らくがき。 (01)
 その少女は龍二の目の前に拳を突きつけていた。
 流れるような長い黒髪。ほっそりとしているが、しかしよく見ればぎゅっと引き締まっ
た肉付きの手足。スポーツか何かをやっているのだろう。
 しかしやや鋭い目つきには、どこか敵意すら感じられる。
「大崎龍二! ここであったが百年目。覚悟しろっ!」
 少女は高らかに叫ぶと、拳を胸元に引く。そしてそのまま握りしめると、いわゆるファ
イティングポーズをとっていた。
「ちょ、ちょっとまて!? 俺はお前なんて知らないぞ!? 人違いじゃないのかっ!?」
 龍二は慌てて首を振るうが、少女の叫んだ名前は確かに龍二のものだった。しかし龍二
には全く心当たりがない。
 ただ龍二はこうして突然、喧嘩を売られる事というのは少なくなかった。なにせ彼には
突別な曰くがあるからだ。
 龍二の祖父は弟子を取らない事で有名な高名な武術家だった。しかしその弟子の地位は
日本の武術家・格闘家の中では、誰しもが憧れるほどのものだ。中にはどんな手段を使っ
てでも弟子になろうというものもいる。
 そしてある時、龍二の祖父が「ワシの弟子になるなら、せめて孫の龍二よりは強くない
とな」とぽろりと口にした事から、龍二は突然喧嘩を売られる日々が始まったのだ。
 孫の龍二よりも強くなければいけない。つまり龍二を倒せば弟子入り出来るという二段
論法によるものだった。そういった輩に会うたびに龍二は「武術家っていうのは頭が筋肉
で出来るのかよっ」とつっこみたくなるが、今も後を絶たない。もっともそういった輩は、
実力の程もたかがしれているので、龍二は難なく彼等を避けてきた。
 だから初め目の前の少女も、そういった類の一人かと考えていた。しかしそれにしては
彼女の目に敵意がありありと浮かんでいるのが気にはなった。
「問答無用!」
 少女は右拳をまっすぐに打ちつける。
 龍二は後に飛んで避けると、そのままくるりと振り返って走り出した。
「ま、まて! 逃げる気か!?」
「俺は女の子とは拳を交えないって決めてるんでね。じゃ、そんな訳で、ばいばいっ」
 龍二は背中から聞こえる声を無視して、そのまま駆け抜けていった。


 数日が過ぎた。
 彼女の姿はあれ以来みていない。
 しかしなんとなく気になっているのも事実だった。なにせ今まで女性の挑戦者はいなかっ
たし、それに。
「可愛かったよな。あの子」
 龍二はふと思い出して、ちょっと勿体なかったかな、と声には出さずに呟く。
 もっとも敵意ぎらぎらの目からして、あわよくばお近づき、というようにはいかないと
龍二もわかってはいるが、そこは男の悲しい性という奴だろう。
 龍二は通学鞄を手にとって、そのまま教室を後にする。今は放課後で、すでに残ってい
る人間は殆どいない。龍二は掃除当番だった為、少し帰りが遅くなっていたのだ。
 もし今、龍二をみている人がいたとしたら、彼が祖父直伝の武術家だとは誰も思わない
だろう。
 申し訳程度に櫛の入った乱雑な頭に、ズボンからは半分だけシャツがはみ出ている。学
校指定のブレザーのネクタイは、結んでいるんだかないんだかわからない程度にくくられ
て首にかけられている。
 顔つきは、本来であればそれなりに整っているはずなのだが、なにせずぼらな雰囲気と、
やる気のなさそうな目が、一気にイメージを悪くしている。
「さってと。帰りは、とりあえずゲーセンでもよって、昇竜百連烈波でも決めていくか」
 格闘ゲームの必殺技の名前を呟きながら、ゆったりとした足取りで歩き始めていた。
 ただ龍二はまだ知らない。運命の歯車は、すでにもう回り始めている事を。
 あの後、龍二はゲーセンによっていくらか散財したあと、暗くなりかけた帰り道を歩い
ていた。まだ街中で、人通りも多い。
 そんな中、目の前に昨日の少女が立っていた。
「大崎龍二! 昨日はよくも逃げてくれたなっ。今まで受けた数々の屈辱。今日こそはら
す!」
 突然言うが早いか、彼女は駆けだしていく。
