鏡の国に戦慄を (02)
「で、聖はと。まだきてないか」
 最近一緒に遊ぶ事の多い戦友の名前をつぶやいて、ゲーム内の情報を確認する。聖は巧
とほぼ同じ年くらいだろうと思われる少年の名前である。
 画面に映し出された戦友の一覧には、聖はオフラインと書かれていた。オフラインとは
ゲームの世界につながっていないという事を現しており、逆にオンラインと表示されてい
れば、いまゲームの世界に入ってきているということになる。
 つまり聖は今はこのゲームを遊んでいないという事だ。
「まだ約束の時間まで少しあるもんな。んじゃ、それまでは軽く遊んでるか」
 軽く呟いて、画面に描かれた地図を眺めてみる。いま画面に表示されているのは、本物
の日本地図そのものだ。
 今はこのうちの関東圏内だけが色が濃くなっており、他の県は全て淡い色になっていた。
また関東圏内の中でも、千葉県だけが赤く彩られていた。
 これはまだ関東圏内以外の地区は未実装であり、遊べない事を記している。また千葉県
の赤い色は特別なイベント中で、選択出来ない事を示していた。
「千葉はいまセッションが始まったみたいだな。東京はそのあとのセッションがあるから、
ここも選べないと。ならとりあえず神奈川にしとくか」
 声には出さずに呟くと、画面の中の神奈川県を選択する。
 同時に一瞬画面が真っ暗にかわり、そして目の前に横浜中華街が現れていた。
「いつみても、にせもんとは思えないよな」
 思わず声に出して呟く。
 そしてここがゲームの世界だとも、全く思えなくなっていく。
 ヘッドマウントディスプレイを利用した最新技術の為なのか、ひとたびゲームが始まる
と現実の世界を全く感じなくなる。そんなはずはないのだけれど、完全にゲームの世界の
中に、自分が入り込んでしまったかのような感覚にとらわれる。
 鏡面世界は現実と同じ現代日本を舞台にしたゲームだ。だが現実とは異なり、多数の魔
物が出没し、人々を襲っているという設定になっている。
 その魔物を退治する為に選ばれた存在。それがこのゲーム内での巧達の役割だった。
「とりあえず敵は、と」
 言いながら辺りを見回してみる。
 すぐ近くには誰もいないようだった。まだ学校が終わったばかりの時間だけに、少々人
も少ないようだ。巧のような中学生であれば、こんな時間にゲームをする事も出来るだろ
うが、社会人ともなればそうもいかないだろう。だから本格的に人が多くなるのはもっと
遅い間だ。
 だがこの世界にいるのは、そういった人が操っているキャラクターばかりではない。ゲ
ームの方で用意されたキャラクターもいる。
 たとえば魔物がそれにあたる。魔物は全てゲームの中で用意された存在であり、コンピュ
ータが操作している。
 また他にもお店の店員や、特別なイベントに現れる特定の人間のキャラクター等もいる
が、通常はそれらも裏で人が操っている訳ではない。ゲームが用意した存在である。
 そうしたゲームの中で用意されているキャラクターの事はノンプレイヤーキャラクター。
略してNPCと呼んだ。
 逆に今の巧のように人が操作しているキャラクターをプレイヤーキャラクター、略して
プレイヤーやPCといった。
「お、いたいた。聖がくるまでしばらく狩っとくか」
 巧は目の前に棍棒のようなものをもった浅黒い色をした化け物の姿を認めて呟く。
 そして手に力を入れて「村正!」と叫ぶ。それと共に手の中に、金色の刀が姿を現して
いた。
 声だけで手の中に刀があらわれる。実際には有り得ない事ではあるが、ゲームの中では
ごく当たり前の事だ。
「こんな真剣を振り回すなんて、ゲームじゃなきゃ出来ないもんな」
 言いながら手の中にある刀を眺めると、化け物へと向かい合う。どうやら相手はまだ巧
に気がついていないようだ。
 全力で鬼へと向かって走り出す。
 そこでやっと鬼は巧に気がついたようで、大きく棍棒を振りかぶっていた。
 だがその前に巧は鬼の前までたどり着いている。
「おせーぜっ」
 刀を思い切り振るって、鬼の腹を薙ぐ。
 ざんっと微かな手応えを感じると同時に、さぁっと音を立てて鬼の姿がかき消えていく。
 それはゲームの中で鬼を倒した印だった。あくまでゲームの中に過ぎない為、魔物が血
を吹き出したりする事はない。リアルなゲームではあったが、その辺りの描写は多少和ら
いだ表現になっている。
「っても、棍鬼くらいじゃ、大した戦功になんないな。レアアイテムを落とす訳でもない
し。もっと沢山狩らないとなー」
 そんな事を呟きながら、巧はさらに新しい魔物を探していた。
