高天原より夢の続きに? (11)
 維依は駅に向けて走っていた。
 その間は忘れていられるような気がして、とにかく足を進めていた。
 八握の事がいつまでも頭から離れない。さきほど瑞紀と家路を歩いた時も、真弓と電話
している最中も、そして今も。
 間違った事は言っていないとは思う。それでも維依の心から八握の事が離れない。
 何故か残ってしまう想いを振り払うかのように、維依は駅へと急ぐ。
 襲ってきた人形の事も気にはなっていた。いま思い出しても身が震えてしまう。それで
も出来るだけ維依はその事を考えないようにしていた。恐怖から部屋に閉じこもってしま
うのは簡単だったが、実際にはそれが意味のない事だというのも理解していたからだ。
 どこにいるから安全という事もない。それなら出来るだけいつもと同じように振る舞っ
ていたかった。
 そして何となくではあったが、再び襲われても何とかなるという気持ちもあった。自信
ではない。甘えでもない。純粋にそう感じられていた。あるいは維依の中にいる天照の心
が維依に伝わっていたのかもしれない。
 遠目に真弓の姿が見えた。腕を組んで眉を寄せているのがわかる。
「ごめん、真弓。待った?」
「いいえ、ちっとも。推定一時間十七分と三十五秒も待ってませんとも」
 時計を見つめながら真弓はにこやかに笑いかけてくる。
 うわ、怒ってる。怒ってるよ。声にはせずに呟くと、両手を合わせて「ごめん、ごめんっ
て」と維依は頭を下げる。
「いいのよ、気にしなくっても。約束を忘れて一人で家に駆けていった人の事なんて、なぁ
んにも知らないし。ああ、でも私、富士家のイチゴショートケーキが食べたいな。でもC
D買うからお金ないんだよね」
「おごるっ、おごるからっ」
「そう? よりちがそこまで言うなら、奢られてあげてかまわなくってよ」
 真弓はふふんと鼻を上げて呟く。
「真弓。またキャラ変わってるよ」
「いーのいーの。さっ、そうと決まったらさっそくいきましょ。CDが腐っちゃう前にね」
「CDは腐らないよっ、朽ちないよーっ」
 二人はたわいも無い会話を続けながら、駅前のCDショップを目指していく。
 変わらない日常の一コマがそこにあった。
 ――そこにあったように思えたのに。


「美味しい、幸せ〜」
 維依はショートケーキをぱくつきながら、頬を緩ませる。そんな様子を真弓が呆れたよ
うな顔で見つめていた。
「よくケーキ一つでそんなに幸せそうに出来るわね」
「だってケーキ美味しいもん。それにケーキだって美味しく食べてもらった方が幸せだと
思うし、そうだといいし」
 いいながらもケーキを頬張って、満面の笑顔で答えていた。実際好きなものを食べてい
る間は嫌な事も忘れられる。食い意地がはっているといえばそれまでだが、それは今に負
けない為の維依なりの気の持ちようでもある。
「あ、でも卵焼きとどっちをとるかと言われたら、私悩んじゃうなぁ」
「はいはい。一生悩んでなさい」
「あ、真弓。酷いよ、悪魔だよ」
「ところでよりち」
 真弓の問いかけに維依は顔を上げる。
 だがその瞬間、不意に右手に違和感を覚えていた。ずき、と痛みが走る。
 忘れていたが、先程の戦いで維依は右腕を痛めている。しかしいつの間にか痛みは引い
ていて、今の今までどうという事も無かったのに、再びまた痛みを感じていた。
「うん、なぁに」
 それでも何事も無いように維依は微笑む。真弓に言えば必要以上に心配してくれるのは
わかっている。そっけないところや、逆にうるさすぎるところもあるが、それでも真弓は
優しさも隠せない。
 だからこそ真弓には言えない。恐らくは怪我をした理由も聞かれるだろうし、病院にい
こうといった大騒ぎになるかもしれない。そうすれば、いつかは真弓にも知られてしまう
かもしれない。それだけは避けたいと思う。
 こうして平然と振る舞っているが、維依の内心は本当は不安と迷いばかりだ。他の誰か
に心配をかけたくない。だから平気なふりをしているに過ぎなかった。
 今も真弓に余計な事を話して心配させたくはなかった。だからこそ普段通りに真弓と接
しているのだ。
 だが、それは維依の杞憂に過ぎなかった。
