鏡の国に戦慄を (01)
「本当にこれが現実なのかよっ」
 巧は大声で叫ぶと目の前に広がる風景を見つめていた。
 日本を代表する巨大な赤いタワーが、確かな存在感をもってそびえ立っている。
「それは少し違うね。決してここは現実じゃあない。ただ少しばかり現実とリンクしてい
るって言うだけの事さ」
 すぐそばで声が聞こえる。
 振り返ると巧とほぼ同じ年だろう、十四、五歳の少年が一人、ビルを陰にして路地の先
の様子を伺っていた。
 巧はこの少年を知っている。
 いや、正確に言えば知らないのかもしれない。彼が何者なのか、どんな人物なのか。こ
れが本物の彼の姿なのかまで含めて何も知らないのかもしれない。
 それでも巧は彼の事を知っていた。もう何度も仲間として一緒に戦ってきた。
 彼はここでは聖と名乗っている。でも恐らくは本当の名前ではない。それもそうだ。こ
こでは本名を名乗る人間なんて殆どいない。
 聖の背は巧と比べると、やや低い。巧がごく標準である事を考えると、年の割には小さ
い方だろう。見ようによっては小学生にも見えない事はないが、それにしては彼の目は強
い意志を携えていた。
 聖は路地の先の安全を確認すると、拳銃を手にした右手で巧を招き寄せる。
 この先は安全、という事らしい。
 巧は聖の言葉を信じられないまま、それでも聖の手招きに応じて路地の先へと向かう。
 敵の姿はない。しかし現れたら現れたで戦うまでの事だ。ただ目的地に至るまでは、出
来れば無駄な争いはしたくなかった。
 だが頭上からばさっという微かな音が聞こえた。慌てて顔をあげて身構える。
 空には大きなコウモリのような羽根をもった真っ黒な異形の存在が浮かんでいた。例え
るならば聖書にある悪魔。鋭い牙を口の端からのぞかせている。
「ちっ、このエリアには有翼鬼がいたのかよっ」
 巧は空に浮かぶ異形に驚きの声をあげて身構える。
 しかしそれはここで有り得ない生き物をみたからではなく、ただ純粋にそこにいる事そ
のものへの反応に過ぎない。
 間髪入れずに踏み込んで、そのまま大きく空へと飛び上がる。屋根の上にも届こうかと
いうほどに浮かび上がると、空に浮く異形の目の前に迫っていた。
「村正っ」
 まるで格闘ゲームの必殺技のような台詞を叫ぶと、同時に巧の手の中に金色に輝く刀が
姿を現していた。
 その刀をそのまま大きく振り上げると、異形へと振り抜く。
 わずかに鈍い手応え。
 だがそれはほんの一瞬の事で、まるでバターにナイフを入れたかのように異形を真っ二
つに切り裂いていた。
「気づかれたかな」
 巧は周囲を警戒しながら見回してみる。だが他に異形の姿はない。
 聖が銃を身構えたまま、それでも軽く息を漏らした。
「後続もこないし大丈夫だと思う。でも早く目標に向かう必要がありそうだね」
 聖の言葉に巧もうなずく。あまり一カ所に長居するのは得策ではない。
「しかしいくらリアリティがすごいったって、こんな化けもんが闊歩する世界だぜ。いく
ら何でも有り得ないだろ」
 巧はまだ信じ切れずに声を漏らす。
 現実ならあんな異形がいるはずもない。あれほどの跳躍が巧に出来るはずもない。出し
入れが出来る不思議な刀を手に出来るはずもない。聖にしても現代日本で、そう簡単に銃
を手にしていられるはずはなかった。
 確かにここは日本だ。目の前に日本を代表する大きな赤いタワー、東京タワーがそびえ
立っている。
 しかしこの場所に巧達の他に人気はない。この都心でこれほど人がいないはずもないし、
車の一台も走っていないなどという事は通常なら有り得ないだろう。
 その理由は一つだけしかない。
 ここがゲームの世界だから。
 巧と聖は新しく始まったオンラインゲームで知り合った仲間で、いま二人はゲームを楽
しんでいるに過ぎないのだ。
 聖が奇妙な事を言い出す前までは。
「君にもすぐにわかるさ。このゲームがどれだけ危険で、そして面白いものかっていう事
はね」
 聖の口元にわずかに笑みが浮かぶ。
 冷たくも見える。だけどどこか挑戦的な微笑みだった。
「ならお前の言う通り、この世界が現実とリンクしているんだとしたら、もしこの世界で
死んだらどうなるんだ」
 巧は浮かんだ疑問を何気なくぶつけてみていた。まだ巧には何一つ実感はない。ただ何
とはなしに訊ねただけだ。
 だけど聖は口元に楽しげに笑みを浮かべ、功をじっと見つめていた。
「さぁね。まだ死んだ事はないからわからないけれど」
 巧の問いに、聖は静かに、しかしなのにどこか楽しさすら感じさせる声で答えていた。
