らくがき。 (07)
 美空に甘えも油断もない。
 そして覚悟が違う。お互いが全力を尽くせば良いと思うメイリンや、面白さと金を求め
て戦っている芽依などと比べれば雲泥の差だ。
 美空は勝つことに執念を燃やしている。
 美空は懐に手を入れた。何か武器の類を取り出すつもりだろうか。
 気皇拳に武器を使う武術はない。あくまで素手をもって戦うのが、気皇拳だ。
 修練の中には武器を扱うものもない訳ではないが、正しくは武器を持った相手にどう戦
うかという修練で、その相手をする為に学ぶ技だった。それほど大した攻撃ではない。
 だが美空はもはや気皇拳の使い手ではない。油断は禁物だった。
 しかし。
 美空は懐から何も取り出さなかった。いや。
 何か粉のようなものをそのまま龍二に吹きかける。
「目つぶしか!?」
 龍二は後ろへ飛んで避けると、そのまま横手へと回転するように動く。
「そんなものでは、ないっ!」
 美空が叫ぶ。
 同時に、手の中に気を充満させていた。
「気皇烈火拳!」
 美空が叫ぶと同時に、気皇拳が放たれていた。その瞬間、美空が巻いた粉に引火する。
 まるで生き物のようにうねりを上げて、炎が舞い上がっていた。
 龍二へと炎が襲いかかる。
「ちぃっ」
 龍二はそのまま左手へと飛ぶと、地面に手をついてさらに遠くへと避ける。
 しかし気皇烈火拳と叫んだ美空の気は、そのまま龍二へと近づいてきた。
「なに?」
「気皇烈火拳はどこまでもお前を追いかける!」
「ち。ノエルの技と同じかよっ」
 龍二は叫ぶと、手の中に気を集めた。
 ノエルの技と同じであれば、自らの気をおとりにして避ける事も可能なはずだ。
 当たる直前に気皇拳を放つ。
 これで気に引き寄せられて拡散するはずだった。
 だが。
 気皇拳の弾道には全く左右される事なく、美空の気皇烈火拳の炎が龍二へと迫った。
 慌てて体を後ろにそらし、弾道を避ける。
 だが炎は龍二の一部を捉え、一気に燃えさかっていた。
「があっ!?」
 呻きを漏らし、しかしすぐに自らの気で囲む。
 炎は龍二の気に紛れて、やがて鎮火していた。
「さすがに気皇烈火拳だけではお前を倒す事は出来ないか」
 美空が呟く。
 確かにある程度のダメージは受けたものの、龍二はまだまだ戦える。やや遅れをとった
だけの話だ。
「……気を追いかける訳じゃないのか」
 龍二は呟いた。
 ノエルと同じ技であれば、確実に避けられたはずだった。
「お前の戦いはみていた。通用しない技を出すつもりはない。こいつは気を追いかける訳
じゃない。目印に向けて進むだけだ」
「目印だと」
「ああ。左手をみてみろ」
 美空の言葉に、警戒しながらも自らの左腕へと視線を送る。
 いつの間にか朱い羽のようなものがつけられていた。
「! いつの間に」
「さっきの返しの時につけた。そいつを目印に飛んでいったという訳だ」
 美空は不敵な笑みを浮かべる。
 龍二は僅かに苦笑しながらも、その羽を掴んで捨てていた。
「いいのかよ。戦いの最中に自分の技をぺらぺら喋って」
「心配するな。どうせ今の私では気皇烈火拳は気薬の助けなくては使えないっ」
 いいながら美空は一気に開いた距離を詰める。
 右拳がうなる。龍二はそれを避けると、左手で払った。
 美空の体勢が一瞬崩れる。その隙を逃さずに、膝蹴りをたたき込む。
 だが美空はそのままくるりと回転して、龍二の膝を避けていた。
「覇王龍降拳!」
 そして再び右拳を上方から叩きつけた。
 龍二は何とか避けるが、地面が大きく揺れた。
 ただでさえ揺れている船が、さらに激しく揺らめく。
 龍二の足がたたらを踏む。
 その隙を見逃す美空ではない。今度は美空のラッシュが始まっていた。
 計らずもの龍二の計った気皇拳の弱点、ラッシュに弱い、を露呈する事になる。
 龍二の動きが明らかに鈍い。だが防戦一方になりつつも、それでも龍二はなんとか美空
の攻撃を受けきっている。
「ち、いつまでも、しつこいんだよっ!」
 龍二は叫ぶと、美空の拳を避ける為に、大きく上空に飛んだ。
 だが空中では自由に身動きが取れない。
「ばかめっ。ねらい打ちだ!」
 美空が気皇拳を産みだそうとしたその瞬間だった。
「ばかはそっちだ! 気皇連弾!」