 いちいち話していては昨日のように逃げられると踏んだのだろうが、それにしてもここ
は街中である。少しは場所をわきまえて欲しいぞ、と龍二は思う。
 だが、そう思ったのも束の間の事だった。
「くらえっ。覇王龍降拳!」
 どこかで聞いた事があるような技の名前を叫びながら、彼女は上から叩き付けるように
拳を突き出していた。
 何となく嫌な予感が走って、慌てて右手に飛ぶ。
 少女はいま龍二がいた場所をすれ違っていき、そのまま地面を粉砕していた。ガァンと
強烈な音を響かせて、砕けたアスファルトが雨の様に降り注いだ。
「ちょ、ちょっとまてぇ!?」
 思わず叫びを上げる。
 龍二は格闘の心得がある。とはいえど、殴りつけただけで地面を破壊するなんて事は不
可能だし、恐らく高名な武術家である龍二の祖父にだって出来ないだろう。
 だが目の前の少女はいとも容易くやってみせていた。
「ち、外したか。次は絶対、はずさん」
 少女は悔しそうに呟くと、そのまま振り返って龍二へと向き直る。
 龍二は昨日の「可愛い」という感想をすっかり撤廃していた。
 化け物か、こいつは!? 心の内で呟くと、振り返ろうとして、すぐに思いとどまって
いた。いま背中を見せたら、そのまま背中に一撃を受ける。いわば第六感のようなもので
感じとっていた。
 ざわざわと周りに人が集まってくる。恐らくは騒ぎを聞きつけた野次馬だろう。
「ならばこいつはどうだっ。気皇拳!」
 少女は両の拳をあて、まるで龍の口のように開くと手元へと引いた。
 かぁっ、とその手の中に赤い光が集まってくる。そしてその光を一気に龍二へと付き放っ
た。
 龍二は慌ててしゃがみ込むと、頭上を光が通り過ぎていく。
 その瞬間。背中で爆音が響いていた。殆ど顔は動かさずに目で振り返ると、背後で誰か
の車が跡形もなく吹き飛んでいた。
「か、かめは○波かよ!?」
 某漫画を思い浮かべて、それから首を振るう。
 いや、これはまるで。
 思い浮かべたのも束の間。
 これではまるでむしろ龍二の好きな格闘ゲームのようではないか。
 格闘ゲームというのはコンピューターゲームの一種で、だいたいは誰かキャラを一人選
んで相手のキャラと対戦するというゲームなのだが、そのキャラクター達は個々がいろん
な必殺技を持っている。
 その必殺技は現実的に考えると有り得ないような技が多いのだが、いま目の前の彼女が
使って見せた技のように気功を飛ばしたり、地面を吹き飛ばしたりするなんてものもある。
それどころか空中で逆さになって何回転もしながら蹴りを当てるなんて技や、テレポート
したり炎を吹いたりと現実味の無い技の数々を繰り出して戦うゲームだ。
 もちろんそれはゲームだから、の一言で許される類のものだろう。実際に格闘ゲームで
それらのど派手な必殺技がなくなってしまえば面白さは半減してしまう。
 だが現実の事であれば話は別だ。この騒動に警察だのなんだのが飛んでくるかもしれな
い。龍二が特に何かをしたという訳ではないのだが、出来れば騒動には巻き込まれたくは
ない。いやそれ以前に、もしまともに攻撃を受ければ、ゲームのキャラでない龍二などひ
とたまりもないだろう。
「なんだよっ、いまのは一体!?」
 龍二はとにかく叫んでいた。少しでも時間を稼いで体勢を整えるしかない。
「とぼけるなっ。同じ気皇柔拳の使い手であるお前が知らない訳はないだろうが! 私の
この技も元はといえばお前の祖父に習ったもの。それとも何か。私の技は甘すぎてみるに
耐えんとでも言うつもりか。なるほど、気皇柔拳直系の担い手であるお前は、確かに今ま
での私では届かぬ高みにあった。だが、もはやそれも過去の話だ。独自に修行を積んだ私
の技は、お前も知らぬ技を身につけて帰ってきたのだ!」
「ま、まてまてまてっ。うちは確かに武術の家だが、そんな変な名前の門派ではないし、
そもそも俺はお前の事なんてしらねーよっ!?」
 少女の言葉に、慌てて龍二は首を振るう。龍二の家は極心流護身術という少々特殊な武
