高天原より夢の続きに? (10)
「ただいま」
 維依は肩を落としながら家の玄関をくぐる。すぐに静香が出迎えにきていた。
「維依ちゃん、お帰りなさい。って、あら」
 静香は頬に手を添えて、それから少しだけ首を傾げる。
「ずいぶん大きなお友達を連れてきたのね」
 瑞紀の姿を認めてにこりと微笑む。しかし瑞紀は眉を寄せて溜息をつくと、呆れた声で
呟いていた。
「若宮さん、冗談はやめてくださいますか。私が誰か覚えてない訳ではないでしょう」
 瑞紀の声に、再び静香は首を傾げて、それから「あら」と声を漏らした。
「ええ、もちろん。えっと、隣の家の、シロちゃんだったかしら」
「それは私が飼っていた犬の名前ですっ。いいかげんにしてくださいっ、瑞紀です。瑞紀」
 珍しく瑞紀が声を荒げる。はぁ、と再び息を漏らして、それからどうしていいかもわか
らずに手を宙に彷徨わせていた。
「そうだったわね。瑞紀ちゃん、お久しぶり」
「はぁ、貴女も変わって居ませんね。出来れば貴女にはあまり会いたくはなかったのです
が」
 瑞紀はどこか疲れた様子でがっくりと肩を落としていた。
「お母さん、瑞紀さんと知り合いなの?」
「ええ。昔近くに住んでいたのよ」
 静香は維依に微笑みながら答えると、それから頬に手を置いて、あ、と小さく言葉を漏
らす。
「あ、そうそう。そういえば、真弓ちゃんから電話が入っていたわよ」
「あーっ、真弓と約束してたんだった。電話しなきゃ。お母さん、電話使うねーっ」
 維依は慌ててばたばたと奥にある居間の方へと駆けていく。維依はまだ携帯電話を持っ
ていない。
 維依が居間へと入ったのを見届けると、それから静香はややトーンを落とした声で瑞紀
に向けて語りかけていた。
「で、死返玉の瑞紀ちゃんは何をしにきたのかしら」
「決まっているでしょう。玉依を守りに来たのです。八握だけでは不安も残りますから」
 瑞紀は飄々とした顔で告げる。しかしすぐに追い打つようにして静香は続ける。
「そう。じゃ、建前はそれとして、本当の目的は何」
 静香は全く動じる事もなく、さらりと微笑みかけていた。まるで全てを見通しているか
のように。
 瑞紀はしばらくは無言のまま静香を見つめていたが、やがて小さく息を吐き出していた。
「その普段ぼぅっとして見えるくせに、変に鋭いところも変わりませんね」
「ぼぅっとしてるくせには余計よ。さ、話してちょうだい」
 静香はちらと居間の方へ視線を移す。維依が戻ってこない事を確認したのだろう。
「恐らく貴女はもう察しているのでしょうが、私の目的、いえ神薙からの指令は彼女によ
り早く玉依として覚醒してもらう事です。その為にいくつかの試練を与えに来たと言うの
が本当のところですね。実際、八握がいればよほどの大物でなければ玉依が危険に陥る事
はないでしょう。しかしそれでは玉依の力も目覚めない」
「だから、貴女が維依に力を使うようにけしかけるって訳ね。死返の力を使って」
 静香は瑞紀の言葉を引き継ぐように告げると、瑞紀はまるで警戒するかのように声を落
とした。
 死返玉は死者の霊を呼ぶ力だ。だが瑞紀ほどの術士になれば人以外のものも呼び出す事
が出来る。例えば力尽きた八十神の霊であろうと。
「そうです。まだ彼女は神を降ろす事が出来るに過ぎない。しかし何度も神と対話してい
けば、目覚める可能性はあります。特に彼女は何も教える事が無くとも天照を呼ぶ事が可
能な才能の持ち主ですから」
「私がそんな事許すと思ってる?」
「思いませんが、これは神薙の総意ですから。静香さんもまさか神薙に逆らうほど愚かで
はないでしょう」
「母親ってのは、愚かなものよ」
「なら、戦いますか。いくら貴女が、かつての十人の神司の一人だったとはいえ、私とて
