らくがき。 (08)
「おめでとう。龍二くん」
 ふと頭上から声がかけられた。
 みると会場のVIP席に、一人のスーツ姿の男が立っていた。
 始めて見る顔だった。年の頃は四十代後半か五十代前半というところだろう。しかし威
厳のある面は、他とは違い、一種独特の圧力を感じる。
「私がこのグローリープレイ主催者の大道宗次だ。君の栄光を称えよう」
「……そんなものいらねぇ」
「まぁ、そういうな。後ほど授与式を行う。その時を楽しみにまっていたまえ」
 宗次はそう言うと、右手を高らかにかざした。
「さて。最後の罰ゲームといこうじゃないか」
 宗次の声に答えるように、一気に会場の観客達がヒートアップする。
『罰ゲーム! 罰ゲーム!』
 怒号のように轟く声は、何かに対して怒りと愉悦を感じているようだった。
「剣崎美空に対する罰ゲームは……。晒し刑!」
 実況の大きな声を伝う。
 その瞬間、さらに会場から激しい音が伝う。
『おおおおーーーーーーーっ!!』
「な、なんだ!?」
 龍二があっけにとられた瞬間。
 まだ気を失っている美空を現れた男達が掴んでいた。
 同時に会場の真ん中から一本の巨大な十字架が現れていた。まるでキリストを張り付け
にした時のような、そんなものが。
 美空はそれに張りつけられる。
 一瞬、止めようかと思った。
 だがそうする訳にはいかない。いまここで下手な動きをすれば、この後の計画が台無し
になってしまう。
 それに今までも龍二は戦いに勝ち、相手を罰ゲームに陥れてきた。
 美空だけを助けるというのは、気がひけたのもあった。
 そうして躊躇った瞬間。
 美空は十字にはりつけられ、そして。
 衣類を切り裂きはぎ取られてあと、申し訳程度に体を隠すようにして「私は負け犬です」
と書かれたプレートが前面におかれていた。
 辺りから嘲笑の声が漏れる。
 その瞬間。龍二の頭の中にかぁっと熱いものがこみ上げてくる。
 今までの罰ゲームは、それでもまだ納得する事が出来た。本当にくだらないものだった
り、命が掛かっていても、相手の尊厳を奪うようなものではなかった。
 しかし、あれだけ龍二と熱い戦いを繰り広げ、魅せてきた美空を、こんな風に辱めるの
は許せなかった。下着まではぎ取られた訳ではない。だがこれは女性としても、格闘家と
しても美空のプライドをずたずたに切り裂くような態度だ。
 他の何を許しても、これだけは許せなかった。
 格闘家にとって、プライドというものがどんなに大事なものか、龍二とて知っている。
「その罰ゲームをいますぐやめろ!」
 龍二は叫ぶと同時に、もう体が動いていた。
 数名に及ぶ罰ゲーム執行人へ拳をうならせる。
 一瞬にして、男達は地面へとひれ伏した。
 龍二は美空を十字架から降ろすと、自身の服を一枚脱いで美空へとかぶせる。
「ふざけるな! こんな大会、俺がぶっつぶしてやる!」
 大声で言い放ったていた。
 もはや我慢も出来なかった。
「うわ……龍二くん。今まできめた作戦とか全て台無し……」
 遠くでメイリンの声が聞こえた気がする。
 しかし龍二にとって、もはや作戦などどうでもよかった。
 ここにいる大会関係者全員をぶちのめす。
 それしか考えていなかった。
「ほう。君一人で何が出来るというのかね? この会場には武装した兵士も山ほどいるの
だよ」
 宗次は呟いて、手を挙げる。
 
 それを合図に、会場を十数人の拳銃やライフルなどをもった男達が現れる。
「君には役割がある。大人しくしていたまえ」
 宗次が口元に嫌らしい笑みを浮かべる。
 だが龍二は、自らの手に気を集めていた。
「……まさか。その程度の人数で銃を持ってるからって、俺を抑えられるとでも思ってい
るのか。だったらあんたは気というものを全くわかっちゃいねぇ」