 それよりも早く龍二の気皇拳が完成していた。飛び上がったその瞬間にはもう生み出し
ていたのだ。
 それも今までの龍二の気皇拳とは違う。まるでシャワーのように幾重にも重なった気の
塊が、一気に美空を襲った。
「くっ」
 産みだした気皇拳を使い、龍二の放った気皇拳の一つを打ち落とす。
 爆風が広がり、いくつかの気を巻き添えにしていく。
 だがその風は美空をも襲う。
 ダメージは避けられない。しかしその勢いを利用をして、美空は一気に後方へと飛んで
いた。
 美空がいた位置に残った気が一気に降り注ぐ。
 ずぅん。と鈍い音を立てて煙が舞い上がっていた。
「ならば、これならどうだっ」
 美空の拳がうなる。

 気が一気に集中していた。
 龍二は意識もせずに一気に左手に飛ぶ。
 その瞬間、美空の手に巨大な気の塊が生まれていた。
「超気皇……」
「やはり、超気皇拳か!」
 龍二が叫ぶ。だがすでに軌道は外していた。このまま放っても龍二は攻撃を受ける事は
ない。
 そのはずだった。
「……拳!」
 だが美空の超気皇拳は一瞬の間をおいて、龍二めがけて放たれていた。
 むしろ先に気がついた事が命取りだった。この間をおくモーションは、正面から向かっ
ていれば簡単に避けられる。
 しかし先に避けの動作をみせてしまった場合、そこから連続して避ける事は厳しい。龍
二がステップして飛んだ場所に攻撃が向かっていた。
「な!?」
 大きな声で叫ぶ。
 もう避けられない。巨大な気の塊が龍二を捉える―――
 ぐぅんっ! と鈍い音が響いた。
 もくもくと煙が立ち上がる。
 客席から怒号のような歓声が飛んでいた。
 誰もが勝負ありだと思っただろう。これだけ巨大な気の弾を受けて無事でいられるはず
もない。
 だが。
 龍二はそこに立っていた。
 もちろん無事ではいられない。満身創痍という言葉が相応しく、衣服もあちこちが焼け
こげ煤まみれだ。肌もところどころ腫れ上がり血を流している。
 それでも、龍二はまだ倒れていない。
「……知らなきゃ、この技も楽に避けられたはずなのにな」
 龍二は思わず呟いていた。
 体にたたき込まれた気皇拳のリズム。それに囚われてしまっていた。考えるよりも先に
反応し、動いてしまうのだ。
 もしこの技を全く知らなければ、むしろ直感で感じ取っていただろう。
「私は大崎龍二。お前を倒す為だけに力を鍛えてきた。中にはお前だからこそ通用する技
もある。今の、遅延超気皇拳もそうだ。しかしそれでいい。私はお前を倒したいのだ。い
つも届かない壁だったお前を倒す。それが今の私の存在意義なのだからな」
「ち……。俺が何をしたっていうんだよ」
「何もしてない。だから、許せないんだ。お前は本気で修練を重ねれば、あの方すら届か
ない高みにいけたはず。それなのに片手間で遊ぶようにしか技術を学ぶ事をしなかった。
許せなかった。才能がありながら、何もしようとしないお前も、そしてそのお前にすら敵
わない、私自身も」
 美空は拳を握りしめて、ぎゅっと目を瞑る。
 美空の言う事もわからなくはなかった。
 人は力を持つものに憧れ、そして近づきたいと願うものだ。
 龍二自身にも淡いものではあるが経験はある。幼い頃、ピアノを習っていた女の子が羨
ましくて、龍二自身もピアノをひこうとした事もあった。
 しかし龍二には音楽の才能はない。音感にうとい彼は、まともにピアノをひく事すら出
来なくてがっかりした覚えがある。
 恐らくは美空の気持ちもそれに近しいものがある。
 ただし、龍二が感じた心の数百倍は強い思いで。
 美空はこれだけの実力をもっている。格闘に本気で取り込んでいるのだろう。
 しかしその前には壁があった。どんなに望んでも届かない力。
 それに憧れ、自らも届けようと願う。
 だがその壁には届かない。いつも自らの上をいく。
 それでも上には上がいる。それは当然のことだ。あるいは、それが龍二でなければ納得
も出来たのかもしれない。
 自分の変わりに、より高みに昇ってくれる事を期待する。
 そんなことも出来たかもしれない。
 しかし龍二にとって格闘は、ただ強制的にやらされる習い事の一つに過ぎなかった。
 だから。
 美空は悔しくて溜まらなかったのだ。
 力で勝る事も、夢を託す事も出来ない龍二という壁。
