らくがき。 (05)
「心配する事はないよ」
 ふと脇の方から声が聞こえてくる。
 あの時デッキで出会った笛使いの少年だった。
「この大会の罰ゲームはランダムに決まっているように見えるが、実は裏があるんだ」
 少年は会場の出場者入り口の辺りから、龍二へと不敵な笑みを向けていた。
 だがこの少年の声はどういう訳か龍二にしか聞こえていないらしく、誰も気にしている
様子がない。
「う……」
 ピーーーッ。
 呟きかけた龍二を制するように笛の音が龍二へと伝う。
 思わず言葉を止めていた。
「僕の試合の後で話してやるよ。それを実証してみせてからの方が証明出来るだろうから
ね。まぁ、とにかく罰ゲームを心配する事はない」
 少年の言葉はそれで終わり、彼は再び入り口の奥へと消えていた。
 真偽はわからなかったが、どちらにしても龍二はもはや待つ以外にはやる事はない。罰
ゲームの結果をじっと見つめていた。
「芽依選手への罰ゲームは……全身うなぎ納豆!」
 そういう瞬間にも罰ゲームが決まっていた。
 意味がよくわからない罰ゲーム名だった。
 しかしすぐにそれは明らかになる。
 巨大な水槽の中に納豆とうなぎとかえると。とにかく触れたら気持ち悪そうなものが山
積みにされていた。
 芽依はいつのまにかロープでつるされている。
 ばしゃっと水がかけられていた。
「はっ。……って、え!? なにっ、なんなの、これ!?」
 気を取り戻した芽依があまりの唐突な状態にあぜんとして口をひらいた。
 しかしそれも一瞬の事。
 芽依をつないでいたロープが、水槽の真上で切り離される。
「いやあっっっっっ。き、きもちわるいーーーっ」
 芽依は慌てて水槽から飛び出すが、もはや納豆まみれである。袖口からウナギがこぼれ
たりもしていた。
 そのまま駆け去っていくが、誰も止めはしなかった。
 会場から笑いがこぼれていく。
 この大会はいつからテレビのバラエティ番組になったんだろう。龍二の眉を寄せて頭を
抑えていた。
 だがその隣にいつのまにか少年が近づいてきていた。
「ね。だからいっただろ。大したものではないって。でも、次の試合の罰ゲームは過酷な
ものになる。それを、証明してみせるよ」
 少年はそういいつつ、すたすたと会場の方へと向かっていく。
 いつのまにか水槽も片づけられて、次の試合の準備が始められていた。
 やがて戦う二人の名を、実況が伝えていた。
「次の試合は、暗器師 西村とおる VS 旋律師 相模ノエル」
 みると髪の長い陰気な男と、少年が会場で対峙していた。
 どうやら相模ノエルというのが彼の名前のようだった。名前からするとハーフなのだろ
うか。
 だが西村の方は、龍二も名前は知っていた。
 数々の暗器――相手に見えないように手の平などに隠した武器の事。隠剣などとも言う
――を使いこなすという、中国拳法の達人だ。
 この大会は武器の使用は認めている。実際、芽依の人形も武器の一つとして数えられて
いた。
 銃火器の使用だけは禁止されているが、しかし龍二達のような気を使う格闘家にとって
は銃器などはさほど怖いものではない。もちろん当たれば怪我は免れないだろうが、そも
そも銃などでは彼らを捉える事は不可能に近い。
 試合開始早々、西村が一気に駆け出していく。
 だが、ノエルは何事もないかのように笛を手にすると、ぴぃっと軽く吹き付けて西村を
避ける。
 その瞬間、西村の動きが止まっていた。ノエルも全く動かない。
 そして。
 西村の全身からまるで鋭利な刃物で切り裂いたかのように、血が吹き出ていた。
 そのまま西村は倒れ、立ち上がってこない。
「……勝者! 相模ノエル」
 カウントをとるまでもなく、ノエルの勝利が告げられていた。
 鮮やかな、そして圧倒的な一撃だった。
 いまの一瞬、素人にはただすれ違っただけのように見えるだろう。
