鏡の国に戦慄を (09)
二.現実と仮想の狭間

「あ。巧ちゃん、おかえりなさい」
 玄関のドアを開けるなり、暖かな声が響く。 巧の母親の香苗のものだ。この時間はだ
いたいまだ近所のスーパーにパートに出ているのだが、今日はたまたま休みだったのだろ
う。
「ただいま。ってか、いいかげんちゃんづけはやめろよ。恥ずかしい」
 巧は妙に顔が熱くなるのを感じて、靴を脱いでそのまま自分の部屋へと向かう。
「いいじゃない。巧ちゃんは巧ちゃんだもの。あ、今日もまたゲームに夢中なの? せっ
かく休みなのにお母さん寂しいなー」
 香苗がすねたようにづけるのに、巧は軽く溜息を漏らす。
「夕飯前にはちゃんとでてくるよ」
「ゲームもいいけれど、勉強もちゃんとしないとだめよ。あとお母さんの事も構わないと
お母さんすねちゃうわよ。泣いてやるんだから」
 香苗はもうそう言っている時にはめそめそと泣き真似をしてみせていた。
「いい大人がすねるなよ。わかった。わかったよ。ちゃんと勉強もするし、飯は一緒に食
うから」
 呆れた声で答えるが、それでも香苗は泣き真似はやめて笑顔で答える。
「うん。お母さんと約束よ。ほら、最近ゲームばかりしたせいで変な事件を起こす人のニュ
ースとか聞くじゃない。まさか巧ちゃんがそんな風になるとはぜんぜん思わないけれど、
お母さんゲームってぜんぜんわからないから、ちょっと心配なの」
 香苗は少し困ったような顔で巧を見つめていた。
 巧はもういちど深く溜息をもらして、それから自分の部屋の扉を開けて振り返る。
「そういうゲームと現実をごちゃ混ぜにするような奴らは、ゲームをしなくっても最初か
らそうなんだよ。ゲームはゲーム。楽しむ為にするものがゲームだからさ。俺はそんな風
には絶対ならないよ」
 そうとだけ告げて、自分の部屋の扉を閉める。
 むこうがわから、「もう、巧ちゃんってば最近冷たーい。もっとお母さんに構ってよー」
等と聞こえてきていたが、とりあえず無視しておくことにする。
 母親の事は決して嫌いではなかったが、ここまでべったりとされると、やや突き放して
しまいたくなる。それは香苗の性格のせいもあるが、巧くらいの年頃の男であれば、誰し
もが感じる感情でもあるだろう。
 功はいちど大きく溜息を漏らして、それからパソコンのスイッチをいれる。
 そうして今日もすぐに鏡面世界を立ち上げていた。功は香苗の言うように、すっかりゲ
ームの魅力に取り憑かれていた。
 ただ今日はそればかりでもなかった。古川の話したタワーの話が偶然であること。それ
を確かめたかった。
 どうすれば確認出来るか何てわからない。ただ聖や七瀬にそんな訳ないと否定してもら
えれば、それで良かった。
 ゲームの中にインしてみる。
 まだ時間が早い事もある。しかし今日はやけに人が少ない気がしていた。ただ昨日は大
規模なミッションが開催された後だけに、少し疲れて休んでいる人も多いのかもしれない。
 功はそう結論づけて、親しい友人の名前を探す。
 戦友のリストの中には、聖の名前があった。
「よっ。今日も一緒に何かやろうぜ」
 気軽に声をかけて聖の返答を待つ。いつもであればすぐに「いいね」と答えが戻ってく
るはずだった。
 しかし今日の聖はいつもと少し異なっていた。
 もともと普段から聖は落ち着いた感じで、かつ少し皮肉っぽい雰囲気がある。
 ただ今日の聖は、どこか声のトーンが抑えられていて、何か秘密の話をしているように
も感じられた。
『功、君は昨日のセッションの後、どこか変わったところは無かったかい』
 ひそやかな声にどこか違和感を覚えずにはいられない。
 とはいえ功は変わったところはないかと聞かれれば、特にそういった事もなかった。
「え。いや、別にないけど」
『そうか。それなら良かった』
「ま、俺は変わらず元気だよ。聖はあの後、何かあったのか」
 どこかいつもと様子の異なる聖に、逆に聞き返してみる。
 けれどその問いには答えが無い。代わりに聖が発した言葉は、問いとはまるで異なる話
だった。
『ちょっと顔を合わせたいな。埼玉エリアの奥地にこられないか』
 聖の提案に、功は少し首を傾げる。
 一緒に遊ぶ事には異論はない。しかし埼玉の奥地は、今のところあまり敵の姿もなく、
これといった見所がある訳でもない。
 いつかはエリア内も充実するかもしれなかったけれど、今のところはただの山地に過ぎ
なかった。
 つまり不人気で、遊んでいる人が少ない場所と言う事になる。
「いいけど。何でそんなところに。神奈川の横浜エリアだって、今なら空いてるぜ」
 横浜は実際の観光地と同じく人気のエリアだ。その為、当然のように人も多い。ゲーム
が本物そっくりの造形をされている為、観光がてら遊びにくるプレイヤーもいるくらいだ。
『いや、ここじゃないと駄目だし、人がいない方がいいんだ』
 しかし聖は淡々と、しかしどこか強い雰囲気を感じさせる声で答える。それはいつもの
聖よりも何か切羽詰まった空気を功に覚えさせていた。
「わかった。じゃあそこで待ち合わせな」
 何だかわからないものの同意してエリアを選ぶ。
 秘密の話をしたいだけなら、ここでなら今のように二人だけで話す事も出来る。だから
