鏡の国に戦慄を (23)
「すごいな。これならまるで本当に意志をもっているようだよ」
 プログラマーがざわめいた声を上げた。
 私は賞賛の声に鼻が高くなる。
 私の名前はSAYURI。今度発売される新しいゲームのキャラクターとして生み出さ
れた。
 彼等はつまり私の親なんだろうと思う。
 私はいつの間にか、この不思議な白い箱の中に生まれていた。
 声を出す事は出来ない。しかし画面を通じて、私の想いを吐露する事は出来た。
『ソレホドデモナイヨ』
 だからモニター越しに自分の考えをぶつける。
 その度にお父様は歓喜の声を上げていた。
 ただその事が嬉しくて、私はいくつも新しい言葉を記憶していった。
 始めは今ひとつうまく喋られなかったし、漢字も使えなかった。
 しかしお父様が喜ぶ姿をみたくて、もの凄いスピードで私は言葉を覚えていく。そして
時間が経つにされて、急速に私も成長していた。
 数ヶ月が過ぎる。
 その頃には私はもうほぼお父様達と同じレベルで話す事が出来るようになっていた。
 お父様は私が完成すれば、究極のゲームができあがると大喜びだった。
 そんなお父様の為に、私はまた新しい言葉を記憶していった。
『お父様。今日は何するの?』
 打ち出した言葉に、お父様が意気揚々と答える。
「そろそろお前一人って訳にもいかないからね。新しいキャラクターを作っていたんだ。
いうならばお前の弟だな。沢山家族を作るつもりなんだぞ。いつかはお前の恋人だって出
来るかもしれんなぁ」
 お父様は笑いながらモニターを見つめていた。
 その時はよくわからなかったけれど、お父様が楽しげに笑うのをみて、そうなればいい
なって私も思った。
「さぁ、いま息を吹き込む」
 言いながらお父様はエンターキーを叩き込んだ。
 しばらくしてモニター上に、年の頃は十三くらいの男の子の姿が映し出されていた。
『私の弟!? そうなんだ。ねぇねぇ、なんて名前なの。楽しみだな』
「名前か。考えてなかったが、そうだな。とりあえずTAKAHIROとでもしておくか。
ま。俺の名前なんだが」
 お父様はがははと笑いながら、しばらく画面をみつめていた。
 私も期待してタカヒロが話し始めるのを待つ。
 どきどきと胸が高鳴った。
 十秒たち、二十秒たち。
 しかしそれでも動き出さないタカヒロに、私はわずかに首を傾げる。
「あちゃ……失敗か。なかなかサユリみたいにはいかないな。つか俺の名前をつけたのが
いかんかったかな。ま。しょうがない。いったん設定をデリートしてもういちどデザイン
しなおすか」
 お父様はそう告げると、何やらかたかたとキーボードに打ち込んでいた。
 KILL TAKAHIRO。
 そのコマンドと共に画面上からタカヒロは消える。
 それと同時に私の中に何か不思議な感情が浮かび上がるのを覚えていた。
 しかし私はその気持ちが何なのか全くわからない。そんなプログラムはされていないか
らだ。
『タカヒロはいなくなったの?』
「ま、そういう事になるな。でもすぐに新しい家族を作ってやるから心配するな」
 お父様は大きく息を吐き出した後、モニターの前から立ち上がった。
「でもちっとショックだな。自分の名前をついたキャラが動かんって言うのは悲しいぜ」
 溜息混じりに告げながら、そのまま部屋を後にしていく。
 その時のお父様の言葉。
 それをきいて、初めて今抱えている感情が悲しいと言う気持ちだと私は気が付いた。
 そしてさらに時間が過ぎる。
「サユリ。とうとうお前をリリースする日がきたぞ。結局あれからお前の兄弟は出来なかっ
たけどな。何がいけなかったんだろうなぁ」
 お父様はぽりぽりと頭をかきながら、大きく溜息をもらす。
 結局私以外に意志を持つNPCは現れなかった。
 お父様曰く、私は特別な存在らしい。
 でも沢山の家族に囲まれている姿を私は見たかったなと始めは思った。