 だがその実は違う。
 ノエルの笛から放たれた気による衝撃波が、西村を襲っていたのだ。
 気を使えないものには全く見ることすらできない。
 もっとも西村とも気を感じられない訳ではないはずだ。しかし彼のセンスでは、見えて
もそれを避ける、あるいは防ぐだけの力がなかった。
 ただ龍二とて、あの攻撃を防げるかと言われればわからなかった。
 芽依であればぬいぐるみを盾にして防ぎきったかもしれない。しかし龍二にはそういっ
た対処方法はない。
 この技をどう防ぐか。それが彼との戦いを左右する事になるかもしれない。
 そして注目の罰ゲームが決定されていた。
 「おさかな天国」というどこかで聞いた名前の罰ゲームだったが、再び巨大な水槽が用
意される。
 だが芽依の時のような生やさしいものではなかった。
 中にいるのはアマゾンの奥地にすむ肉食魚ピラニア。その上にぴんと張られた一本のロー
プ。
 ここから想像される事は一つ。
 このピラニアのまつ水槽の上に張られたロープを綱渡りすること。
 落ちれば、死が待っている。
 いや西村とて気の使い手だ。ピラニアに襲われてそのまま食われ死ぬ事はないはずだ。
 そう思うが、あれだけの傷を負った後にその理屈が通用するかはわからない。
 落ちれば、死ぬかもしれない。
 龍二の身体がぞくりと震えた。
 確かにノエルの言う通り、過酷な罰ゲームとなった。水戸の受けたナイフ天国など比較
にもならない。
 そして西村は水をかけられ無理矢理に意識を取り戻させられる。
 さすがに気の使い手だけはあって、傷の回復力は高いようだ。あれだけの傷ではあった
が、いまは血も止まり、意識を戻す程度の回復はしているようだ。
 
 そして罰ゲーム、ピラニアの上での綱渡りが開始された。
 だが西村とて歴戦の戦士だ。難なく綱を渡るかと思われた。
 だが、その瞬間。ロープに火が掛けられる。
「なっ!?」
 龍二は思わず目を疑っていた。
 西村は慌ててロープを走るが、間に合わない。
 ピラニアの待つ水槽へと身を躍らせていた。
 激しい音を響かせたかと思うと、その瞬間、ピラニアが一気に西村に襲いかかる。
 ざぁっと水槽が血の色に染まった。
 だが同時に白い光が放たれて、水槽ごと破裂する。恐らくは西村が必死で気を放ったの
だろう。
 ピラニアの残骸と水槽の破片があちこちに散らばっていた。
 西村の体はあちこちが食い荒らされ、血を流している。
 だがなんとか命だけは取り留めたようだった。そのまま再び気を失い倒れていた。
 西村はいちおうあるらしい救護班に運ばれ、この場を去った。
 西村の罰ゲームは終わったのだ。
 そしていつのまにかノエルがすぐ隣にたっていた。
「ほら、僕の言ったとおりだろ。彼の受けた罰ゲームは過酷なものになった」
 ノエルは口元に冷笑を浮かべて、去っていく西村を見送っている。
「どういう、ことなんだよ」
 龍二は不機嫌に眉を寄せて、ノエルを睨むように見つめていた。
 ただ一つわかっているのは、ノエルがこの大会について詳しいということだけ。あるい
は彼から様々な情報を引き出す必要があるかもしれない。
 この大会をぶっつぶすために。
 だが、彼の物言いが気を害するのも確かだった。
 ノエルは西村が過酷な罰ゲームに合う事を知っていた。
 だとすればそれを防ぐ事も可能だったのではないか。
 彼を安易に信用する事は出来ない。
 ただ今は少しでも情報が欲しかった。
「簡単だよ。この大会はあくまで格闘大会だ。観客の殆どは、僕達のような気を使う事に
よる強大な戦いを見に来ている。しかしだよ。先ほどのようにつまらない戦いを見せられ
ては興をそぐ。だから罰ゲームを与える、そういう事さ」
 ノエルは何事もなく告げて、それから龍二の肩に手を置いていた。
「心配しなくてもいい。いくら僕でも君を一撃で倒せるとは思っていない。あんな罰ゲー
