鏡の国に戦慄を (14)
「はぁはぁ……何とか助かったね」
 佐由理が大きく息を吐き出していた。
 かなり走ったおかげか息が上がっている。功にしてみても、だいぶん疲れは感じていた。
 たぶん一キロ以上は走っただろう。魔物の中にはしつこくおいかけてくるタイプのもの
もいたけれど、佐由理の唱えた術のおかげで何とか振り切っていた。
「そうだな。よかった」
 功も深々と安堵の息を漏らしていた。
 何とか佐由理だけでも救う事が出来ていた。
 ただ啓太とゆみの二人が、今もあの場所に放置されたままだ。
 命を失ってしまっているのかもわからない。
 そしてもしもあの場所にいたのが自分であったとすれば、今頃完全に息が止まっていた
かもしれなかった。
「でも啓太くんとゆみちゃんは死んじゃったね」
 軽い口調で佐由理が呟く。
 その言葉に、功は強く衝撃を受けていた。
 佐由理にしてみれば、ゲーム内での話に過ぎないのだ。セッション中は復活する事は出
来ないが、それが終わってしまえば普通にまた話す事が出来る。そう考えている事は間違
いがなかった。
 しかし功は違う。
 知り合ったばかりで何も知らない相手とはいえ、目の前で人の命が失われてしまった。
 死亡した直後はまだ実感も薄かった。
 人が死ぬかもしれない。でもそれはただの聖の勘違いかもしれない。そうした感情がど
こかに残っていた事もある。
 だけど今になって、その事実が功の胸の奥深くに重たく沈み込んでいた。
 人が死んだのかもしれない。
 功は今まで人に死に触れる事が無かった。
 幸い両親はもちろん、祖母祖父も健在だった。近しいところにて死を体験した事はない。
 功が知っているのは、ニュース等で聞く見ず知らずの人達。
 それらはいつでも自分とは遠い場所で起きているとしか思えなかった。自分やすぐそば
にいる人に降り注ぐ事があるだなんて、まともに考えた事はなかった。
 だけど功の目の前で確かに失われていた。
 人が死んだ。
 いや本当は死んでいないのかもしれない。
 それでも功の心の中に、深く深く刻み込まれた事だけは確かだった。
 そして次に下されたミッションは、仲間の少女をPKから守れと言うものだった。
 PK。プレイヤーキラーは、PCを目標として殺しを行うやっかいなPCだ。主な理由
はだいたいにして愉悦目的である。簡単に言えば嫌がらせだと言ってもいい。
 ゲーム内で他の行為に飽きたものが行う事が一番多いとされている。
 行う相手がコンピュータのNPC相手ではなく、実際の人間が操るPCだけにいろいろ
な反応がある。その反応を楽しんでるというところだろう。
 時にはPK自体の是非が問われる事もある。
 しかし陰湿な行為ではあるが、ゲーム内で可能な以上許されている行為だとも言えた。
 ただミッションとして課される内容にふさわしいかと言えば、疑問符はつく。
 PKを行うか否かはそのプレイヤーの心の持ちよう次第であり、PKが必ずしも存在し
ているとは限らない。また仮に普段PKを楽しんでいるキャラがいたとしても、このセッ
ションでも同様とは限らない。
 それは人が人である以上、確定されたものはない事が当然ではある。心と言うものは、
いつだって不安定で揺れ動いているものなのだから。
 PKから守るというミッションを確定させる為にはPKの存在が不可欠だ。
 もちろん存在しなければ、ただ時間まで過ごせば良いのかもしれなかったが、それでは
ゲームとして考えればあまりにもつまらない。
 ゲームは作り手の意志でルールが決められている。従ってつまらないからといって用意
されないとは限らないが、ゲームが楽しむ為のものである事を前提にすれば、敢えて用意
するのは不自然ではあった。
 だけど。
 功はもう少しだけ、深い場所まで考えを進めていた。
 このゲームの作り手は本来の目的とは違う何かを求めている。
 現実とリンクさせているこの世界。
 鏡のような世界を作り出した意味。
 彼等の目的は考えてもわかるはずもなかった。
 しかし目的はゲームをプレーする人を楽しませ、その代わりに対価をいただく事ではな
いだろう。
 ならば敢えてそのようなミッションを組ませる意図がある。
 そしてそれならば、PKは必ず存在するに違いなかった。
 作り手が何らかの方法で、どこかに用意する事で。
 そうして作り出された状況が、今の功を取り巻く必然なのかもしれなかった。
