鏡の国に戦慄を (21)
 エレベータはすぐに展望台へと巧の体を運ぶ。
 だが展望台の中は、巧が見知った風景とは全く異なっていた。
 とはいっても、大勢の魔物がたむろしているといったような事ではない。それどころか
意外な事に、魔物の姿は一匹たりとも見受けられなかった。
 もちろん先に来ているはずの聖が全て倒したという可能性もあるにはあるが、聖のプレ
イスタイルからすれば、むやみに闘う事はなく敵は放置して先を急ぐはずだった。
 変わっていたのは他でもない。窓の外に巨大な飛行船の姿があるからだ。見えるはずの
風景を、完全に視界からふさいでしまっている。
 変わりに窓の一部が壊されており、飛行船の内部へと続く架け橋が用意されていた。
「これは中にこいってことか」
 念のため辺りを見渡してみるが、飛行船の他には何も用意されてはいない。聖の姿もな
い。
 もちろん展望台の中はそれなりの広さがある為に、他の場所に何かがあるのかもしれな
い。
 しかしこれだけあからさまに用意されている舞台を、巧は無視する事は出来なかった。
「いってやろうじゃないかよっ」
 巧は刀を手にして、一気に飛行船の中へと乗り込んでいく。
 飛行船の内部はその巨大な図体と比べればかなり狭い。
 実際飛行船自体はガスの詰まった巨大な風船である。従って居住空間は殆どないに等し
い。
 だがそれでもかなりの人数が乗船できるであろう客室が大きく広がっていた。
 部屋は完全にがらりとした空間になっており、椅子等も用意されていない。
 しかし中央に一つだけ木製の椅子が据え付けられており、その椅子に縛り付けられた少
年が一人腰掛けていた。
「大丈夫か!?」
 慌てて声をかけて近づいていこうとする。
 しかしその部屋に入り込もうとした瞬間、何かに思い切り体を打ち付けていた。
「うお。なんだ!?」
 驚いて思わず手を伸ばす。
 すると何もないように見えた空間に、何やらガラスのような固い敷居が存在していた。
 しかしガラスであれば目をこらせば、そこにある事は明白であるが、その敷居は触れな
い限りはここにある事がまるで感じられない。
「なんだ、これ」
 呟いて思い切り手を打ち付けてみる。
 しかし手ははじき返されるばかりで、全く見えない壁には変化がない。それどころか打
ち付けたはずなのに、音すらも全く発せなかった。
「くそ。どうすりゃいいんだ」
 目の前に見える少年は、恐らくは七瀬の弟なのだろう。
 しかしここからでは背中側しか見えなかったが、かなり衰弱し痛めつけられているよう
にも思えた。
 巧は刀で見えない壁を斬りつけてみる。
 しかし弾力のある奇妙な感触が伝わってくるだけで、壁には全く変化が見られなかった。
もっとも全く目に映らないのだから、実際には何か変化があるのかもしれなかったが、そ
れを感じ取る事は出来ない。
 それでももう一度、刀を構えてみる。
 体重を載せて思い切り突き立ててみれば何か変わるかもしれない。そう巧は思い駆け出
そうとした、まさにその瞬間だった。
「無駄だよ。その壁は何をしても壊れない」
 背中からかけられた声に巧は振り向く。
 予想するまでもなく、そこに立っていたのは聖の姿であった。
「聖! お前っ……」
 思わず彼の名前を呼ぶ。
 だがその次に何を続ければいいのか、巧にはわからなかった。
 それゆえに一瞬、口ごもる。
 そして巧が何かを告げようとする前に、聖がいつもの通りの口調で話し始めていた。
「巧。君も最後のミッションは、やっぱりここにきたんだね。そうじゃないかとは思って
いたけれど、あまりにも予想通りだと拍子抜けするね」
 聖は淡々と続けると、それから両手を肩のあたりにて広げてみせる。
「違う。俺はお前を追ってきたんだ」
 だが巧は聖の誤りを指摘すると、刀を構えたままゆっくりと展望室の方まで戻る。
