遊園地のディドリーム (01)
一.有原和希。始まり。

「さてっ、いくか」
 さっと自転車にまたがり、ちらりと腕時計へと目を移す。八時四十五分。お、まだまだ
余裕だな。
 よーっし、と俺は自転車のペダルをぐっと踏み込む。一気に加速させるとばかりに力を
入れた。
 その瞬間。
 うおぅ?
 きゅきゅっとタイヤが滑る音が響いて、がくんっと前につんのめった。な、なんだ、一
体? 何が起こった。
「もうっ、かずちゃん。どこにいこうとしているの」
 聞こえた声にくるっと振り返る。そこには見慣れた顔の女の子が一人、荷台を両手で引っ
張っていた。そのせいで前に進まなかったんだな、これは。
「なんだ。夏樹か」
 いつもかわらない幼なじみの顔に、俺はつまらなそうに呟く。
 なんつーか、いつも通りの膝丈よりやや長いスカートにブラウス姿。もう少し、違う格
好はないんかね、と思う。
 ま、可愛いかと聞かれれば誰も「そうではない」とは言わないと思うけどさ。俺にとっ
ては見飽きた顔なんだよね。
 とりあえず再びペダルを踏み込む。
「わ。わわっ、かずちゃん。なにするの」
 夏樹がすっと肩よりも伸びた長い髪を揺らす。はぁはぁっと息を荒げながら、それでも
必死で自転車を押さえつけていた。
 なんか必死だなー。うんうん。がんばれよ、夏樹。
 って、人ごとみたいだな、俺。
「何って。みての通り、今日はいい天気だから釣りにでも行こうかと思って」
 背中の釣り竿を指し示す。
 よし、説明は終わった。さぁ、いくか。
 ペダルを思いっきり踏み込む。
 必死で抑えていた夏樹もそれには耐えられずに、思わずたたらを踏んでいた。ちょっと
間抜けな姿だ。
「わわわ。もう、かずちゃん。ちがうでしょ。今日からかずちゃんはうちで働くんだよ、
バイトだよ」
 夏樹が必死で言い募っている。
 おー、おー。一生懸命、足で踏ん張ってるな。何が何でも止めるつもりか。
 じゃ、よし。
 俺は、ぴたりと力を入れるのをやめる。
 その瞬間、急に抵抗がなくなったせいだろう、夏樹はきゃっと小さな声を響かせて軽く
尻餅をついた。
「何やってんだ、夏樹。一人で」
 何も知りません、という顔で訊ねかけてみる。
「もうっ、違うよ。かずちゃんが急に力を抜くからでしょ」
 ちょうどいわゆる体操座りのような格好でぺたんと座り込んだまま、呆れ顔でじっと睨
んでいた。立ち上がらないは、抗議の印なのだろう。
 うむ、ちょっとばかりやりすぎたかもしれない。反省しよう。いまだけだけどっ。
「はぁ、かずちゃんはどうしていつもそうかな。でも、だめだからね。かずちゃんは今日
からうちで働くんだよ、バイトだよ」
 必死で言い募る夏樹に、ふぅと軽く溜息をついて自転車から降りる。
 背負っていた釣り道具をぽんと門の中へと放り込んで、自転車を反対方向に向けた。
「わーったよ。しゃーない。お前だけじゃなくておじさんにも迷惑を掛けるしな。行って
やるよ、行けばいいんだろ」
 言い放った瞬間、ほっと夏樹が息をついているのが見えた。少しは安心したのだろうか。
 たく、世話が焼けるぜ。
「そうそう。それでいいんだよ、かずちゃん。まったくもう、世話が焼けるんだから」
 あ。言われた。やっぱ、普通に考えるとそうか。このバイトだって、夏樹に世話しても
らったんだしな。
 って、いうか。半強制的にやらされてるんだけどなっ。夏樹の奴、せっかくの高校生活
なんだから、何もしないでふらふらしてたら勿体ないよ、とかいいやがって。
 ああ、貴重な土日が奪われていく。
 そうこう言ってる内に、夏樹は満足そうな顔で立ち上がっていた。
 どうも夏樹の奴は、俺の事を弟か何かだと勘違いしているんじゃないだろーか。いちい
ちいちいち、うるさいんだよな。
 うむ、ここは一つ威厳を見せなくてはなるまい。ちょっとからかってやろう。
「しかしあれだな」
「あれって、なに?」
 夏樹が、俺の言葉にいちいち相づちを入れてくる。
 素直なのは夏樹の美点の一つだ。だからからかい甲斐もあるんだが。
「お前、たまには白以外もはいた方がいいぞ」
 俺が告げた瞬間。夏樹は慌ててスカートを抑えて、それから真っ赤に顔を染める。
 うむ、期待通りの反応だ。お、そろそろくるか。いつもの奴が。
「もうっ、かずちゃんのばかーっ」
