鏡の国に戦慄を (22)
「二対一か。素直に戦えば僕が不利かな」
 言いながらも、聖の声に焦りは感じられない。
 だが聖はそのまま影に姿を隠したままだ。
 いや、それは正しくはなかった。
 東京タワーの展望台はちょうど真ん中辺りにエレベータがあり、その周囲をぐるりと囲
むようにして通路が設置されている。
 しかし途中にはいくつかの細い道があり、中央をつっきるようにして反対側に出られる
ようになっている。
 聖はその影に飛び込み、そして聖達のいた後方へと回り込んでいた。
「巧くん、後ろっ」
 佐由理の声に慌てて振り向く。
 しかし聖の銃はすでに引き金を引かれた後だ。目前まで銃弾が迫っていた。
 巧は慌てて背中側へと倒れ込むと、頭上すれすれを弾が通り過ぎていく。
「ぐっ!?」
 しかしとっさの事で思い切り背中を打ち付けて、巧は思わず声を漏らす。
 だが聖は手を休めたりはしない。
 すぐに巧めがけて残りの銃弾を撃ち込んでいた。
「うお!?」
 そのまま体を左側に回転させて、床をごろごろと転がる。
 うまく柱の影に入り込んだところで、飛びあがるようにして身を起こした。
 向こう側で再びガガガッと鈍い音が響く。
 恐らく佐由理が術で聖を狙ったのだろう。
 だが展望台自体が円になっている上に、いくつか網の目のように通路が構成されている。
 聖はその特徴をうまく生かして、うまく死角をとって攻めてきていた。
 佐由理がいる為に、完全に背後をとられる事はなかったが、このままではいつかはかわ
しきれなくなるだろう。
 巧には聖を傷つける意図は無い上に、聖は飛び道具で巧は近接武器しかない。力づくで
止めるにしても、巧が近づく前に聖は姿を隠してしまう。
 ひとまず巧も柱の影に体を隠す。少なくともすぐにねらい打ちされない程度の時間を稼
ぎたかった。
 大きく深呼吸して、少し呼吸を整える。
 それからもういちど息を吸い込んで、それから大声で叫んでいた。
「聖っ。お前がクリア望んでいるのなら、他にも方法がある。俺がミッションを破棄すれ
ば競合する相手はいなくなるはずだ」
 これだけ大きな声であれば、姿を見せていない聖にも伝わっているだろう。
 実際本来であれば戦いに入る前に提案しようと考えていた方法だった。
 しかし折り悪く、銃を撃たれた状況に佐由理が出くわしてしまった為に、戦いになって
しまっていた。
 ただ聖が隠れたのと同じ様に巧も身を隠した事で、やっとこうして提案する余裕が生ま
れていた。
「……確かにその方法はあるね。でも君は未だにミッションを継続したままだ。破棄する
というのなら、先にそうしてもらいたいね」
 柱の影からか、聖の声が響く。
 先に破棄しろという聖の言い分だが、それで聖が刃を納めるのであれば、功にしても異
存がある訳ではない。それよりもこれ以上、無意味な争いをせずに済む方が重要なことだ。
「わかった。ミッションは破棄しよう。その代わり、お前がクリアした後でいいから、俺
の話をちゃんときいてくれないか」
 功は聖へと再び声を大にして告げる。
 功がしたいことは殺し合い等ではない。聖を傷つける事もしたくなかった。
 聖はある意味、一種の興奮状態にあるのだと功は考えていた。
 ミッションをクリアして落ち着いてしまえば、少しは話を聞き入れてくれるのではない
かと思う。
「話ね。ま、何の話かはわからないけど、それくらいの条件なら飲んでもいい。でもそれ
もまず君がミッションを破棄してからの事だけどね」
「わかった。約束だぜ。俺はこのミッションを破棄する」
 功は高らかにミッションの停止を宣言する。
 ゲーム内ではこれで請け負っていたミッションが終了し、自動的に失敗となる。それに
よって聖以外にこのミッションを請け負う人間がいなくなり、聖のクリアに支障はなくな
るはずだった。
「聞いただろ。俺のミッションはいま破棄した。だからもう俺とお前が争う必要なんてな
いし、クリアについては俺は邪魔はしない。だから終わった後は約束を守ってくれ」
「了解。僕もそれに異存はないよ」
 聖の声が聞こえたと思うと、柱の影から姿を現す。
 まだ銃を手にしたままではあったが、功の話は信用してくれたようだった。
