遊園地のディドリーム (12)
四.クリスマスの夜に

「くるみは、人じゃないんだな」
 俺はそっと呟いていた。
 昼休みの中庭。いつもの場所で、独りで弁当を食べていた菜摘に向かって。
「うん」
 静かな声で頷いて、菜摘はそのまま何事も無かったように弁当を食べ続ける。
「いやっ、そうじゃなくって」
 思わず叫んだ俺の声に、菜摘はきょとんとした顔で俺を見つめ返してくる。うわ、可愛
い。いや、だからそうじゃなくてっ。
 菜摘とくるみの二人は、あれから毎週のように彼女達はファンタジックランドに現れて
いた。楽しそうに、本当に楽しそうに笑いながら。
 だけど、誰も何も言わない。ベンチの眠り姫に王子様がいた事について。
 ときおりアトラクションに乗る彼女に憐れみの目でみつめるだけ。
 それが何を意味しているのか初めはわからなかったけど。ある日、やっと理解できた。
「なんで彼女は急に一人で遊ぶようになったんだろうね」
 美紅さんの一言だった。
 それで全てを理解していた。
 くるみは、俺達にしか見えていないのだという事。夏樹はわからなかったみたいで、い
ろいろと美紅さんに聞き返したりしていた。
 でも話は平行線を辿るだけ。
 美紅さんだから、何もいわなかったけど、他の人だったら夏樹の頭がおかしくなったの
か、良くても悪質な冗談だと思っただろう。
 夏樹はどうしても納得できないみたいだったけど、俺はなぜかすぐに受け入れていた。
 くるみが他の誰にも見えないのだという事を。
 確かに触れた指先。微かに感じた温もり。あの温もりが人でないはずもないのに。どう
して俺は納得しているんだろう。
 結んだ風船はどこにいったのか。空高く飛んでいったのだろうか。
 くるみは、何を求めてここにいるのだろう。
 ……って、まっ、なんつーか。俺らしくねーな。そんな事考えるのは。
「で、あいつは。くるみはいったい何者なんだ」
「何者なんだろうね」
 くすりと笑みを漏らして、菜摘は平然とした顔で言い放つ。弁当箱に視線をあわせたま
ま、振り向きもしない。
「何者なんだろうねって、お前ら親友なんだろ」
 あきれた声で呟くが、しかし俺にはわかっていた。菜摘にとってそんな事は些細な事で
しかないのだと。彼女が求めているものは形にならないものだと。
 俺が思った瞬間、菜摘は不意に顔を上げる。
「私は知らない。でも、くるみちゃんはね。楽しい事を探しているの。それが何なのか、
私にはわからないけど、それをかなえて上げたいと思う。ただそれだけ」
 小さな笑みをそっと向けて、その瞬間、ひゅるりと木枯らしが吹いた。冷たさが迫って
いる。この胸の中にある不思議な気持ちをそっと包み込む。
 俺は、俺が、何かしなくちゃいけない。なぜかそんな気持ちにとらわれていた。菜摘に
なのか、くるみになのか、それすらもはっきりとはわからなかったけど。
「私は昔からいろんなものが見えたから。くるみちゃんがそこにいる。それは不思議でも
なんでもなくて本当に当たり前の事。ただくるみちゃんは幽霊じゃあないと思う。遊園地
の中で、何か大切なものを探しているの。大切なものを」
「楽しい事、か」
 俺は呟く。何かありがちな言葉だなとは思う。どこかで聞いた事があるような台詞。
 だけどそれは人が願う事は本当にちっぼけな想いだという証拠かもしれない。その小さ
な想いで幸せになれるのに、なかなか手に入らなくて。
 素直になれれば、すぐにでも手に入るかもしれない想いなのに。
「そう。楽しい事。探しているの、ずっと。長い間。でもきっともうすぐ見つけられるよ」
 菜摘はそこまで告げると、再び弁当箱へと視線を戻した。何も言わずに静かにおかずを
口へと運ぶ。
 俺もパンの袋をあけて、階段に座り込む。
 静かに時間は過ぎていた。やがて昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響く。つかの間の
逢瀬はこれでおわりって訳だ。
「よっと。じゃあいくか。そろそろな」
「うん」
 軽く頷いて、菜摘は腰をあげる。くるみの事以外、殆ど話はしなかったが、それでも少