 夏樹が力の限り、叫び声を上げて右ストレートを繰り出していた。

「かずちゃん、わかった?」  夏樹は俺の顔をじーっと見つめると、不安げな顔を浮かべていた。  全く、心配性だな。夏樹の奴は。 「おう。まかせとけって」  胸とどんっと叩いて見せる。控え室の中に大きく音が響き渡った。ような気がする。 「はぁ。かずちゃんのまかせとけは信用できないんだよね」  夏樹はあからさまに信用していない様子で溜息をつく。  心外だな。まったく。 「大丈夫だって。俺の持ち場は矢が降りトラップが襲う死と恐怖のアトラクション。デッ トリー・アドベンチャーだろ? よっし、まかせとけって!」 「わ。かずちゃん、うちにそんな怖いアトラクションないよ」  部屋から駆けだそうとする俺に、慌てて夏樹が引き留めて服の裾を掴む。びょーんとセー ターが長く伸びていた。  あぁっ、俺の一張羅のセーターがっ。ウニクロで九八〇円だったけどっ。 「服が伸びるだろーがっ。冗談だって。心配すんなよ」 「でも、かずちゃん。私が引き留めなかったら、ホントにそのままいっちゃうでしょ?  絶対。間違いなく。必ず!」  眉を寄せて怖い顔で一つ。思いっきり強調されていた。  ち、ばれてる。これだから、幼なじみって奴はやりづらい。  俺はぶつぶつ口の中で呟きながらも、諦めて席に着き直す。 「もう。かずちゃんはいつもそうなんだから。いい? もういちど説明するからね。これ が『ファンタジックランド』の見取り図。大きくわけて四つのエリアがあるんだよ」  夏樹が、今いる遊園地『ファンタジックランド』のパンフレットをテーブルの上に広げ ている。  今更そんな事きかなくても、何度も来たことあるから重々承知しているんだけどな。  ファンタジックランドは県内唯一の大型レジャー施設だ。夢と希望と冒険がテーマの、 ジェットコースターあり、お化け屋敷あり、家族連れを狙ったミニアトラクションもあり の、いってみればごくごく普通の遊園地だ。少しアトラクションにテーマ性が強いのが特 徴だろうか。  俺達は幼い頃にはよくここのお世話になった。家から近いという事もあるが、何よりこ の遊園地のオーナーが夏樹の父親だから、という事がある。  おかげで幼い頃は殆どフリーパス状態。従って散々遊び倒して来たわけで、この遊園地 の事で知らない事は無い。女子トイレとか以外は。ま、知ってたら怖いけどっ。 「もう、ちゃんと聞いてる? 聞いてないよね? どーしてこうかな、かずちゃんは」  夏樹が呆れ顔で呟く。少し顔がマジになってきている。  おっとちょっと物思いが過ぎたみたいだ。まぁでもまさかここで働く事になろうとは夢 にも思わなかったからなぁ。 「大丈夫だって。俺はあれだろ。園内をほっつき歩いて、風船を売って回ればいいんだろ」  実は夏樹の説明は全く聞いていなかったんだけどっ。ま、それくらいの事は先程のおじ さんの説明で理解しているし。かんぺきかんぺき、ばんけーきって感じだ。  うわ、我ながらつまんねぇ。 「うん。そうだけど。心配だよ。心配。ほんっとに心配。ついていってあげたいところだ けど、私も持ち場あるし。はぁ、心配」  夏樹が、不安げな顔でじっと俺を眺めていた。かなり心配を繰り返していた。ったく心 配性な奴だな。 「いい? かずちゃん。ちゃんと笑顔で受け答えするんだよ。あ、おつりを間違えないで ね。二千円札と五千円札は似てるから注意するんだよ。あ、ビジターと喧嘩したりしちゃ だめだからね。それから他のスタッフの人と会ったらちゃんと挨拶するんだよ。えっと、 それと」 「わかってるって」  いろいろと細々と言い続ける夏樹の言葉を遮る。  夏樹はまだ「ほんとに大丈夫かな、心配だな。かずちゃんだし」と口の中で呟いていた が、とりあえず気にしない事にする。  ってか、その「かずちゃんだし」ってなんだよ。俺はそんなに大した事はしてないぞ。 まったく、夏樹は俺をどんな目で見ているんだよ。 「心配すんなって。別に俺だっていつも問題を起こしている訳じゃない。この間だって、 クラスで喧嘩が起こった時には見事仲裁してみせただろ」  自信満々に言い放つ。 「でも、かわりにかずちゃん、二人に追われてたよね。いきなり水ぶっかけて『うるさい、 喧嘩ならよそでやってこい』とか言ったら誰でも怒ると思うよ」  夏樹が呆れ顔で溜息をつく。