 聖の態度はいつもと変わらない。
 しかし聖自身はすでに巧の知っている聖とは違えてしまっている。いや、実際にそうで
あるのかはわからなかったけれど、少なくとも巧はそう感じていた。
「僕を追って? 意味がわからないね。何のために僕を追いかけるんだ。もしかして天文
娘の敵討ちだとかでも言うんじゃないだろうね。僕はPKを止めただけで、元はと言えば
彼女が悪いんじゃないか」
 聖は悪びれた様子もなく、両手を肩の前で広げてみせる。
 確かに聖の言う事は正論かもしれない。七瀬の行っていた行為はゲーム内では嫌がらせ
のようなもので、それを咎められたからと言って誰かに文句を言われるようなものではな
い。
 ただしそれはゲーム内だけで片づく問題だったとすればだ。
 現実とリンクしている以上、そう簡単に物事を割り切る事は出来なかった。少なくとも
巧にとってはそうだった。
 現実と照らし合わせれば、七瀬の行った事は殺人罪なのかもしれない。それは許される
事ではないだろう。
 ただ七瀬はそれが本当に命を奪う事につながるか確証を持っていた訳ではないし、弟を
人質にとられて脅されていたという事情もある。
 そして七瀬が現実に人を殺したのだとしても、それを捌くのは司法の仕事であって勝手
に殺してしまっていい訳でもない。
 逆に聖はこの世界が現実と重なり合っている事にはっきりと気が付いていた。七瀬を現
実でも殺す事になると知っていて、七瀬を殺した。
 ゲーム内では当然の行いだとしても、それは現実で許されざる行為ではない。
 しかしゲームはゲーム。現実は現実。本来はそう切り分けられるべき事で、聖はただそ
れを実行したに過ぎなかった。
 その事が本当に悪い事なのか、巧にはわからない。
 現実とゲームを重ね合わせて、一つにしてしまっている事が問題を複雑にしていた。
「聖。もうこんなゲームに踊らされるのはやめよう。ゲームはゲームであるべきなんだ。
ゲームは楽しむ為にするものじゃないか。でもこんな事していても楽しくない。苦しくて
悲しいだけじゃないか」
 巧は聖に向けて必死に訴えかける。
 どうしたらいいのかはわからない。しかし聖を止めなくてはいけないと思う。ただ聖の
何を止めればいいのかは、はっきりと形には出来なかった。
「そうかい。でも僕はいま十分に楽しいよ。連続ミッションも後一つだしね。ただその壁
をどうすれば壊せるのかわからなくてさ、ちょっと悩んでいるところだったのさ」
 聖は軽く微笑みをみせて、それから銃を手にしていた。
「でも巧、君がここにきた事でやっとわかったよ。恐らく君のミッションも、そこにいる
少年を助け出すことなんだろ。でも僕と君とはパーティが別になって、ミッションが異なっ
てしまった。だから助け出せるのは一人だけ。そういう事なんだとやっと理解出来たよ」
 聖は静かな口調で呟きながら、巧へと銃口を向ける。
「さぁ、巧。君も武器をかまえなよ。ミッションをクリアするには、奪い合うしかないん
だ」
 聖は銃口をぴったりと巧の額に向けている。
 もういつでも巧を撃つ準備はできあがっていた。
「……な。バカいうな。俺とお前で殺し合うって言う事かよ」
 巧は驚愕の表情を浮かべ、大きく首を振るう。
 背中にぞっと冷たいものが走った。
 聖は何をしようとしているのか、正直理解出来なかった。
「そうだよ。僕はこのミッションをクリアする。その為にずっと走ってきたんだ。君を倒
す事でしかクリアできないのだったら、そうするしかないよね」
 聖は静かに微笑むと、もういちど銃口を巧へと向ける。
「よせ。出来る訳ないだろ。俺は誰かと殺し合うなんて、そんな事はしたくないんだ」
 巧は慌てて制止しようとして手を前に差し出していたが、しかし聖は小さく首を振るっ
た。