ムを受ける事はないさ」
 ノエルはそのまますたすたと通路を歩いていく。
「まて。ちょっと聞きたい事がある」
「なんだい?」
 龍二が慌てて引き留めると、ノエルは振り向きもせずに答えていた。
 ただそれでも歩みだけは止めて、龍二の問を待っている。
「なぜそんなことを知ってる?」
「あはは。そんなこと? まぁ、それは見ていればわかる事さ。でも、ま、僕はこの大会
の裏側も知っているけどね」
「……どういうことだ?」
「僕は、この大会で優勝する為に招かれたゲスト選手だって事さ」
 ノエルはそれだけ呟くように告げると、そのまま歩き出していた。
「ゲスト選手だと?」
「そ。まぁ、詳しい事を知りたかったら。僕に勝てれば話してあげてもいいよ」
 呟いてそのままノエルは立ち去っていく。
 初めはその背中を追いかけようかと思った。
 しかし少し考えた後、龍二は彼とは違う方向へと向かう。
 いまノエルを追いかけたところで、彼はこれ以上何も語らないだろう。
 だが勝てば彼は話すと言った。
 恐らくその言葉は嘘ではない。そしてそれは同時に絶対に負けないという自信の表れで
もあるはずだ。
 なら、勝つしかない。
 負けられない。
 この大会をぶっつぶす為にも。
 龍二はぐっと拳を握りしめる。
 その瞬間。背中に強い敵意を感じて、慌てて右手に飛んでいた。
「ちっ、よけやがったっ」
 芽依の声が、さきほどまで龍二がいた位置で響く。
「芽依っ!? 何すんだよ!」
「え、なんのことー? しらないよ、あたし」
「いま蹴ろうとしただろ!?」
「蹴ってないし。当たってないし」
「当たってないってことは蹴ろうとしたんだろうが!?」
「ま、そんな事はどーでもよくて。ちょいとお兄さん」
 芽依は全ての話を置いて、一人勝手に話し始めていた。
 芽依はじっと龍二をみつめて、それから不敵な笑みを浮かべていた。
「よくも乙女にあんな屈辱を味あわせてくれたわねっ。その責任はとってもらうんだからっ
!」
「いや、屈辱って。俺が一体何をしたと」
「決まってんじゃないっ。あの気持ち悪い水槽にたたき込んでくれたことよ!」
「あれは俺がやった訳じゃないぞ」
「原因を作ったのはあんただし。一緒一緒。つーわけで、ちょっと付き合ってよ」
 芽依は龍二の返答もきかずに、手をひいて歩き始める。
 仕方なく龍二もその後に続いていた。
 辿り着いたのは芽依の部屋だった。
 龍二の部屋と殆ど変わらない、はずのその部屋は、沢山の人形達に囲まれていてもはや
別物と化している。ついでにどこからかかっぱらってきたのだろう、調度品の姿もいくつ
かあった。
 はぁ、と溜息をつく。あとで返しておこう。
「で、俺に何のようなんだよ」
「私いままでいろんな格闘大会に出てきたけど、こんな屈辱を受けたのは初めてよ」
 芽依は憤慨して、ぱんっとテーブルを叩き付ける。
 人形達がぐらぐらと揺れていた。
「いや。まぁ、俺がその一因を作ったというなら悪かったが。けど勝負にけちをつけられ
てもどうしようもないぞ」
 龍二はぽりぽりと頭をかいた。
「そんなことはもうどうでもいいの。あたしは、あたしにこの屈辱をあじあわせてくれた。
この大会をぶっつぶしたい。」
「は?」
 あまりの展開に、龍二は思わず目を白黒させていた。
「だから。この大会をぶっつぶすんだって。あんた耳腐ってる?」
「いやっ。わかったけど! また無茶な事をと思って」
 龍二は自分の事を棚に上げながらも呟いていた。
 いや、内心では芽依がもし本当にそう思っているのなら、味方に引き入れたいと思って
いた。
 しかし彼女がどこまで本気なのか。あるいは何かを試そうとしているのかもしれなかっ
た。うかつな事はいえない。
「無茶だって事はわかってるしっ。だから、あんたを味方に引き入れようと思ってるんじゃ
ないっ。とにかく話だけでもきいてっ」
