高天原より夢の続きに? (07)
「隠れてないで、いいかげんでてこい」
 八握は呟きながらも、背中側から受ける敵意のようなものから意識を離さない。
 深夜の住宅地。物音一つしない、静寂の中の空間。ときおり唄うのは風と枯れた木の葉
が回る音だけ。
 杖を手にして八握はプレッシャーを受け流していた。
 誰かがいる。それは間違いの無い事だ。しかしその正体は依然としてわからない。
 圧力は確かに後方から伝わるが、だからといって本当にその方向に敵がいるとは限らな
いからだ。力のあるものほど、こういった気を自在に操れるようになる。背に回り込んだ
ように見せかけて、実は正面にいる事も十分に考えられる。
「不意をつくつもりならもう無駄だ。気に隠れて襲うつもりなら、諦めておいた方が無難
だぜ。俺は一度に全ての方位に力を放てる」
 八握の声は鋭さを増していく。
 これは明らかな挑発だった。実際にこのまま襲いかかられたとすれば、若干反応が遅れ
るのは間違いない。
 とはいえ、さすがにその瞬間にはどんな達人であろうとも、全く気を発しない訳にはい
かない。八握には自分の首を落とされるよりも、紛れた気を自分が感じ取る方が速いとい
う自負もあった。
 それでも万に一つという事もある。八握を上回る術師であれば、気をほぼゼロに近しい
値まで隠す事が出来るからだ。
 それゆえ言葉で巧みに敵に揺さぶりをかけているのだ。本当に姿を現せば儲け物である
し、多少でも挑発にのれば襲う時に気が漏れる可能性も高い。気を操る力はほんの少しの
乱れが大きく影響する為だ。
 そしてまるで八握の声に答えたかのように、目の前の四つ角から何者かが姿を現してい
た。
「ふ。相変わらず猛々しい奴だ」
 その声は女性のものだった。そして八握にとっては聞き覚えのある声。
「瑞紀か。何しにきやがった」
 どこかいらついた様子で八握は呟くと、それでもやや緊張を解いて一歩だけ歩み寄る。
 瑞紀も少しだけ八握に近づいて、ちょうど電灯の明かりに照らされ瑞紀の姿がはっきり
と浮かび上がる。
 ジーンズに薄いシャツ。その上にレザーのジャケット。ショートのレイヤーヘアに、す
らりと流れるような手足。胸部のふくよかな膨らみが、確かに女性だと言う事を強調して
いる。
 だがその冷たさすら感じられる切れ長の瞳が、どこか敵意のようなものを振りまいてい
る事に気付いて、八握はやや目つきを細めていた。
「何しに、はないだろう。お前と共に玉依を守りに来たのだからな」
「お前がか。馬鹿いえ、本気で玉依を守るつもりなら、美鈴か伊吹でも連れてこい。そも
そも死返玉(まかるかえしのたま)のお前が何をするつもりだ」
 八握はつまらなそうに吐き捨てる。
 もしここに維依がいたならば、死返玉というのが静香から聞いた十種の神宝(とくさの
かんだから)の一つだという事に気が付いたかもしれない。もちろん八握自身は、その事
は痛いほどに理解しているし、目の前の瑞紀が自身と同じ十人の神司(とたりのかみつか
さ)の一人、死返玉だという事も知っている。
 死返玉はその名の通り死者を蘇らせる力を持つ。実際には人が人を生き返らせる事など
は出来るはずもなかったが、死返玉の名を冠した神司は、それに近しい事を行う力を持っ
ていた。
 すなわち霊魂の召還。魂だけは死んだとしてもすぐ消える訳ではない。従ってそれを呼
び出して話を聞く、あるいは誰かの体に留めて生き返ったかのように見せるくらいの事な
ら不可能ではない。
 ただこう言えば簡単ではあるが、実際にはかなりの力量を必要とする術である。その難
易度は、失敗すれば術者の命さえ危うくなる事すら有り得る術でもあった。その為、この
術を使えるものはさほど多くはない。
「美鈴に伊吹か。なるほど、邪を祓う力を持つ二人でそもそも邪を近付かせぬようにする
か。だが、八握、君は考え違いをしている」
 瑞紀は鼻で笑うように息を吐き出すと、それから両手を肩の辺りで左右に広げていた。
 何を、と言いかけて八握は口をつぐむ。そして次の瞬間には辺りに意識を飛ばしていた。
