鏡の国に戦慄を (24)
「わかった。つまり聖くんや七瀬ちゃんが生き返ればいいんだね」
「え!?」
 佐由理の言葉に思わず巧は声を漏らしていた。
 佐由理の理解の仕方自体も不思議には感じていた。しかしそれ以上に聖や七瀬が生き返
ればいいという、そのひと言に期待してしまっていた。
「出来るのか!?」
「もちろんだよ。普通はセッション中に死んでしまったら、セッションが終わるまで生き
返る事はないけど。GMだけは特別な術式を使う事か出来るんだ。それによってうまくミッ
ションを盛り上げたり出来るようにね。ほら、だからいま二人をよびもどすよ」
 佐由理はそうすれば巧が一緒にいられると理解したのか、にこやかな表情を浮かべてい
た。
 そして高らかに聞いた事のない術式を唱える。
「リザレクション!」
 そうして唱えた呪文と共に、ぱぁっと鈍い光が放たれる。
 そしてその光は次第に収束していき、その中心部からは聖と七瀬の姿が現れていた。
「古川! 聖!」
 思わず二人の名前を呼んでかけよっていく。
 確かに姿を現して、二人はそこに立っている。
 しかし巧の呼びかけにも全く反応はしない。
 確かに二人は生き返っている。いや生き返っているように見えた。
 だけど聖も七瀬も、ただそこにあるだけで、意志のある瞳を浮かべては居なかった。
「古川! しっかり、しっかりしろ! 聖、どうしたんだよ。何か喋ってくれよ」
 巧は必死で呼びかけるが返答はない。
 それでも何度も何度も呼びかける。側によって肩を掴んでは揺らしてみたりもしていた。
 しかし二人はぴくりとも反応を示さなかった。
「聖! 古川! しっかりしてくれ。なんとか言ってくれよ」
 巧の叫びはしかし届かない。
 そして二人の代わりに答えたのは、佐由理の声だった。
「ん。無理だと思うよ。二人とも中の人がいないもの。あ、でも大丈夫。私が指示すれば
ちゃんと動くからね。みてて」
 佐由理は楽しそうに指を立てて七瀬に向かって振るう。
 同時に七瀬が指を動きにあわせて、くるりとその場で一回転してみせていた。
「ね。ちゃんと二人も生き返ったよ。だからだから一緒にいられるよね」
 佐由理の言葉にはまるで邪気が無かった。
 本当にこれで大丈夫だと心から思っているとしか思えない。
 もともとがゲームのキャラクターである佐由理には本当の命と言うものが、どういう物
なのか理解出来ていないのだろう。
「そうじゃない。そうじゃないんだ。形だけ戻っても仕方ないんだ」
 ゲームの中のキャラクターとしては、二人は確かによみがえったのかもしれない。
 しかし物言わぬ体があるだけでは、生き返ったとは言えない。
 功が戻ってきて欲しいのは、現実の二人なのだ。功が望むのは二人の姿形ではない。そ
こに魂がなければ、命があるとは言えない。
 だけど佐由理には理解出来ないのだろう。
 どんなに人のように振る舞おうとも、佐由理は人ではない。
「でも二人はちゃんと生き返ったよ。ほら、だってここにいるもの」
 佐由理は不思議なものをみるかのような顔で、功と二人を交互に見渡していた。
 ゲームの世界の住人である佐由理にとっては、こうしてキャラクターの姿がある事が命
なのだろう。
 でももちろん功にとっては違う。
「彼等には魂がない。魂がなけれぱ命があるとは言えないんだよ」
「でも、ここにいるもの。ちゃんと私と同じで存在してる」
 佐由理はやはり功の言う事を理解出来ないのだろう。魂がどういうものなのか、彼女は
知らないのだ。
「そうだな。確かにここにいる。でもこれじゃあただの抜け殻だ。佐由理さんにはわから
ないかもしれないが、心が、魂がなければ生きていないのと同じ事だ」
 功はゆっくりと呟いて首を大きく振るう。
「心……魂……」
 佐由理は功の言葉を繰り返して、それから自分の手のひらを見つめていた。
 すぐに功へと顔を向けて、だけど何も言わずにただ何かを訴えかけている。
 そして今度は七瀬と聖の二人へと振り返る。
 もちろん彼女達は何も言わない。ただそこにじっと立っているだけだ。
 佐由理が指先を動かすと、彼女達はその指示に従って動く。だけど佐由理が指先を止め
ると同時に、彼等はぴたりと動きを止めていた。
「わからない。功くん、わかんないよ。その二人には心がない。魂がないんだよね。でも、
ならきっと功くんにはあるんだね。功くんには心がある。だから生きている。でも二人に
はないから、ここにいても生きていない」
 繰り返すようにそう呟いて、それから佐由理は功をじっと見つめる。
「ならきっと魔物やショップの店員も生きてはいないんだね。ここにいるかもしれないけ
ど、生きている訳じゃない。魂がないから。彼等は心なんて持っていないから。だから生