「ん、ああ。わかったよ」
 とりあえず頷く。
 その瞬間、芽依がやりと微笑んでいた。
「てゆーか、あんたもう共犯だから! これをきいてっ」
 いいだすと携帯電話を取り出していた。
「これ、ICレコーダー機能がついてるの。ほら、きいて」
 そういいつつボタンを押す。
『あたしは、あたしにこの屈辱をあじあわせてくれた。この大会をぶっつぶしたい。』
『ああ。わかったよ』
 見事に話が繋がっていた。
「まてまてまてっ!? それ、途中が抜けてるだろっ!?」
「ふっふっふっ。これを聴いた人はどう思うかしらね!? ちなみにもう先にメールで転
送したから、うばいとっても意味ないからね!」
「て、てめぇ」
 龍二はこめかみをぴくぴくと痙攣させていた。
「怒らせたのはごめんなさい。でも、どーしても力を貸して欲しいの」
 芽依は突如、しおらしい声で告げていた。
 張り上げようとした声を失って、龍二は押し黙る事しか出来なかった。
「闘って負けた事は悔しいしむかつくし、龍二絶対いつか殺すっていうか、闇夜の晩ばか
りと思うなよって感じなんだけど。それはおいといて。私にあんな屈辱をあじあわせるな
んて、この大会関係者は絶対許さない。そういう訳で、力を貸して」
「……いや、お前、ほんと自分本位な」
「おおーっ。そんなことないし? 普通だよ普通」
「まぁ……いいけど。とにかく大会をぶっつぶしたいとそういう事なんだな」
「そうよ。あんただって、いい気はしないでしょ? だから協力して」
「わかった。じゃあ、とりあえずついてきてくれ」
 龍二は立ち上がると、答えも聴かずに歩き始めていた。
「ちょ、ちょっと。どこいくのっ」
「……手伝って欲しかったら、素直についてこい」
「なんかわかんないけど。仕方ない。いくよ、みなのしゅう」
『がってんしょーち』
 龍二の後を、芽依と人形達がすたすたとついてきていた。
「ここだ」
 龍二が指さした場所。それは選手控え室のうちの一つだった。
「ここは……おかまの部屋?」
「そうだ。おかまの部屋だ」
「なんでおかまの部屋に」
「それはいま説明する」
 そういいながら、ノックをしたその瞬間。扉が音を立てて開いた。
「おかまおかま連呼しないでーーーっ!? 私はおかまじゃないわよっ。お・と・めっ」
「よう。武士」
「やっほー、ニューハーフ」
「いやぁっっ。なんなのっ。なんなのあんた達はっ。私に喧嘩売ってる? 売ってる? 
いまなら買っちゃうわよ」
 メイリンが、声を荒げながら叫んでいた。
「ま、それはそれとして。話したい事があってな。いいか?」
「いいけど。芽依ちゃん、どうしたの?」
「ま、詳しい話は部屋の中でな」
 龍二の言葉に一瞬、首をかしげるが、すぐにメイリンは頷いて、二人を部屋へと招き入
れていた。
 扉を閉めて、誰も近くにいない事を確認する。
「じゃ、話を聞かせてもらいましょうか」
 メイリンの言葉に龍二は、芽依が大会をつぶしたいと考えている事を話し始めていた。

       ◇

「さぁ、ゲームを始めようか」
 ノエルがにっこりと微笑んで告げていた。
 すでに試合開始間近となっている。
 あれから時間は流れ、今日この戦いの場まで訪れた。
 龍二に科せられた使命は、この試合に勝つ事。ノエルが明らかに裏情報を知っている事
がわかっている以上、それを聞き出す事は必須となる。
 だがノエルに勝てるのか。あの音による攻撃を避ける事が出来るのか。なんとも心許な
かった。
 しかし勝つしかない。
「俺は勝つよ」
「ふふ。勝てるものならね。もっとも君が僕に勝てるとは思ってはいないけど」
 ノエルはにっこりと微笑んで、それから懐から笛を取り出していた。
 その様子をみて、審判が大きく手をあげていた。
「相模ノエルVS大崎龍二。 ファイト!」
 審判のかけ声と共に龍二は一気に走り出す。