理由はそれだけではないのだろう。
 このゲームは実際にその場所にいるような気にさせる為、エリアの中に入ってしまえば
あまり秘密の話をする事は少ない。
 しかしパーティ内だけで会話する事や、特定の相手にだけささやきかける事は他のゲー
ムと同じように可能だ。だから敢えて人のいないエリアを選んだ事には何か理由があるの
だろう。
 功が埼玉の奥地を選ぶと、一瞬目の前が真っ暗に変わる。そして目の前には山々が姿を
表していた。
 それから聖の姿がすぐそばにある。聖は功の姿を認めると、手を軽く挙げて功を迎えい
れた。
「わざわざ悪い。でも恐らくこれは、これからの僕たちにとって運命を変える事になる話
になると思うんだ」
 聖の言葉はいつも通りだった。どこか淡々としていまいち感情を掴みづらい。
 しかしその中にもほんの少しだけ高揚したものを感じたのは、聖との付き合いも深くなっ
てきた証拠かもしれない。
「運命っちゃ、また大げさだな」
 功は両手を広げて、呆れたような声を漏らす。こういった大仰な物言いは、あまり聖に
は似合わないと思う。
 しかしそんな功の心を知ってか知らずか、聖はさらに大げさな言葉で返していた。
「運命が大げさであれば、未来と言い換えてもいい。とにかくこれを知れば、君も冷静で
は居られないだろうね」
 やはり淡々と告げる聖に、功は首を傾げる。
 確かにいつもよりも声が大きいような気もするが、君も冷静では居られないと言う言葉
からすれば、聖は冷静ではないという事になる。
 しかし実際には落ち着いたもので、功にはとてもそのようには見えない。
「よくわかんねぇけど、一体なんだっていうんだ」
「そうだね。話を進めよう。功、君はここがこの間セッションの場所になった事を覚えて
いるかい」
 いま聖が切り出した話は功にもすぐわかる話だった。実際に功もそのセッションに参加
している。
 それまでのセッションの殆どはある程度の都心にて行われていたが、初めて山地でのセッ
ションであった事。そしてゲームのサービスが本格的に始動してから初めてのセッション
だった事もあって、功はよく覚えていた。
「ああ。確かあの時のミッションは、化け物退治だったな。ボスキャラがえらく強かった
のも覚えてるぜ」
「それなら話が早い。これをみてくれ。その時の映像になる」
 聖は言うなり、右手を功の前に差し出す。それと同時に数枚の画像が姿を現していた。
 これはゲーム中での思い出のシーンを記録しておく機能だ。撮影という言葉に反応して、
自動的にその瞬間を写真にとってくれる。その写真はこうしていつでも見られると言う訳
だ。
 そして聖が表示していた写真は、同じ場所を何度かに渡って映し出されたものだった。
「これはボスキャラがいたところか」
 功は写真をみて思い出しながら答える。
 ボスキャラがいた場所は、小さな小屋があった為にはっきりと覚えていた。
 ただセッション中に小屋には火がついて全焼してしまっていた。
 聖のとっていた写真はその小屋が焼け落ちる前。ゲーム中で火がついた時。そして燃え
落ちた後の写真の三点だった。
「そう。そして今から見せるこの写真。これはゲーム内でとったものじゃない。この間の
週末に現実で僕が撮った写真だ」
 聖は言いながら、功の目の前に新しい画像を表示させていた。
 その画像には黄色い枠がつけられていた。
 この枠はゲーム中でとったものでない画像に対して表示される。鏡面世界にはこうして
画像をまるでSF映画のように空中に表示させる機能があるが、ゲーム内で起きた事とそ
うでないものを区別出来るように、ゲーム内でとったものでない写真には枠が表示される
ようになっている。
 だがその写真をみた時、功は一瞬その事を忘れていた。
「さっきと同じ写真じゃ……って、え」
 思わず呟いた言葉が全てを物語っていた。
 焼け落ちた山中の建物。それがそっくりそのまま再現されていた。
 似た風景という訳ではない。
 一見では全く同じ写真としか思えない。崩れ落ちた建物に残された木片。焼けこげた範
囲。
 だが撮られた写真はわずかにだけ異なる。風で揺れる木々や、道に残された小石の位置。
自然に動いていても不思議ではないもの。それだけが姿を異にしていた。
 だが写真に枠が現れているという事は、この写真は現実の写真だという事を示している。
「これって、どういうことだ」
「僕にもまだはっきりとわからない。でも確かめてみたい事がある。功、この後のセッショ
ンに参加出来るかい」
 聖は静かないつも通りの口調で告げる。
 でもその瞳に映された鈍い輝きに、一瞬功の背中に冷たいものが走り出していた。
 ただこの時の功はまだその瞳が何を意味しているのか、理解していない。
「ああ。特にこれという用事はないから大丈夫だけど」
 だからごく当然とばかりにうなずいていた。誰とも約束はしていなかったが、始めから
セッションに参加するつもりではいた。そこに功が声をかけてきただけだ。
「そこで話すよ。恐らくこの考えは間違えはないはずだ」
 なぜだか聖の言葉は、どこか遠い場所にあるように思えた。
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