高天原より夢の続きに? (04)
『天照(あまてらす)』
 呟いた言葉を最後に、維依の意識は遠くなっていく。代わりに天照と名乗った者の意識
が維依の体を取り込んでいた。
 いや、そうなるかと思えた瞬間。
「まて維依。そこまでだ。神を降ろすな」
 廊下の向こうから聞こえてくる声に、維依の意識が一気に引き戻されていた。中から浮
かんできた意志はそのまま霧散していく。
 はっとしたのように意識を取り戻して、維依は思わず振り返っていた。
「ストーカー男!?」
「って、まてっ。誰がストーカー男だっ」
 八握は思わずつっこみを入れていた。
「貴方ですっ。ついに学校の中まで……。ここは女子校なんですよっ。男子禁制なんです
から、禁止なんですからっ」
 維依はそこまで言ってから、ふとある事実に気が付いた。
「八握さん、動けるんですか!?」
 一瞬、意識が遠くなっていたせいか、今の状況を忘れかけていた。今は皆の時が止まっ
ているはずなのに。
「まぁね。俺も普通じゃないし。じゃないとお前を守れないだろ」
 さらりと言われた言葉。八握のあまりのさりげなさに一瞬、気がつかずにいた。
 だけどその言葉は決定的な一言だった。
 確信を持てずにいた事実。いや信じまいとしていた事実。だけどそれはこの瞬間から真
実に変わる。
「だったら……私も普通じゃないんですね」
 今まで知らずにいたこと。だけど昨日からそれは変わってしまった。
 平凡だった時間はもうどこかに消えてしまい、いまは抜け殻だけが辛うじて残っている。
 目無しの男や稲垣に狙われた理由。八握が自分を守ると言った理由。両親が八握を許嫁
に選んだ理由。恐らく知らないのは自分だけ。でもその理由こそが、今起きている事件の
あらましなのだろう。
 だのに維依には未だそれが何かわからない。
 維依は胸の中で拳をぎゅっと握りしめる。
 これだけ茅の外に置かれながら、それでも維依を中心に事は動き出している事実に嫌気
が差す。
「まぁね」
 八握は軽い雰囲気で答えていた。何事もなく当然のように。それもそうだろう、八握に
とってみれば、維依が普通ではない事も、こうやって時間が止まっている事も、不思議な
事ではないのだから。
 だけど維依にはわからない。自分が他と違うだなんて突然聞かされても理解できない。
いや本当はもう事実を突きつけられて、頭では理解しているのかもしれなかった。しかし
心がついていけなかった。それは当然の事だ、特別でありたいと願う心と同時に、人は普
通でありたいと、他人と違わないでいたいと願い続けるものなのだから。
 維依はごく普通の女の子である。少なくとも心は他の女の子と変わらない。少々天然の
気はあるが、だからといって簡単に今までの自分を否定する事なんて出来るはずがない。
「ねぇっ、なんなんですか。私は、一体、なんなんですか。どうして私はあんな化け物や
稲垣先生に狙われるんですか。
 ねぇ、私の中で私に答えた人は誰ですか。神様って、どういう事ですか。わかりません。
わからないです。どうしてですか。教えてください。私、何も知らないなんて嫌です。答
えてくださいっ」
 力一杯の声を喉の奥から絞り出す。
 八握は平然とした顔で、それでも少しだけ驚きを顔に滲ませて、それから小さく溜息を
ついた。
「ホントに何も知らないみたいだな。でも、それなら知らない方がいいかもしれないぜ。
知ったらもう戻れない」
 八握はじっと維依の目を見つめ込んで、それから軽く首を振るう。
 聞くな、という事だろうか。だけどすでに維依はいくつかの事実を知ってしまった。中
途半端に知ったままで、知らないふりをして生きるなんて事は、きっと私には出来ない。
 維依は心の中で呟くと、八握から目を逸らさずに、それからこくんと小さく頷く。その
瞳には決意と、そして恐れも隠されていたが、それでも維依は引こうとはしなかった。
「教えてください。私は知りたいんです」
「まぁ、維依がそこまで言うなら話してもいい。だけど聞いても後悔するなよ」
 八握はそれから辺りを警戒するように見回してみる。
「奴は来てないか。ちゃんと結界は動作しているみたいだな」
「結界?」
 きょとんとした顔で維依は訊ね返す。
「ああ。奴が入ってこられないように、この場所に結界――つまり、なんつーかバリアみ
たいなものをはったのさ」
「じゃあ、稲垣先生は入ってこられないの?」
「しばらくの間はな。ま、奴が本気になれば、これくらいの結界はすぐに破られるだろう
けど、でも奴は今すぐは破るつもりがない。
 俺の存在を知っているからな。下手にやると俺にその隙をつかれる事くらいは悟ってい
る。奴は同じ八十神とは言っても、昨日の雑魚と違って手強い相手だ。
 こちらもいつまでも結界に籠もっている訳にはいかないし、こんなちゃちな結界じゃ効
果も永劫続く訳じゃない。いつかは出てくると踏んでいるのさ」
 八握は何気なく告げると、それから一人頷いて維依へと向き直る。
「でもそれが話をするには好都合ってところだ。それくらいの時間なら十分に持つ。それ
に話しておいた方が、これからにも都合がいいかもしれないしな。
 さて、じゃあ何から説明しようか。そうだな、まずはちょうど話に出たから奴らの事か
ら話すとしよう。
 奴らは、やそがみと言う神の成れの果てだ。八十の神と書いて八十神(やそがみ)と読
む。と、言ってもここで言う八十っていうのは、沢山っていう意味で、奴らの正確な数な