 龍二ははっきりと怒っていた。
 こんなに龍二が怒りをあらわにした事は、今まで殆どなかった。
 どこか飄々としたところもあって、ちょっとしたことは気にしないでいる。だけどこの
大会に出てからは変わった。
 龍二にも譲れないものが生まれていた。
 今まで全くなかった訳ではない。しかし、いまもっているものは、とても強い感情。
 龍二は、拳に込めた力を一気に床へとたたきつける。
「気皇震地掌!」
 ずぅんっと大きく会場が揺れた。男達がたたらを踏む。
 その瞬間、龍二は一気に駆けだしていた。
 あっというのに、男達を倒していく。
 だが男のうちの一人が龍二が近づくより先に、身構えていた。
 拳銃の引き金をひく。
 ガゥン! 銃声が響いた。
 だが龍二は弾丸をいともたやすくさける。
「なぁ!? がはっ!?」
 男が叫んだ瞬間には、もう龍二は男を一撃のもとに倒していた。
「拳銃ごときで俺を捉える事は出来ない。俺らを甘く見るな!」
 龍二が高らかに吠える。
「さすがは、世界に名だたる格闘家、大崎豪の孫だけはあるな。祖父に劣らぬ、いやある
いは祖父よりも才能に溢れているかもしれん。この程度では倒せぬか」
 宗次はしかし全く慌てずに呟くと、指先をぱちんと鳴らした。
 その瞬間。再び武装を固めた男達がさらに数十人。彼らはみなフードをかぶり、顔を隠
している。
 そしてそれをひきつれるように、少年が立っていた。
「ノエル!」
 龍二は叫ぶ。
 しかしノエルは答えなかった。
 手を大きく掲げ、そしてそれに答えるように武装した男達が動く。
「やれ」
 合図と同時に、皆が一斉に銃を放つ。
「ちぃぃっ!?」
 龍二は飛び交う弾丸を、避け、あるいは気を持って防ぐ。
 だが先ほどの男達と違う。まるで完全に統率された軍隊のような動きだった。
 いやそれですらここまで揃った動きは不可能だろう。
 だが龍二を捉えるには至らない。男のうちの一人に迫り、拳を放つ。
 男はしかし物ともせずにかわしていた。その瞬間、男のフードがめくれる。
 そこに現れたのは、ノエルと全く同じ顔だった。
 クローン。
 その言葉が龍二の中で繰り返された。
 だが周りにいる男達と、指示を出している男の顔は同じだけれども、持っている気の質
が違った。指示を出している男は明らかに異質な気、戦うための気を備えている。
 指示を出しているのはノエル本人に違いない。気の質が全く同じだった。例えクローン
といえど、気というものは一人一人違うはずだ。気は生まれつきの質もあるが、それより
もどう鍛えてきたかによって変わるものだからだ。この気がノエル自身だという事をはっ
きりと表している。他の男達もノエルに近いのだが、どことなく違うのだ。彼等は本格的
に格闘を学んではいないに違いない。
「ノエル! お前なんで」
 叫ぶが答えはなかった。
 元々ノエルはこちら側の人間ではない。主催者側の人間だ。だからこうしてここに現れ
る事自体は不思議ではない。
 しかし全く意志を感じさせないのはわからない。
 戦った時、そしてお互いに話した時のノエルは間違いなく、自分の強い意志を持ってい
たというのに。
「撃て!」
 ノエルの指示と共に、男達が今度は少しずつタイミングをずらして照準を合わせ、撃つ。
 一斉に届いた弾丸よりも、この方が避けづらい。
 だが龍二も簡単に捕らえられたりはしない。
 再び弾丸を避け、気でたたき落としながら、男達のうち一人に迫る。
「はっ!」
 気合いと共に、一撃を放つ。
 男は龍二の一撃を避けようとする。
 だがそこに。
「撃て」
 ノエルの声が響いた。
「な!?」
 龍二は慌てて上空へと飛んだ。
 だが龍二が一撃を加えようとしていた男は、弾丸で蜂巣と化していた。
「仲間を巻き添えにしてもお構いなしかよ!」
