高天原より夢の続きに? (05)
 喰われる事になっても。維依にはその言葉の意味が初めはわからなかった。
 確かに八十神は維依を喰らおうとしているのかもしれない。しかしそれを防ごうとして
神様を呼ぶのだ。それでは理屈が通らないと思う。
 それとも維依だけでは守りきれないと言いたいのだろうか。確かに考えられない事では
ない。維依は何となく八握への反発心から言い出してはみたものの、本当に一人で身を守
る事になれば不安もある。
 まだ維依は本格的な恐怖には出会っていない。殆ど覚えていない昨日の出来事と、少々
不思議な事をいいだした稲垣から話を聞いただけだ。実際に何かをされた訳ではない。
 だから平然として自分で何とかするなんて言葉も言えたが、よくよく考えてみればいつ
襲われるかもわからないのに、一人だけで何とか出来るはずもない。どこかで八握に頼ら
ざるを得ないのだ。
 しかしそれでも維依自身も戦えるとなれば、少しは八握の負担も減るだろうし、より万
全だと思う。
 もっとも実際のところは戦うだなんていっても、今の維依にははっきりとした認識は無
かった。今までに誰かが戦っているところを見た訳ではないし、もしも戦う事になっても
維依自身がというよりも、維依に降りた神が戦うという思いも少なからずある。それが気
を大きくさせていたところもあるだろう。
 それは無理もない事だった。維依にとって戦いだの何のという世界は無縁のものだった。
今は話の展開から、かつて見た漫画や映画のように、何となくそうなるのかもと思ってい
ただけで、これから戦うんだという実感は何一つ無かった。
 八握の軽い態度が維依の気を楽にしていたところもある。時間が止まった事には驚きも
したが、こうして八握も普通に動いているし、もともと稲垣は良く知っている人間で、八
十神に化け物に襲われたという恐れもそれほどにはない。維依には実感が無かったのだ。
 だけどもしこの時が、後の戦いの後であれば、維依はこうは言えなかったかもしれない。
「喰われるって、だからそうならないように戦うって」
「そうじゃない。まぁいい。お前が戦うべきじゃない理由を順を追って説明してやるよ」
 八握は再び維依の台詞を遮って、それから少し憂いを残した瞳を維依に向けていた。
 その目に維依は上げかけた抗議の声を思わず止める。
「いいか。まず一に、神を呼ぶには精神的な高揚が必要になる。いつでも好きな時に降ろ
せるって訳じゃない。
 二に、神が降りるまでには時間が掛かる時もある。危なくなったからすぐ呼び出して助
けてもらう、なんて都合よくはいかない。
 三に、いくらお前に天照が住んでいるとは言っても、天照の力が全て使える訳じゃない。
当然だな、お前はあくまで人なんだから、そんな大きな力には身体が耐えられる訳がない。
 けど、それ以上に重大な理由がある。今言ったことは、ある程度は修練すれば補えると
ころではあるからだ。
 でも決定的に問題なのは。喰われるんだ。神を降ろせば、お前の身体が。神を呼べば、
同時に神の意志がお前をだんだんと浸食していく。そうすればやがてお前の身体は自分の
意志では動かなくなっていくだろう。
 たぶんお前の両親がお前に何も言わなかったのはその為だ。玉依の業など背負わないで
いいようにってな」
 八握が全て話し終えた時、維依はもう何も言えなかった。自分がどれだけ甘く考えてい
たかを思い知らされて、声を飲み込んでいた。
 戦えば自分の身体が動かなくなる。自由に歩けなくなるのかもしれない。あるいは何も
持てなくなるのかもしれない。いや、身体がという事なら、耳が聞こえなくなるのかもし
れないし、目が見えなくなるのかもしれない。
 維依は何もかもを失い、何も出来ない人形のようになってしまった自分を頭に思い浮か
べていた。背筋を冷たく凍るようだった。そこまでして神を呼ぼう、自分で自分の身を守
