高天原より夢の続きに? (06)
『私を倒しそこなったからだな。でも、さすがの私も驚いたよ。まさか本当に一撃でこれ
だけの事をしてみせるなんてね』
 声はどこからともなく響く。それは確かに倒したはずの稲垣の声だった。
「俺としたことが、踊らされていたって訳か」
 八握は苦々しく呟くと、稲垣の声がした方向から維依を守るように立ちふさがる。
「まさかあれが全て幻術だったとはね。実際に手を出す事は出来ない幻で維依を襲って見
せたのも、俺が維依を助ける事を計算していたって訳だ」
『はは。おかげで見せてもらったよ。君の力をね。雷術はスサラギの得意な術だったが、
所詮は喪神の力、あれだけの威力はなかった。どうやら君は取り込んだ相手の力を倍増し
て、あるいは組み合わせて使える、と。そういう力を持っているようだね』
「……ち」
 稲垣の言葉に八握が舌打ちをする。図星を指されたのだろうか。
 八握はそれ以上は何も答えずに、ただ杖を構えて維依の前に立ちふさがっているだけだ。
 しかし稲垣はそんな八握に構うこともなく話し続ける。
『ふふ。これだけの力が使える相手になら、私も周到に準備をする必要がありそうだ。な
ら今日のところは引かせてもらうよ』
 稲垣の声はそのまますぅっと引いていく。
 それと同時にざわめきが一気に戻ってきていた。いつも通りの校舎。時間が動き出した
のだろう。
 それと同時に。
「あれー、よりちと八握さん?」
 真弓の声が高らかと響く。
「真弓!? なんでここに」
「なんでって、うちの部室がそこだからだけど」
 真弓は奥の部屋を指さして、にこりと微笑む。そういえば真弓の所属する科学部はすぐ
そこの理科室が部室だった。
「で、二人はこんなところで逢い引き? でも、こんなところにいたらすぐばれるよ。う
ちの学校、先生以外では男はいない訳だし」
 真弓はさらりととんでもない事を言う。
「そうだな。じゃあ俺はばれないうちに退散するか」
 八握は否定する事もなく、そのままたたっと廊下の向こう側に駆けていた。
 あまりに何気なく言い放たれた言葉に維依は初め呆然として何も言えなかったが、すぐ
に慌てて声を荒げた。
「逢い引きじゃないからっ。八握さんも少しは否定してくださいっ」
 遠くなっていく背に声を掛けながらも、はぁと小さく溜息をつく。今更いっても無駄な
事はわかっていたが、それでも言わずにはいられなかった。
「隠さなくってもいいって」
 真弓の声に維依はもう一度、息を吐き出す。
 さっきまでのどこか張り詰めた空気は、もうすっかりと消えてなくなっていた。
 まるで今までの事が全て夢か何かだったかに思えるほど、何一つざわめきは変わらない。
 しかし維依はこれからの学校生活に、不安を感じずにはいられなかった。変わり初めて
しまった周りに、何が本当の事なのかもわからずにいた。

「ただいまー」  維依は家に帰ると、急いで居間へと向かう。  あれから八握は全く姿を見せなかった。どこかに隠れているのか、それとも違う場所に いるのかはわからないが、とにかく今しか機会はない。  維依はまだ八握から一つだけ聞いていない事があった。それは八握自身の事だ。  何となく八握自身に訊ねても答えてくれないような気がしていた。だから八握を呼んだ 本人に、つまり両親に訊ねてみようと思ったのだ。 「おかえりなさい、維依ちゃん。じゃあそろそろご飯にしましょうね」  母の声が聞こえてくる。 「ねぇ、お母さん。八握さんは?」 「あら、あなたと一緒じゃなかったの。てっきりそうだと思っていたけど」  維依の母――静香はにこりと微笑んで、それから皿をテーブルの上に並べ始める。  父親はだいたい夜は帰りが遅い為、夕食は維依と静香の二人で取る事が多かった。 「いないんだ。じゃあ、ちょうどいいや。お母さん、隠さないで教えて。八握さんって何 者なの」 「あなたの許嫁ですよ」 「そうじゃなくって! だいたいそれも嘘なんでしょ。