術を教えている。だがその中に彼女の姿はなかったし、もちろん気功だのなんだのと言っ
た力を使う事なんて出来ない。
「く……、そこまで私を愚弄するか。なら、拳を持って刻み込んでやる。この私、剣崎美
空(みそら)の名前をな」
 美空と名乗った少女は、再び龍二へと拳を向けた。
 だが、その瞬間だった。
 不意に横手から声が掛けられる。
「あらん。美空ちゃん、ダメよ。抜け駆けは」
 思わず声の方向に振り向くと、そこに声の主は立っていた。
 すらりと伸びた黒髪。ほっそりと伸びた白い腕。腰のくびれを強調するかのような真っ
赤なチャイナドレス。
 優しく暖かそうな眼差しは、整った顔つきの中でも特に映えている。美空と比べると五
つか六つは歳の差があるだろう。大人の魅力というしかない胸のボリュームが、これでも
かというばかりに主張していた。
 だが美空は見るなり一言、衝撃的な事実を呟く。
「出たな。オカマ」
「いやん。おかまじゃないわよぉ。これでも、心はお・と・め」
 彼女……いや、彼はにこやかに微笑むと、手にした真っ黒なセンスを広げて口元を隠す。
 こんなに美人なのに、オカマ。龍二は、呆然として成り行きを見守る事しか出来なかっ
た。
「うるさい。武士、お前みたいなのと同性になりたくない」
 美空は険悪な雰囲気で呟く。どうやら二人は仲が悪いらしい。
「いやぁ。武士って言わないで! もうその名前は過去に捨てたの。私の今の名前は、メ
イリンよ」
 武士、いやメイリンは、くねくねと身体を揺らしながら、もうだめねぇ、と呟きながら、
美空に向かって、ちゅっと投げキッスを飛ばす。
「頭が痛くなる。やめてくれ。それなり何の用だよ」
「あらぁ。だから、言ってるでしょ。抜け駆けは厳禁だって。龍二くんを物にするのは、
わ・た・し。あなたには渡す訳にはいかないの、ねっ?」
 今度は龍二に向けてウィンクしていた。
「ちょ、ちょっとまてぇっ。なんだよっ、その物にするっていうのは!? だいたい俺は
お前なんか知らないぞ」
「そうねぇ。あなたは私の事知らないかもね。では、邪活明峰拳のメイリンって覚えてく
れるかしら? そのうち嫌でも手合わせする事になると思うけどね」
「武士じゃないのかよ」
「いやぁっ、その名前で呼ばないで! メイリンっ、メイリンで一つよろしく」
 大騒ぎするオカマに、龍二は溜息を一つ零していた。
「……まぁ、どっちでもいいけど。一体なんなんだよ」
 龍二はつまらなそうに呟くと、目の前のオカマと美空と名乗った少女を見つめていた。
「まったまた。とぼけちゃって。貴方を倒したものに、貴方の祖父、大崎 豪に挑戦する
権利を与えられる。これは貴方の祖父が公言した事よ。貴方の祖父と戦いたいっていう格
闘家は数多くいるもの」
「な、なに?」
 龍二は再び驚きの声を上げていた。メイリンの言う祖父の名前は確かに間違っていない。
だが微妙に話がずれている。
 いやメイリンの台詞だけではない。美空の話もどこかが違えていた。
 何かが現実と違う。
 いや、今の時間は現実なのだろうか。龍二は何がなんだかわからなくなって、目をあち
こちに彷徨わせていた。
「あたしもこう見えても、格闘家だからね。貴方の祖父とは一度手合わせしてみたいと思っ
ているわ。何せあの方は生きる伝説、武神とまで讃えられるお方だもの。絶対に手あわせ
してみたいわ」
「私はそういうつまらない感情で動いている訳じゃあない。一緒にしないでほしい」
 美空はいらついた声で呟くと、それからくるりと振り返る。
「何にしてもケチがついた。今日のところは引き上げさせてもらう。だが、忘れるなよ。
私がどれだけ恨んでいるのか、思い知らせてやるからな」
 美空は吐き捨てるように呟くと、そのまま歩き出していた。
「じゃあ、あたしもこのへんでね。でもいずれ勝負にくるわ。楽しみにしているわね」
 メイリンも軽くウィンクして、そのまま立ち去っていく。
 後には龍二が一人、ぽつんと残されていた。