ろうだなんて意識は、もうどこにも無かった。
「だからお前はもう神を呼ぶな。俺が守ってやるから何も心配はいらない」
 八握は維依から顔を背けて告げると、そのまま立ち上がり背を向けた。
 稲垣先生が近づいていたのだろうか、と維依は初めは思ったが、しかし特に変わった様
子はないし、八握もそれ以上は動こうとはしなかった。
 と、不意に浮かんだ考えに、維依はくすっと声に出して微笑む。急激に感じていた恐怖
が流されていた。なぜか安心すら感じて、少し胸の奥が楽になっていく。。
「あの、八握さん、もしかして自分の台詞に照れてますか」
「ばかいうな。そんな訳ないだろ」
 八握は特に慌てた様子も無く答える。
 なんだ違うのか、と維依は心の中で呟くと残念そうに肩を落とし、それから八握の方を
じっと見つめる。しかし八握はいつまでたっても振り返ろうとはしなかった。
 あれ、と声には出さずに呟くと維依は八握の前へと回ろうと動く。しかし八握はそれを
遮るかのように、すっと向きを変えていた。
「あ、やっぱり八握さん照れてる。可愛い」
 くすくすと笑みを漏らしながら、維依は八握を見つめていた。
「うるさい。男に向かって可愛いなんていうんじゃねぇ」
「でも、可愛いものは可愛いんですもん」
「だから、言うなって……」
 途中まで言いかけて、ぴたと言葉を止める。それから慌てたように辺りを見回して、鋭
い視線を投げかけていた。
「八握さ……」
「しっ。奴が近くまで来ている。結界を壊しやがった。少し長話が過ぎたか」
 維依の声を遮り、八握は一方を見つめていた。そちらから稲垣先生が来るのだろうかと
維依は思う。
 だが維依の想像と現実は全く異なっていた。
 それは突然の事。瞬く間に、一面に、壁も窓も扉にも、稲垣の顔が浮かび上がっていた。
 まるでレリーフか何かのように盛り上がり、稲垣の顔を象っている。
 ぐぅ、と維依は息を飲み込んで、それから少し胃の中のものを戻しそうになる。
 稲垣の顔はどちらかといえば端麗な方ではあるが、それでもこれだけ一面に浮かび上が
れば気持ち悪さの方が先に立つ。
「ほぅ、結界など誰が張ったかと思えば八握じゃないか。お前まだ生きていたのか」
 一面に浮かび上がった稲垣の顔の一つが呟く。だがその全ての顔が嫌らしく笑っていた。
「ま、あの程度で死ぬほど柔じゃないんでね。それよりお前、稲蜷木(いなになぎ)だな」
「イナニナギか、懐かしい名前だが、今は稲垣と名乗っている。呼ぶならこちらで呼んで
もらおうか」
「は、改名したってか。そちらで呼ばれる方がお前の存在を人が認識するからだろ。認識
されれば少しは力になるからな。涙ぐましい努力って訳だ。で、力を付けたところで、お
前も維依を狙ってきたのか。それなら渡さないぜ、こいつは俺の許嫁だからな」
 八握は軽口を叩きながらも、稲垣から視線をそらさない。それどころか、どこか苦虫を
噛み潰した様な渋い表情を浮かべてすらいた。
「八握。強がってみても、所詮お前では私には勝てまいよ。素蛇穴(すさらぎ)を倒して
いい気になっているようだが、あんな喪神(もがみ)などと一緒にされては困るぞ。なぁ、
若宮。そうだろう」
 稲垣が呟くと同時に、維依の側にある顔のうちのいくつかが、まるで蛇かミミズのよう
に壁からにゅうと伸びる。
 その顔の一つ一つが生き物のように維依へと襲いかかった。
「いやぁっ」
 維依は思わず叫び声を上げて、なんとか避けようとして身体を捻る。
 しかし顔は容赦なく維依へと迫った。
「ちいっ、いきなりかよ」
 八握は維依へと飛び込む。
 維依をぎゅっと抱え込んで、そのままごろごろと廊下を転がった。
 そして維依を背にしてすぐに立ち上がる。
「てめぇ。仮にも神なら、もう少し堂々とやったらどうなんだよ」
「はは。私は代表的な悪神八十神の一人だよ。卑怯なくらいの方が似合うだろう」