「佐由理さん、でしたっけ」
「うん。そうだけど、何かな」
 佐由理に向かって話し掛けると、彼女は綺麗な姿勢でまっすぐに立ったまま功へと向き
直っていた。
「俺は連続ミッションの最中だったんだけど、さっき新しいミッションが下されたんだ」
「そうなんだぁ。珍しいのをやっていたんだね」
 佐由理はにこやかな顔で功へと語りかけてきていた。
 彼女と他の仲間達がどういった関係だったのかはわからない。ゲーム内の知り合いなの
か、それとも現実でも友達なのか。
 しかしどちらにしても仲間が死んでしまった事には間違いがなかった。そして彼女はそ
れを認識していない。
「ああ。まぁ。それはともかくとして、その内容はPKから仲間の少女を守れ、なんだ」
 功は少し迷いながらも、自分に与えられたミッションの内容を話し始める。
「へぇ。そうなんだ。あ、でももしかして仲間の少女って私の事かな。それはそれは光栄
な事だね。じゃ、私の事ちゃんと守ってね」
 佐由理は言いながら、にこやかな笑顔を巧へと向けていた。
 その笑顔に巧は胸が強く疼く。
 佐由理は何も知らない。現実とリンクしているかもしれないこと。そして命を失うかも
しれないこと。
 話すべきなのかもしれない。
 しかしこの笑顔を見ていたら、それを崩すような事はしたくはなかった。
 そもそも信じるかどうかもわからない。東京タワーの銅像の話は出来ても、聖のような
小屋の写真がある訳でもない。偶然だと言われれば、それで終わりだ。
 それにこの事実を話せば、啓太とゆみの二人が亡くなってしまったかもしれない事を突
きつける事になる。
 佐由理はゲーム内の死にすら動揺を見せていた。
 しかしその死がそれだけに留まらない事を知ったとしたら、彼女はどれだけ取り乱す事
だろうか。
 もっとも何をバカな事を言っているのかと一笑されるのが関の山ではある。
 話しても仕方がない。巧は一人結論づける。
 ただ知らない以上、彼女を危険な目に合わせる訳には行かなかった。何か小さな失敗が、
彼女の死に直結するかもしれない。
 ましてやこれからのミッションはPKから彼女を守る事だ。PKは他のPCを殺すよう
な連中だけに、もともとの実力もかなり高い。その上で危険な手段を用いてくる事もある。
 そうした連中から彼女を守れるのは、今は自分しか居ない。巧は強く思う。
「ああ。絶対に俺が守ってやる。何があろうと、どんな奴らがこようと、俺が絶対に守る。
だから安心してくれていい」
 巧は真剣な眼差しで佐由理へと告げる。
 心の奥から強く誓っていた。
 しかしその瞬間、佐由理はぷーっと大きく吹きだしていた。
「やだ。なんか口説いているみたいだよ。巧くん。あ、それともほんとに私の事を口説い
ているのかな。でも残念ながら、お姉さんは年下の子と付き合う趣味はないんだよね」
 佐由理は巧の額をつんと指先でつついていた。
 その瞬間、巧の顔がかぁっと赤く染まる。
 巧にしてみればそんな意図は全く無かった。逆に佐由理も巧にそうした気持ちがない事
は理解していて、それでからかっているのだろう。
 佐由理はまだ若い女性だ。高校生か大学生かはわからないが、しかしそれでも巧のよう
な中学生からみれば十分に年上の女性であった。
「まぁ、でも女の子としては年頃の男の子にそんな風にいってもらえたら嬉しいけどね」
 くすくす笑みをこぼしながら、佐由理はその手に杖を取り出していた。
「でも私だってけっこうレベル高いからね。そうそう足手まといにはならないつもりだよ」
 佐由理はいって杖を構える。
 実際、彼女が唱えていた呪文は十分に強力なものだった。下手をすれば巧よりも高レベ
ルなのかもしれない。
 照れた様子で俯いていた巧ではあったが、しかしそれも少しの間の事だった。
 例え佐由理が巧よりも強いとしても、彼女には知らない事があった。だから巧が彼女を
守らなくてはならない事には変わりがない。
「まぁ、それが俺のミッションだからね」
 巧はそううそぶいて、それから刀を手にとっていた。
 近くに魔物の姿はない。また他のPCの姿も無かった。しかしいつどこから姿を現すか
はわからない。
 絶対に守る。それだけを心に残して、巧はこれからの事を考えていた。
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