 龍二は叫ぶ。
 だがノエルの答えはない。
 いやそれどころか、蜂巣にされたはずの男も武器を構えていた。
「な……に?」
 確かに弾丸で体中が撃ち抜かれているというのに、肉が弾けもげているのに、まだ男は
動く。
「ふふ。どうだね。痛みも恐れも感じないクロンヒューマノイドウェポンは? 痛みも恐
れを感じないから、組織が完全に破壊されるまでは動く。まぁ、多少動きは鈍くなったか
もしれないがね」
 宗次が笑っていた。
「ノエルに何をした!?」
「なに、ちょっとばかり脳を開いただけさ」
 宗次は何事もないように呟くと、ノエルへと視線を移す。
「ノエル。龍二くんを殺せ。出来ればいろいろと協力してもらいたかったが、この様子で
は無理なようだ。まぁ、死んでもK細胞がとれれば十分だろう」
 宗次の台詞と共に、ノエルが龍二めがけて飛ぶ。
 いくら龍二といえど、ノエルの攻撃をそうそうたやすく避ける事は出来ない。
 それでもなんとか一撃を避けて身構えると、その瞬間ノエルが呟いていた。
「銃を構えろ」
「な!?」
 龍二は再び叫びを上げる。
 いま撃てば確かに精一杯である龍二を捉える事が出来るかもしれない。しかしノエル自
身も巻き添えになるのは必須だ。ノエルの中にはもはや人ととしての感情は残っていない
のだろうか。
「ノエル、それじゃお前まで死んでしまうぞ!」
 叫びながら辺りへと意識を移す。
 男達が銃を再度構えていた。
「く」
 ノエルの攻撃もやまない。このままでは二人とも銃弾に撃ち抜かれてしまう。
「やめろ! ノエル。お前は」
「撃て!」
 叫びが上がった瞬間。
 男達が一斉に引き金を引く。
 いや、引こうとした。
 ガン! と鈍い音が響いていた。
 龍二は思わず辺りを見回す。
「龍二くん。しょうがないわね。私達も手伝ってあげる」
 メイリンが、龍二へとウィンクしていた。
「みなの衆! やってしまうのだ!」
『合点承知!』
 芽依と人形達も飛び込んでいた。
 そして他にも何人ものグローリープレイ参加者が、男達を抑えていた。
「龍二! 俺達にまかせろ」
「この大会ぶっつぶしてやろうぜ!」
 みんなの声が響いていた。
「なんだと!?」
 宗次も思わず声を漏らす。
 この大会をつぶしたいという願いは、皆が抱えていたものだったのだろう。
「さぁ、行くぜ!」
 大きく声が響いた。
 瞬間、龍二の背がぞくりと震えた。
 自分の身に襲いかかろうとしている宗次の為だろうか。
 しかしそれにしても背中に感じる何かはただごとではない。
 そんな龍二をよそに宗次はにやりと口元を歪ませて、龍二をまっすぐに見つめる。
「まぁ、何にしてもこの場を収集せねばな。君以外の格闘家は、私の用意した兵士達と戦
うので精一杯だ。君一人で私に勝てるかな。いや……美空くんがいたかね。まぁ、彼女は
もう戦えまいが」
 そうだ、さっきの声は。言葉にはせずに呟くと、龍二は慌てて振り返る。
 そこには美空が立っていた。
 下着は身につけているものの、衣服もあの時のままはがされてまとっていない。それだ
けに彼女の負った傷がよくわかる。
 全て龍二が作ったものだ。あちこちに打撲や切り傷がある。
 彼女のしなやかな肉体が、余計に痛々しく思わせた。
「何を言う。この程度の傷で私が戦えなくなるはずはなかろう」
 美空は呟く。
 その言葉は嘘ではないだろう。まだ彼女は戦えるはずだ。
 それでも龍二は首を振るう。
「美空。悪いが、この戦いは俺に任せてくれ。俺はあいつを許せない。戦いをおとしめる
あいつを」
「しかし!」
「それに正直……その姿は刺激的過ぎるんでね。みてたら俺も力がでねぇよ」
 龍二の軽口に、美空が少し顔を赤く染めた。
 下着姿にされていることに気が付いていなかった訳ではないだろうが、指摘されて意識
