鏡の国に戦慄を (11)
 その時だった。
 向こうから豚もどきが数匹姿を現していた。化け物達が功達を認めて、襲いかかろうと
してきているのだ。
 まだ何か納得出来ないもの、何か違和感を覚えずには居られない功ではあったが、仕方
なく刀を取り出して化け物に向かう。
 刀を手にした重みを感じ、そして一気に豚もどきへと振り下ろす。
 ずんっ、と鈍い手応えがある。
 確かに敵を切り裂いたという感覚。
 はっきりと自分の肉体が覚えている。
 どこまでも、それは本物だった。
「本当にこれが現実なのかよっ」
 巧は大声で叫ぶと目の前に広がる風景を見つめていた。
 巨大な赤い日本を代表するタワーが、確かな存在感をもってそびえ立っている。
「それは少し違うね。決してここは現実じゃあない。ただ少しばかり現実とリンクしてい
るって言うだけの事さ」
 すぐそばで声が聞こえる。
 振り返ると、聖がビルを陰にして路地の先の様子を伺っていた。
 聖は路地の先の安全を確認すると、拳銃を手にした右手で巧を招き寄せる。
 この先は安全、という事らしい。
 巧は聖の言葉を信じられないまま、それでも聖の手招きに応じて路地の先へと向かう。
 敵の姿はない。しかし現れたら現れたで戦うまでの事だ。ただ目的地に至るまでは、出
来れば無駄な争いはしたくなかった。
 だが頭上からばさっという微かな音が聞こえた。慌てて顔をあげて身構える。
 空には大きなコウモリのような羽根をもった真っ黒な異形の存在が浮かんでいた。例え
るならば聖書にある悪魔。鋭い牙を口の端からのぞかせている。
「ちっ、このエリアには有翼鬼がいたのかよっ」
 巧は空に浮かぶ異形に驚きの声をあげて身構える。
「村正っ」
 まるで格闘ゲームの必殺技のような台詞を叫ぶと、同時に巧の手の中に金色に輝く刀が
姿を現していた。
 その刀をそのまま大きく振り上げると、異形へと振り抜いていた。
 僅かに鈍い手応え。
 だがそれはほんの一瞬の事で、まるでバターにナイフを入れたかのように異形を真っ二
つに切り裂いていた。
「気づかれたかな」
 巧は周囲を警戒しながら見回してみる。だが他に異形の姿はない。
 こんな時でもゲーム内の心配をしている自分を少し滑稽に思う。
 だけどそうしなくてはいけない。どこかでそれが自分にとって今大切な事を理解してい
たのかもしれない。
 聖が銃を身構えたまま、それでも軽く息を漏らした。
「後続もこないし大丈夫だと思う。でも早く目標に向かう必要がありそうだね」
 聖の言葉に巧もうなずく。ミッションは連続型であり、どれだけ時間がかかるかもわか
らない。また敵がいつ襲いかかってくるかもわからない。どちらにしても、あまり一カ所
に長居するのは得策ではなかった。
「しかしいくらリアリティがすごいったって、こんな化けもんが闊歩する世界だぜ。いく
ら何でも有り得ないだろ」
 巧はそれでもまだ信じ切れずに声を漏らす。
 現実ならあんな異形がいるはずもない。あれほどの跳躍が巧に出来るはずもない。出し
入れが出来る不思議な刀を手に出来るはずもない。聖にしても現代日本で、そう簡単に銃
を手にしていられるはずはなかった。
 確かにここは日本だ。目の前に日本を代表する大きな赤いタワー、東京タワーがそびえ
立っている。
 しかしこの場所に巧達の他に人気はない。この都心でこれほど人がいないはずもないし、
車の一台も走っていないなどという事は普通なら有り得ないだろう。
 その理由は一つだけしかない。
 ここがゲームの世界だから。
 巧と聖は新しく始まったオンラインゲームで知り合った仲間で、いま二人はゲームを楽
しんでいるに過ぎないのだ。
 それが現実のはずだった。
 聖が奇妙な事を言い出す前までは。
「君にもすぐにわかるさ。このゲームがどれだけ危険で、そして面白いものかっていう事
はね」
