鏡の国に戦慄を (15)
三.人殺しの苦悩

「あのね。PKに襲われないようにする為には、まず見つからない事だとは思う。だから
姿を隠しているのが一番じゃないかな」
 ファーストフード店の椅子に座りながら、佐由理はゆっくりとした口調で話し始めた。
 場所を変えて作戦会議と言う訳だった。
 巧もそれが一番無難だとは思う。見つからなければ、襲われる事もない。
「それには依存はないが。でもそうしたらどこに隠れるかだな」
 ただその場合、問題は隠れる場所であった。いまファーストフード店で話し込んでいる
が、こうやって建物の中に入れる場所は実はそう多くはない。
 大抵の場合はドアが封鎖されていて、その中に入る事は出来ないようになっていた。
 ただし東京タワーのようなシンボルになりやすい場所や、今いるファーストフード店の
ようないくつかの場所はこのように立ち入る事が出来た。
 このファーストフード店は外からはガラス張りになっており、PKから隠れる効果はそ
れほどにはない。
 ただ魔物がいきなり襲いかかってくる可能性が少ないだけに、作戦を立てる必要がある
時にはよく使われる。
「うーん。難しいね。路地裏とかが無難なんだろうけど、もし魔物に見つかったら戦闘に
なるだろうし。そうしたら音を立ててPKにも見つかりやすくなっちゃうね」
 佐由理は辺りを見回して、それから軽く首をひねっていた。
 ファーストフード店からみていると、セッション中だから当然の事ではあるのだが、た
まに魔物の姿がみえる。
 それらの魔物と遭遇すれば、戦闘になり他のPC達に情報を渡してしまう。
 しかしいつまでもここにいる訳にもいかなかった。いつPKが徘徊してくるかはわから
ない。
 ファーストフード店のような立ち入れる建物は、PCがやってきやすい場所である。そ
れだけにPKもやってきやすい。
「でもまあ、PKが必ずいるとも限らないからこの場所でじっとしているのが得策じゃな
いかな」
 佐由理の出した答えは概ね正解だろう。
 実際、セッション中はミッションを楽しむ人間の方が多い為に、PK行為を働くプレイ
ヤーはそれほど多くはない。
 ただしたまにミッションをこなしながら、出会ったPCを狩る「ながらPK」もいるだ
けに油断は出来なかった。
「でもこんなミッションが出るくらいだから、もしかするとすでにPK行為を働いている
奴がいるのかも。そしたらここに留まるのはだいぶん危険じゃないか」
 巧は現実とリンクしている話は避けて、自分の考えを述べていた。その話をすれば場合
によっては変人扱いされかねない。
 佐由理を守る為には、いま彼女の信頼を失う訳にもいかなかった。それゆえに話す事は
出来ないと思う。
「うーん。かもしれないね。何せ連続ミッションは私も体験した事ないからなぁ」
 佐由理は巧の言い分に納得した様子で、再び考えを巡らせていた。
 連続ミッションでどのようなミッションが出されているのかは、あまり情報が広まって
いない。
 それゆえにセッション中の情報を集めて、それに従い新しいミッションが出されていな
いとも限らない。PKがいるからこそのミッションだとしても不思議ではなかった。
 その事が現実との兼ね合いの話をしなくても、多少説得力を増していたのだろう。
「あ、そうだ。じゃあここのトイレにこもっているっていうのはどうかな。PKだってト
イレまでいちいち確認しないだろうし」
 佐由理は名案とばかりにぽんと柏手をうつ。
 しかしそれには巧が溜息混じりに首を振るっていた。
「いや、それは駄目だ。トイレみたいな個室は開かないようになってるんだよ。それにも
し開いたとしても、あんな狭いところに二人でこもるっていうのはちょっと問題ありだと
思うぞ」
 実際トイレは開かなかったが、あったとしてもごくごく普通の便座が一つあるだけのト
イレだろう。さすがに二人で入るような場所ではない。
「うん。そうだね。開かないのは知っていたけどね」
 しかし佐由理はにこやかな笑顔でそう切り返していた。
「ちょっ。俺をからかったのかよ」
 再び顔を真っ赤にして、しかし怒りのやり場がわからずに顔を背けていた。
「あ、巧くんすねたの。あはは。可愛いね」
「可愛いとか男に向かって言うなっ」
 顔を背けたまま、巧は声を荒げる。
 しかし笑いながら佐由理は顔を近づけていた。