きていないから、人間は彼等を殺せるんだ。そもそも人間は誰も殺しているつもりがなかっ
たんだ」
 佐由理の目の端にわずかに水滴が浮かんでいた。
 人間からの自分達ゲームのキャラクターの扱いを知って嘆いているのだろうか。それと
ももっと異なる理由だったのだろうか。それは功にはわからない。
 ただ佐由理が今にも泣き出しそうなほどに涙をため込んでいる事だけは見て取れる。佐
由理は功の言葉に強い衝撃を受けたに違いない。
「そうだな。それがゲームだから。ゲームは楽しくあるものだから。罪の意識を背負わな
ければプレイできないゲームではあっちゃいけないと俺は思う」
 だけど功は偽らずに自分の想いを答える。
「そうじゃないと、ゲームがゲームである意味はないだろ。ゲームはプレイヤーを楽しま
せるのが一番の目的なんだから」
 功は佐由理に対してどう振る舞うべきなのか、本当は答えを出し損ねていた。
 ゲームの世界の住人だと語る彼女。信じがたかったけれど、恐らくそれは嘘ではないの
だろう。
 そもそもすでにいくつもの信じられない事態に巻き込まれていた。今更そこを疑ってみ
ても仕方がないと功は思う。
 しかしだとすると佐由理はゲームの世界の人間なのだ。その相手を現実の人間と全く同
じに扱うべきなのか、そうでないのか。それは功には答えが出せなかった。
 だから功の思うゲームのあるべき姿を語る。それ以外には功には思いつかなかった。こ
うであるべきだと、ゲームマスターでもある彼女に訴えかけるしかない。
 本当は張り裂けそうなほどに胸が痛む。
 聖や七瀬を失っていた。
 それは古川の乱暴な態度も、でもその割に時折浮かべていたどこか寂しげな表情ももう
眺める事は出来ない。
 それを思うだけで、功は今にもはき出しそうな思いにかられていた。
 だけど今すべき事は、佐由理と向き合う事だと功は思う。
 功は決して強くはない。
 ただ功は好きだったから、功はまっすぐに向き合っていた。
 ゲームが好きだった。この世界で知り合った聖や七瀬や、それ以外の皆も好きだった。
 現実の世界も好きだった。
 時には辛い事も悲しい事もあるけれど、かけがえのない毎日を過ごす事が出来る。
 古川の事も好きだった。
 何かとつっかかってきてつまらない言い合いをする事も多かったけれど、でも彼女とは
いつの間にかよく一緒に喋っている事が多かった。
 乱暴なところはあったけれど、でも彼女の言う事はいつも正しかった。そして彼女はい
つもまっすぐに向かい合ってくる。
 そんな古川の事が好きだった。
 だから、ゲームの世界と現実が重なり合ってしまったりしてはいけない。
 ゲームはゲーム、現実は現実なのだ。
 それを合わせてしまえば、悲しさしか生まない。
 楽しいゲームは現実の辛さや悲しみを忘れさせてくれる。だからこそまた現実でがんば
れる。ゲームにはそんな面だってある。
 ゲームではしたいことができる。
 ゲームの世界ではハメを外す事だって、出来なくはない。PK等の行為もそれに当たる
だろう。
 でもゲームの世界の理屈を現実に持ち込んではいけない。そうした時に二つの世界は狂っ
てしまうだろう。
 現実で罪を犯した人がゲームの影響を受けた等と言われる時もある。
 功にはその真贋はわからない。しかしゲームはあくまでも楽しむ為にある。現実では出
来ない体験をさせてくれて、現実と切り離される事でストレスを発散させてくれるものだ。
 そうでなければならない。
 現実とゲームとが重なり合う。そんな事はあってはいけない。
 功はだからいくつもある好きを守りたいから、佐由理に思いを投げかけていた。
「そう……なのかもしれない。お父様はいってた。みんなに楽しんでもらいたいって。こ
のゲームで沢山の人が楽しいと思ってもらいたいってそう言ってた。だからそうなのかも
しれない」
 佐由理はもう今にも爆発しそうなほど顔を歪まして、でも功をじっと見つめていた。
 何かに耐えるようにときおり目を強くつむり、歯を食いしばる。
 その都度、いくつもの涙が彼女の頬を伝っていた。
「でも、じゃあ、じゃあ私はどうなの。私には命があるの? 私には心があるの? 心っ
て、魂っていったい何なの。私にはわからない、わからないよ!」
 佐由理は両手が顔を包み込んで抑える。
 大きく体ごと首を振るって、そして手を離して巧へと向き直る。
「わからない。わからないよ!!」
 言いながら佐由理は、手を空に向けて掲げる。
「風よ。雷となり全てを焼き尽くせ! 雷撃レベル7!」
 佐由理は突如術式を唱える。
 同時に空がカッと輝き、雷が巧めがけて降り注いでいた。
 慌てて巧は身をひねる。
 巧の目の前すれすれを稲光が穿つ。
