構っている訳にも行かなかった。
「神様っ。お願い、力を貸して! 私に力を」
 維依の声は強く強く響く。
 維依の胸がびくん、と鼓動していた。揺れている言葉は維依の心の中にある。静かに紡
ぎ出されていく。
『維依か。私は眠っていたのだがな』
 天照はどこか浮いたような声で答えると、ふわと欠伸を漏らしていた。いや、実際には
維依の身体が震える訳ではない。しかし維依にはその様子がはっきりとわかった。
「ごめんなさい。でも、どうしてもいま貴方の力が必要なの。力を貸して欲しい」
『まぁ、良いか。ぬしの願いとあらばやぶさかではない。好きなだけ使うがよい』
 天照は何気ない口調で呟くと、維依の中へと潜っていく。
 維依の胸の中が、かぁっと熱く火照っていく。身体の中から炎が生まれてくるかのよう
な感覚。やっと少しずつ慣れてきた神を力を取り入れる時の動悸だった。
 前よりもはっきりと自分の意識が残っている。初めは完全に神へと意識を移していたが、
今はむしろ神の意志は殆ど感じない。確かにどこか奥の方に神がいる事は感じるが、維依
自身の意志だけが表面に現れている。
 維依はこの力が少しずつ自分のものになりつつある事を感じていた。こうして何度も神
を呼んでいく内に、いずれはその力の多くを自由に使えるようになると、理屈じゃなく理
解していた。
 同時にドアが開いていた。無数とも思える人形達が押し寄せてくる。
 アスファルトや石の固まりのような彼等の姿は、確かに意志がある物達なのに命を全く
感じさせない。そこにあるのはただの本能に過ぎないのだと、はっきりと知り得ていた。
 維依の中に今までに無い力が生まれていた。それが神の力による影響なのかは維依には
わからない。それでもその感じた力は維依を強く心付けている。
「消えてっ、いなくなって!」
 ぎゅっと胸の中で右手を強く握りしめる。光が手の中に、いや体中から放たれていた。
 ふわん、と身が宙に浮かんだような気がする。しかしそれも一瞬のこと。維依の目の前
に向けて放たれる。
 シャラララ、と銀色の光が人形達を包んでいた。
 ぐぅん、と鈍い音が伝い、人形はあっという間に霧散していた。
 それは本当に瞬き一つの時間。圧倒的な力が維依から放たれていく。
 だが人形達はそれで諦めるようなものではなかった。彼等は恐怖を感じる心なんてもの
は、もうすでに持っていないのかもしれない。
 頭上から朱月の声が響く。
「へぇ、それくらいの真似は出来るんだ。でも雪菜には敵うまでもない」
 朱月はくすくすと笑いながら、それから維依をじっと見つめていた。
「そして人形はまだまだ尽きないよ。さて、どこまで持つのかな」
 朱月の言う通り、人形達は再び迫ってきていた。ドアの向こう側から少しずつ押し寄せ
てくる。
 胸の中で再び右手を握りしめる。
 いや、握りしめようと思った瞬間だった。右手に強い痛みが走る。
「ぅく……ぁ」
 維依は思わず喘ぎを上げていた。
 痛みは次第に激しさを増していく。とても光を集められそうにはない。
 だが人形はもはや目前にまで迫っていた。維依は少しずつ後ずさりしながらも、なんと
か右手を胸の前に持っていこうとする。
 ぴくりとも動かなかった。痛みは消えはしないものの、それ以外の感覚が少しずつ消え
ていく。
 ぞ、と何かが背を駆け上がった。
 神に喰われる。八握が言った台詞。それがいま現実になって維依へと迫っているのだろ
うか。
 天照の意志が維依の右手を奪っているのかもしれない。
 それでも目の前には人形が溢れていた。力を使う他には無かった。
 左手に意識を集中する。今までは何となく右手を使っていたが、左手でも出来ない事は
ないはず。
 根拠は何もない。しかし維依はそれが不可能ではない事を知らずの内に知っていた。
「消えてっ。いなくなって。近付かせないで。消えてっ」
 維依の声が荒くなっていく。息づかいもどことなく辛そうに見える。
 それも当然かもしれない。ずっとここまで走り通しで、かつこうして力を放っているの
だ。維依自身の体力が持つはずもない。
 光は何とか放たれていた。人形のいくらかを包んで消し去っていく。
 それでも人形の数はまるで無尽蔵だといわんばかりに、次第に屋上を埋め尽くしていく。
 維依は少しずつ後に下がっていくしかなかった。力を連続して放つ事は、まだ維依には
出来る事ではない。
 わらわらと人形の群れは、維依の周りを少しずつ包囲していく。
「こないでっ。いやだ。いやだ。こないでっ。いやだぁっ」
 維依は何とか力を放つ。
 その力は強く、一瞬のうちにして屋上にいる人形を消し去っていく。