 ノエルの笛の音は驚異的だが、ようは吹かせる暇を作らなければいい。その考えから猛
攻をかけるつもりだった。
 しかしノエルは、口元に歪んだ笑みを浮かべていた。
「あまい。あますぎるね」
 ノエルは呟くと、笛をそのまま右手に握りしめる。演奏はしないつもりだろうか。
 そして。
 ノエルはその笛で、そのまま龍二へ向けて突き付けていく。
「なっ」
 慌てて笛を回避する。
 だがそれを追うかのように、ノエルはそのまま笛を叩きつけていた。
「乱暴な奴めっ。笛が壊れるぜ!?」
「ご心配なく。この笛は地上最強の金属オリハルコンにて作られているからね。ちょっと
やそっとの衝撃じゃ壊れたりはしないし、音も歪まない」
 ノエルはそのままラッシュをかけてきていた。
 龍二は防戦一方になるが、しかし今のところ一撃も受けてはいない。
「ち。震地気皇掌!」
 一歩遠のいて、龍二は地面を叩きつける。
 地面に気を伝い走らせて、地面を揺らす技だ。主に相手への足止めに使う。
 だが、その瞬間。ノエルは大きく上空へとジャンプしていた。揺れる地面を避けて、そ
のまま龍二へと跳び蹴りを喰らわしていた。
 がんっ。強い衝撃が走り、龍二は吹き飛ばされる。
 スピード、威力ともに申し分ない攻撃だった。芽依とは違い、華奢な体の中にもしっか
りとした力を含んでいる。
 立ち上がろうとすると、龍二の右肩に激痛が走った。
 ノエルは芽依とは違う。本格的な格闘家だった。小手先の技だけの存在じゃない。
「僕を芽依や武士などと一緒にしない方がいい。彼等と僕とでは、実力の差に大きな開き
がある」
 ノエルは言いながら、鋭い蹴りを龍二の肩めがけてたたき込む。
 龍二はなんとか後に飛び退いて避けると、構えをとる。だが先程受けた一撃が、龍二の
動きを僅かに衰えさせていた。
 ノエルはかなりの実力者だ。この僅かな衰えが、命取りになる事も考えられる。
「ち。つまり彼女達にぎりぎりで勝った俺とも実力に差があるっていいたんだな」
 龍二は苦々しい声で呟くと、ノエルをじっと見つめていた。
 ノエルはしかしふっと口元に笑みを浮かべると、笛をもった手を龍二へと向ける。
「そうじゃない。本当なら君は僕に迫る力をもっているんだ。ただ、彼ら相手にはまとも
に実力を出せなかっただけでね。けど仮にも格闘家なら、女だからって手加減するのはど
うなのかな?」
 ノエルはくすくすと笑う。
 たぶん馬鹿にしているのだろう。しかしその挑発はあまりにももっとな話で、むしろ痛
いところをつかれた気すらする。
 実力を出し切れていなかったのは確かだろう。武士は男だが、あの容貌だ。下手な女よ
りも女っぽい。無意識のうちに手加減していたとしても不思議ではなかった。
 手を抜いているつもりはない。
 しかし100%の力を出し切っていたかと言われると、そうではないかもしれなかった。
「ただそれでも君は僕には及ばない。僕にあって君にないものがある。だから、君は僕に
は最後には敵うことがないのさ」
 ノエルはそういいながら、笛を口に当てていた。
 瞬間、龍二は反射的に気を練り集めてる。
 ノエルの笛の音が走った瞬間。その気を前方へと大きく広げていた。
 シュッと何かが裂けるような音が鳴り響いた。それはノエルの笛の音が、龍二の気を切
り裂いた音。
 気の壁を作る事で、音による衝撃波になんとか耐えきっていた。
 しかし一気に気を放出したせいか、体がふらふらと揺れる。
「やっぱりね。それじゃあ、僕には勝てない!」
 ノエルはそのまま龍二へと飛び込んでいく。
 
 何がやっぱりなのかはわからなかったが、とにかくノエルの技を有効に防ぐ方法がない
以上、多少は気を使ってでも防ぐしかなかった。
 ノエルにしても、気の放出量が大きいのか、あまり連続して放てる技ではないのだろう。
そのまま演奏を続ける事はなかった。
