高天原より夢の続きに? (09)
「あぁ……」
 思わず喘ぎを漏らしていた。
 その声に反応したのか、人形達の口に当たる部分が大きく開く。
『たまより……』
『力をよこせ……』
『喰わせろ……』
『そうすれば蘇る……』
『力が戻る……』
『喰いてぇ……』
 それぞれが何度も何度も同じような言葉を呟き続ける。
 決して彼等の動きが速まった訳ではないのに、より激しく迫り来るような感覚が体中を
蝕んでいく。
「ぅ、あ」
 言葉にはならない声。
 だが維依の奥底から、誰かの意志が浮かんでくるのが分かる。
『私の力を欲しているのか』
 それはかつて聞いた神の声。天照と名乗ったあの意志の声だ。
「は、はいっ。私に、自分の身を守れるだけの力を貸してくださいっ」
 維依は大きく叫んだつもりではあったが、実際には音にはなっていない。
 それでも維依の中にいる者には届いたのか、胸の奥から痛みが少しずつ引いていく。
 いや、その刹那。
 激しくひき裂かれるかのような激痛が維依の中に伝わる。
 維依はその場でうずくまって、しゃがみ込んでいた。
 その瞬間、人型たちが維依に向けて飛び込んでいた。
『たまよりぃっ』
 人形の叫びが絶頂に達する。維依の上に幾重にも積み重なり、維依へと覆い被さろうと
していた。
 だが。
『ぎゃぁあああぁ』
 人形の悲鳴が辺りに轟いていた。きらきらと光が四方に放たれ、同時に人形たちが跡形
も無く消え去っていく。
『喪神の分際でこの私を捕らえようとは、下賤な奴らめ』
 維依は、いや維依の身体を借りた天照が呟く。だがそれに答えるように、維依の口が開
いていた。
「ありがとう。えっと、天照さん? 私の為に力を貸してくれて」
 それは維依自身の声だった。今まで神を呼び出していた時には、維依の意志はどこかに
おいやられていた。
 しかし今は維依自身の意識は失われてはいない。胸の中にもう一人の心が生まれて、そ
の意志と共にある。
『礼には及ばぬ。それよりも、まだ全てを追うた訳ではない。気を抜くには早いぞ』
 天照の言葉に、維依はまだ残っている人形達を睨み付ける。
 維依に飛びかかった者が全て消え去ったと言うのに、人形達は全く怯むこともなかった。
それどころか目にした力を渇望して、おぉぉ、と感嘆の声すら漏らしていた。
『たまよりぃ……』
『力をよこせ……』
『喰いてぇ……』
『喰いてぇ……』
 叫ぶ彼らは、再びのろのろと維依に向かって近寄り始める。
 恐れを知らない彼らに維依はぞっと身を奮わせていた。
「食べられるなんてまっびらだからっ」
 維依は強く叫ぶと、右手を胸の前でぎゅっと握りしめる。すぅ、と光が拳に集まってい
く。
「消えてっ」
 拳を頭の横から、まるで何かを投げつけるように振るう。
 右手がかぁっと燃えるように熱く火照る。
 同時に手の中にあった光が放たれていた。きらきらと粒子状に散らしながら、目の前に
いた人形達を包んでいた。
『消えるがいい』
 維依に同調するかのように天照が呟く。
 そしてまるでその呟きが届いたかのように、人形達がさぁっと風に溶けて消えていた。
「私だって、戦えるんだからっ」
 維依は叫ぶと、それから右手をぎゅっと胸の中で握りしめた。同時につっ、と軽い痛み
が走る。術を使った反動によるものだろうか。
 僅かに顔をしかめて、それからもう一度、拳に意識を集める。
 光が再び集まり始め、それからさらに向こう側にいる人形達に向ける。
『たまよりぃぃっ』
 その声は背中側から響いていた。
 はっとして後ろに振り向く。だがすでに遅く、維依の肩を後ろから人形が掴んでいた。
 悪寒が維依の背中を駆け抜けていく。粘着質な何が貼りついたような、そんな感覚が体