 稲垣の顔の一つが、くくっと笑みをこぼす。どこか馬鹿にしたような声に、八握は眉を
寄せていた。
「話を聞いてやがったのか、悪趣味な奴め。けどいつまでもお前のいいように行くと思う
なよ」
 八握は右手で自らの左腕を押さえる。
 いや、押さえたのではない。そのまま右手が左腕の中へとずぶずぶと入り込んでいく。
「八握さん!?」
 維依が声を張り上げていた。八握の腕からは血こそ出ていないものの、見ているだけで
痛々しい事この上ない。
「心配するな。これが俺の力だ――術杖招来(じゅつじょうしょうらい)」
 八握の叫びと共に、一気に右手が引き抜かれる。
「がぁっっ、ぐぅっ」
 相当に痛みが走るのか、八握は悲鳴のような喘ぎを漏らした。
 メキメキッと軋むような音が響く。維依にはとても大丈夫なようには思えない。
 思わず駆け寄ろうかと考えた瞬間。八握の手が完全に引き抜かれていた。
 そしてその握りしめた拳の中に、長さ一メートル三十センチ程の一本の杖が現れていた。
まるで八握の左腕から生まれきたかのように。
 八握はそのままくるくるっと杖をまわし、その切っ先を稲垣の顔へと向けていた。
 ただ左手は動かないのかだらんとさげたままで、維依は心配そうに八握へと目を送るが、
八握は維依へと視線を移そうとはしなかった。
「ほう、術杖か。珍しい技を使うが、それでどこまでやれるか、みせてもらおうか」
「は、杖を甘く見ると後悔するぜっ」
 八握の気合いが走る。
 その瞬間、杖の先から気の塊のようなものが放出される。
 気が稲垣の顔の一つを捕らえると、ばぅんっと強い音が響き、顔を粉々に砕いていた。
 しかし壊されたのは数々の顔の一つに過ぎない。稲垣は平然とした様子で八握を見つめ
ている。
「はは。その程度か。それでは私には適うまいよ」
「ふ、寝言はこいつをくらってからにしろ。いくぜ、宿曜召還(すくようしょうかん)
――鬼(かみ)よ、我が杖に宿れ。鬼宿(たまほめ)っ」
 八握が叫ぶと同時に杖が、まるで動悸するかのようにもこもこと波打ち、そしてその表
面に不可思議な模様が現れていく。
 模様には次第にどこかで見たような絵面へと変わっていく。維依を襲った、あの目無し
の男の姿へと。
「ス、スサラギ!? どういう事だ」
 初めて稲垣に焦りの表情が浮かぶ。だが八握は平然とした顔で、どこか見下すように呟
いていた。
「喰ったのさ。俺の杖は倒した敵の能力を喰う。そして、その力こそが俺の剣になる。こ
の力を使えば、いくらお前が分裂しようと俺には一つと同じ事だね」
「ほざくな。ならこれだけの私を一度に倒せるとでもいうのか」
 稲垣の言葉に八握がにやりと微笑む。
「ならお前の言葉通り、見せてやるよ。いけ、雷鳴閃(らいめいせん)!」
 杖を大きく振り上げて、一気に振り下ろす。
 その瞬間、雷が走る。だがその雷は一条ではなく、幾筋もの光と化して、一気に稲垣の
顔全てを打ちつける。
 バチバチバチッと激しく電気が飛び散る音が響き、一瞬にして全ての顔が消える。
「まぁ、こんなところだな」
 八握がぽつと呟き、杖先をとんとんと地面に打ちつける。
 同時に浮かんでいた目無しの男の姿が消えていき、また元の杖に戻っていた。
「す、すごい。すごいです、八握さん」
 維依は唖然とした顔で八握を見つめる。八握は当然と言わんばかりに自信に満ちた表情
を返す。だが次の瞬間、八握の顔が見る見るうちに険しく変わっていた。
「ち、くそ。なんてこった」
 八握が苦々しく呟いていた。維依はきょとんとした顔で八握を覗き込む。
「どうしたんですか」
 維依の問い。しかしそれに答えたのは八握ではなかった。
Back Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない 
★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!