どうやらあの時の事を思い出しているらしい。 「そうかな、俺はいいアイディアだと思ったんだけどなぁ」  次からはチョークの粉とかにするか、と口の中で呟く。 「はぁ。余計怒ると思うよ、それ」  しっかり聞いていたらしく、めざとく突っ込みが入った。くぅっ。 「だってかずちゃん、思ってる事、殆ど口に出してるし。わかりやすいよね。すごく、とっ ても」  きっぱり言い切られてしまう。  くぅっ。まだまだ修行が足りないという事か。フォースか、フォースだなっ。そして手 先をアップ、ダウンだ。  しかしあれだな。俺はよほど夏樹に信頼されていないらしいな。  まぁ、夏樹は小さい頃から散々いじめてきたし、当然っちゃ当然かもしれない。よく今 でもつき合いが続いているもんだ。 「とにかくがんばってね。時給はちょっと安いから不満もあるかもしれないけど」  ちょっと顔を伏せて、上目遣いで夏樹が俺の顔を覗き込んだ。  確かにちょっと時給は安いが夏樹のおじさんには散々世話になってるし、そこに不満は ない。聞けば夏樹の奴は殆ど給料もらってないらしいし。  夏樹は自主的に手伝っているらしいが、あの子煩悩なおじさんが夏樹に働いてもらって いるくらいなのだから、たぶんこの不況で経営も苦しいんだろう。  このファンタジックランドは俺にとっても思い出深い場所だ。多少なりとも手伝えるな ら、俺だって力を貸したいとは思う。 「ま、ぶらぶらしてるよりはマシかもしんないしな」  しかし俺はそんな内心を告げる事もなく、簡単に呟く。んな事いったら恥ずかしいし、 夏樹の奴を調子づかせるだけだしな。 「うん、ありがと。かずちゃん」  しかし夏樹はそんな内心を知ってか知らずか、満面の笑顔を返していた。  結局、俺はなんだかんだいっても夏樹のこの顔に弱いのかもしれない。 「そーいや、お前の持ち場はどこなんだよ」  さりげなく話題を変えてみる。  考えてみると一度も聞いた事がなかったし、俺の仕事はあちこちを練り歩くから、近く を通る事もあるだろうしな。知っているに越した事はないだろう。 「私の持ち場は、ハンプティ・ダンプティ・パーティだよ」  夏樹の言葉にちょっと頭を捻る。そんなアトラクションあったっけか。  と、不意にぴんと頭に浮かぶ。そういえばこの秋からアトラクションがいろいろ増えた んだったな。 「ああ、あれか。変なタマゴがテーマのアトラクションだろ。英語の授業で、謎の歌を教 えられたよな。たしかマザーグースだっけ?」  壁の上に座るタマゴ伯爵が落っこちて割れて死ぬとかいうシュールな歌だった、と思う。 英語は嫌いだったが、妙に覚えているのもそのせいだろう。 「うん、それだよ。うちのアトラクションはマザーグースっていうよりは、不思議の国の アリスがテーマだけどね。あ、ハンプティ・ダンプティは正確には鏡の国のアリスに登場 するんだけど」  夏樹の台詞に、ふうんととりあえず頷く。  あんまりその辺の事には興味がないし、ま、アトラクション自体も確か基本的に親子連 れやカップルを狙ったものなので利用する機会もないな、これは。 「とにかく、近くを通ったら声かけてね。絶対だよ、必ずだよ?」  夏樹はにこやかに微笑むと、それからすっと立ち上がる。 「そろそろ私も行かないと。かずちゃんも、ちゃんと制服に着替えてね。バルーン・ベン ダーの制服はこれだからね」  夏樹はテーブルの片隅においてある袋を指さす。あれが俺の制服らしい。  俺の担当するアトラクション。バルーン・ベンダーはその名の通り風船を売って回るの だ。  風船を作る機械の載せてある列車に乗りながらゆっくりと進む。ただ風船を売るだけで なくて、時々汽笛を鳴らしたり、口上を言ったりしなくてはならない。大変な仕事だ。  ……たぶんね。  まぁ、見方によってはこの遊園地の中で、清掃に続いて簡単な仕事と言う気もしなくは ない。通常の清掃は閉園後にスタッフ全員で行うから、実質的に一番簡単な仕事かもしれ ない。  くそ、夏樹の奴。やっぱり俺の事信用していないな。
Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない  読む価値なし


★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!