中に広がっていく。
「いやぁっ」
 維依の叫び声が響く。右手の光は間に合わない。
 だが、その瞬間。ざんっ、と切り裂くような音が響いたかと思うと、背中に感じていた
圧力が消えて無くなる。
「八握さんっ」
 助けに来てくれたんだ。心の中で呟くと、後ろへと振り返る。
「危ないところでしたね」
 だがそう声を漏らしたのは、維依が想像していた姿とは全く異なっていた。
 ショートヘアのすらりとした背の女性。維依が今まで一度も見たことのない顔。
「え、あ。あの、どなたですか」
 維依はややうろたえた様子で訊ねると、彼女はまるで動じずに淡々と答える。
「私は瑞紀。神薙の本家より貴女を守るように言い遣わされた者です。以後、お見知り置
きを」
 彼女は維依をちらと眺めた後、すぐに奥にいる人形達へと意識を移す。
 構えを崩さずに瑞紀は維依の隣へと歩み寄る。この時、初めて維依は瑞紀が人形を切り
裂いたにも関わらずに、何も武器の類を手にしていない事に気がついていた。
「さて、長話している場合ではありません。残りの人形どもを片づけましょう」
 瑞紀は懐から何枚かの紙の札を取り出すと、残った人形達へと向き直る。
 人形は思わぬ乱入者にしばし動きを止めていたが、すぐに邪魔者だという事に気がつい
て瑞紀の方へと身体を向けた。
「私とやるつもりか。甘い甘い。サッカリンよりも甘い。蒼斬符(そうざんふ)の餌食に
なるだけだ」
 瑞紀は取り出した札に向けて気を送り始める。その瞬間、ただの紙の札だったものが、
すぅっと蒼い光に包まれていく。
 人形は全く気にする事もなく瑞紀へと近づいていく。しかしわらわらとした動きは瑞紀
にとってはあまりにも緩慢な動きに過ぎない。
「消えろ塵芥のごとく。蒼斬符!」
 瑞紀は叫ぶと共に数枚の札を投げはなっていた。
 それはまるで意志を持つかのように、人形を目指して飛びかかる。
 人形はそれを避けようとして身体を捻るが、しかし人形の動きよりも札の速度の方が圧
倒的に速い。
 ざんっ、と鋭い音が響く。同時に人形はまっぷたつに切り裂かれ、そのまま灰のように
姿を変えて消え去っていく。
 しかし札は勢いを失う事はなく、また次の人形を切り裂いていた。
 そうして札が全ての人形を切り裂いたのは、わずか数秒後の事だった。
「す、すごいです。瑞紀さん、すごい」
 あっと言う間に消え去った人形達に、維依は感嘆の声を漏らす。
 尊敬の眼差しで彼女を見つめるが、瑞紀は全く気にもしない様子でぱんぱんと音を立て
て手を払っていた。
「大した事はありません。私は道返の術も得意としていますから。あんな滅びた八十神の
霊ごときでは、私に触る事すらできませんよ」
 平然とした、あまりにも淡々とした口調に維依はごくと息を飲み込んでいた。
「それに私は幼い頃から訓練を受けてきましたからこの程度の術は使えて当然なのです。
それよりも何の教えもなく、天照のような強大な神を呼び出して、すでに力を借りる事も
行える貴女の方がよほど驚嘆に値しますよ」
 瑞紀は顔色一つ変えずに告げると、軽く辺りを見回していた。
「どうやら八十神の霊どもは今ので全てのようですが、まだ時が止まったままです。油断
なき様に」
 瑞紀の言葉に、はっとして維依も辺りを見回していた。
 確かに風一つ吹いておらず、住宅街とは言え人の行き来もない。樹木が揺らぐ事もない
し、鳥の鳴き声も聞こえない。
 あの時、八握が時間を止めたと言っていた。だとすると今、こうして時が動いていない
のも八握が止めたままなのだろうか。
 そうだとすれば、八握が止めた時の中で襲い来た人形たちはどう捉えればよいのだろう
か。維依の心の中で、微かに針で刺したような痛みが走る。