しは会話を進める事ができたなー、と思う。
 友達であれればいいのに。心からそう願う。
 その瞬間、不意に菜摘が微笑んだ。可愛らしい笑みだな、夏樹もみならえばいいのに。
 いや、夏樹の元気いい笑顔も悪くないけどな。
「じゃあ」
 菜摘はただそっとささやくように告げて、そしてくるりと背を向ける。
 一瞬、追いかけようかと思った。だけどそれは出来なくて、ただ彼女の背中から見守っ
ていく。その瞬間だった。
「あ、かずちゃんここにいたんだ」
 ふと聞こえた声に振り返る。いつも通りの夏樹が目の前に立っていた。
「おうっ。いたぞ。別にテレポーテーションで現れた訳じゃ無いぞ。ましてやランプをこ
すると、よばれてとびでてじゃじゃじゃじゃーーーん。じゃないぞ」
「もう、意味わからないよ。謎過ぎるよ」
 夏樹は俺のナイスな説明を一蹴すると、ふいに俺をじっと見つめていた。
 おおっ、なんだ。もしかして俺はこれから校舎の裏につれていかれて、集団リンチにあ
うのか。やめろ、夏樹。
「しないよっ、そんなこと」
 夏樹がつっこみをいれる。おおっ、また声に出てた。
「変な事考えないで。思わないで。かずちゃん、ほんと考えてる事と行動が一緒なんだか
ら、わかりやすいけど、かずちゃんの考えそのものがよくわからないよ」
 夏樹は、はぁと大きく溜息をついていた。失礼な奴だなー。まったく。うんうん。
「それよりもかずちゃん。今日は日直でしょ。もう、ちゃんとしないと、だめだよ。いけ
ないよ」
「おおっ、そうだった。忘れてた。よっしゃ、これからいっちょぱぁっと黒板消しをはた
めかせるか。白煙まう景色は胸が躍るな」
 黒板消し叩きはけっこう好きだぞ。あの粉が舞い散る様子は、かなりエキサイティング
だ。
「いっとくけど、教室の中で叩いちゃだめだからね。それに、もう時間ないよ。今日は私
がしておいたから。こんど私が当番の時の時にちゃんと代わりをするんだよ。決まりだよ」
 どうしてこう夏樹は俺の考えてる事がわかるかな。むぅ、しっかり釘を刺されてしまっ
た。
「おう。まかせておけ」
「かずちゃんがそういって代わってくれた事ないよね。もう。いっとくけど貸しだからね、
ちゃんと恩は返すんだよ。報いるんだよ」
 呆れた顔で呟くと、ほらいくよっと告げて俺の手を引っ張る。
「へいへい」
 俺は後ろに連れられるようにして、素直に夏樹に従った。
 ああ。俺ってば、けなげ。
「けなげの意味わかってる? もう、かずちゃんはいつもそうなんだから」
 おおっ、また口に出していた。
 ふぅ、全く困ったものだ。あ、それは俺の事か。

「夏樹っ。おおおーっ、どういう事だよっ。これはっ」  俺は思わず叫んでいた。これが叫ばずにいられようかっ。そう。そうだ。  なんでクリスマスイブ、それも誕生日にバイトせねばならんのだ。そうだっ、今日はク リスマスだ。誕生日なのだ。  いや、別に一緒にすごす奴なんかいないけど、せっかくの日くらい休みたいぜ。 「え。でも、どうせかずちゃん、家で寝てるだけでしょ。それならバイトした方がずっと いいよ。きっと楽しいよ」  夏樹の奴がにこやかに笑って告げる。  こいつさては自分も仕事だからって俺まで巻き添えにしたな。冬休みとはいえ、平日だ から本来仕事はないはずなのだ。スタッフは本来、土日と平日で分けられているのだから。 「ふむ、それもそうだな。遊園地でいちゃつくカップルを横目に、クリスマスムードたっ ぷりの中、働く方が楽しいにきまってるよな……って、んなわけあるかーっ。うぎゃーっ。 俺の誕生日返せーっ」  じたばたと暴れてみる。いや、暴れても無駄だって事はわかってんだけど。そもそもス ケジュールを決めたのは夏樹という訳でもないだろう。 「もう。かずちゃん。いまさらなんだから、観念しなよ。諦めなよ。はいはい、そんな訳 でがんばろうね。ふぁーいとっ」  夏樹は何がそんなに楽しいのか、にこにことした顔を向けていた。 「くそーっ。こーなったら、有原ネットワークを総動員してファンタジーランドの客を全 て野郎でうめつくしてやるっ。みてろよっ」 「わ。だめだよ。そんな事したら」  夏樹が大きく声をあげていた。