私が玉依だから、私を守る為に八 握さんを呼んだ。そうなんでしょ」  やや口調を荒くして、維依は母の目をじっと見つめていた。  静香は「あら」と小さな声で呟いて、それから頬に軽く手を添える。 「もう知っちゃったのね。やっぱりこういうことは隠せないのかしら」  のほほんとした口調で告げると、何事も無かったように夕食の準備を続けていた。 「じゃあ今日は、維依ちゃんの好きな卵焼きにしましょうね」 「え、わーい……って、だからそんなのじゃごまかされないんだからぁっ」  維依は母親に抗議の声を上げるものの、その瞳が「卵焼きっ」と訴えていた。  どうしても好きすぎて卵焼きの魅惑から逃れられないらしい。 「別にごまかすつもりはないわよ。ただ、八握さんの事を話すなら、長くなるかしら、と 思っただけですもの」  静香は食事を並べながら、にこりと微笑んで維依に席をつくように促していた。  維依は仕方なく食卓について、食事の準備が整うのを待つ。  すぐにテーブルの上には夕食が並べられて、静香も同じく席についた。 「じゃあ、食事にしましょうか」 「うん、いただきます」  手を合わせてから、食事を始める。維依はすぐに卵焼きに箸を伸ばして、幸せそうに頬 を緩めていた。 「どう、美味しい?」 「うんっ、お母さんの卵焼き大好……って、だからこんなのでごまかされないんだからぁ」  維依は、はっと目を開いて、それから抗議の視線を送る。しかし静香は全く気にもせず に、はいはい、と答えただけだった。 「そうねぇ。じゃあ、八握さんの事を話しましょうか。簡単にいってしまえば、八握さん は、十種の神宝(とくさのかんだから)の一つ、かしらね」 「……お母さん、よくわからないよ」  維依は首を傾げて、じっと母の目を見つめる。 「そうね。貴方には関わらせないようにしてきたからわからなくて当然かしら。じゃあ少 し長くなるけど説明しましょうね」  静香は頬に手をあてて、小さく息を吐き出していた。いつもよりどこか真剣な眼差しに、 維依も思わず襟を正す。 「この国には十種の神宝と呼ばれる神器が伝わっているの。でも三種の神器などのように 現物が残ってなくて、本当に存在したかどうかすら疑われている宝物よ。  でも物が残っていないのも当たり前なの。だって十種の神宝は本当は物品じゃなくて、 自在に力を使えた十人の神司(とたりのかみづかさ)の事だもの」  静香は殆ど表情を変えずに、淡々と話し始めていた。  維依は胸の中でぎゅっと拳を握りしめる。 「とくさのかんだから。とたりのかみづかさ」  維依は思わず首を傾げて、うーんとうなり始める。聞いた事もない単語ばかりでいまひ とつピンとこない。 「そうよ。そして八握さんは、現代の十人の神司の一人なの」 「うんと、よくわからないけど。とにかく、八握さんは宝物って言われるくらい、すごい 力を持っている人ってこと?」  維依の理解としては、せいぜいがその程度ではあったが、静香は初めから理解してもら うつもりはないのか、殆ど気にもせずに話を続けていた。 「そんなところね。そして十種の神宝とは、奥津鏡(おくつかがみ)、辺都鏡(へつかが み)、生玉(いくたま)、死返玉(まかるかえしのたま)、足玉(たるたま)、道返玉 (ちがえしのたま)、蛇比礼(へびのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物比礼(くさぐ さのもののひれ)、そして八握剣(やつかつるぎ)の十の宝のこと。  八握さんは凶悪な者や邪な者を罰し、平らげる剣としての力を持っているの。だから八 握剣としての任命された。たぶん八握って名前も本名じゃあなくて、後からつけられた名 前だと思うわ」  静香はそこまで話すと、維依の目をまっすぐに覗き込む。  維依は何も言えなかった。何を言っていいのかもわからなかった。  唐突な話に今ひとつ話の内容が理解出来ていない。ただ何とか八握が不思議な力を持っ ているという、それだけの事は何とか把握出来ていた。 