 しん、と音が消えてなくなる。つい先程体験したものと同じ、時の止まった空間。
「真弓っ」
 問いかけるが返答はない。やはり時間が止まったのだろう。
 とにかくここから離れなくちゃ、真弓を巻き込んじゃう。
 維依は心の中で呟くと、それからきょろきょろと辺りを見回す。特に八十神が襲い来る
ような様子はないが、また何があるかはわからない。
 人がいないところに急ごう。維依はそう決めて、とにかく走り出していた。
「ごめんね、真弓。でも真弓を危険な目に合わせたくはないから」
 また突如いなくなることに真弓は腹を立てるかもしれないが、このままここにいれば真
弓や、そして他の人達をも巻き込んでしまう事になるかもしれない。
 時間が止まっている時に、他の人達が傷つくかどうかは維依は知らない。しかしもしそ
の危険性があるのなら、ここで戦う訳にはいかなかった。
 ファミレスを出て、そのまま駆け出す。どこへ行けばいいかはわからなかったが、逆に
いえばどこでも良かった。
 維依はとにかく目の前を走り出していた。
 しばし走ると右側からぞくとした冷たい感覚を覚えて振り向く。
『たまよりぃ』
 声と共に現れたのは、先にも襲い来た八十神の霊、人形だった。
 人の間をかきわけて真っ直ぐに維依を目指してくる。
「神様を」
 呼ぼう、そう思ったが、しかし維依は人形に背を向けて左手へと走り出していた。
 たとえ神を呼んで術を使えたとしても、ここではまだ他の人を巻き込むかもしれない。
 だがあるいは維依の心の中に残っていたのだろうか。八握の神を呼ぶなという言葉が。
 維依の目の前はまだしばらく駅前の雑踏が続いていた。この街は大きく開けた街と言う
ほどではないが、それでもこの辺りはちょうど商店街になっているのもあった。ビルや店
舗が建ち並びそれなりの人で溢れている。
 とにかく離れなくっちゃ。声もなく呟く。
 維依も人の間をすり抜けて走っているため、それほど速度は上がらないし、先も見通せ
ない。もしかしたらこの先も人形が溢れているんじゃないかと言う不安は隠せなかった。
 どんっと、立ち止まっていた誰かにぶつかる。衝突した相手は僅かに揺れるが、少しバ
ランスを崩した程度で殆ど動きはしない。やはり時間が止まっているせいだろう。
 だが維依にはその分強い衝撃が走っていた。ずき、と身体が痛む。
「ご、ごめんなさいっ」
 それでも維依はぶつかった相手に頭を下げると、それから後ろへと首を向ける。
 のそのそとした動きではあるが、人形達は確実に維依へと迫っている。見た目の緩慢な
様子に騙されそうになるが、人形の歩みは案外速い。
 慌てて維依は再び先を急いだ。維依は天然な性格と小柄な身体からは想像がつかないが、
運動神経はかなり良い方だった。五十メートル走であれば陸上部よりも速いくらいだ。
 だがその足も今の状況ではそれほど発揮する事も出来ずにいた。障害物が多すぎるのだ。
場所によっては殆どすれ違うのが精一杯のところもあり、よたよたとしか進めなかった。
 それでもそろそろ開けた場所に出る。そうすれば思いっきり走り抜ける事が出来る。振
り切る事も可能かもしれない。
 だが維依の予測はあっと言う間に挫かれていた。目の前から別の人形達が迫り来ていた
のだ。仕方なく維依は左手へと曲がる。
 それからも分かれ道に近づくと、人形達はもう一方からも迫り来ていた。今までは何と
か人形のいない方向に向かう事が出来たが、これからもずっとそうだとは限らない。
 それでも駆けているうちに人気は少なくなってきていた。いまは全力に近い速度で走り
続けている。
 人形達は少しずつ引き離していた。もしかすればこのまま逃げられるかもしれない。
 そのまま駆けているうちに、ふと見慣れた建物が視界に入っていた事に気がつく。
 学校だった。だがやはり時間の流れていない学校は別世界のように感じられる。
 いつもと同じ場所のはずで、親しみ慣れた場所のはずなのに、どこか冷たくて維依はぞ
くりと背を震わせていた。
 いまこの世界にいるのは自分と人形達だけではないのかと、胸の中が苦しくなっていく。