 こんな風に現実では出来ない、魔物との戦いを楽しむ。それがこのゲームの醍醐味の一
つだ。このゲームの中では誰もが超人になれるのである。
 ある時、どこからか謎の化け物が現れ、人々を襲い始めていた。だから皆を守る為、選
ばれた人間が沢山の化け物を倒す事になった。単純に言えばそれがゲームの目的だった。
実際にはなんだかんだと細かい設定もあるようだったけれど、巧はその辺りの話は殆ど覚
えていない。
 ただこうやって敵と戦う事によって、ゲーム内で戦功と呼ばれるポイントがたまり、そ
れがある一定の値までたまるとレベルがあがる仕組みになっている。レベルがあがれば、
それにともない自分の力が増す。その辺りはごく普通のロールプレイングゲームと同様で
あった。
 つまりこのゲームの中で強くなるには、そうして沢山の魔物を退治して戦功を貯めるか、
あるいはより強い装備品を手に入れる必要があった。たとえばいま巧が手にしている村正
という刀は、非常に切れ味の良い強い装備品だ。こうした武器を持てば、誰でもある程度
は強くなる事が出来る。
 そうした装備品は化け物を退治する時に手にいれる事もあれば、ゲーム内のどこかに隠
してあることもある。また何らかの方法で稼いだお金で買う事もできる。
 巧の場合はこうして魔物を退治していく事で地道に戦功を貯めつつ、新しい装備品を見
つけようとしていた。運が良ければレアアイテムと呼ばれる、ゲームの中での希少価値の
高い装備品を手にいれる事もあった。
 ただそうして戦っていくには、一人では大変な時もあり、仲間を見つけて一緒に戦う事
もある。先ほど声をかけてきた人は、そうして知り合った戦友の一人と言うわけだった。
「どっかにいい敵がいねーかな」
 呟いて辺りを見回してみる。
 それとほぼ同じタイミングの事だった。
「ひぃやぁぁぁぁぁ」
 どこか間の抜けた叫び声が響いていた。誰かが強い魔物に襲われているのかもしれない。
慌てて巧はその声の方へと走る。
 鏡面世界の中では、こうした時に助け合う事はごく普通の事だった。助けた方はもちろ
ん、助けられた方にも戦功が手に入る仕組みになっており、その為にプレイヤー同士が助
け合う事が前提となっていた。代わりに他のゲームよりも敵の数が少なく、また一人で倒
すのは難しいような多少強めの設定がされている。
 その上に近くで誰かが死ぬと、周りにいる人にも影響が現れてしまうようになっていた。
その為、ごく自然に皆は助け合って戦う事になる。
 だから巧も声の方へと急いでいた。それが自分の為にも相手の為にもなるからだ。
 巧は路地の裏側へと駆け込むと、そこには人ひとりくらい軽く飲み込めるくらいの大き
さの何かが見えた。
 淡い透き通った緑色をした巨大なそれは、ゼリー状の身体をしてぷよぷよと身を振るわ
せている。これはゼリンと言う、ゲームの中での最弱の魔物だ。
 その最弱の魔物であるゼリンの身体で、一人の少女がはいつくばるようにして下敷きに
なっていた。
「あ、こうさん、やっほー」
 しかし少女は巧の姿をみかけると、何事も無いかのように声をかけてくる。上半身はか
ろうじてゼリンの下敷きになっていないため、ぱたぱたと手を振っていた。
 彼女は巧もよく知っている少女だった。今までに何度かゲーム世界で一緒になったこと
がある。
「……お前さ、なにやってんの」
 しかし巧は呆れた声で呟いていた。それもそのはずで、ゼリンは最弱の魔物である。従っ
てそれにやられる事はまず有り得ない事だ。
 けれど少女はしっかりとゼリンの下敷きになって組み伏せられていた。
「みてわからない?」
 軽く首を傾げながら、少女は「さてなんでしょー」等と呟いている。
「いや、とりあえずお前が面白いという事以外には全くわからないが」
 巧は呆れた様子で大きく息を吐き出した。
「うーんと、じゃあ正解発表っ」
 少女は右手の人差し指をびっとたてる。
 しかし身体の半分にはゼリンがのっかったままで、間抜けな事このうえない。
「ゼリンに食べられてます〜」
 突然泣き出しそうな顔になって、うぐうぐと嗚咽を漏らしていた。
 巧には彼女がどこまで本気なのかわからなかったが、確かにゼリンの餌になりつつある
のは間違いないようだった。
 もっとも今彼女が身につけている白いミニのワンピースは、実はかなりランクの高い装
備品だった。その為、ゼリン程度の化け物では彼女にダメージを与える事は出来ないよう
で、実際のところはみていて愉快なだけに過ぎなかったが。