んて言うのは誰も知らないけどな。恐らく当人達でも知らないんじゃないか、うじゃうじゃ
居すぎて。 神話の中では大国主(おおくにぬし)――国作りの神の事だけど、そいつの
兄弟って事になっていて、とにかくいつも邪魔ばかりする典型的な悪役って訳だな」
「つまり悪い神様たちの総称って事ですか」
「そんなとこだ。だけどその神も人に混じって暮らしている内に昔のような力は無くして
しまった。だから奴らは力を取り戻したいと思っている。そして願っているのさ、高天原
(たかまがはら)に帰りたいとね」
「た、たか? なんですか、それ」
 きょとんとした顔で維依は訊ね返す。
「高天原。簡単に言えば空にある神が住む国、つまり天国って事だな。細かくいえば天津
神(あまつかみ)の、ってとこだが、そこまではいいか。とにかく奴らはそこに帰りたい」
「はぁ。帰りたいって事は、そこが八十神さんたちの故郷ってことですか」
「いや、奴らはこの国で生まれた。だから故郷っていうなら、この国のことだ」
「なら、どうして」
「どうして、だと。決まってる、こんな腐れた国から逃げる為だ。考えてもみろ、いまこ
の国でどれだけの人が神なんてものの事を信じてる。神って奴は人の信じる力が喰いもん
なんだ。なのに殆どの奴が神なんてものの事は信じていない。この国はもう神にとっては
暮らすべき場所じゃないのさ」
 八握は両手を広げ、それから空を見上げていた。
 維依には天井しか見えなかったけど、八握には違うものが見えていたのかもしれない。
 高天原。神様が住むというその場所に、八十神は行きたいのだという。あるいは八握の
意識もそこにあったのかもしれなかった。
「で、でも、神様を信じている人だって、いない訳じゃないでしょ?」
「は、わかっちゃないな。いいか、お前の言う神様って奴はキリストだったり仏だったり
するのが殆どで、でなければ漠然としたものでしかないだろ。でも奴らは元々この国に住
んでいた神じゃない。
 お前はさっき神を降ろして、その名を聞いた。それでも未だに何者なのかもわかっちゃ
いないのがいい証拠だ。天照は、この国の主神――最も力ある神だと言うのにな」
「え、え、え?」
 維依は八握の言葉に戸惑いを隠せない。そんな偉い神様が自分の元に来ただなんて言わ
れても、まるで実感なんてものが無かった。
「でもお前が特別に知らないって訳ではないだろう。今時の奴なんてみんなそんなものさ。
けど天照ですらそれなんだ。八十神だなんて悪神の存在を誰が信じる?」
 八握は手を強く振って、それから維依をじっと見つめていた。
 何故か非難されているように感じて、維依は顔をそらす。しかし八握にそんなつもりは
無かったのか、維依の態度は気にもせずに軽く息をついた。
「だから奴らは高天原に行きたいのさ。そこなら食うに困る事もない。だけど、今の力で
はとても高天原に登る事は出来ない。そこでお前を喰らって力を得ようっていうのさ。高
天原に住む神を降ろす事が出来るお前をね」
「わ、私。そんなこと」
 出来ない、と言いかけて口をつぐむ。出来ない事はない。実際に何度か神を降ろしてい
た。特につい先程の意志は、まだ胸の中のどこかに感じられる。否定のしようがなかった。
「お前は玉依。魂を依るもの。特別な血すじの中でも、ごくまれにしか生まれない姫なん
だよ。ま、簡単にいや巫女って奴だ。ただし正月のバイトなんかじゃない、本物のな」
「そんな。うちはぜんぜん普通の家だし、特に何がある事もないし。特別なんかじゃ」
 慌てて否定しようとする維依の言葉を遮るようにして、八握は声を上げる。
「なら、なぜお前の両親は俺を呼べた。なぜ俺がこうしてお前を守る。なぜ八十神がお前
を狙う。お前の一族が、お前が特別だからだ。事実だ、認めろ」
 切り捨てるように言い放つと、八握は維依をじっと見つめていた。
 維依はその目に少しだけ涙を浮かべていたが、それでもぐっと飲み込んで八握を睨み返
す。
「でも怖がる必要はない。俺がお前を護ってやる。あんな八十神風情にさわらせやしない
さ。お前は普段通りに過ごしていればいい」
「そんなの嫌です。私、守られたくなんかない」
 維依は凛とした顔で、でも瞳の端にはこぼれそうになる涙をこらえながら、維依は言い
放つ。
 八握は一瞬、目を開いたが、すぐに元の飄々とした顔に戻って軽く笑う。
「そうは言っても、八十神はお前を狙っているからな。まさかあいつらに心臓を喰われて
死にたくはないだろ。奴らは心臓を喰う事でお前の力を得ようとしているんだからな」
「そ、それは確かに嫌ですけど。でも、そうだ。ほら、私はすごい偉い神様を呼び出せる
んですよね。だったら、その神様に退治してもらえばいいですよね」
 これは名案とばかりに維依は胸の前でぐっと拳を握る。
「駄目だ!」
 だが八握は激しく声を荒げていた。
「維依。俺がいまこの話をしたのも、このことを警告する為だ。お前は、もう二度と神を
依るな。出来るなら神の事も忘れろ」
「どうしてですかっ。私、自分で出来るなら、自分でなんとかします。貴方に守られなくっ
ても」
「喰われる事になってもか」
 八握は冷たい声で呟いていた。
Back Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない 
★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!