 同時に右手がズキズキと痛み出していた。
 痛む右手をぐっと胸の前で握りしめる。いつもの維依の癖だが、少しだけ痛みが引いた
ような気もする。
 ここをまっすぐ走り抜けて右手に見える正門の前を左に向かえば家に戻れる。家に戻っ
たからどうにかなるとも思えなかったが、あるいは瑞紀や八握の姿があるかもしれない。
 だがその願いもむなしく、目の前からも左手からも人形達がわらわらと湧いてきていた。
「……どこからこんなに現れるの」
 維依は苦々しい声で呟くと、仕方なく学校の中に入る。裏門から外に出る方法もあるし、
逃げ切るならそちらしかない。
 神を呼ぶ事も考えたが、それはまだ早いかもしれない。以前に八握が言っていたが、す
ぐに神を呼べるとは限らない。もし時間が掛かるようであれば、この場では為す術もなく
襲われてしまう事だろう。
 いや、維依はそこまでは考えていなかったかもしれない。ただ逃げなくちゃという意識
だけが支配して、他の思考を追いやっていた。
 とにかく裏口に急ごう。維依は小声で呟くと、裏手に走ろうとして、すぐに動きを止め
ていた。
 ぐわん、と表現すれば良いのか。鈍い音を立てながら、それは現れていた。昇降口まで
の間の地面から、何体も何体も数え切れないほどの人形が、まるで雨後の筍のように現れ
ていた。しかしその人形達はもはやまともな人の形すらとれず、溶けだした泥のような姿
へと変わっていた。
 悪寒と吐き気すら感じて、維依は胸を押さえる。だが奴らはその瞬間にも、自らの身体
の破片をまき散らしながら、維依へと迫る。
 維依は校舎の中に逃げ込んでいく。もうそこしか場所が残されていなかった。
 校舎の中は閑散としていたが、少しはまだ生徒の姿も見える。恐らくは部活帰りなのだ
ろう。
 出来るなら他の生徒がいない場所に向かいたい。少しでも時間を稼いで他に巻き添えを
出したくないところだった。
「なら、屋上っ」
 維依は思わず叫んで、すぐに階段を駆け登る。人形達は主に地面から現れている。だと
すれば屋上まで逃げれば、今いる人形達が追ってくるまでには少しは時間が稼げるし、あ
そこなら他に人はいないだろう。
 階段を駆け上がる。さすがに少しきついが、今はそうも言ってられない。
 下の方で人形達が登ってくる音が響く。いつかは追いつかれるに違いない。こうなった
以上は戦う以外に方法はない。神様を呼ぶ時間を稼ごう。維依はいまそれ以外の事は何も
考えていなかった。
 階段を登り切ると、屋上へ続く扉を開く。幸い鍵は掛かっていない。外に抜けて辺りを
見回す。運良く誰の姿も無かった。
「神様っ、私に力を貸して」
 心の奥に向かって強く呼びかける。
 だが、いつものような返答がない。どうして、と思うが、八握の言葉を思い出していた。
 神は呼べば必ずすぐに答えてくれる訳ではない。今までは運が良かったのだ。
「神様、お願い。力を貸して」
 維依の必死の呼びかけにも、声が届いた様子は無かった。心の奥にいるはずの意識には
全く伝わっていない。
 人形達が階段を登ってくる音が、ぎし、ぎしと響いていた。もう猶予はない。
「神様っ」
 維依の声はむなしく響くだけ。
 それと同時に、頭上から冷たい声が聞こえていた。
「なんだ。瞬時に神を呼ぶ事も出来ないんだね」
 その声は少年のものだった。いま維依が出てきた入り口の上に腰掛けていた。
 それはさきほど維依とぶつかった少年。にこやかな笑顔を向けた、優しい綺麗な顔の。
 だが今、こうして向かい合っていると彼の瞳が色を失っているのがはっきりとわかる。
彼が見ているのは灰色の世界だけ。どこまでも冷たくて熱の無い世界。
 維依の右手がずき、と痛む。
「貴方は誰」
「ボクかい? ボクは朱月(あかつき)。十人の神司(とたりのかみつかさ)の一人、道
返玉(ちがえしのたま)を名乗る者さ」
 にこにこと微笑みながら、それでも目だけは少しも笑っていない。ただどこかで楽しん
でいる事だけは維依にもわかった。それがどんなにいびつな悦びなのかも。
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