今や死返玉として認められている。そうそうひけはとりませんよ」
 言葉こそ丁寧では有ったが、二人の間には一瞬にして冷たい空気が漂っていた。
 このままでは凍り付いた棘が刺すかのように思えたが、意外にも先に折れたのは静香の
方だった。
「そうね。私もいくら一線を退いたとはいえ、まだ簡単に負けるつもりはないわ。でも仮
にここであなたを倒したとしても神薙の意志が変わる訳じゃない。なら、維依の立場がま
すます悪くなるだけだもの。やめておくわ」
「賢明な判断です」
 瑞紀はそう呟きながらも、どこかで安堵の息を吐き出していた。瑞紀とて無駄な争いは
出来れば避けたいのだろう。瑞紀はあくまでも神薙の本家の意志に従っているだけで、好
んで喧嘩を売っている訳ではない。
 静香はやや顔を伏せながらも、しかし再び瑞紀へと目を向けていた。
「私自身があの子の為に何かしてあげられないのは悔しいけれど、でも八握くんがいるも
の。彼が何とか変えてくれるはず」
「八握がですか。宗家様といい、貴女といい。彼の何に期待されているのです。強い力を
持っている事は確かですが、力の総量だけでいえば他に並ぶものがいないという程でも無
いでしょう。それに何よりあの性格では輪を乱しすぎます」
「そうねぇ。じゃあ、聞いておくけど、瑞紀ちゃんも八握くんが裏切り者だと思っている
口?」
 不意に静香は元の軽い口調に戻って、微かに笑いかける。
 その問いに瑞紀は眉を寄せて、それからしばらく黙り込んでいた。
「なるほどね。感情的にはそう思っていても、宗家のじいさまが許すと言われたからには
それに従うってとこね。あなたはあのじいさまに心酔しきっているものね」
「……貴女は逆に不敬すぎます」
「ま、それはそれとして。皆の気持ちもわからなくないわ。彼は玉依を――自分の妹を殺
したのだから」
 静香の言葉に瑞紀は再び言葉を失う。
 かつて有った忌々しい事件。その事件の真相は殆どの者が何も知らない。ただわかって
いるのは、八握が幼い頃から玉依として育てられていた少女、彼自身の妹でもある雪菜を
殺したという事だけ。
 二人は仲の良い兄妹だった。雪菜は生まれながら玉依としての素質を認められ、本人も
玉依として生きる事を望んでいた。だからこそ八握はそれを守る十種の神宝になる事を目
指したのだ。
 維依が生まれついての玉依として生きずに済んだのも、あるいは雪菜がいたおかげかも
しれない。
 そして八握は見事、神司として認められ、何事も全てうまくいっていたように見えた。
 なのに八握はある日、雪菜を殺した。自らの術杖でその胸を突き刺していた。
 真っ赤に染まった杖から、ゆらゆらと滴り落ちる液体。音一つない空間。瑞紀の目にも
はっきりと焼き付いている。
「神薙の未来を支える玉依を、それも自分の妹を殺して、平然としていられるなんて、お
かしいわよね」
「もういいでしょう。それでも彼は八握剣として宗家様より、つまり神薙より認められて
いる。なら私はそれに従うまでです。そもそも彼がどうであろうと私にはさほど関係はな
いのですから」
 瑞紀は話を遮るように呟くと、静香から顔を背ける。
 静香はそのまま話を止めると、頬に手をあてて首を傾げた。
 同時に。
「お母さーん、私、これから出かけてくるから。真弓が怒ってるの。いってくるね」
 居間から現れた維依が大きな声で叫んで、玄関に戻ってくきたかと思うと、すぐに靴を
はいて二人の隣を駆け抜けていく。
「……私もいきます」
 静香にだけ聞こえるように瑞紀はぽつりと呟いていた。
 静香はくすっと微笑みをこぼして、去っていた二人の姿を見つめていた。
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