「君がどう思おうと、僕は君を倒さなければならない。戦わないというのなら、それでも
いいよ。そうしたら僕が君を撃ち抜くだけの話だけどね」
 聖は呟いて、にこりと微笑む。
 同時に手にした銃の引き金を引いていた。
 激しい銃声が響く。
 だが銃弾は巧を捕らえる事なく、巧のすぐそばを通り過ぎていく。
 聖は本気だった。巧と戦う事を望んでいる。
 いや正確には受けたミッションをクリアする事を狙っているだけで、巧と戦いたい訳で
はない。ただその為には同じミッションを抱えた巧が邪魔になってしまい、排除するしか
ないという考えに及んでいるだけだ。
 聖が言っている事はまんざら間違いでもなく、ミッションでは時折そうした状況が現れ
る事があった。
 その場合には相手を力づくでも排除するか、ミッションクリアの意志を失わせる必要が
ある。そのパーティだけがミッションクリアを行える状況になった時に、初めて道が出来
る事もあった。
 巧は不意にその事を思いだして、そしてすぐに違う答えを導き出していた。
 二人で戦う必要なんてなかった。
 聖が望んでいる事はクリアする事で、だとすれば巧がクリアの意志を失ってしまえば良
かった。
 巧は恐らくは七瀬の弟であろう少年を助けたいと願っている。だからミッションクリア
する意図を失っていないとも言えた。
 しかし聖が助けるのであれば、あえて巧自身が救い出す必要はない。それならばミッショ
ンを破棄してしまえば、この場を丸く収まる。
 聖の暴走を止めたいとは思う。
 しかしその為に聖と戦うつもりはなかった。聖にしても現実に生きている人間なのだ。
ゲームの中の住人という訳ではない。
 もしも巧が聖を傷つけたとすれば、聖の命が失われてしまう。巧はこれ以上に誰かが死
ぬなんて事は起きて欲しくなかった。
「まて、それなら……」
 だから巧は止めようと声をかけようとした、その瞬間だった。
「風よ。舞い散る刃となれっ。風刃レベル7!」
 その声は高らかに響いた。
 同時に聖を包み込むように風の刃が襲いかかる。
 だが聖は慌てず斜め後ろへと飛び退くと、そのまま体を回転させて距離をとる。
「巧くん、大丈夫!?」
 響いた声は佐由理のものだった。いつの間にか追いかけてきていたらしい。
 聖は巧に向けて発砲していたし、さきほど聖が七瀬を倒したシーンを見ていた。巧が襲
われているのだと考えても不思議はない。
 しかし佐由理が術を放った事で、聖のスイッチも完全に入ってしまったようだった。
「開戦って訳だね。ならこっちも本気でいくよ」
 聖は勢いをつけて起きあがると、連続して引き金を引いていた。
 銃弾が巧めがけて襲いかかる。
「くっ……!? 村正っ」
 巧は仕方なく刀を構える。
 そしてすさまじい勢いで刀を振るうと、飛んできた銃弾を切り落とす。
 もちろん現実ではこのような事が出来るはずもなかったが、ゲーム内だからこそ現実に
は出来ない真似もして見せる事が出来た。
 本来であれば避ければ済む話なのだが、しかし背中には佐由理が立っている。下手に避
けてしまうと、佐由理が銃弾の餌食になってしまうかもしれない。
 それゆえに巧は銃弾を全てたたき落とすしかなかった。
「佐由理さん、どっかに隠れてくれ!」
 巧は慌てて言い放つが、しかし佐由理はその指示が聞こえていないのか、巧の方へと駆
け寄ってくる。
「巧くんを、放っておけないよ。彼は完全に貴方を狙ってる。なら私も戦うから」
 佐由理は言いながら、大きく手を空へと掲げる。
「風よ。舞い散る刃となれっ。風刃レベル7!」
 再び風刃を聖へと向かって投げつける。
 だが聖はすぐに身を翻し、柱の影へと飛び込んでいた。
 ガガガガッと鈍い音が響き、柱が風の刃にて斬りつけられる。
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