 聖の口元にわずかに笑みが浮かぶ。
 冷たくも見える。だけどどこか挑戦的な微笑みだった。
「ならお前の言う通り、この世界が現実とリンクしているんだとしたら、もしこの世界で
死んだらどうなるんだ」
 巧は浮かんだ疑問を何気なくぶつけてみていた。まだ巧には何一つ実感はない。ただ何
とはなしに訊ねただけだ。
 だけど聖は口元に楽しげに笑みを浮かべ、功をじっと見つめていた。
「さぁね。まだ死んだ事はないからわからないけれど」
 巧の問いに、聖は静かに、しかしなのにどこか楽しさすら感じさせる声で答えていた。
「僕の出した結論は。現実でも、死ぬ」
 聖が告げた答え。
 その台詞に功の世界が大きく震えていた。
 そしてそれが功の違和感の正体だった。
 もしも聖の言う通り現実とリンクしているのだとしたら、ここでもしも死ぬ事になれば
死ぬ。それはごく自然な発想だと思う。
 ただし聖はセッションでない限り現実とリンクしないとも告げていた。
 だからもしもそれが本当だとすれば、ここにこなければ危険はなかったはずなのだ。
 しかし聖は自分だけならず、敢えて功までもを巻き込んでセッションを始めていた。
 本当だとすれば死ぬかもしれない状況。セッションは初めてしまえば終わるまでやめる
事は出来ない。
 それなのに、功はこの場所につれてきていた。危険かもしれない場所に。
 そのおかしさが、功の覚えた違和感そのものだった。
「なんで、なんで俺を連れてきた。死ぬかもしれないんだろ。それがもし本当なら、どう
して俺を連れてきたんだよ」
 思わず問いつめずには居られなかった。功にはまるで理解出来ない。
 現実ばなれした話も、それをふまえた上でこの場所に誘い込んだ聖の思惑も。
「決まってる」
 だけど聖は淡々とただ答えていた。
「その方が面白いからさ」
 淡々と静かに。
 功はただそれが。聖の事が恐ろしくて、たまらなかった。


 東京タワーが姿を見せていた。
 やはり南極観測犬の銅像は破壊されたままだ。本当に現実でも破壊されているのかと思
うと、背筋が凍るような気がしていた。
 聖の言う通り、このゲームの中で死ぬと本当に死んでしまうか。
 もしもそれが本当だとしても誰が何のためにこんなことをしているのか。全くわからな
い。
 わからない事ばかりで不安を感じると、巧はなぜか喉の奥に痛みが走る。
「さて、まずは情報をくれるはずのNPCを探さないとね」
 聖はいつもと同じ口調でひょうひょうと告げる。
 聖には死への恐怖はないのだろうか。それともああはいったものの、本当に死ぬ事なん
てないとたかをくくっているのだろうか。巧にはわからない。
 しかし何にしてもここで聖と別れるという訳にもいかない。連続クエは他のクエよりも
厳しい事が多いらしいし、パーティを崩せばそれを一人でこなさなければならなくなる。
 そうすればそれだけ危険が増え、命を失う可能性が増す。
 聖が何を考えているのかは巧にはわからない。しかし、今のところ普通にゲームをプレ
ーしようとしている様に思えた。それならば一緒にプレーしていた方がいい。
 しかし東京タワーに近づいていく瞬間。突然物かげから銃撃が走った。
「うおっ!?」
 慌てて飛び退くが、どうやら元から当てるつもりは無かった様だ。やや離れた場所で銃
弾がはじける。
 銃撃のきた方向は東京タワーの入り口付近のようだった。入り口の影からライフルのよ
うなもので狙いを付けたのだろう。
「警告する! これ以上、この場所に近づくと今度は本当に撃つ」
 上げられた声は見知らぬ誰かのものだった。恐らくは見知らぬプレイヤーのものだろう。
年の頃としても巧や聖と変わらないくらいの男の子のものだ。
「おいおい。俺らは別にPKとかじゃないぜ。ミッションでちょっとNPCを探しにきた
だけだ。いきなり銃撃はないんじゃないか」