 だとすればまだ勝つ見込みはある。この技をなんとか堪えつつ、大きな一撃をぶち当て
ればわからない。龍二には攻撃力の大きな一発技がいくつかある。
 とにかくノエルの攻撃に耐えるために、ガードを固めていた。
 誰しも技を出し切った瞬間には隙が出来る。もちろんその隙の大小というものはあるが、
気を使った技を繰り出している以上、隙が出来ないという事は有り得ない。
 気の性質として一旦、気を使った技を繰り出すと、一時的に拡散する性質にある。その
為、どうしても気の力が失われてしまい、隙が生まれるのだ。
 ノエルがいかに格闘家として優れた力を持っていようと、気の使い手である以上それは
避けられない。
 ノエルの技を耐えきった瞬間がチャンスだ。
 龍二はそう思っていた。
 ノエルの手に風がまといついていた。攻撃を受けるたびに、スゥッと風がながれる音が
響いていく。
 ノエルのラッシュは鋭い攻撃ではあったが、龍二は何とか耐えきると、その瞬間、拳を
振り上げようとする。
 だが。
 龍二の体はぴくりとも動かない。
「なっ!?」
 驚きのあまり声を漏らす。
 ノエルが口元に冷笑を浮かべていた。
「君は格闘家としては一流かもしれない。けど、気の使い手としては、まだまだだね。僕
のまとわせていた風は、自分の威力を上げる為のものじゃない」
 そう言いながら、龍二の目前に構えすらとらずに立ちふさがる。
「あの風は音を鳴らす為。そしてこの音は、君の五体の感覚を狂わせ、自由を奪う」
 それから指先でつんと龍二の額をつつく。
 だがそれだけの事で龍二は後ろへと倒れていた。
「もう少しやるかと思っていたけど、見込み違いだったかな。この程度の技に囚われてい
るようではね」
 ノエルはくすくすと笑みをもらすと、そのまま龍二を踏みつける。
 龍二の顔が苦痛に歪んだ。
「じゃあ、ま、あまりいたぶっていてもかわいそうだしね。とどめをささせてもらうよ」
 ノエルは笛を手にすると、唇を触れさせていた。
 その瞬間。
 身動き一つできなかったはずの龍二は突如立ち上がり、巨大な気の塊を生み出していた。
「超気皇拳!」
「なっ!?」
 龍二が動き出すとは思っていなかったのだろう。ノエルの反応が一瞬遅れる。
 巨大な気の弾が、ノエルを捉えていた。
 ズゥンンン。鈍い音がひびき、辺りに煙が立ちこめていく。
「やったか!?」
 龍二は煙の奥へと目をこらしていた。
 しかしその瞬間、その中から影が飛び出してくる。
 慌てて龍二は左へと避けた。
「ち。捉えきれなかったか」
 そのまま右拳を影へと叩きつける。
 だが影はさっと体を翻して、龍二から距離をとっていた。
 もちろんその影はノエルのものだった。
「……油断したよ。まさか技にかかったふりだったとはね。この技の性質を一瞬にして掴
んで逆手にとるなんて、ね。前言撤回するよ。君はやはり実力者だ」
 ノエルは、口元に冷笑を浮かべていた。
「でもその程度では、僕の不意をつくことはできないよ。さすがに僕も君の超気皇弾をま
ともに受ければただではすまないだろうけど、そう簡単には当たりはしないよ」
 ノエルは龍二に向けて告げると、それから右手をまっすぐに龍二へと突き付ける。
「最初の予想通り、楽しませてもらえそうだ。けど、ならばこれはどう受ける?」
 ノエルは突き付けた手を一旦わきまで引く。
 そして、そのまま猛スピードで再び突き付ける。
 同時にものすごい勢いで、気の塊が龍二へと向かっていた。
 龍二はしかし慌てる事もなく、すぐに飛び退いて気を避ける。
 かなりのすさまじいスピードとはいえ、所詮は直線にしか飛ばす事ができない気の塊だ。
気皇弾とさほど変わりはない。そんな技をフェイントもなしで受けるほど、龍二の動きは
とろくもない。
「その程度の技じゃ、俺を捉えるのは無理だぜ」
 龍二はそういってノエルへと飛び込もうとする。