「そういえば八握はどうしたのです。姿が見えないようですが」
 瑞紀の言葉に維依は顔を沈めて軽く首を振るう。八握が今どうしているのかは維依には
わからない。
 あのまま追いかけてこなかったのか、それともどこかで八握は見ているのか。守ると言っ
てくれた言葉は嘘だったのか。
 維依の心に影が差していく。
 それでも何か言おうとして口を開いた、その瞬間だった。
「瑞紀、維依から離れろ」
 その声は瑞紀の向こう側から響く。いつの間にそこにいたのか、八握は瑞紀の背に杖を
向けて構えを取っているのが見えた。
「私に牙を剥く気か、八握」
 瑞紀はゆっくりと振り返り、八握へと向き直る。
 その間も八握は構えを解こうとはしない。下手な動きを見せようものなら、すぐに杖を
突き立てられるに違いない。
「は。牙を剥くなんてのは、格上の人間が使うものだ。お前と俺が戦えば百回やって百回
俺が勝つ。起きて言う寝言はいただけないぜ」
 八握は確かにどこか余裕のある声で告げると、杖の切っ先を少しだけ瑞紀へと伸ばした。
「なるほど。そうかもしれん。だが、お前に杖を向けられる覚えはないぞ」
 瑞紀の台詞に、維依ははっとして二人へと駆け寄っていく。
「八握さん、瑞紀さんは私も助けてくれたんです」
 維依は慌てて語りかけて、それから瑞紀の隣にたって左手で八握の杖から遮る。しかし
右手は降ろしたままで、広げようとはしない。
 動かないという訳ではなかったが、さきほどの戦いの時に痛めたのか、動かすとズキと
痛みが走る為だった。
「維依、力を使ったのか。くそっ。話は後でゆっくり聞いてやる。だが、今はこいつをこ
のままにしておく訳にはいかない」
 向けた杖を降ろす事もなく、瑞紀へと怒りを隠しきれない目で睨み付けていた。
 つぅ、と維依の胸に痛みが走る。
「何を言っている。血迷ったか」
「は。ごまかそうってのか。もう俺は神薙の」
「やめてください!」
 八握の喋りを遮るようにして維依は強く叫ぶ。神薙と言う言葉に維依は過敏なまでに反
応してしまっていた。
「八握さん。もういちどいいます。瑞紀さんは私を助けてくれたんです。争わないでくだ
さい、やめてくださいっ」
 維依の声が高く響きわたっていた。焦りと、そしてどこかに憤りを感じる強い声。
 八握は声を止めて維依へと視線を移す。
「維依」
「それに八握さんは、絶対守ってやるなんていって、結局私を助けてくれなかったじゃな
いですか。それなのに瑞紀さんを責めるなんて変です。おかしいですっ」
 維依の口から思わずこぼれた言葉。だがその声に八握は何も言えなくなっていた。
「わかった」
 八握はそれだけ答えると杖を降ろす。
 そして維依がほっと息を吐き出した瞬間、そのままくるりと振り返っていた。
 え、と維依は声には出さずに呟く。しかし八握はそのまま杖を使って大きく跳躍する。
 屋根の上に乗り上がり、そのまま家々を飛び越えながら去っていく。
「まてっ、八握」
 瑞紀が制止の声を上げていたが、すでに八握の姿は目に届かない場所に消えていた。
「……八握さん」
 維依はじっと八握のいた方向を見つめていたが、やがて軽く肩を落として首を振るう。
 最後に垣間見えた八握の瞳が、どこか寂しさと申し訳なさが同居したかのように見えた
のは維依の気のせいだったのだろうか。
 しかし考えるよりも早く、ふっと微かな違和感を肌に感じて、それと共に静かなざわめ
きを取り戻していた。
 風の音や、樹々の揺れる囁き。普段であれば殆ど気にもしないような音だけが、今は維
依の耳にしっかりと伝わっていく。
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