 何がなんだかわからなかった。




「ただいまー」
 龍二は帰るなり溜息をつく。何が起きているのかはわからなかったが、何か自分の知っ
ている世界と狂いだしているような気がする。
 もちろんあの二人が揃っておかしいのだとか、二人で共謀して龍二を騙そうとしている
だとかいう事も考えられなくもなかったが、しかしいくらなんでも有り得ないと思う。二
人とも龍二の知らない相手だ。それが何のために龍二を騙すのだという話になる。
 しかしそんな事を考えているのも束の間。不意に声が高らかと響いた。
「おお。龍二っ。よく帰った、ちこうよれ。ほれ、ちこうよれ。なっ、なっ。愛しておる
ぞ、りゅうじぃぃっ」
 がばぁっという勢いで飛びついてくる何かの姿があった。
 しかし龍二は一切何も気にせずに、その物体を殴り飛ばすと、何事も無かったかのよう
にすたすたと歩き出す。
「おおおおお。り、龍二っ。なんという事を。この老い先短い祖父を少しはかわいがって
おくれ」
「うるさい。死ね、じじい」
 龍二はちらりと横で転がっている物体――龍二の祖父をみつめると大きく溜息をつく。
 これが生きる武神、生きる伝説と呼ばれる祖父の実態である。こんなものに弟子入り志
願だの手合わせだのを願っている格闘家達は、ほんとに頭が足りていないとしか思えない。
 しかし彼が実際にものすごい逸話を残している事も確かで、北海道の奥地ですででヒグ
マを倒した、とか、公式試合では一度も負けた事がなく、無敗の帝王の名を欲しいままに
しているとか、数々の伝説を残している。
 空手十段、柔道七段、合気道五段、剣道三段などの段位も持っている。特に空手の十段
は、いま現役で持っているものは龍二の祖父、豪ただ一人であった。
「な……なんという事を。おおお、これだから最近の若いものは……老人虐待ぢゃ、家庭
内暴力ぢゃ」
 そうは思えない台詞をとうとうと呟き続けていた。
「じじいが虐待されるようなタマかよ」
 龍二は呟くと、そのまま無視して部屋へ戻っていく。
 いや、戻ろうと思って振り返っていた。
「そういえば、じーさん」
「おお!? な、なんじゃ龍二。小遣いが欲しくなったか、よし、やろう。その代わり、
存分にワシにかわいがられるのじゃぞ。ぐへへへへ」
「……やっぱやめた」
「あああっ、う、うそじゃ。待ってくれ、りゅうじぃっ。で、なんの用じゃ。龍二がワシ
に用とは珍しいのぅ」
「……用事だとは言ってないけど。まぁ、いいや。じーさん、剣崎美空って知ってるか?」
 龍二はずっと気になっていた事を聞いてみる。
 美空の言う事によれば、彼女の技は豪に学んだものらしい。それが本当であれば当然、
豪は知っているはずだった。
「みそら!?」
 豪はその名前に強く反応していた。
 やっぱり何か知っているのかもしれない。だとすれば豪に聞き出せば何かわかるかもし
れなかった。
「美空ひばりはええ女じゃった……ほんに惜しい娘を亡くしたものだ」
「死ね、じじい」
 龍二はそれだけ呟いて、自分の部屋へと戻る。
 じいさんに聞いた自分が間違っていたと素直に非を認めていた。
「あ〜あ〜、かわのぬわがれるさまに〜」
「歌詞ちがってるよ……」
 後で歌い続けている豪に小声でつっこみをいれながら、龍二は部屋の扉をあける。どう
やら豪はすっかり自分の世界にトリップしてしまったようだった。
 そして部屋に入ろうとした瞬間。不意に声がかけられた。
「あ、兄貴。おかえり。今日は遅かったジャン。なに道草くってたん?」
 そのよく知った声は、妹の秋奈のものだった。
 秋奈はピースマークの入ったトレーナーに、ジーンズといったいわゆる70’sファッ
ションだ。秋奈はどうもその時代が好きなのか、いまひとついろいろと古臭いところもあ
る。
「お前さ、その格好と話し方、どうとかならんのか?」
「オレの勝手だし、いいだろ。ほっといてよ。そう、それよりも兄貴。兄貴にさ、なんか
すげー立派な手紙が届いてたんだけど。ほら、これ」