 瑞紀の他にもう一人誰かがいる。瑞紀の気配に巧みに隠れていたが、八握の感覚をごま
かすことまでは出来なかった。
 ぴくと肩が揺れる。背中側に感じていた瑞紀の気の中に極限まで気を隠して、その男は
そこに立っていた。
「さすが八握さん。ボクの気配に気がついたようだね」
 声の主は少年のもの。
 だが知らなければ、あるいは少女だと言われても納得したかもしれない。
 端麗に、無駄一つなく整った顔。にこやかに微笑んでいるのに、一つとして温もりを感
じない瞳。これが十四、五歳にしか見えない少年の持つ眼差しだとは、普通なら有り得な
い事だった。
 しかし彼の瞳は、見ているだけで吸い込まれるような痛みと、目に入るもの全てを呪っ
ているかのような怒りを内包していて、気の弱いものなら、目が合うだけで強い恐れに狂
いかねない。
 もう見慣れているとは言え、八握ですら彼の目をみる度に吐き気を感じてしまう。ある
いは八握が彼の顔を見て感じる感情は違うものから来る想いかもしれないが。
「朱月(あかつき)か。道返玉(ちがえしのたま)のお前まで現れるとは、よくよく俺も
信用がないらしいな」
 八握は軽い口調で、しかしどこかつまらなそうに告げていた。
 朱月と呼ばれた少年は、小さな笑みを浮かべて八握へと返す。それは明らかな嘲笑であ
り、絶対的な強者の眼差しであった。
 もちろんだからといって八握も怯む事はない。むしろ馬鹿にするかのような挑戦的な瞳
で受け流していた。
「君を信じられるはずがないだろ。裏切り者のくせに。なぜ未だに君が八握剣として名乗
れるのか、ボクには理解出来ないね」
「は。お前の頭じゃ説明してもわからねーよ」
「まぁ、君の腐った言葉じゃ理解に苦しむのは事実だろうけどね」
 二人の間に張りつめたような空気が流れていた。もし何かきっかけがあれば、そのまま
殺し合いすら始まりそうなくらいに。
「よせ、二人とも。朱月、八握の件は宗家様が許すと言われたのだ。それ以上、言及すべ
きものではない。八握、お前もいちいちつっかかるな」
 瑞紀は二人の間に割ってはいると、軽い侮蔑の目線を送る。
「この時に仲間同士でいがみ合う等というのは愚の骨頂だ。玉依には早く、本当の力に覚
醒してもらわなければならぬ。その為にも皆の協力が必要だ」
 瑞紀はそう言いながらも、どこか面白くない様子で、ふんと鼻息を強く吐き出していた。
 しかし朱月も八握も、それ以上には何も言わなかった。これ以上、いがみ合っていても
仕方ない事はわかっていたし、あるいはそのままでいれば本当に二人が争う事になってい
たかもしれないからだ。
 八握と朱月の二人がお互いに良く思っていない事は、誰の目にも明らかだった。
「やっぱり宗家のじーさんはそのつもりなのか。くだらねぇ、俺は俺の好きな様にやらせ
てもらうぜ」
 八握はどこか怒りの含んだ声で呟くと、それでもまだ構えを解いていなかった杖を降ろ
していた。
 少なくとも瑞紀と朱月は敵ではない。いや、いつかは敵に回るかもしれないが、それは
今ではない。
「八握。もういちど以前のような事になれば、もはや宗家様といえど庇いきれんぞ」
「知るか。俺は庇ってもらおうなんて思っちゃいねぇ。とにかく俺は役割通り、維依を守
る。あいつには八十神ごときに指一本触れさせはしない。もう二度と、触れさせるものか」
 八握は苦い声で言い放つと、それから杖を立てたまま地面に突き立てる。
 そしてその反動を利用して、そのまま屋根の上まで飛び上がっていた。
「お前らはお前らの役目を果たせばいい。俺は誰の指図も受けん」
 屋根の上から二人に向けて叫ぶと、八握はそのまま屋根から屋根へと飛び去っていく。
「なら、ボクも好きなようにやらせてもらうよ。君の大事な姫が傷つく事になっても、ね」
 呟かれた声は、八握の耳には届いてはいない。そして無音が辺りを支配したまま、時の
帳がゆっくりと降りていた。
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