 それなのに人形はすぐにまた屋上を満たしていくのだ。
 そして維依が力を放つ間隔は、少しずつ開きだしていた。脱力感が維依の身体をはっき
りと包んでいく。
 私、死ぬの。ここで死ぬの。あの化け物に食べられて死ぬの。いやだ、そんなの嫌だ。
 私まだ何もしていない。恋だってしていない。大人にもなってない。まだまだしたいこ
と沢山あるのに、どうしてこんな目にあわなきゃいけないの。
 死にたくない。死にたくないよ。私が何をしたの。どうして、私が狙われなきゃいけな
いの。
 どうして、私は、玉依なの。
 維依は心の中で悲鳴をあげ続けていた。
 だけどその声は届かない。
「だれか、誰か助けて!」
 維依の声は強く響く。
 なのにその声に答えたのは、朱月の嘲るような声だけだった。
「無駄だよ。入り口はそこだけだし、そこまでは八十神の霊で溢れている。君はここで死
ぬんだ」
「なんで、どうして貴方はこんな事をするの。私に何の恨みがあるの」
「恨みなんて別にないさ。ただ殺したいだけ。雪菜は殺された。なら、君も同じ目にあわ
なくちゃ不公平ってものだろ」
 朱月はくすくすっと笑みを漏らしながら、ただ空を見ていた。
 雪菜というのが誰なのか、殺されたというはどういう事なのか。気に掛からない訳では
なかったが、しかしそれが維依が殺されなければいけない理由にはとうてい思えない。
 しかし朱月の心の中はそれだけで占められていて、維依が何を言ったとしても伝わりそ
うにはない。
 人形を止めるには彼を止めるしかないのかもしれない。恐らくは維依の力をぶつければ
彼だって無事では済まないだろう。そうすれば彼が操っている人形は消えて無くなるかも
しれない。
 しかし、それでも維依は力を放とうとは思えなかった。それは彼を死なせる結果になる。
 本来であれば自分を殺そうとしている相手に遠慮する事はないのかもしれない。それで
も維依は誰かを殺そうなんて、とても思えなかった。
 そんな維依の内心を知ってか知らずか、朱月は維依に向けて話し続ける。
「知っているかい。八握はかつて、当時の玉依を殺した」
 玉依を殺した。維依は声には出さずに繰り返していた。あまりに唐突な展開に、その言
葉の意味するところがよくわからなかった。
「だから、いずれは君も八握に殺されるのかもね。あの裏切り者に、君も殺される」
 朱月の言葉はどこか遠い。維依は呆然とする以外に何も出来なかった。人形が近づきつ
つある事すら、忘れそうになっていた。
「そんなことっ」
「事実さ。でもね、安心していいよ。八握が君を殺す前に、ボクが。殺してあげるから」
 朱月の目が鈍く光る。
 身体中が凍り付くような視線。維依はその瞳に縛られたかのように、身じろぎ一つとれ
なかった。
 朱月は何事も無いように話を続けていく。
「八握は雪菜を、ボクの愛しい人を殺した、殺したんだ。殺したんだよ。殺したよ。なら
今度はボクが奪ってやる。あいつの大切なものを、あんたを。ずたずたに引き裂いてやる。
殺す、殺すんだよぉっ」
 朱月は興奮した様子で叫び始めていた。朱月の目には、何も映ってはいない。維依の姿
も人形たちも。彼がみているのは過去の時間。それ以外の全ては彼はみていない、みよう
ともしていない。
 維依は彼の狂気に怯えたように後ずさる。
 がしゃん、と金網が音を立てていた。もう後ろには下がれない。
 その間にも人形が少しずつ迫ってくる。朱月は、けたけたと笑い続けている。
 八握が人を殺したと言う。それが本当の事か嘘なのかはわからない。それどころか、い
まこの瞬間が本当に現実なのかすら、わからなくなりつつある。
 維依の頭の中はまるで螺旋のように、ぐるぐると思考が回り続ける。
「さぁ、クライマックスだ。雪菜のように一息には死なせない。君は少しずつ引き裂かれ
ていくんだ。雪菜よりも酷く、惨めに死んでくれ。それでこそ雪菜が救われる。そう、救
われるから、死ねよ、死ね。死ねぇ!」
 朱月の叫びに答えるように、人形が維依へと飛び込んでいた。
「いやぁっ」
 維依が叫ぶ。もう維依には力を奮う体力が残っていない。
「助けて、誰か。お父さん、お母さん、お兄ちゃんっ……八握さん!」
 声と共に人形が維依の髪を、肩を、足を、腕を掴む。掴んだ。その瞬間。
 ざぁっ、と辺りに音が響いた。
 維依を引き寄せようとした力が、ふっと消える。
「八握さん!?」
 維依は叫んで顔を上げる。そしてそこにいた人影は。
「八握じゃなくて悪いですが、私です」
 瑞紀の姿だった。
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