「何にしても、まずはミッションクリアだね。話はそれから」
 聖は言いながら、飛行船へと続く入り口へと向かう。
 功がミッションを破棄した事で、封鎖していた見えない壁は崩れてしまっているはずだっ
た。今までのミッションと照らし合わせれば、まず間違いない。
 功も聖も二人ともその事は疑ってはいない。だから聖は何事もなく中へと向かおうとし
て。
 がん、と大きな音が響いた。
 見えない壁はまだ消えてはいない。
「な……。功。確かにミッションは破棄したんだろうね。まさか騙したのか」
 聖が慌てて功へと振り向いていた。
 しかし聖も確かに耳にしたように、功ははっきりとミッション破棄を宣言していた。聖
自身もそれがゆえに、信じられないような顔をして功を見つめている。
「バカ言え。俺にそんな器用な真似が出来る訳ないだろ。疑うならみろよ」
 功は自分の目の前に状態ウィンドウを表示させる。
 SF映画のように何もない空間に、功の状況を記した画面が表示されていた。
 その中にあるミッション状況の項目をみると、確かに功が請け負ったミッションは破棄
されていた。
「なら、なんで」
 聖が呟く。
 その瞬間だった。
 突如として風の刃が聖を包み込んでいた。
 ザンザンザンザンザンッと鈍い音が響く。
 同時に聖が何が起きたのかわからないと言った表情で、遠くを見つめていた。
 そこには、佐由理が一人立っていた。
 彼女はにこりと微笑むと、巧へと軽く手を振るっていた。
「な……なにが……」
 聖は呟いて、それでも銃を構える。
 いや構えようとして、しかし体がいう事をきかずに手から銃が離れる。
 床面からカンと音が響いて、聖の銃が転がっていく。
「佐由理さん、なんで!?」
 巧は目の前で笑っている佐由理に抗議の声を上げる。
 巧がミッション破棄して聖へと譲ろうとしていたのは聞こえていたはずだった。
 だからもはや聖を倒す必要なんてない。話し合いで片が付くはずであった。
 しかし佐由理は巧の思惑を全て無視して、聖へと風の術式を放っていた。
 いや思い返してみればおかしな部分は他にもある。
 その前に聖と出会った時。七瀬と出会った時。先に手を出してきたのは、佐由理の術だっ
た。
 いやそれどころか始めに出会ったとき、鬼に対して術を唱え、術が効かないと言い放っ
たのも考えてみればおかしい。
 まるで術がきかないから、ゆみに物理的な攻撃をしかけてくれとそそのかしていたよう
にも思える。
 それらはたまたま偶然が重なったのかもしれない。
 だとしても、いま聖に術を放ったのは、明らかに故意としか考えられなかった。
「だって巧くん、ミッション破棄しちゃうんだもの。そしたらこれ以上、二人が争う姿が
みられないし、つまんないじゃない」
 佐由理は優しげな微笑みを向けながら、くすくすっと笑い声を漏らした。
 静かな笑みは、しかしこの場にはふさわしくない。
「だからさ、私考えたんだよ。どうしたら巧くんが、また苦しむかなぁってね。それはた
ぶんお友達の死しかないのかな。だから、聖くんには悪いけれど死んでもらう事にしたん
だ」
 言いながら、佐由理は手を振るう。
 同時に再び聖の体に風の刃が襲いかかる。
「がぁぁぁぁぁぁ!?」
 聖が絶叫を漏らしていた。
 断末魔が辺りにこだまする。
「聖っ!? 佐由理さん、やめろ、やめてくれ!!」
 巧は必死で止めようとするが、どうしていいのかわからなかった。
 いや止める手段など、もはや無かった。
 聖はそのまま音もなく姿を消していく。
 あっという間に何も考える時間もなく、聖の命は失われていた。
 いとも簡単に人の命が消えていく。まるでおもしろがって虫を殺す子供のように、残酷
なまでにあっさりと命を奪う。
 ゲームの世界では良くあることではある。しかしそれは現実で起きて良い事ではない。
 だけど現実と重なり合っているこの世界でも、あっさりと人の命が奪われていく。
 巧の体が激しく震えていた。
 今まで感じてきた何よりも恐ろしかった。
 誰かの命を失うということが、これほどまでにあっけなく行われるだなんて、考えもし
ていなかった。
 なのに巧の前からいくつもの命が失われていく。
 その事が恐ろしくて仕方がなかった。
