鏡の国に戦慄を (17)
「私がこのゲームを始めたのは、高広に弟に誘われてだったよ」
 七瀬は少し顔を俯けて、その場にて立ちつくす。
 佐由理が何が起きているのかわからずに、功へとすがるような視線を向けている。
 しかし功自身もどうしていいのか、判断をつけられずにいる。
 急に止まってしまった時間の中で、ただ七瀬の語りだけが辺りに響いていた。
「私は、いままでろくにゲームなんてした事なかったから、こんな風な世界があるだなん
て知らなかった。すごく楽しかった。高広とは交代交代でしか遊べなかったけれど、代わ
りに全く知らない人と知り合えて仲良く出来る。でもこの世界では誰も私の事を知らなかっ
た。いつも見られてる目とは全く違う風に思われていた。だからこんな世界なら、私はぜ
んぜん違う自分でもいられるんだって、そう思った」
 七瀬は言いながら、手にした杖を強く握りしめていた。
 しかし術を唱えようというのではない。ただ彼女は身近なものに、強い想いをぶつけて
いただけだ。
「それならって私はこの中では、普段の私と違う私でいる事にしたの。こんな風に出来た
らいいなって思う自分。私はゲームの事なんてわからなかったから、とんちんかんな事を
して、天然だとか天文だとか言われて。今までそんな事なかったから、それがすごく嬉し
くて、口では文句を言いながらも、楽しかった。そう、私は楽しかったの」
 七瀬は顔を上げて、功をじっと見つめていた。
 でも浮かべた素顔は、涙がぐちゃぐちゃに崩れて、泣きじゃくる子供そのものだった。
「けど、ある日突然、高広がいなくなった。消えてしまったの」
「え? いなくなったって」
 功は唐突な彼女の言葉についていけず、思わず訊ね返す。
「ゲームの中でなくて、リアルの世界で。家出したのか事件に巻き込まれたのか。必死で
探したけれど、全く手かがりが無かった。でも、でもね。一つだけわかった事があるの。
高広はゲームの中にいる。何かの手がかりがないかって思って入ったゲームの中で、リア
ルでいなくなった後も、見かけたって人がいたの」
「じゃあ、どっか家出した先でゲームをしてるって事じゃないのか」
 功は訝しげな顔で告げる。
 七瀬の事情はまるでわからなかったが、話がまるで見えなかった。
「功くん。それは違うよ。だってこのゲームをプレーするには特殊なヘッドマウントディ
スプレイが必要だもの。さっき交代で遊んでいたっていってたでしょ。それなら彼女がこ
こにいるのはつじつまが合わないよ」
 佐由理が不意に言葉を挟んでいた。
 そして確かに彼女の言うとおり、このゲームを遊ぶには特殊なディスプレイが必要だっ
た。そしてそのディスプレイは現在のところ市販されておらず、抽選で当たった人にしか
届いていない。
 その事はつまり七瀬の弟が別のところでゲームをプレーする事は不可能だと言う事を示
していた。
「なら見間違えたとか」
「名前が表示されるゲームの中で? あり得ないよ」
 佐由理の鋭い指摘に、功はすぐに口をつぐんだ。
 佐由理の言う通り、ゲーム内ではPCの名前がわかるようになっている。そして他の人
が全く同じ名前を使う事も出来ないようになっていた。
 だからゲームの中で見かけたという事は、間違いなく本人だと言うことを示している。
 普通のゲームであれば、IDやバスワードを何らかの方法で知れば他の人がキャラを語
る事が出来ない訳ではない。
 しかしこのゲームでは本人認証の方法として瞳虹彩認証を利用している。その為に本人
以外がなりすます事は通常では不可能な事だった。
「私の家にいま高広はいない。でもその後もゲームの中で見かけた人はいた。それがどう
いう事なのか、私にはわからない。ううん、その時はわからなかったんだ。でも」
 七瀬は佐由理の言葉で巧が理解したのを確認したのか、再び話の続きを語り始めていた。
「話をきいている内にわかったのは、高広がいなくなった日のこと。高広は魔の飛行船に
さらわれたんだ。その瞬間をみていた人がいたの。だから私はずっと魔の飛行船を探して
いた。でもなかなか見つからなくて、時にはいつの間にか眠ってしまって、気が付いたら
ものすごくレベルドレインされていたりしたよ。けど昨日、やっと見つけた」
 七瀬は上空を見上げて、そしてどこか遠くに思いをはせていた。
 それはたった一日前の話だというのに、突然に何もかもが変わってしまったような気が
する。
「そこで私は高広に会えたの」
 静かな声で七瀬は告げる。
「よ、良かったじゃないか」
 話の展開に巧は全くついていけていなかった。ただ七瀬の弟がいなくなって、そして再
び出会えた。それだけの事は何とか理解出来ていたが、その事が何を意味するのか、巧に
はまるで頭に入ってはいなかった。
 しかしそんな巧の理解を補完するかのように、佐由理が訝しげな声で七瀬に向かって尋
ねかける。
「だけどその高広くんは、無事じゃなかったのね」
 佐由理は案外頭の回転が速いらしく、七瀬の話す内容を完全に理解しているようだった。
 まだ話してもいない答えをいつの間にか導きだしていた。
 七瀬はその問いにゆっくりと頷いてみせる。
「高広は捕らえられていた。高広は、高広は酷く痛めつけられていたの。思い出すだけで
も……悔しくて仕方ないよ……。なんで高広だけがあんな目に合わなくちゃならないの。