してしまったのだろう。
「この!  ……まぁ、いい。わかった、そいつはお前に任せてやる。だが負けるなよ。
絶対に、負けるな」
「ああ。負けるはずがない。俺は、勝つ」
 龍二は再び宗次へと振り返る。
 宗次が口元をゆがめた。
「ふ……まぁ、大きな口を叩くのもそれまでだ。私は少しだけ理解したよ。君達のことを
ね。だから、もう負けまい」
 宗次は拳に力を込める。気が込められているのがわかった。
 また水戸の烈火方円拳か、それとも龍二の知らない他の選手達の技か。龍二はさほどこ
の大会の戦いをみてこなかった。それは疲れていた事もあったし、この大会をつぶそうと
画策していたかもある。しかしその為に龍二は宗次がどんな技を使うのか想像も付かなかっ
た。
「龍二くん。君が知らない技など私はいくらでも知っているぞ」
 宗次が両手を上げる。
 そしてそののまま振り下ろした。
「バーニングショット!」
 宗次の叫びと共に、会場の石畳の上を気が走る。
「ちっ、なら気皇震地掌だ!」
 龍二も床に気を走らせる技で迎え撃つ。
 二つの気がぶつかり合って、相殺されていた。だが対応が一瞬遅れたのも事実。
 宗次の気の動きは素人に近い。それなのに技は問題なく発揮されている。それが多大な
気を生み出す生体因子とやらの効果なのだろうが、龍二に最後までどんな技なのか推測さ
せない。
「なら……圧倒的に攻めてやる!」
 龍二は一気につっこむ。
 龍二の拳が唸る。
 だが宗次も単純なパンチやキックなどでは、そうそう捉えられはしない。
 しかもそれどころか、宗次の反応速度が少しずつ高くなっている気がしていた。
 恐らく龍二の動きを身体が読み取っているのだろう。生体因子とやらが、学習している
のだ。
「ふ。だんだん君の動きは見えてきたよ。この様子なら、もはや不意をつこうとも技を受
ける事もないな」
「ちっ」
 舌打ちをして、それでも龍二は攻め続ける。
 まるで宗次とどう戦っていいのか、迷っているままに攻撃を繰り出しているかのように。
「ふっ。もはや見切った。そろそろ反撃と行こうじゃないか」
 宗次が拳を捻らす。
 その瞬間、拳から気が放出されていた。青い気が龍二へと迫る。
 なんの技かはわからないが、気皇拳のようなものだろう。
 龍二は慌てて身体を捻らした。
 しかし間に合わない。
 気が捕らえ、その瞬間龍二は片膝をつく。
「がっ!?」
 呻きをあげて、それから粗い息を漏らした。
「ふ。どうやらここまでのようだな。なに、君は立派だった。私をここまで苦戦させると
は思わなかったぞ」
 宗次は笑いながら、龍二へと近付いていく。
 龍二は苦しそうな呻きを漏らしながら、宗次の方を見ようともしない。
 もはや完全に戦う気力を無くしたようにも見えた。
 だが宗次は大きく手を空にあげて、巨大な気の塊を生み出していた。
 超気皇拳ではない。しかしそれに近しい技のようだった。
「円棄斬。それがこの技の名前だそうだ。君の超気皇拳と似てはいるが、その力はまるで
違うぞ。これを受けても無事でいられるかな」
 宗次の笑みが高まる。
 そして気を放した。
 だが。
 龍二は突如立ち上がる。
 そして一気に加速していく。
「死んだふりかね? だがもはや君の動きは見切った! ……なに!?」
 宗次の意識が龍二に追いつくよりも先に、龍二が目前まで迫っていた。
 そして龍二の拳が一気に唸る。
「くっ……くらえ!?」
 宗次が気の塊を龍二へと投げつける。
 だがその瞬間、龍二の姿が書き消える。
「なっ!?」
「どこをみているんだ?」
 龍二は宗次の背後へと回り込んでいた。
 そして拳から、大量の気を一気に放つ。
 宗次の目には、その気がはっきりと捉えられていた。しかし避けるには間に合わない。
「がはっ!?」