俺なら本気でやりかねないと思ったんだろう。 「県内全ての彼女がいない高校生に情報を伝えて、もてない軍団を結成してやるーっ」  いや、それも悲しいけどさ。と内心思いながらも、とりあえず叫んでみる。  この心っ。寂しいクリスマスを毎年過ごしているもてない君なら良くわかってくれるに 違いない。  ちなみに俺は今まで彼女と二人で過ごすクリスマスなんて体験した事ないぞっ。いつも 家族か。せいぜい夏樹や他の友達と何人かで過ごすのが精一杯だ。  くぅぅぅ。  わびしい。  わびさびの境地とは、こんな気持ちをいうのだろうな。まったく。  ……違う気がもんのすごくするが。まぁ、みてみないふりをしておく。 「だめだめだめっ。そんな寂しい軍団作ったらだめーっ。遊園地は楽しく過ごすところな んだからっ、ね?」  夏樹が大声で叫んでいた。  元々、夏樹はうるさいところがあったが、こんなにムキになるのも珍しい。いや、俺な らやりかねないと思っているんだろうけど。 「わーったよ。バイトにいそしめばいいんだろ。バイトに。ああ、もう、楽しいなぁ」 「うん、それでいいの」  ふてくされた声で言う俺に、しかし夏樹はにこやかに微笑んでいる。  こいつもちょっとどっか感性ずれてるよなぁ、とか思いつつ人の事は言えないので口に はしない。  まぁ、でも確かに家でぐだぐだしていてももったいないのも事実か。バイトにぱーっと 精を出して、幸せ者どもを呪って。もとい祝ってやるか。  俺は仕方なく、控え室から外に出る。  空気がぴんと張り詰めている。寒っ。マジでマジで。いや、もう死ぬよ。この寒さは。  この寒さで風船うりまわるのやだなぁ。かといって暖房たく訳にもいかないしさ。いい な屋内アトラクションの奴らはーっ。  まだ遊園地は開園していない。しかしまもなく始まりのベルがなるだろう。  寒さに震えながらエンジンをかける。マスコンを上げて、スピードをだす。ま、やっぱ り歩いた方が早いけど。  ただ、そんな中、心のどこかでわくわくする気持ちを感じていた。なぜだろう。クリス マスだからだろうか。  恋人も何もいないけど、やっぱり特別な夜という気はする。  考えてみればクリスチャンでもないし、サンタクロースがいると信じてるほど子供でも ないけども。  でもやっぱりクリスマスって、街中が緑と赤と黄色に包まれて、全てがクリスマス一色 に染まるって感じで。  どこかやっぱり特別な気がする。  ハロウィンとかも最近は日本でもやるようになってるけど、クリスマスとはやっぱり違 う。誰も彼もが気にかけるなんて事はないから。  なんだかそう思っているうちに気分がよくなってくる。  まぁ、いいか。たまにはキューピット役でも。夏樹だって一人なんだしな。  そういえば、いるのかな。今日も。冬休みだし。  ふと俺は思う。菜摘とくるみの二人。  あの二人は今日もここにいるのだろうな。なんだか胸がきゅんと痛む。  でも、まぁせっかくのイブだしな。きてるんなら楽しんでいってくれたらいい。  俺はそう思って、警報を鳴らす。ぽぽーっ、と電車が甲高い音を立てる。  そろそろファンタジーランドの一日が始まる。さて、今日も一日がんばらないとな。  るるるー、と音楽が奏で始める。  正門の扉が開く合図だ。  わぁっ、と向こうから歓声が響く。開園をいまかいまかと待ちわびていた人達がやって きたのだ。  今日はクリスマスイブ。そして冬休みも始まっている。きっとお客も多いだろうなー。  さ、がんばるかっ。  俺はぎゅっと手を握りしめて、もういちどぽっぽーっと警笛を鳴らしてみた。  時間がしばし流れる。  菜摘は、いつものように。だけどこの頃にはなく、ベンチに腰掛けていた。くるみの姿 が無いからだ。  どうしてくるみはここにいないんだろう。あれ以来、毎週のように現れていたのに。  菜摘はいま何を思ってここに座っているのだろう。くるみは現れず、ただここにいるだ けで。  他の誰にも姿が見えない少女と二人。何を思っていたのだろう。周りから一人ではしゃ いでいるんだと思われている事をきっと知っているのに。  抱いていたのは、悲しさだろうか。