素直ないい子なのに。高広は」
 七瀬は言いながら、顔を両手で押さえて殆ど泣きじゃくっていた。
「今日もういちどインするまでは、やっぱりどこか嘘なんじゃないかって思ってた。朝み
たニュースだって、ただの偶然の一致だと思ってた。学校でも普通にして、でも一日が長
くて仕方なかった。少しでも早く確かめたくて、もういちどこの世界に入ってみた。でも
何も変わってはいなかった」
 七瀬は顔を押さえたまま、強く首を左右に振るう。
 彼女の中で深い葛藤が繰り返されているのだろう。
 ここまでくれば巧にもやっと理解する事が出来ていた。
 七瀬はここが現実とつながっている事に気が付いている。だからこそこんなにも苦悩し
ているのだろう。
 巧にしてみてもここが現実とつながっているだなんて、今も信じられなかった。
 だけど恐らく七瀬はどこかでその事に気が付いて、普通にゲームを遊ぶふりをしながら
ずっと弟を捜していた。
 だからセッションでミッションクリアする事などは片手間に過ぎなかったのだろう。弟
を捜す手がかりを得る為に、他の人達の手助けを繰り返してきたのだろう。
「高広は飛行船の中に捕らえられていた。私は助けようとしたけれど、全く歯が立たなかっ
たよ。それもそうだよね。いくら覚えた術式なんかは忘れないっていっても、私最低レベ
ルなんだもの。最強の魔物に手がつけられる訳なかったよね。でも、でもね。高広を助け
る方法が一つだけあった。ううん、一つだけ教えてもらえたの」
 七瀬の言葉の続きは、そろそろ巧にも読めるようになっていた。
 変わってしまった彼女の行動。
 彼女に似つかわしくない行為。
 それはただ一つ、彼女の大切なものを奪い返すため。それ以外には考えられなかった。
「それがPKをしろ……ってことか」
 巧の呟きに、少しだけ時間をおいて七瀬が頷く。
「正確にはこのセッションの中で私に与えられるミッションをクリアしろ、だった。そん
な事でいいのなら、私もクリアして高広を助け出そうって思った。でも、でもそんな簡単
な訳なかった。私に与えられたミッションは、セッション中に出会うPC全てを殺せ、だっ
たの」
 震える声で告げる七瀬に、巧は何と返して良いのかわからなかった。
 佐由理も言葉を無くしてしまったのか、そのまま黙り込んでいる。
 七瀬はやっと顔を上げて、目に浮かんでいた涙を袖でぬぐいとる。
 そして強い意志を込めた瞳で、巧と佐由理の二人をにらみ付けていた。
「そんな事、許されるはずもないけれど、でもこれさえクリアすれば、高広は帰ってくる。
だから、だから私は。私は」
 七瀬はいつの間にか再び杖を構え、大きく空へと掲げていた。
「もう高広にあんな目にあってほしくない。その為なら人殺しだって何だってする。だか
ら」
 七瀬はそこまで告げて息を飲み込む。
「三枝だって、殺してみせるんだから!」
 そして大きく叫びを上げていた。
 わずかな時間はあった。しかしまるで金縛りにかかってしまったかのように、巧の体は
動かない。
 いくつもの衝撃で体がまるで言う事を聞かなかった。
 その瞬間、七瀬は後方へと大きく飛び退いていた。術を唱える時間を稼ぐつもりなのだ
ろう。
 同時にはっとして巧は手にした刀を再び構えようとする。
 しかしその時にはすでに七瀬の術は完成に至っていた。
「破邪~光! 火球の舞レベル7!」
 炎の術が上空から降りそぞく。
 だけど巧の刀は間に合いそうもない。
「古川!!」
 巧は彼女の名を叫んでいた。
 だがその瞬間、炎の球は思い切り炸裂し、辺りを包み込んでいた。
 地鳴りのような激しい音を立てる。
 炎は完全にその場を包み込み、上空高く焦がす炎の柱と化す。
 そしてその炎が全て塵と変わり灰と共に風にまみれていく。
 それは最強の火術だ。まともに受ければ普通のPCであればひとたまりもない。
 だからそこにはえぐれた地面が焼けこげて残されているだけだった。
 そう、巧のすぐ目の前は路面は全て。
 炎は巧達を避けて、七瀬と巧の間をえぐっていただけだった。
「出来る……訳ないよ……」
 七瀬は静かな声で呟く。
 力なくだらんと腕をたらして、七瀬はその場で俯く事しかできなかった。
「三枝を殺す事なんて、出来る訳ない。だって、だって三枝は本当の人間だもの」
 七瀬は目をつむり、大きく首を振るっていた。
 その度にぼたぼたと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……やっぱり、古川だったのか」
 巧は七瀬に向かって、浮かんだ疑問をぶつけていた。
 とはいえもう殆どすでに答えは出ている。もはやただの確認に過ぎない。
 ゲームの中では吉川七瀬。
 そして現実の世界では古川菜々美。
 名前からしても気が付かない方がおかしいくらいの差しかなかった。
 しかし七瀬と菜々美は、まるで別人物のように姿を変えていたし、性格だって異なるよ
うに思えた。
 だけど今にして思えば怒るとすぐ暴力を振るう点や、たまに照れて笑う時の幼い仕草や。
共通した点もいくつもあったし、思い当たるところもない訳ではなかった。
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