高天原より夢の続きに? (01)
「維依(いより)、お前は俺が守ってやる」
 目の男はいきなりそう告げていた。
 維依はあまりにも突然の出来事に金魚の様に口をぱくぱくとさせる。
「おおっと、いきなりの告白攻撃!? これはかなり利いた様子。よりち選手の反撃が楽
しみですっ」
 隣から真弓の囃し声が聞こえきて、維依は余計に何と答えていいものか戸惑っていた。
 混乱しきった頭の中で何とか維依は状況を整理する。
 ええっとええっと、確か今は私の十五歳の誕生会の帰りで隣にいるのはクラスメイトの
真弓。それで目の前にいるのは、全く知らない人だよね。
 辺りはやや日が沈みかけてはいるが、夜と言うにはまだ早い時間。それも帰り道の途中、
街中にあるカフェの前で、その言葉は発せられた。
 幸い他の誰も気が付いてはいないのか、道行く人達は普通に通り過ぎていくだけだ。こ
れで一気に注目を浴びていたら、維依は思わず逃げ出してしまったかもしれない。
 目の前には見知らぬ男が一人。たぶん維依や真弓よりも二つか三つは年上だろう。やや
細身だが、しっかりとした体つきでスポーツか何かをやっているように見えた。
 少し乱雑な髪が、しかしよく似合っている。どこか鋭い目つきをしているものの、だか
らといって悪人面には見えない。どこにでもいそうなごく普通の人。
 でも普通より少しくらいかっこいいかも。口の中で呟いて、それからぶんぶんと首を振
るう。
 いくらかっこよくても目の前にいるのは全く知らない相手だ。そんな相手に告白されて
も答えようがない。
「わ、悪いですけど完璧に間に合ってますっ」
 維依は慌てて顔を背け、それから真弓の手を引いて走り出していた。
「おおっと、よりち選手。攻撃を完全に受け流したぁっ。彼氏は呆然と立ち尽くしている。
しかしもったいない。彼氏、なかなかかっこよかったのに。私なら迷わずはいって即答す
るところですっ」
「だってだってだって、私はあんな人しらないし。ストーカーかなんかだよ、きっと」
 まだアナウンスを続ける真弓に声を荒げて維依は答える。
 真弓の見た目はやや短めの髪に、丸い大きな眼鏡をかけている。その為にごく真面目そ
うに見えるのだが、性格は一転してお調子者で元気がよくギャップが激しい。今も普通な
ら「誰、この人?」と訊ねそうなものだが、真弓がとった行動はよくわからない囃し立て
だった。そんな真弓の言葉に、いつも維依は困らされてしまう。
 逆に維依は肩で切りそろえたボブカットにやや柔らかめの顔つき、少し細めの体つきで
年齢からすればやや背が低めである。その割にスポーツが好きで運動が得意だったりする
為にクラスでも凸凹コンビ等と言われている。
「ストーカーかぁ。よりちぼんやりして幼な可愛く見えるから、有り得なくはないけど」
 真弓は不意に首を捻る。
 確かにストーカーといっても、維依は今まで一度も彼の顔を見た覚えがなかった。真弓
の言う通り彼は整った顔立ちをしている。一度でも見かけていたら、何かしら印象に残っ
ていても不思議ではない。
 しかしそんな顔立ちの良さよりも、維依には彼の瞳の方が気になっていた。もしかする
と邪険に断ったのもそのせいかもしれない。
 ごく普通の黒い瞳。だけど見つめていたらそのまま吸い込まれてしまいそうな色を携え
ていた。その色が何を見つめているのかは維依にはわからなかったが、何か恐れのような
違和感に囚われてしまう。
 突然の事に驚いてそう感じていたのか、それとも本能的なものなのか、維依は彼から何
か異様なものを感じ取っていた。
 ただその一方で、どこか寂しげで柔らかく懐かしいような、そんな感覚も同時に感じて
いて、その不思議な感覚が脳裏に今も焼き付いている。
「ちょ、ちょっと。よりち、はやいっ、はやいって。本気だしたあんたの足に敵う訳ない
でしょ。少しスピードを緩めなさい。彼氏、おっかけてきてないし」
 真弓の声に、はっとして維依は後を振り返る。確かに彼は追いかけてきてはいない。も
う姿はどこにも見て取れなかった。初めから追いかけてはこなかったのだろう。それなの
にいつの間にか全力で走っていた事実に維依は驚いていた。
 もういちど後を向いてみる。
 しかしやはりそこには誰の姿もない。ほっとしたような、それでいてどこか物足りない
ような不思議な感覚に囚われながらも、維依はまた前に向き直る。
 それと同時にその声は響いていた。
「……よりだな」
 初めの言葉は聞き取れなかった。どこかくぐもった低い震えているかのような声。
 一人の男が向こう側に立っていた。
 先程の青年ではない。大きな黒いサングラスをはめてスーツを着込んだ大人。立派なと
言う形容詞をつけるには胡散臭すぎる姿に、維依はびくりと身体を振るわせた。
 いより、と名前を呼んだのだろうか。目の前の男は全く知らない大人だったが、先程の
青年と同じでなぜか維依の事を知っているようだった。
「は、はい。そうですけど」
 声の迫力。あるいはいかにもな暴力団風の容貌に押されてか維依は思わず頷いていた。