「僕の出した結論は。現実でも、死ぬ」




一.出会い

 放課後、クラスメイトが帰りに遊びにいかないかと声をかけてくる。しかし巧はその誘
いを断って、まっすぐに家へと向かっていた。
 最近の巧は学校が終わると、慌てて家へと急ぐ日々が続いている。
 部屋に荷物を置くなりパソコンのスイッチを入れた。そしてアイコンの散らばる画面の
中から一つを選んでクリックする。
 鏡面世界。そのアイコンにはそう書かれていた。いま巧がはまっているゲームの名前だ。
 すぐにゲームの画面が起動し、同時に巧はヘッドマウント型のディスプレイを装着する。
平たく言えばマイクとヘッドホンつきの、大きめのゴーグルのようなものだ。ただしつい
ているのはレンズではなく、視界全部を覆う新型ディスプレイ。これを装着する事で現実
世界から遮断され、完全にゲームの世界に入り込めるという訳だ。
『よう、巧。今日は早いな。ちょうど千葉エリアでセッションが始まるぜ。一緒にやんな
いか』
 同時にゲーム内で知り合った仲間のうちの一人が声をかけてくる。ヘッドホンを通して
聞こえてくる声は、確かに人がその向こうにいる事を感じさせた。
 鏡面世界とはいわゆるオンラインゲームだ。オンラインゲームというのは普通のゲーム
と違い、ネットワークを介して同時に沢山の人間と遊ぶ事が出来るゲームの事を言う。そ
のゲームの中にも様々な種類のものがあるが、鏡面世界はその中でも最先端の技術によっ
て作られた特別なゲームだった。
 つまり聞こえてきた声は実際にいる人間のもので、ゲームの世界に入ってきた巧をみつ
けて声をかけてきたと言う訳だ。
「悪い。今日は組織の戦友と約束があるんだ。その後のセッションに出る予定でさ。また
今度誘ってくれ」
 マイクを通して断りを入れる。
『りょーかい。でも大丈夫か。そっちのセッションは難易度かなり高いらしいぜ』
 ヘッドホンを通して再び声が聞こえてくる。その声は確かにその向こうには人がいるの
だと感じさせてくれた。
 いうならばちょうど電話で話しているに近い感覚だろう。実際に相手の姿は全く見えな
い。
 オンラインゲームでは友達――このゲームの中では戦友と言うが――として登録された
人間がゲームの世界に入ってくると、すぐにわかるような機能がある。そしてたいがいの
場合、場所がどんなに離れていようともこうして会話する事が出来るのだ。
 これらの機能のおかげで、現実ではどんなに遠くに離れている人間とでも一緒にゲーム
が出来るという訳だった。
 ただし友達とは言っても、巧はいま話している相手が、実際に何をしている人なのかは
知らない。たぶん声からすると大人の男性のようだけれど、このゲームには自分の声を変
更する事が出来るボイスチェンジャーが付属している為、この声が本当の声かどうかはわ
からない。
 これを使えばゲームの世界の中では、完全な別人になりきる事も出来るという訳だ。極
端な話、性別だって変えられる。
 巧は殆ど自分自身と同じような設定にしてゲームに参加している為、こうした機能は使
用していない。しかし中には全く本当の自分とは違う姿に変身している人もいるだろう。
 向こう側にいる相手がどんな人かはわからない。
 でもそれでいいと巧は思う。戦友はあくまでゲームの中の友達なのであって、現実の友
達とは違うものだと考えていた。
 もちろん中にはオフ会と称して実際に会ってみたりする人達もいるようではある。そう
して会う事でより親近感がわいて楽しくなる事もあるだろうが、いまのところ巧はそうし
たオフ会の類には興味がなかった。
 ただゲームが楽しくて仕方なかった。
 ゲームの世界とはいえ、本物と見間違うかというくらいのリアリティのある世界で、実
際に魔物と闘うことが出来る。そんなことはゲームの中でしか体験する事は出来はしない
だろう。
 それも自分一人だけではなく、仲間と一緒にだ。たとえゲームの世界とはいっても、一
緒に戦う仲間も本当の人間なのだ。
 だから仲間も時には巧の思わない事をしたりもする。普通のコンピュータゲームのよう
に、決められた内容をたどるだけではない。
 ドジをする事もあれば、ものすごい熟練の技で敵を倒してくれたりもする。ピンチを救っ
たり、時には救われたりもする。ただのゲームの世界では感じられない体験をする事が出
来る。
 そこがオンラインゲームの一番の魅力であり、今の巧にはその事が楽しくて仕方がなかっ
た。
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