 龍二の気が、宗次へと襲いかかり、そして宗次を吹き飛ばしていた。
 がん! と大きな音を立てて、宗次は会場の壁に打ちつけられる。
「やっぱりお前は格闘家じゃない。それが敗因だな」
 龍二は今までの苦しげな顔など、すでに一切みせていない。
 平然とした様子で呟いていた。
 しばらく龍二は力を抑えて戦っていた。だが宗次はそれを龍二の動きだと認識してしまっ
ていたのだ。
 だから急速に加速した龍二を捕らえられなかった。
 もちろん宗次自身は本来、それに反応出来る力がある。だが格闘家ではない宗次には、
龍二が手加減をしていることも、龍二の苦しげなふりが演技だということも見抜けなかっ
た。
 だからまともに一撃を食らってしまっていた。
 宗次はもはや完全に意識を失っている。
 龍二は、勝ったのだ。
 周りを見渡すと、宗次の兵士達も他の皆によって鎮圧されていた。
 戦いは終わった。
 そして平和な日々が戻ってくるはずだった。
 その瞬間、がくんっと大きく船が揺れる。そして。
 ウーウーウーウーウー! とサイレンの音が高らかに響いた。
「なんの音だ!?」
 龍二が辺りを見回す。どこか船が不自然に傾いているように思えた。
『お約束ですが、自爆装置が発動致しました。そんな訳で、ちゃっちゃと逃げないと3分
以内にこの船は爆発します』
 艦内放送が突如、怪しく伝えてくる。
「なんだ、そりゃあ!?」
 龍二はすっとんきょうな声を上げるが、しかしサイレンの音は鳴り終わらない。実際、
船の様子もどこかおかしい。
「な、なんなのよっ。これは一体!? とにかくっ、皆の衆、撤退だ! ほらっ、龍二も
ぼーっとしてないで、いかないとっ」
 芽依の叫びに人形達が答える。
 龍二も仕方なく芽依の方へと向かう。他の仲間達も、どうやら一箇所に集まりつつあっ
た。
 救出ボートに大勢が群がっていた。
 龍二達もそのうちの一つに乗って、脱出を試みる。
 船は沈み始めていた。証拠隠滅という奴なのだろうか。
 とにかくいまは脱出するしかない。
 ボートに乗り、出来るだけ船から遠ざかっていく。
 船は、まるで映画のタイタニック号のように沈没していた。
 そして全ては終わった。
 宗次達を捕らえる事は出来なかったから、根本から覆した訳ではない。
 またいつかは同じ大会が繰り広げられるのかもしれなかった。
 しかしとにかく今は、一つの形がついたのだ。
「すっきりしねぇけどな……」
 龍二はぽつりと呟く。
 大会は終わった。
 騒動にもけりがついた。
 少なくとも今は落ち着きを取り戻す事になるだろう。
 あの後、見回してみたがいつの間にか宗次やノエルの姿はなかった。
 誰かだかが連れ去ってしまったのかもしれない。あるいは自分で気を取り戻して、逃げ
去ったのかもしれない。それとも船と一緒に沈んでしまったのか。
 どちらにしてもすぐにまた何か起きる事はないだろう。
「終わったのか?」
 龍二はぽつりと呟く。
 あまりにもあっけない幕切れに、沈み行く船をみていた。
 ボートは波に揺られ、どんどん船から遠ざかっていく。
 沈む船に巻き込まれなかったのは幸いというべきだろう。
 何か釈然としないものを感じながらも、しかし龍二は急速に疲れを覚えていた。
 少しずつ眠りに落ちていく。







「りゅうじぃぃぃぃっ」
 次に目を覚ました瞬間、聞こえたのは豪の声だった。
 目の前、本当に鼻先に触れるかと思うほどの目の前に豪の顔があった。
「うわぁぁぁっ!?」
 慌てて払いのけると、それから辺りを見回してみる。
 気が付くと見慣れた自分の部屋の中だった。
「目を覚ましたか。ゲームをやりながら眠りおるから、この隙に龍二とスキンシップを図
ろうと思ったのに。ちちいっ、ざんねんぢゃっ」
「いっぺんしねぇ!?」