 秋奈はそういいながら、一枚の手紙を差し出していた。
 確かに立派な手紙だった。封筒もかなりしっかりしたものだし、何より封が蝋でされて
おり、なにやら印が押してある。
 宛先は間違いなく龍二宛のものだった。差出人のところを覗いてみる。
 そこには、Glory Play。栄光の遊戯。そうつづられていた。
 全くもって覚えがなかった。
「ねー、兄貴。なにそれ? なんかの招待状みたいな感じだけど。何かパーティ? だっ
たらオレもいきたい。ねー、いいだろ?」
「いや……なんの事だか、俺にもさっぱりわからん。とりあえず開けてみるか」
 封をきって、中身を確認する。
 それは、確かに招待状だった。ただ秋奈のいうようなパーティの招待状などではない。
 その手紙の中には、こう書かれていた。
『栄光の遊戯へ、貴方を招待します。
 このゲームを拒否する事は出来ません。貴方には栄光か、それとも絶望か。その二つし
か選択肢はないのです。
 戦ってください。
 そして勝つ事です。
 貴方が栄光のゲームを勝ち抜けばどんなものでも手に入るでしょう。
 しかし負ければ、貴方に絶望を。
 貴方は死を乗り越える事が出来ますか?』
「……なんだ、こりゃ? 新手のいたずらか?」
「なんだ、パーティじゃないんだ。がっかり」
 秋奈はすっかりもう興味を失ったようで、その場を去ろうとしていた。
 だが、その次の瞬間、豪の大きな声が響き渡る。
「り、りゅぅじぃぃ!? そ、その手紙は!?」
 珍しく。いや、いつものごとく豪が騒ぎ声を上げていた。
 だがその声の質がいつもと違うのは、龍二にも感じ取れる。
 一体なんだと豪へと振り返ると、豪の顔は明らかに絶望の色を残していた。
「これか? よく知らないけどいたずらか何かじゃないか?」
 龍二は気軽に答えてみる。だが豪はぼろぼろと涙をこぼしながら、首を振るっていた。
「違う。その手紙に書かれている事は本当ぢゃ……。わしも詳しい事は知らぬが、とある
組織による強制的な格闘大会。それがGPなのぢゃ……。この大会に選ばれるのは、本当
に実力のある格闘家のみ。それゆえに大会を拒否したものもあった。だが、その者達は全
てを失ってしもうた。例えばある者は家族を全て事故で亡くした。またあるものは大切な
恋人が行方しれずとなった。またある者は詐欺にあって財産を全て失ってしもうた。ゆえ
にこの手紙が届いて、大会を拒否するものはおらん」
 豪の滅多にない真剣な話しぶりに、龍二はごくりと息を飲み込んでいた。
「ぢゃが、その大会で負けたものには、死の罰ゲームが待っているそうじゃ……。その死
の遊戯をみるために裏の著名人どもが集まるという。凶悪な大会なのぢゃ」
「そんな大会に俺が!? いや、でも俺は確かに多少の心得はあるが、格闘家としてはそ
れほどのものでも」
「儂の……せいぢゃろうな」
 豪は悲しい声を漏らしていた。
「じじいのせい?」
 龍二は不思議そうな顔で豪の顔をのぞき見る。
 こんな豪の姿はまず見た事がない。
 豪はこくりと頷く。そしてゆっくりと口を開いた。
「儂が『龍二を出場させろ』と手紙を書いたから」
「マジで貴様のせいかぁぁぁぁぁ!?」
 叫びながら、豪の首をぐいぐいと締める。
「げほっげほっ。や、やめるんじゃ、龍二。これには谷よりも深い訳が」
「どんな訳だよっ、どんなっ。聞いてやるから、いってみい。くだらない理由だったら、
マジで殺す。いま殺す」
「……可愛い子には……ま、まて龍二。皆までいうとらん!?」
「言わなくてもわかっとるわぁっ!? 秋奈っ、布団と紐を用意しろっ。この腐れじじい
を簀巻きにして、川に放り込む!」
「おっけー、まかせといて。すぐ用意するよ」
 秋奈はピースサインを出しながら、部屋の奥の方へと消えていく。
「り、龍二っ。くぅ。きけっ、きくのじゃっ。きかねば……」
「ええいっ。うるさいっ。今日という今日は勘弁ならねーっ。絶対にゆるさんわ!」
 龍二は叫びながら、豪を床へと押しつけようとする。
 その瞬間。