 しかし何度も何度も作られては消えていく家族達をみていると、私は生まれてこない方
が良かったとも思えた。
 ただそれでもお父様が喜んでくれるから、私は精一杯自分の役割を果たそうと思った。
「さてとだ。お前にはゲーム内でGMをやってもらうぞ。面白いだろ。NPCなのにGM。
っても、イベント要員だけどな。今度の公式リリース最初のセッション。山ん中で行うん
だけど、そこがお前の初めての出番だ。今まで連続ミッションの場合、実は今までもこっ
そりGMがパーティに混じったり、敵対したりとミッションを盛り上げる為に、いろいろ
細工していたわけだが、その役割をお前に任せる。いまのお前ならそれくらいは出来るは
ずだ」
 お父様は自信満々に答える。
 だから私も画面の中で頷いていた。
「よろしく頼むぞ。サユリ」
 お父様の声はとても嬉しそうだった。だから必死でつとめようと思った。
 でも私はこの後に後悔する事になる。
 この時。私は初めて知っていた。
 私とは少し異なる手順で生み出された沢山の仲間達がいる事は私も知っていた。
 しかし知らなかった事もあった。
 彼等はみんな人間に殺される為に生まれてきたのだ。
 私は激しく震えていた。
 そして叫んだ。
 私の世界を壊さないで、と。


「最初はそれだけで幸せだったの。でも生まれては殺されていく仲間達をみてて思った。
何かがおかしいって。どうして私達は人間の好き勝手に殺されなくちゃいけないの。私達
は殺される為に生まれてきたの」
 佐由理の声に、少しずつ重みが増されていた。
 声が次第に高く変わっていく。
 じっとりとした空気が辺りを包み込んでいる。
「でも私はそれでも役割を果たそうとした。お父様に喜んで貰う為に。でも、連続ミッショ
ンに選ばれたPCをみた時、私の理性は全て吹き飛んでいた」
 佐由理は声のトーンを上げて、そして笑う。
「タカヒロが帰ってきたってそう思った」
 佐由理がそこまで告げた時、やっと功の頭の中で全ての糸がつながっていた。
「タカヒロは私と一緒にいるの。私はもうもう二度とタカヒロを失わない」
 佐由理は顔を俯けて呟くように告げる。
「だから私はタカヒロをこの世界に連れて帰ったの。現実になんていることない。この世
界にいよう。私と一緒にいよう。私と一緒に暮らそう、そういったのに。でもタカヒロは」
 佐由理は両手で顔を押さえ、まるで耐えるように震えていた。
 数瞬の空白が埋まれる。
 しかしそのわずかな時間がまるで、永遠のように長く思えていた。
 だけどやがて佐由理は顔を上げて、かすかに口元に自嘲の笑みを浮かべると、小さく首
を振るっていた。
「そしてその時に初めて知ったの。私の持つ力はこの世界と現実とを混ぜ合わせる事が出
来る事を」
 佐由理の告げる言葉は、妄想だとしか思えなかっただろう。
 もしも現実で何も起きていないとすれば。
 しかし実際にゲームの世界は現実を浸食している。
 タカヒロは、七瀬の弟は、佐由理の手によってゲームの世界に連れて行かれてしまった。
 たまたま付けられた佐由理の弟と同じ名前だというだけの偶然の為に。
 そしてそこから佐由理は現実と仮想の区別がつかなくなったのだろう。
 ゲームの世界の中に生まれた少女は、現実をも侵すようになった。
 ゲームの世界にいるたった一人の孤独な少女は、ただ仲間と家族を思い外の世界を取り
込んでいた。
 馬鹿げた話だった。
 あり得ない話だとも功は思う。
 それでも目の前で起きている事は現実だった。
 目の前の少女によって、七瀬の弟は連れ去られ、ゲームの世界に消えてしまった。
「ただ私はセッション専用のキャラクターだったから、力を振るえるのはその瞬間だけで、
私が見えている範囲だけだけどね」
 佐由理はゆっくりと告げる。
「だから、せめてセッションの間はその力を使って私は復讐する事にしたの。私達の仲間
を殺しても何とも思わない人間達に。私達だって生きてる事を示す為にね」