「私達、神薙(かんなぎ)の一族は古来からこの十種の神宝を使って玉依を護ってきたの。 玉依はこうして地上に住む神に狙われてしまうから。そして、玉依は神薙の一族に栄光を もたらしてくれるはずだから」  静香は少し寂しそうに告げると、維依の手をとって握りしめる。  伝わってきた体温は暖かくて、でもどこか震えているような寂しさも伝わってくる。 「玉依は神様の力を間接的にでも使う事が出来ますからね。例えば未来を知る事だって可 能なのよ。いわば神様のお告げって奴ね」  未来を知る事が出来る。維依はそう言われて、確かに便利な力なのかもしれない、と考 えていた。  この先にどうなるかわかっていれば、失敗する事も無い。すでに答えを知っているテス トを受ければ、誰だって簡単に百点を取る事が出来る。商売であれば莫大な利益を上げる 事だって不可能じゃないだろう。 「でも私はあなたに玉依の運命なんて担って欲しくないの。いまどき神頼みもないでしょ うし。そんな力なくっても暮らしていける。だからあなたが玉依である事は誰にも隠して きたの。……隠してきたつもりだったの。でも力を失っているとはいっても、神様の目は さすがにごまかせなかったみたい」  いったん言葉を止めると、首を左右に振るう。いつもはあまり表情を変えない静香の眉 が、僅かにだけ降りていた。 「近くに八十神の気配を感じて。それで急遽、神薙の本家に話して八握さんを呼び寄せた の。維依を護って欲しいって。  でも、そう決めるまでずっと迷っていた。それはあなたが玉依として生きて行かなきゃ いけないって事でもあるから。辛い目に、あってしまうから」  静香の目にうっすらと涙が浮かびあがっていた。今まで維依は母が泣いているところな んて一度も見た事がない。  いつものほほんとして落ち着いていて、時々ちょっとずれた事を言うけども、頼りにな る母親で。  平然としていたけれど、静香にも強い葛藤があったに違いない。  神薙の本家というのが、どのようなものなのか維依は知らない。しかし本家というから には、そして神薙なんて言う大層な名前からしても、維依の家とは比べ物にならないほど 神様と関わって生きている一族ではないだろうかと維依は思う。  それに今の話からも玉依という存在が、本家では重要視されている事は維依にも分かっ た。だとしたらそれを隠し続けていた母には、なぜ隠していたという責めがあってもおか しくはない。  それでも八握を呼んだのは、維依を守りたいから。傷つけたくはなかったから。  だけど玉依として生きれば、維依は神に喰われ続けていく。それをさせない為に、母は 維依の事を隠し続けていた。  激しい迷いが有ったに違いない。  だけど維依は母からの溢れんばかりの愛情を感じていた。何もかも自分の為に考えてく れていた母の手は、伝わる温もり以上に暖かに感じる。  だけど同時に維依は八握の話を思い出してもしていた。  神を降ろせば自分の体が蝕まれていく。体が動かなくなっていく。母の話は、維依がこ れからはそうせざるを得ない状況に追いやられたという事だった。  もし全身が動かなくなって、それでも神様を降ろしたら、私は一体どうなってしまうの だろう。私の意識は消えてしまって、完全に神様になってしまうのだろうか。それとも死 んでしまうのだろうか。  維依は思わずその身を震わせていた。死にたくない。恐らくは誰もが持っている感情。 だけど普段は心の奥に隠されていて、感じずにいる恐れ。  それが今、維依の中にはっきりと浮かんできていた。神を降ろせば死ぬかもしれない。 でもこれから維依は玉依として生きていかなくてはいけないという。  それは死ぬまで力を使い続けなくてはいけないという事だろうか。  嫌だ。そんなの嫌だ。私、まだ死にたくない。死にたくないよ。  維依は心の中で叫びをあげるが、それでも声には出せずにいた。喉の奥につっかえて、 何を言えばいいかもわからずにいた。  