「えーいっ。いいかげんにせんかぁ!?」
 豪が高らかに怒号する。
 ばーーーーーんっ、と大きな音と共に光が床から放たれていた。同時に龍二はその光に
突き飛ばされてる。
 そして豪の拳がぎゅるぎゅると唸っていた。
「ワシの話をきけっ。さもなくば、鉄拳制裁ぢゃ!」
 豪は、拳を突き立てて告げる。
「鉄拳制裁って、言う前にいま殴ったろうが!?」
「気のせいぢゃ。そもそも、気功ではじいただけじゃなから、殴ってはおらん」
 豪は子供の言い訳のような台詞を吐きつける。
 だが龍二はその台詞の別の部分の方が気になっていた。
 気功で。
 そういえば光が走ったような気もしていた。殴られたためかと思っていたが、よく考え
てみれば確かに身体には触れられていない。
 豪はこんな人物でも格闘家としては凄腕だ。だから相手の気を読んで、殆ど触れる事も
なく投げるなんて真似も出来る。だがそれは歴とした柔道や合気道の技だ。
 中国拳法でいうところの気功なんていうものは今まで使えた試しがないし、豪は「気功
なんてものは有り得ない」といっていたはずだった。
 やはり何かが変わっている。
 龍二ははっきりと核心するが、しかし何がどうしたかといえばよくわからない。
「さて、まぁ、それはよいとして本題に入ろうかの」
 そんな龍二をよそに豪はうむ、と大仰に頷いていた。
「龍二。お前に気功を教えてから、はや5年が過ぎる。だが、お前ときたら、いっちょん
成長せぬ。これはいかん、と、ひとつ荒行を企てたのぢゃ。それが今回のくろぉりぃぷれ
い強制参加という訳ぢゃ!」
 豪はなぜか胸を張って告げる。
 しかし言ってる内容はろくでもなかった。
「じじぃっ。てめぇ、なんてことしやがる!? 俺は格闘家にはならないって、あれほど
いってるだろうが!?」
「何をいうっ。お前ほど格闘の神に愛されておるものはおらんのぢゃぞ。真面目にやれば
ワシを越える事は間違いがないというのに。およよよ……」
 泣き真似をして崩れてみていた。
 だが、豪がしなだれている様子は、むしろみていて気持ち悪い。
「うるさい。死ねっ、じじいっ。くそっ、こんな大会でないからな!」
「……かつて、そういって粋がった若者もおった。じゃが、その男は後から激しく後悔し
たそうぢゃ。恋人が殺され、その鼻と耳が宅急便で送られてきたそうぢゃ。でていれば、
少なくとも被害にあうのは自分だけぢゃった。自分が傷つくよりも、自分の為に人が傷つ
けられる方が辛いという事はあるものぢゃ。そうぢゃな、恐らく龍二ならば秋奈辺りが酷
い目にあうのかのう……。いや、ほんに酷い話ぢゃ」
「じじい……てめえ……」
 龍二はふつふつと浮かんでくる怒りをなんとか堪える。
「覚えてろ。その大会とやらから帰ってきたら、絶対にてめえだけは許さないからな」
 大会に出ない。
 そういうのは簡単な話だった。だがもしも豪の言う言葉が本当であれば、それこそ後悔
しても取り返しが付かないだろう。
 秋奈とは特別に仲がよいという訳ではない。しかしたった一人の妹である事には間違い
ないし、傷ついたりして欲しくはない。龍二は秋奈にしろ、豪にしろ。母や父にしろやは
り大切に思っているし、嫌いじゃない。
 大会に出れば家族には何もないというならば、
「出る気になったか。それは何よりぢゃ。じゃがワシはこの大会、お主が優勝するものと
思っておる。お主は強い。恐らくは生ける伝説などと称されるワシよりも。おぬしが勝つ
ところをワシはみたい。楽しみにしているのぢゃ」
 豪はいつになく真剣な眼差しで龍二に語りかける。
 こうして言われると、多少は悪い気はしない。やり方に問題はあるにしても、期待され
ている事には間違いないのだろう。
 何にしても、まだ日時も何も招待状には書かれていなかった。今はただ連絡をまてばい
いのだろう。
 龍二は、はぁ、と大きく溜息をついた。
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