 しかし次の瞬間、どこか嫌らしい感覚を覚えて、慌てて右側へと飛んでいた。
 ついさきほどまで龍二がいた場所を、再び気が通り過ぎていく。
「な。戻ってきやがった!?」
「この技をそこらの放出技と一緒にされちゃ困るね。こいつは追尾型なのさ」
 ノエルの言葉通り、気の塊は何度と無く龍二へと襲いかかってくる。
 このままでは、いつか攻撃を受けてしまう。
 だが龍二は慌てる事はなかった。
 龍二は気を集め、気皇弾を作り出す。
 ただあまりに高速の為に、そのまま気皇弾を当てる事は不可能に近い。実際、龍二も放
とうとはしない。
 龍二はノエルの気が迫ってくるのを待つ。
 そしてノエルの気が寸前のまで近づいてきた瞬間に合わせて、気皇弾を明後日の方向へ
と放った。
 普通であれば当たるはずもない。
 だがノエルの気は、龍二の放った気皇弾にまるで吸い寄せられるように当たり、弾けて
いた。
 そのまま龍二はノエルに向けて突進していく。
「なるほど。あの技が、相手の気を追いかけている事に気が付いたんだね。そのまま放っ
たのではより大きな気を持つ君に近づいていくが、当たる寸前であれば放れて拡散する気
に軌道を変え、吸い寄せられる」
 ノエルは感心したように呟くが、龍二は全く気にもしない。
 何か語っている余裕はなかった。
 とにかく少しでもノエルへと攻め込んで、技を使わせない。
 攻勢にかける。
「考えはわかるけど、下手の考え休むに似たりってね。無駄だね」
 龍二の拳を、蹴りを、時に放たれる気を、ノエルは完全にかわしていく。
 それでも龍二は攻撃を止めなかった。
 ノエルへと蹴りを、拳を、何度も放っていく。
「無駄だよ。その程度の攻撃では僕をとらえることはできない」
 ノエルはそういいつつ、龍二の拳を避ける。
 そして龍二の手を弾いていた。
 とたん龍二のバランスが崩れる。
「く。」
 声を漏らして、なんとか体勢を整えようとした。
 だがノエルはその隙を見逃さない。龍二に鋭い一撃をたたき込むと、龍二はそのまま吹
き飛んでいく。
 試合場の床にたたきつけられ、龍二は小さな呻きをもらした。
 それでもすぐに立ち上がり、ノエルへと立ち向かう。
 そしてまるで敵わないと知っているのに、なんとか抗おうとするがごとく、再びノエル
へと走り出していた。
「またくるのか!? 単純な攻撃では僕には通じないことはわかっただろう!? それと
もこれも何かの策略の一つか!?」
 ノエルは呆れた声で呟きながら、龍二の攻撃を避ける。
 だが。
 龍二の拳が、ノエルの頬をかすっていた。
 ノエルの顔に驚愕の表情が浮かぶ。
「ばかな。さけたはず」
 声を漏らす。だが龍二は何も言わずに拳を叩き付け続ける。
 やはりその拳がノエルを捉える事はない。
 しかし確かにさきほどはノエルの予測よりも鋭い一撃が繰り出されていた。
 ノエルは困惑を隠す事が出来ない。
 いや、それどころか。
 ガッ!
 鈍い音が響いていた。
 龍二の拳がノエルを捉えていた。
 正確に言うならば、ノエルは右腕で龍二の一撃をガードしていたために、一撃を受けた
訳ではない。
 それでも完全に避け続けていたはずの龍二の攻撃が、いまノエルへと向かっていた。
「まさか……拳のスピードが上がっている!?」
 ノエルはその事実に驚きを隠せない。
 龍二はノエルの一撃を受けている。その為、拳の速さが削られる事はあっても増す事な
どはないはずだった。
 しかし龍二の動きはこの闘いの間だけでも、増し続けていた。
「ばかな。理由もないのに。なぜ」
Back Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない 
★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!