 豪を払いのける。
 その腕に無意識のうちに気を込めた。その気が豪を一気に吹き飛ばす、そのはずだった
のに、しかし、気は発動しなかった。
「え?」
 龍二は唖然として腕を見やる。
 確かにいま気を込めたはずだったのに。
 目の前のテレビが、格闘ゲームの画面を映し出していた。
 You Win の文字が画面の中で輝いている。
「……まさか……夢だったのか?」
「また寝ぼけておるのか。しかしそんな龍二も可愛いぞ! 愛しておるぞ、りゅうじぃぃぃ!」
 豪が迫ってくるのを、裏拳で弾く。
「ぐは!?」
 豪は直撃して、悲鳴を漏らしていた。
「ま、また腕を上げたな」
「……なんだ……夢だったのか」
 豪の声は聞かずに呟く。
 気だの、なんだの、そんなものはあるはずもなかった。
 
「はは。そうだよな」
 龍二は呟いて、ゲーム機のスイッチを消す。
 画面が真っ黒に変わり、それから溜息をついた。
 どこかやるせないものを感じながら、龍二は自分の部屋から外へと向かっていく。
 
「龍二ぃ!? テレビがつけっぱなしぢゃぞ!?」
 豪が叫ぶが、そのまま答えずに歩く。
 メイリンも芽依も、宗次も、それから美空も、みんな夢の中の産物だったのだろう。そ
ういえばゲームの中に、そんなようなキャラがいた気もする。
 ゲームをクリアしたのまま眠ってしまい、それを夢に見てしまったのだ。
 龍二は自嘲の笑みを浮かべずにはいられなかった。
「やれやれだな」
 それにしてもリアルな夢だったと思う。
「むぅ。わしを無視するつもりか。りゅうじぃぃっ、かむばーっく。く……もどってこぬ
かっ。ならばわしがこの部屋にいつづけてやるぅ。龍二が戻ってくるまで、この部屋にい
るぞ。トイレもこの部屋でしてやるからなっ」
 部屋の中で豪がなにやら呟いていたが、もうそれもどうでもよかった。
 豪はどうやら本気で部屋に居続けるつもりらしく、とりあえずテレビのチャンネルを変
えたようだった。
「さて本日のニュースです」
 背中から声が聞こえてくる。
「本日午後3時ごろ、大型客船エスポアール号が沈没するという事件が発生しました。乗
客には船の持ち主である大道宗次氏を初めとして……」
 そのニュースの声に思わず振り返った。そして部屋の中に戻る。
 同時に。ぷちっとテレビが消えた。
「りゅうじぃぃっ。もどってきてくれたのか。あいしておるぞ、りゅうじぃぃっ」
「じじいっ、てめえっ!? テレビっ。テレビをつけやがれっ!?」
「いやぢゃっ!」
「なんだとっ、このやろう!?」
 龍二と豪はリモコンを奪い合う。
 そして格闘の末、龍二がリモコンを手にして、テレビをつけた瞬間。
「それでは次のニュースです」
「いまのニュースもういっかいやりやがれぇぇぇぇぇ!!」
 龍二の絶叫が響いた。
 いままでのことが夢なのか、そうではないのか。
 龍二にはわからない。
 だが確かに手の中にある想いは、もう消えはしない。
「りゅうじぃぃっ」
「うるせえっ、じじいっ」
 まとわりついてくる豪を払いのけながら、龍二は笑う。
 同時に。
「あっと、兄貴。取り込み中のところ悪いけど、兄貴に客が来てるよ」
 秋奈が部屋の入り口で龍二をみつめていた。
「俺に、客?」
「そ。玄関にまたせてっから、はやくいったげな」
「わかった。じじいっ、あとで覚えとけよっ」
 誰だろうと思いながらも、龍二は階段を降りる。
 そして玄関先に見えた彼女が笑う。
「大崎龍二」
 彼女は、呟いて。
 そして笑った。
 それから拳を突き出す。
「私はお前を……」
 その先の言葉は、聞こえなかった。
 それは始まりだった。

               完
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