 しかし少女がなんとか逃れようとして、ばたばた身体を動かしてみるものの、ゼリンは
まるでびくともしていなかった。時折何とかゼリンを叩こうとして左手にもっている杖を
振るうのだが、全く当たる様子もない。
 どうやら彼女はゼリンを倒す事が出来ないようであった。
「……さすが天文は普通と違う」
 思わず巧は声にだして呟く。
「天文じゃないもんっ」
 すると少女は声をあらげて、眉を大きく寄せてにらみつけてくる。とはいえ、まるで迫
力の無い彼女の姿では、怖くもなんともなかったが。
「いやいや、遠慮しなくてもいいって。天然を超えた存在、天文だもんな。お前」
 うなずきながら呟く巧に、少女はぷぅと大きく口を膨らませていた。
「ち、ちがうからちがうからっ。天文じゃないし、天然でもないもんっ」
 少女はにらみつけながら叫んでいたが、巨大なゼリンの下敷きになったままでは間抜け
な事この上ないし、全く怖さも感じさせなかった。
「いやだって、天然天然っていってたらお前が『私、天文じゃないしっ』て思い切り言い
放ったんだろ」
 やや意地悪な口調で言い放つと、口を大きく膨らませて七瀬は文句を言いはなっていた。
「ちょっと口が滑って天然を天文って言い間違えただけだもん。天然でも、ましてや天文
なんかじゃないからっ」
 よほど不満なのか、必死で言葉を紡ぐが、どう聞いても言い訳にしか聞こえない。
「でも、この鏡界世界の中じゃ、天文っていえば七瀬。七瀬といえば天文ってくらい有名
だぜ、お前」
「ちーがーうーかーらーっ」
 七瀬と呼ばれた少女は、激しく手足をばたばたと揺らして、それからじっと巧を見つめ
ていた。
 こうしてみると可愛らしい子だとは思う。年の頃はたぶん巧と同じか、もしかしたら少
し下くらいだとは思う。せいぜいよくて高校に入ったばかり、下手をすると小学生かもし
れない。
 もっともゲームの世界なので、本物と全く違う姿をしているかもしれず、実際に彼女が
そのくらいの年頃とは限らない。ただその言動の幼さから考えても、そう大きくは外れて
いないだろう。
「と、いうか。ええっと。そんなことよりも大事な事があると思うの」
 七瀬は真剣な顔をして、巧へとまっすぐに視線を合わせる。しかしいつもの態度に、巧
は大して気にもとめていなかったが
「で、大事な事って何だよ」
「いや、その。こうさんこうさん。ここにはですね。凶暴なゼリンが一匹いる訳ですよ」
「ああ。いるな」
 うなずきながら、目の前をじっと眺めてみる。ゲーム中最弱の魔物が凶暴かどうかはお
いとして、実際今も七瀬はゼリンに食べられている最中だ。ゼリー状の身体の中に、七瀬
はかなり深く取り込まれてしまっている。
 もっともゲームの中の話であり、七瀬も装備品のおかげでダメージを受けていないよう
なので、巧はおろか七瀬自身にも危機感はまるでなかったが。
「私はですね。いま、食べられている訳ですよ。はい。そうしたら、紳士のとるべき道は
限られてますよね。そうですよね。はい。そういう訳で、一つよろしくお願いします」
 びしっと右手の指を立てて言う。
 その様子に巧は納得したのか、手を打つとすぐに歩き始めていた。
「ああ。悪い悪い。邪魔しちまったな。んじゃ、ゆっくりゼリンに食べられてくれよ」
 あとは興味を失ったかのように、七瀬とゼリンの横を通り過ぎていく。それから辺りに
別の敵がいないかどうか、軽く見回してみていた。
「わわわわっ。ひ、ひとでなしーっ。後で呪われるぞ。いや、いますぐ呪ってやるんだか
らーっ。って、いうか、ああっ。いかないで。助けてくださいっ。へるぷみー!」
 手足をばたばたと暴れさせながら、七瀬はすがるような瞳で巧を見つめる。
 そのあまりの必死な様子に巧はため息をもらしながら、振り返っていた。
「しょうがねえな。よっと」
 面倒くさそうに呟くと、巧は手にした刀を軽く一閃させる。
 同時にゼリンの身体が真っ二つにさけて、そのまますぅと音もなく消えていく。
「はぁ。助かったぁ」
 七瀬は埃のついた服を払いながら、大きく息を吐き出していた。
 それからすぐにつかつかと巧に歩みよると、突然手にしていた杖で思い切り殴りつける。
 がん、と鈍い音が響いた。
「いてぇっ。助けてやった礼も忘れて、なにしやがるんだよっ、お前っ」
「見捨てて行こうとしたくせにっ。この恨みはらさでかっ」
 七瀬はいいながら、杖を大きく掲げると、それからゆっくりとなにやら不思議な言葉を
呟き始める。
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