「あ、怒ったかな。ごめんごめん。ちょっといじわるしちゃった。許して、ね」
「うわっ。それ以上、近づくなっ」
 巧は慌てて距離をとると、それからどきどきと鼓動する胸を何とか押さえようとする。
 巧は女子への免疫が全くないという訳でもなかったけれど、年上の女性は周りには殆ど
いなかった。それに誰かと付き合った事がある訳ではない。
 年頃の少年ゆえに、必要以上に意識してしまうのだ。
 逆に佐由理はそんな巧の心理がわかった上で、ちょっと意地悪してみせているだろう。
 しゃべり方は少しまったりとしていて、天然のようにも思わせるが、七瀬とは違い少々
小悪魔なところを覗かせていた。
 佐由理はくすくすと笑みをもらしていて、どこか余裕があるところも七瀬とは異なる。
「そういえば、七瀬はどうしてるんだろうな」
 声には出さずに呟く。
 昨日のセッション以来、彼女の姿はみていない。
 七瀬ももしかしたらやられてしまったのか。不意に思い出して、身を震わせる。
 七瀬は飛行船に向かって飛んで行っていた。だがその後の話は全くわからない。
 ただ魔の飛行船は今まで誰にも倒された事のない相手である。七瀬も返り討ちにあった
とみて、ほぼ間違いないだろう。
 もしかするとその時に、命まで失ってしまっているかもしれない。そう思うとやや腕に
力が入る。
 もしも生きているのなら、ここにいる佐由理だけでなく、七瀬の事も守ってやらなくて
はと思う。
 案外しっかりとしている感じの佐由理と違い、彼女こそ天然を超えた存在、天文と呼ば
れるくらいの少女だ。何かひょんな事で命を失ってしまうかもしれなかった。
「でも、そうね。いつまでもここにいる訳にもいかないわよね」
 佐由理が呟いて、そして立ち上がろうとした瞬間だった。
「助けっ……助けてくれ!?」
 外から悲痛な叫びが聞こえてきていた。
 功と佐由理は慌てて外を眺める。
 外はそろそろ日が沈もうとしていた。その夕暮れは人の姿を覆い隠し、何が起きている
のかを正確に捉える事は難しい。
 しかしそれでもはっきりとわかった。
 悲鳴を上げた誰かが、音を立てて倒れる。
 その向こう側に細長い何か手にした人影が現れていた。
 それは剣なのか、それとも杖なのか。
 その人影は少しの間、目の前の倒れた誰かを眺めていたようだったが、すぐに顔を上げ
ていた。
 その姿は沈む日に遮られて、はっきりとは見て取れない。
 だけどこれだけはすぐにわかった。
 今倒れた誰かは、その人影に殺されたのだと。
「PKか!?」
 功は思わず声を荒げる。
 佐由理は突然の展開に何が起きているのか、理解出来ていないようで呆然と目の前を見
つめていた。
 けれど人影は窓越しに功と佐由理の姿を認めたようで、ゆっくりとこちらへと近づいて
くる。
「ちっ。やばい。俺らも狙ってる。佐由理さん、逃げるぜっ」
 呆然としている佐由理の手を引いて、店舗の外へと駆け出していく。
 向こうはこちらにすでに気が付いている。だとすればこのまま店舗にこもっていれば、
戦う他に道がなくなってしまう。
 しかしPKと戦って無事でいられる保証はない。功とてそれなりの高レベルのPCなの
だが、相手も相当の手練れである事は間違いがなかった。
 幸いPKはこちらに走ってくる様子はない。少しずつ追いつめて楽しむつもりなのだろ
う。
「ほんとにPKがきちゃうなんて」
 佐由理は必死に走りながらも、時折後ろを振り返っていた。
 まだ距離は離れていて、すぐに追いかけてくる様子はない。
 しかしゆっくりでもこちらに向かってきている事は確かで、功達に狙いを定めているの
は確かめるまでも無かった。
「そっか。逃げるつもりなんだ。いいよ。逃げても」
 背中から声が聞こえてきていた。
 驚いた事に、その声は高く澄んだ女性のものだった。
 功はてっきりPKを行うようなプレイヤーは、猛々しい男だとばかり思いこんでいた。
ただ考えてみれば、そうとは全く限らない。どんな人間が行っていても不思議ではないし、
そもそも本当に中の人も女性とは限らない。
 だが今はそんな事に構っている時間はない。
 功は握った手を一度離して、佐由理の方へと振り返る。
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