 それを超える為に、今まで以上に自らに重い枷を科した。
 龍二に勝つ為に。
 あるいは。
 龍二の目を覚ます為に。
「大崎龍二! 覚悟しろ! 私はお前の始めての敗北を刻む格闘家になる。それをいま証
明してみせるっ」
 美空は手の中に力を込め、再び龍二へと飛び込んでいく。
 再びラッシュをかけるつもりだろう。
 しかし龍二はそれにつきあうつもりはない。
「悪いけどな。また勝たせてもらうぜ。超気皇――」
 龍二が叫ぶと同時に手の中に巨大な気の塊が生まれる。
「超気皇拳!? まともに喰らうと思っているのか!?」
 美空はすでに弾の軌道からそれていた。そして自らが見せた遅延超気皇拳を真似してく
る事も視野にいれていた。ステップは軽やかにすぐにでも連続で避けられるように動いて
いた。
 だが。
「連弾!」
「な!?」
 巨大な気の弾が、もう一つ生み出されていた。
 二つの気の弾が、わずかにずれて巨大な壁となって美空を襲う。
「ちぃっ。超気皇拳!」
 美空も慌てて気を集中させる。
 しかしさきほど放ったばかりだ。気の集まりがどうしても遅い。
「まにあえ!」
 美空に激突する直前。なんとか自身の気を放ち相殺を狙う。
 が!
 二つの気がぶつかりあい、巨大な煙の幕が会場に包み込んだ。
 煙の中から、美空の姿が現れる。
 無傷――とはいかなかったものの、それでもなんとか間に合ったらしい。
 ほんの少し傷ついた程度で、美空は龍二の目の前に対峙していた。
「さすが大崎龍二。まさか超気皇拳を連続で放てるなんてな。私にはそんな真似は簡単に
は出来ん。しかしタイミングが甘いな。せっかく連続で放てるのなら、もう少し時間をず
らせば、一つの超気皇拳じゃ対応できなかっただろう」
「……とっさの思いつきでやってみたんだ。そうそう簡単にはできないさ」
「なんだと! 練習していた技ではないのか!?」
「まぁね。やってみるまで不安だったが、なんとかなるものだな」
「く」
 龍二の言葉に美空は言葉を失う。
 自身が努力して出来るかどうかわからない技を、思いつきで放つ事が出来る。
 龍二がどれだけの力を持っているのか、いまさらながらに思い知らされていたのだ。
「大崎龍二。お前は……どうしてそれだけ武神に愛されながら、真面目に格闘をやろうと
しない。なぜだ?」
「じじいの言う事を聞くのはしゃくだからな」
「……。そんな理由でか! くそ」
「でも、だ」
 龍二は憤る美空の言葉を遮って、ゆっくりと呟く。
「やっぱり俺も格闘家だったんだな……。いま、こうして拳を交える事が、楽しく感じて
いる。俺と肩を並べられる相手が、目の前にいるという事が、こんなにも喜ばしい事だと
は思わなかった」
「大崎龍二」
「美空。感謝する。俺は、やっと本気で戦える。結局俺は今まで本気になれなかったんだ。
だから、戦う気にもなれなかった。全力を出す事もなく勝負がつく。だから、つまらなかっ
た。でもお前となら、全ての力を出せそうだ」
「……なら、私を倒してみせろ!」
「ああっ。言われなくてもそうするさ!」
 龍二は拳を握りしめた。
 龍二の拳がうなる。
 美空はそれを避ける。
 美空の蹴りが鋭く放たれる。龍二はそれを足で受けると、そのまま前へと詰めた。
 龍二が美空の襟を捉えようとする。
 だが美空は回転させて裂けると、そのまま後ろ手で一撃を与える。
 龍二は軽くしゃがむと、そのまま後ろ足で踏み込み突進した。
 龍二の拳が美空の腹部を捉える。
「がっ!」
 美空の呻きが響く。だが美空もそれだけで終わらない。
 やや前屈みとなっている龍二に対して、肘を落とす。
 龍二の脳天に肘が炸裂する。いや、そうなるかと思った瞬間。龍二は自ら崩れ、その肘
をさけた。
 しかし完全には避けきれない。肩口に一撃を受け、そのまま美空の蹴りを食らう。
 激しい戦いが繰り広げられていた。
 だが二人とも気を使おうとはしない。
 待っているのだ。
 気を炸裂させるタイミングを。
 この時が最後の技となる。
 それは二人とも共通した思いだった。
『勝つのは』
 不意に二人の声が同時に放たれる。
「俺だ!」
「私だ!」
 二人の思いが完全にシンクロしていた。
 そして両者の気が最大限に高まる!