それとも喜びだっただろうか。  出会えた喜び。そして、一人でいる悲しみ。  それを誰とも共有する事も出来ず、ただそれでも確かに二人は笑っていた。  だけど、何か意味があるのだろうか。二人出会えた事に。  そして俺と夏樹の二人には、くるみの姿が見えた事は。  菜摘には不思議な力がある。前に話した時の台詞。他の誰がいったのなら信じられるも のではないが、彼女の事は不思議と信じられた。  他の人には見えないものが見える。  たとえば幽霊。たとえば妖精。  しかしそれは彼女を一人に変えただけなのだろう。容易に想像がついた。人には見えな いものが見えるという少女は、きっと気味悪がられただけ。彼女は冗談や気を引くために そう告げている訳ではないのだから。  その中で、菜摘は何を思っていたのだろう。  俺はいろいろと心の中に抱きながらも、だけど声はかけなかった。今は声をかけてはい けない気がした。もちろん仕事中だという事もある。  悲しい瞳をしていた。寂しそうな顔をしている。  でも今、声をかけていいのは自分じゃない。  なぜか強くそう思った。  そして、時間が流れた。  遊園地は彩りを増して、夜の中に煌びやかな光を放つ。だけど、くるみは現れなかった。 菜摘はまだそこに腰掛けたまま。恐らく何度かはトイレに席をたったり食事をしたりくら いはしていたのだろうが、それ以外の時間はきっとずっと。ここに座り続けていたに違い ない。  クリスマスイブの遊園地は、いつもより遅い時間まで開いている。  だけど、俺は今日はもう仕事は終わりだ。  いまは着替えも済んでいて遊園地のスタッフじゃない。  ……だからという訳でもないけど。  俺はそっと菜摘の隣に座った。何も言わずに。静かに腰掛ける。  菜摘も何も答えない。でも俺はそこにずっと座っていた。  そのとき、ひらと頬に何が触れる。冷たっ、と内心呟いて、俺は思わず頬を抑えて頭上 を見上げる。 「雪、か」  いつのまにか雪がひらひらと舞い降りていた。道理で寒い訳だと思う。 「ホワイトクリスマスだね」  不意に菜摘が声を漏らしていた。俺は菜摘へと振り返る。 「そうだな。十六年生きてきて初めてだな、ホワイトクリスマスってのはさ。誕生日に降 る初雪っていうのも、洒落たもんかもな」  俺は空を見上げて、大きく手を広げてみる。  クリスマスカラーに染まったこの遊園地。こうしているのもいいものかもな、とふと思 う。  ここに、夏樹がいたらもっと楽しいかもしれないけどさ、と不意に思って。あれ、と首 を傾げる。  別にここには菜摘がいて、つまり可愛い女の子と二人きりなんだから別に夏樹がいる必 要なんてどこにもないのに。 「あ、和希くん誕生日なんだ。おめでとう」  菜摘が優しく微笑む。  その言葉に不意に現実に引き戻されて、ああ菜摘はこんな笑顔も出来るんだな、と思う。  どこか胸が切なくなった。  彼女が探している少女をみつけてやろうと、そう感じていた。 「いこう」 「え?」  突然の俺の台詞に、菜摘が驚きの声を上げる。だけど俺は構わずに、菜摘の手をとって 彼女を立ち上がらせる。 「きゃっ」 「ここでじっとしてても始まらない。いこう探しに。きっとくるみは、この遊園地のどこ かで待ってる。俺達がくるのを」  根拠も何もない台詞だったが、それでも言わずには言われなかった。  ここでじっとしていても、きっとくるみはこない。あらわれない。そんな気がしていた。 根拠なんかないけど、俺はなぜか確信していた。待っていたら駄目だと。探しに行かない と、自分自身でみつけないと駄目なのだと。  しんしんと雪も降り積もる中、じっとしている菜摘をみていたくないっていうのもあっ た。  この雪はホワイトクリスマスなんだ。ロマンティックな雪のはずなんだ。寂しい雪にな んてしていいはずがない。  俺はまっすぐに菜摘を見つめる。  しばらくの間、菜摘は躊躇していたようだったけども。それでも、やがて、「うん」と 小さく頷いた。  探しに行こう。  クリスマスの日の夢を。
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