 男の顔が強く歪む。悦びという文字をもしあてはめるなら、男のこの顔こそがふさわし
いかもしれない。
 維依が男の顔から目をそらそうとしたその瞬間。男は突然、維依に飛びかかっていた。
「なら……心臓を寄こせ!」
 維依も真弓も何も出来ない。男は真弓をはじき飛ばしてそのまま維依へと向かう。
 男が目前まで迫ったその時、初めて維依は大声を上げて何とか走り出していた。
 真弓を置いてきてしまったのが少し心残りではあったが、男は維依を追ってきている。
このままの方が逆に安全かもしれない。それよりも何が何だか全くわからなかったが、と
にかく逃げなければいけないのは維依の方だ。
「だ、誰かと勘違いしてませんかっ。うちは貧乏だからさらっても身代金なんて出ないし、
ぺちゃぱいだから痴漢しても面白くないですよっ」
 やや見当違いの事を叫びながらも維依は全力で走り続けていた。本気を出した維依の足
はかなり速い。大人でも彼女に追いつける人間はそうそういないだろう。順調にいけばこ
のまま逃げ切れるはずだ。
 胸がばくばくと激しく鼓動している。
 もうかなり引き離したはずだと一瞬だけ振り返る。だが男はすぐ真後ろまで迫っていた。
 男の手が伸びる。維依の肩を掴んだ。
「いやぁっ」
 強く上げた声は大きく響き渡った。しかし聞こえていないはずもないのに、周りの家々
からは誰も姿を現しはしない。
「タカマ……ハラ……」
 男は小声で独白する。なんと言ったのかははっきりとは聞き取れなかった。
 男はそのまま手元へと維依を引き寄せる。
 ずさぁっ、と音を立てて維依は地面へと倒れ込んでいた。
「これで、いける。私はいける。戻れるのだ。戻れる、還るのだ!」
 次第に男の声が大きくなっていく。
 胸を自らの手で押さえて、上半身を大きく背中に逸らし、一気に戻す。
 から、と音を立てて男のサングラスが地面へと落ちた。
 そして本来、男の目に当たる場所には、無かった。何も。ただぽっかりと二つの穴が空
いているだけで。
「さぁ、玉依(たまより)。よこせっ、お前の心臓を、血を。それさえあれば、私は」
 男は眼球もないというのに、まっすぐに維依へと歩み寄ってくる。
「な、い……いや、いやだぁっ」
 維依は喉の底から声を絞り出して、這うようにして後ずさる。
 いやだ。誰か、助けて。お父さん、お母さん、お兄ちゃん。誰か、誰か。
「誰か助けてっ」
 心の中の台詞を思わず声に出していた。だが助けなど来る様子もない。男の手が維依に
向けて伸びる。
 後に下がろうにも、いつのまにか背は壁にぴったりと付いていた。維依はぎゅっと目を
瞑る。祈る以上の事はもう出来なかった。
 そして男の手が維依に触れようとした、その瞬間。
「触らないでっ」
 維依は無意識のうちに叫ぶ。同時に維依の体から、白い光が強く鮮やかに放たれていた。
 その光は男をひるませるには十分で、目無しの男は数歩だけだが後に下がっていた。
 維依は立ち上がりスカートの裾を払う。それから男へとまっすぐに視線を合わせていた。
『無礼者め。八十神(やそがみ)の分際でこの私に触るでない』
 維依は今までの怯えきった様子とは一切違えて、傲慢なほどの強い意志を吐きつける。
 しかしそれにひるむこともなく目無しの男はニヤリと口元を歪ませていた。
「くく。降ろしたか。だがそれこそが我が望み。魂(たま)があってこそ初めて結べる。
さぁ玉依。我に心臓をよこせ」
 目無しの男はゆっくりと手を伸ばす。同時にその手の先がじわと赤く染まる。
『ふん、八十神風情が私と闘う気か』
 言い放つと同時に維依は自らの胸を右手でわしづかみにする。まるで握りつぶすつもり
のごとく強く強く。
 そして。
「そこまでだ」
 不意にその声は響いた。
 維依と、それから目無しの男も声の方へと振り向く。
 声のした方向には一人の男が立っていた。先に維依へ「守ってやる」と声をかけた男。
「維依。もうそれ以上、神を降ろすな。お前にはまだ早い。喰われるだけだ」
 静かに告げて、それから目無しの男の方へと振り返る。それから「はっ」と鼻で笑う。
「目覚めると同時に行動か。玉依姫の誕生がよっぽど待ち遠しかったらしいとみえる。し
かしこいつは、お前程度の鬼(かみ)が喰らっていいものじゃない」
「貴様、まさか八握(やつか)かっ。まだ生きていたのか」
 目無しの男は、目の前の八握と呼んだ男へと吠えるように言い放つ。
「あの程度で死ぬほどヤワじゃないんでね。それよりも――お前が死ね」
 八握はまっすぐに右手を男に向けて伸ばし、それからにやりと笑みを浮かべた。
 そして今度は自らの左腕を押さえる。
 維依はその様子をただじっと見つめていた。
 自分の中に何か違う意志が浮かんでいる。ふと唐突に認識していた。
 冷たい空気が流れる。目の前がすぅと暗くなっていく。
 同時に維依は胸の中に浮かんだ意志が少しずつ消えていくのを感じていた。
 遠くで何か声が聞こえていたが、もうどこか遠い世界で起きた事件のように思えた。
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