 しかし直撃を避けても、ちりちりとしたらしびれるような感覚が身を包み込んでいた。
 この術を受ければ相当のダメージを受けるだろう。下手をすれば一撃で殺されてしまう
事も考えられた。
「くっ……村正!」
 巧は自分の刀を取り出して、一気に後方へと飛び退いていた。
 刀を使う巧からすれば、佐由理を倒すつもりであれば、距離を詰めた方が有利だ。逆に
佐由理は術を使う分、離れて戦う方が都合が良い。
 しかし敢えて距離をとったのは、術を避ける為の十分なスペースを作り出す事と、巧に
は佐由理と敵対する意志はなかったからだった。
 刀を取り出したのは、佐由理の放つ術を振り払うためだった。このゲームの世界では、
すでに何度か見せているように、そういった真似も可能だった。
「佐由理さんっ。やめろ。やめてくれ。俺は佐由理さんと争うつもりなんて無いんだ」
 巧はどうしたら良いのかわからなかった。
 だがこのまま何もせずに殺されてしまう訳にもいかない。
「わからない。わからないよ。巧くんが言う事なんて、全くわからない!」
 佐由理は言いながら再び術を放つ。
 雷撃が同時にいくつも地面へと落ちる。
 巧はその間隙をぬって避けるものの、このままではいつかは直撃を受けるだろう。
「でも私は作られたものだから。ゲームの世界の住人だから。だからきっと巧くんの言う
ような心なんてない。魂なんてわからない。でも、私だって。死にたくないよ……」
 攻撃の手を一度休めて、佐由理が再び顔を抑える。
 彼女も揺れているのだろう。
 どうしたら良いのか答えを出せずにいる。
「佐由理さんっ。俺は佐由理さんを殺す気なんてない。だって、佐由理さんには」
 巧が叫びを漏らす。佐由理へと伝えたい気持ちがあった。
 だけどその声が届く直前に、佐由理の声と爆音が巧の言葉を打ち消していた。
「だから、だから。タカヒロと二人で、私はもう一度やりなおすんだ!」
 その声と同時に再び雷が降り注ぐ。
 雷撃は雨のように落ちて、殆ど避ける場所すらない。
「がぁぁっ!?」
 雷撃が巧の左腕を捕らえていた。
 激しい苦痛が巧の全身を包み込んでいた。
 しかしそれも一瞬のこと。左腕の感覚はすぐに失われていた。
 左腕はもはや全く動かない。
 駄目だ。佐由理さんはもう自分の想いだけでもう何も見えなくなっている。どうしたら
いい。どうしたら。
 巧は声には出さずに呟く。
 正確な時間はわからなかったけれど、セッションの時間はもうすぐ終わりを告げるはず
だった。
 こうなれば七瀬の弟だけでも救い出して、逃げるしかないのか。そう思い、巧の心が大
きく揺れる。
 目の前に聖と七瀬が立っている。
 全く身動き一つしないけれど、二人をこのままここに残してはいたくなかった。
 それでももう二人は動かない。
 今はもう佐由理の指示によって動く、NPCと代わりのない存在になってしまっている。
 それでも聖と七瀬の二人である事には偽りがなかった。
 二人を助けたかった。
 七瀬の弟も助けたかった。
 人の命は軽い物ではない。ゲームという娯楽の為にかけていいものではない。
「佐由理さん! やめてくれ! だって佐由理さんは仲間が殺されて悲しかったんだろう。
悔しかったんだろう。父親に褒められる事が嬉しかったんだろう。だったら、だったら心
があるじゃないか。俺達と何も変わらない。心がある者同士で殺し合ったって、悲しいだ
けじゃないか。俺は佐由理さんを殺したりしたくない。だからやめてくれ!」
 巧は必死で叫ぶ。
 佐由理はゲームの世界の住人であり、作られたキャラクターだ。
 しかし彼女には魂がある。
 皆と同じように悲しみ喜んでいた。家族を求めて、仲間や友達を求めていた。
 それは彼女に心があると言う事だった。
「私に……心がある……?」
 不意に佐由理は動きを止めて呟く。
 呆然とした表情を浮かべて、まっすぐに巧を見つめていた。
「あ……ああ。だって佐由理さんは家族や仲間を思っていたじゃないか。それは心が魂が
あるって事だと俺は思う」
 やや困惑した様子で巧は佐由理を見つめていた。
 佐由理の術は止まっている。
 そもそも佐由理の心はかなり混乱しきっている様で、あまり冷静な判断が出来ていると
は思いがたかった。
「私は、他のみんなとは違うの? 魔物や店員達や、みんなとは違うの?」
 佐由理は巧へとまっすぐに疑問を投げつけてきていた。
 しかしどこかひどくおびえているようにも思えたが、巧は佐由理が感じている気持ちに
は気が付けなかった。
「ああ。そうだと思う。佐由理さんは」
 声がうなずいて答えかけた。
 その瞬間だった。
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