母の前では、そんな事は叫びたくはなかった。自分の為に辛い想いを抱いてくれている 母の前では。  維依は事件が起きてからも殆ど平然と暮らしていた。しかし本当に平気だった訳ではな い。ただ平気なふりをしてきただけだ。内心では恐れも不安も誰よりも感じていた。だけ どそれを表面には出したくない。いつもと変わらない日常を歩んでいたい。そして何より も近しい人達にまで不安や恐怖を広げたくない。そう願っているから、何も言わない。何 も起きてはいないふりをしている。  そんな維依の内心を知ってか知らずか、静香は再びゆっくりとした口調で話し始める。 「それでも、あなたが何も知らないでいられれば、神を依らないうちに玉依の資格を失う かも、なんて期待もあったのだけども」 「玉依の、資格?」 「ええ、玉依になるには一定の条件があるの。まずは十六歳の誕生日を迎える事、それか ら」 「ちょっとまって」  維依は慌てて声を張り上げていた。  十六歳の誕生日を迎える事。確かに静香はそう告げたが、誕生日を迎えたはしたものの 維依はまだ十五歳になったばかりだ。十六歳まではあと一年ある。 「私、十五になったばかりだよ」  維依はきょとんとした目で首を傾げて、胸の中の拳をもういちど強く握る。 「ええ、そうね。でも昔の日本ではね、数え年っていって生まれた年を一歳と数えたの。 それでいえば維依は十六歳って事になるわ」 「そうなんだ。でも、なんで十六歳の誕生日なの。大人にならないと、というのはわかる けど、それだったら、その体が大きくなったら、とか」 「ちゃんと理由があるのよ。神様の世界では八という数字が特別視されているの。たとえ ば八百万の神とか、八十神とか。天皇の守護神も八神だしね。神社でも伊勢内宮の八十末 社とか、賀茂神社の八座なんてものも言われているし。日本人の主食の米という字は八十 八と書くわよね。  あげればきりがないんだけど、その特別な数字の八の二倍の数だから、と言われている わ。あなた自身の年と、依る神様の為の年、それぞれを過ごす事でやっと玉依になれるん だって。  細かく言えば、数え歳は本来年が明けると歳をとるから誕生日は関係ないのだけど、実 際に過ごした日数も関係するからね。だから十六歳の誕生日なのよ」  静香は少し冷静さを取り戻したのか、いつもの動じない顔に戻って説明を続けていた。  それでもどこか陰りがあるような気がするのは維依の気のせいなのだろうか。 「そっか。あ、ねぇ、だったら、八握さんの八っていうのも意味があるの?」  維依はふと気が付いて、何気なく訊ねる。  その問いに静香は首を微かに傾げて、頬に手を当てていた。 「えっと、八握さんの名前は八握剣から来ている訳だけども、剣の長さが八つの握り拳分 の長さだったから、って言われているわ。だから特別な意味は、ええ、ないのよ。それよ りも」  静香が何かを続けようとした瞬間。  ガチャ、と音を立ててドアが開く。 「あれ、なんだ。もう飯くってたのか。なんだよ、維依。俺を待っててくれてもいいだろ」  八握がつまらなそうに呟く。 「静香さん、俺の分はあります? 今日はずいぶん運動したものですから、腹が減って腹 が減って」  八握は維依の隣に腰掛けると、ひょいと卵焼きを一つ摘む。 「あ、あーっ。なんてことするのっ」  維依は思わず八握をぽかぽかと両手で叩いていた。しかし八握は全く気にもせずに、う まい、と感嘆の声を上げると、静香の方へと向き直る。 「はいはい。八握さんの分もちゃんと用意していますよ。それと維依ちゃん、卵焼きなら まだあるからね」  静香は顔つきをあっと言う間に普段の表情に戻して、キッチンへと向かう。  維依はぷぅと顔を膨らませながらも、どこかでほっとしている自分を感じていた。  何に安堵していたのか、維依自身にもわからなかったけれど。
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