 巧はいつの間にか自分の頬に冷たいものが伝うのを感じていた。
 目の前が歪んで、はっきりとした形をとれない。
 涙があふれ出て止まらなかった。
 聖までもを失ってしまった事で、巧の中で必死で抑えていた何かが全て崩れ落ちてしまっ
ていた。
 それでも佐由理は、まるで動じる事はなく、ただ変わらずに優しい笑みを浮かべていた。
「なんで、なんでこんなことをする。佐由理さん、一体あんた何者なんだよ」
 目の前で微笑む佐由理に、巧は呆然としたまま問いかける事しか出来なかった。
 体中から全ての力が抜け落ちてしまっていた。もはや何を信じていいのかもわからずに、
胸の奥に激しい痛みを覚えていた。
「なぜって、面白いからだよ。人同士が殺し合ってる姿が面白いの。今まで私達はずっと
虐げられてきた。だから同じように人も苦しむべきじゃない。だから強いて言うなら、復
讐ってことかな」
 佐由理のにこやかに告げる。
 そしてすぐに人差し指を立てて、口元で軽く振るう。
「それで私が何者かって話だったね。そうね。簡単にいえば、私はこのゲームのGMかな。
GM、わかる? ゲームマスターのことだよ。このゲームの運営の全てを決める人。私は
制作者の一人なんだ。そして」
 佐由理は立てた人差し指をさっと巧へと向ける。
 同時に巧は体に激しい衝撃を感じて吹き飛ばされる。背中を窓ガラスに体を打ち付けて
は、強い痛みを覚えていた。
「この鏡面世界の、ゲームの世界で生まれた人格だよ。私はゲームの世界の住人って言う
訳」
 佐由理は言いながらもう一度微笑んでいた。
 佐由理の話す言葉が、巧にはまるで理解出来なかった。
 GMとは通常はゲームの運営者及び運営者の操る特殊なキャラクターの事を指す。
 オンラインゲームは人間同士が同時に遊ぶ為に、時にトラブルが起きる事もある。また
システム的な不具合が発生してしまう事もある。そうした時の対応を行う事が主な役割だ。
 また運営側の用意した特別なイベント等に参加したりする事もある。
 GMは運営側であるがゆえに他のPCには出来ない動作が出来たり、特殊な装備をして
いたり等が可能なようになっている。
 そこまでは巧にも理解出来る。
 しかしゲームの世界で生まれた人格と言うのは、何を意味しているのかまったく想像す
らもつかなかった。
「あ、やっぱりよくわかんないかな。つまりね。普通のGMはPC。中にちゃんと人がい
る訳ね。でも、私はノンプレイヤーキャラクター。NPCなんだ」
 佐由理は人差し指を立てて、顔の横で軽く振るう。
 だがその答えに、巧は余計に頭の中が混乱していた。
 NPCとはプレイヤーのいないキャラクター。つまりゲーム自体が用意した操る人のい
ないキャラクターの事を言う。
 例えばゲーム内の魔物は、プログラムに従って動いているだけである。だからNPCと
言える。
 またゲーム内の商店の店員等もあらかじめ決められた事しか出来ないゲームの用意した
キャラクターであり、NPCである。
 彼等は操る人間がいないから、必ず決められた通りの動作を繰り返す。もちろん中には
プログラムによって、かなり高度な受け答えをするNPCも存在するが、それとても決め
られた範囲以上の動作をする事は出来ない。
 だが目の前の佐由理は、ごく普通に会話し、冒険をしている。それが証拠に成り行きで
はあるが、今も功と共にパーティを組んでいる。
 そしてゲームを作り出した運営側の一人で、GMだと述べていた。
 どう考えてもきちんとした人格があるとしか思えない。NPCだなどと言うのは、悪い
冗談でしかないだろう。
 そう思う功に、佐由理は再び優しげに微笑む。
「ふふ。信じてないね。ま、いいけどね。でも私はゲームの世界で生まれた。そして私は
殆どの他のみんなと違い、始めから自我を持っていた。だから特別に扱われたわ」
 佐由理は言いながら空を見上げる。
 いや見ているのは空では無かった。その目はどこか遠い場所、あるいは遠い昔を見つめ
ている。
 そして佐由理の顔から、少しずつ笑みが消えていくことにも、功は気が付いていた。
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