 巧は呆れた声で告げるが、しかしやや警戒して距離をとる。
 問答無用で銃撃を当ててこない以上は相手もPKという訳ではないだろう。しかし銃を
向けてくるというのは穏やかな事ではなかった。
「悪いが、この場所に誰一人近づけるなというのが俺らのミッションでね。簡単に入れる
訳にはいかないね」
 向こうから聞こえてくる声に、巧は思わず聖と顔を見合わせる。
「どうする。こりゃ無理に踏み込む訳にもいかないぜ」
「まずいね。踊らされてる」
 告げた巧に、聖がわずかに眉を寄せていた。
「踊らされてるって。どういう事だ」
 聖の言葉はやはり意味がわからない。ただ今回はすぐに聖は答えを返してくれていた。
「僕達は中にいかなきゃいけない。彼等は中にいかなければいけない。わざと争いを起こ
すように仕組まれてるって事だよ」
 聖はやはり淡々と呟く。ただ少し困ったような様子も見せていた。聖にしても強引に押
し込むつもりはないのだろう。
 しかしセッションではそうして相対する任務が与えられる事も多い。この事事態はそれ
ほど珍しい事でもなかった。
「わかった。無理に中に入らない。だが俺らもNPCを探さなきゃいけないんだ。中には
入らないからその辺を探索させてくれないか」
 聖は大声でタワーの中にいるだろうプレイヤー達に声をかける。
 何人、どんな人がいるのかはわからない。その中に攻撃的な人間がいれば、もしかして
周りを探索する事すらも妨害してくる事も考えられた。
 しかし相手側もそこまでするつもりはないようで、すぐに答えを戻してきていた。
「……了解。ただし中には入るなよ。あと入り口の側には近づくな。近づいてきたら容赦
なく撃つからな」
 奥の方から返答がある。
 どうやら交渉はうまくいったようだ。向こうにしても普通のプレイヤーだと思われる。
下手に他のプレイヤー達と悶着起こしたくはないのだろう。
 ミッションは時にこうして他のPC達の受けたミッションと相反するミッションが与え
られる時もある。それが時にはPKのきっかけとなる事もあった。
 しかしPK。プレイヤーキルは、通常であればただのゲーム内だけの話だ。された方は
それなりのショックを受ける場合もあるが、ゲーム内でのペナルティは精神的な衝撃を除
けば何が変わるという訳ではない。
 けれどもしも聖の言葉が本当で、ここが現実とリンクしているのだとすれば、他のPC
を殺すという事。それはすなわち現実の人を殺す事と同じ事を意味している。
 誰か人を殺す。
 巧はごく普通の中学生だ。そんな事を考えてみた事はない。
 一時的な感情で誰かを憎くは思っても、殺したいと思うほどに強い感情は抱いた事がな
いし、仮にあったとしても実行に移す事なんてないだろう。
 だがここではひょんな事で人殺しになってしまうかもしれない。そして殺されてしまう
かもしれなかった。
 相手はそれが人殺しだなんて思っていないだろう。ただちょっとした質の悪い冗談に過
ぎない。ゲーム内の事だからこそまだ許される行為なのだ。
 だけどそれを知らずに行い、知らない内に殺人者になっている。そんな状況には自分は
もちろん、他の誰にも味わせたくはなかった。
「わかった。その条件を飲む。だからそちらもむやみに攻撃をしかけてこないでくれ」
 聖の言葉には、相手は何も答えなかった。
 とりあえず無言は承諾の合図だろうと推測して、周辺を歩き始める。
 相手側も何もなければ恐らく声を上げたりはしたくないのだろう、変に音を立てて、敵
や他のPCを呼び寄せたくないという気持ちもあるに違いない。
 とりあえず東京タワーの周辺をぐるりと回ってみる。
 幸い敵の姿も無かったが、しかし新たなミッションを授けてくれるはずのNPCの姿も
見えなかった。
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