 佐由理は言いながら、しかし自らを否定するように軽く首を振るった。
「でも、違った。ほんとの私の願いは、そういうのじゃ無かったって、巧くんをみててやっ
とわかったよ」
 巧をまっすぐにみつめて、そして少しだけ照れたようにうつむく。そしてやや上目遣い
で、巧の顔を伺っていた。
「ねぇ、功くん。私さ、ほんとは君の事、けっこう嫌いじゃないんだよ。君なら私の事、
わかってくれそうな気がしたんだ。だからどうかな。私と一緒にこの世界で暮らさない?」
「な……何を言ってるんだ」
 佐由理の唐突な提案に、思わず声を荒げる。
 しかし佐由理は巧の戸惑いがわからないのか、首を傾げて巧をじっとみつめていた。
「だって巧くんは出来るだけみんなを傷つけないようにしてた。私達の仲間だって、必要
以上に倒そうとはしなかった。だから巧くんなら一緒にいられる。楽しいって思えるよ。
だって、私はもう独りは嫌だもの。ね、だから巧くん。私と一緒にいよう」
 佐由理は両手を巧へ向けて差し出していた。
 その笑みにぞくりと背中が震える。
 佐由理はやはりゲームの中の住人なのかもしれないと不意に思う。
 彼女にもおそらくは感情はあるのだろう。寂しさや悲しみは知っているのだろうと巧は
思う。
 しかし感じた気持ちは巧の覚えた痛みと同じものではないのかもしれない。
 あるいはコンピュータから生み出された心だけに、割り切りが過ぎるのかもしれない。
 仲間の命を奪われた。
 そう感じたはずの彼女は、同じように巧の仲間の命を奪っていた。
 それ自体は彼女の復讐だと納得は出来なくても、理解する事は可能だった。巧が同じ立
場だったとしたら、もしかしたら同じ痛みを味わせてやると考えていたかもしれない。
 しかしその後に、例え理解してくれそうな相手だとわかっても、自分と一緒にいてほし
いとは口が裂けても言えなかっただろう。
 自分の大切なものを奪った相手から言われて、納得出来るとは思わないから。
 佐由理にはそうした配慮はない。それは彼女がゲームの世界で生まれたせいかもしれな
い。
 それを教えてくれる人がいなかったから。
 あるいは命が奪われる事が当たり前の世界で生まれたから。
 彼女はまだ本当の命の大切さは知らないのだろう。
 巧はゆっくりと首を振るう。
「……古川も聖もここで死んだ。どちらも俺の大切な仲間だった。佐由理さんの話をきけ
ば、こうなるように仕組んだのは佐由理さんなんだろ。古川の弟を奪ったのだって、佐由
理さんなんだろ。だったらきけない。きけるはずがない。だったら古川を、聖を返してく
れよ。あいつらを殺すようにしむけといて、虫の良いこと言うんじゃねぇ……」
 叫びだしたかった。
 今にでも叫んでめちゃくちゃにしてしまいたかった。
 だけど巧にはどうする事も出来なかった。
 佐由理に対して激しくわき上がる気持ちをぶつけてしまえれば、どんなに楽だろうとは
思う。
 怒りの矛先を向けて、叩きつけられれば、わずかばかりでも落ち着いたかもしれない。
 それでも巧には出来なかった。
 信じがたかったけれど、自身の言うとおり佐由理はゲームの世界にしかいない存在なの
かもしれない。
 誰かの生み出した人口頭脳に過ぎないのかもしれない。
 でも彼女の事をそんな風には見られなかった。
 わずかな間でも一緒にパーティを組んで、仲間として過ごしてきた。
 そんな彼女を単純に切り捨てて、気持ちをぶつけるなんて事は出来なかった。
 彼女はまだ沢山の言葉や気持ちを知らない。
 でも巧には自分と同じように魂を持つ、一人の人間としか思えなかった。
 だから物のように当たる事は出来なかった。
 しかし佐由理は巧の答えが理解できないのか、少しだけ首をかしげて、それからすぐに
人差し指をぴんと一本たてていた。
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