 だが先んじたのは美空の方だった。
 美空が一気に龍二へと突進していく。
「覇王超烈斬!」
 美空の極限にまで研ぎすまされた気がのった手刀が振り下ろされる。
 シンプルな技だった。
 しかしだからこそ、絶大な威力を誇る。得てして技巧に走った技ほど隙も大きくなりが
ちだ。
 蒼く光を放ちながら、龍二の肩をとらえようとした。
「勝った!」
 美空の声が伝う。
 いかに龍二といえど、この一撃を受けて無事でいられるはずもない。
 そしてこのタイミングで避けられるはずもなかった。
 それなのに。
 美空の手刀が空をきった。
 いや、そこには龍二の姿が残っていた。
 残像だ。
「どこをみているんだ?」
 龍二の台詞は美空の背後から聞こえていた。
 そして拳が美空をとらえていた。
「ぐがっ!?」
 美空の呻きが伝う。そしてそのまま崩れ落ちようとしていた。
 龍二の心に少しだけ罪悪感が走ったが、しかしそれも一瞬のこと。
 美空はまだ倒れきってはいない。美空の気を感じ取った龍二は、そのまま後へととびの
いていた。
 起きあがると同時に美空の拳が龍二へと襲う。
 しかし、それももはや龍二を捕らえられるほどの勢いは何もなかった。
「……ぐ……。超必殺技を使ってはこなかったのか……」
 美空は苦々しく声を漏らした。
 龍二の気は極限まで高まっていた。一撃で相手を倒す事も出来る超気皇拳を初めとした
超必殺技も使えたはずだった。
 美空はその為に今までとっておいた超必殺技を使った。
 今までの試合では一度も見せた事がなく、確実に龍二を捕らえられるはずだったのだ。
実際もしも龍二が超必殺技を使ってきたとすれば、美空のスピードは龍二よりも優ってい
ただろう。
 しかし龍二はそれを選ばなかった。
 平易な技を使い、美空のタイミングを外しにきたのだ。
 そして気を載せた一撃を放った。
 超必殺技ではない。だから美空を倒しきる事は出来なかった。
 しかし完全に油断していたところに入った一撃は、もはや美空の戦闘力を奪い取ってい
た。
 美空はもう龍二に抗う事は出来ない。
 龍二は勝利を収めていた。
 そのはずだった。
「大崎……龍二……。私は」
 息絶え絶えに、美空が呟く。
 もはや美空に戦う力は残っていない。
 それでもよろよろと近づいていく。
「お前を……倒す……」
「美空」
 呟いた言葉は、まだ諦めていなかった。
 龍二は美空をまっすぐにみつめ構える。
「悪いが、俺が勝つ」
 飛び込んできた美空に、鋭い上段蹴りを浴びせた。
 がっ! と鈍い音が響いて、美空の頭にヒットする。
 美空は静かに崩れ落ちた。
 最後まで龍二から視線をそらさなかった。
「私は……届かないのか……」
 美空の言葉に、龍二は軽く首を振るう。
 だが美空に届いたかどうかはわからない。
 美空は、完全に意識を失っていた。
 勝負は決まった。
 龍二の勝利だった。
 最後まで、美空は戦い続けた。
 だが龍二は届かない壁。
 美空にとって、そう有り続けた。
 それでも美空のやってきた事は無駄ではない。
「俺は、強くなる」
 龍二は決めていた。
 美空が目指した場所に届くように、自らを震わそうと。
 いつか再び美空は龍二を追いかけてくるのかもしれない。そして破れる日があるかもし
れない。
 それでもいい。
 美空が本当に納得出来るように、力を鍛え続けよう。
 そう誓った。
「……8、9、10! 勝者! 大崎龍二!」
 10カウントが数え終わる。
 同時に、張り裂けんばかりの歓声が響いた。
 しかしその声は、龍二にとって何の感慨もわかす事はなかった。
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