僕にも魔法が使えたら (24)
 どこか遠いところから声は響いていた。呼びかけるような声に、洋は意識を凝らす。
 ここはどこだろう。ふと考え込んでいた。
 そうだ、ここはあの原っぱだ。学校の帰りにいつも遊んでいる、あの原っぱ。
 やっと答えをみつけて、目の前に広がる草むらをじっと見つめる。どこからか小川のせ
せらぎが聞こえる。
 ふと泣き声が聞こえた。
 すぐに目の前で泣いている少女が一人。年の頃は十を越すか越さないかというところだ
ろうか。洋自身とほぼ同じ年頃だ。
「泣くなよ、お前」
 泣いている少女に、洋はぶっきらぼうに言う。どうして泣いているのかもわからない。
彼女を見つけた時、もうすでにわんわんと一人大声で泣いていたから。
「……だって」
 少女は言葉にならない声で、ただ泣きながら告げていた。何を言おうとしているのか、
洋には全く想像もつかない。
 不意に少女の目の前で段ボールに入れられた仔猫がうずくまっているのが見えた。
 いや、うずくまっているんじゃない。死んでいるんだとすぐに気付く。仔猫はぴくりと
も動こうとしないのだから。
「……だって」
 仔猫はもう完全に冷たくなっていた。がりがりにやせ細った仔猫は、ろくに何も食べて
いなかったのだろうと思う。
 親猫は傍にいない。それもその筈だ。恐らくこの子は捨てられたのだから。まだ目を開
いてもいなかったに違いない仔猫。母親のミルクを飲んで過ごすはずの仔猫が、こんなと
ころに捨てられて生きていられる訳がない。
「お墓、作らないとな」
 洋は淡々と呟く。それ以外にしてあげられる事を思いつかなかった。
「やだ……つれていかないで……」
 少女は段ボールの上に覆い被さると、ただわんわんと泣き続けた。
「でも。お別れしてやらないと、そいつがかわいそうだろ?」
「かわい……そう?」
 洋の言葉に、始めて少女は顔を上げる。涙で目を赤く変え顔をぐちゃぐちゃにして。
「だってこのままじゃ天国にいけないだろ。ちゃんとお墓作って祈ってやんなきゃ」
 洋は舌を噛みながらも、なんとかそう告げる。子供なりに必死で考えた言葉だった。
「お墓……天国……」
 少女は再びじわりと涙を溜めだしていたが、それでも何か思うところがあったのか、ぐっ
と堪えて、こくん、と頷いた。
「お墓……作る……」
 ぽつりと呟き、じっと洋を見つめていた。
「どこ……?」
「ん? ああ、お墓を作る場所か。うんと、そうだ。木の下! 大きな木の下にしよう」
 洋は言ってきょろきょろと辺りを見回す。やや離れた小川の傍に、大きな木が立ってい
るのが見て取れた。あそこにしようと告げると、少女は声もなくこくりと頷く。
 しばらくは無言のまま、洋は木の根本を掘り続けた。やがて仔猫を入れられるくらいの
穴がやっと開く。
「ここに埋めるよ。この木がお墓の印になるから、きっとこの子は天国にいける」
 洋の言葉に、少女は無言のまま頷く。少し涙目ではあったが、それでもなんとか納得し
たのか、じっとそのまま穴を見つめていた。
 仔猫を横たわらせる。少しずつ土を掛けていく。完全に姿が見えなくなるまで。
「と、名前。名前を書かなきゃな。この子の名前は?」
 そこまでいって洋ははたと気が付いた。たぶん埋葬した仔猫に名前なんてないだろう。
 置いてあった段ボールの汚れかげんや、中にいた仔猫の様子でわかる。少女はただ、つ
いさっき仔猫を見つけただけなのだと。
 だとしたら名前なんて有るわけがない。案の定、少女も首を傾げている。何と答えてい
いのか分らないのだ。
「……名前……」
 少女はぽつりと呟く。必死で考えているのかもしれない。もうすでに死んでしまってい
る仔猫の名前を。少し時間が流れる。しかし少女はふと思いついたのか、ぽつりと答えた。
「……みゅう」
「え?」
「猫は、みゅうみゅうなくから……みゅう」
「猫ならにゃーにゃーだろ?」
「……ふぇ」
 他愛もない洋のつっこみに、少女は再び涙目になる。
「わわわっ。いや、みゅう。うん、いいんじゃないか?」
 慌てて肯定すると、少女も満足気にこくりと頷いていた。
「うん。みゅう……可愛い」
 自分のつけた名前が気に入ったのか、もういちどうんと頷く。やっと少し涙が乾いてき
ていた。
「よし。名前を刻むぞ。みゅう、と」
 石を使って木の表面を削っていく。子供の力ではあまり上手くは彫れはしなかったが、
何とか判断出来る程度には削る事が出来た。
「よし。出来た」
「……みゅう。天国、いける?」
「ああ、いけるさ」
 洋は自信満々に答える。子供ながらに、やれるだけの事をしたという満足感はあった。
「名前……教えて」
「え?」
 少女の台詞に洋は思わず訊ね返していた。名前なら今決めて彫りつけたばかりだ。
「貴方の……名前」
「あ、ああ。そっか、僕のか。僕はひろし。しんどう ひろしだよ。海のような大きく広
い心をもった人になれっていう事なんだよ」
「……ゆあ」
「え?」
「私の……名前」
 少女――幼い頃の結愛はゆっくりとそう呟いていた。
「あ、そっか」
 洋はぽりぽりと頭を掻くと、結愛をじっと見つめる。
「なぁ、そろそろ帰らないとお母さんにしかられるんじゃないか」
 洋の問いに、しかし結愛は無言のまま何も答えようとしない。困って何か声をかけよう
とした瞬間。ぐぅと結愛のお腹が鳴った。
「なんだ。お腹すいてるのか?」
 洋の問いに結愛は無言でこくりと頷く。
「うーん。でも、食べ物はなぁ。あ、そうだ。確かポケットに」
 思いついてがさごそとポケットをあさる。
「あったあった。ほら、これでも食えよ」
 そう言って差し出したのは、小さなキャラメルが一つ。
「うん」
 こくりと頷いて結愛はキャラメルを受け取っていた。ゆっくりとした動作で包装紙を外
して口に運ぶ。
「……甘い……」
「キャラメルだからな」
「……美味しい」
「ああ、それはよかった」
「美味しい」
 結愛はもう一度ぽつりと呟いて、そしてその瞬間、小さく涙をこぼした。
 洋はぎょっと目を見開いて、結愛を見つめていたが、どうすればいいかも分からない。
「帰りたくない……」
 結愛は淡々と呟くと、そっと顔を伏せる。
「帰り……たくない」
 何があったのかもわからない。でも、ただ悲しさをたたえた瞳で、寂しそうに呟く。
「うーん。でもお母さん心配するよ?」
「……お母さんいない……お父さんも」
「え?」
 思ってもいない台詞に思わず訊ね返していた。しかし結愛は何も答えはしない。
「じゃあ、僕んちくる?」
 子供なりに精一杯考えた言葉だった。
 結愛はしばらく何か考えていたようだがが、しかしやがてこくりと頷いた。

「ほら、ここが僕んちだよ」
 洋の台詞にこくりと結愛は頷く。今更ながら大人しい子だな、と思う。
「ただいま」
 玄関を潜り扉を開ける。しかし中には誰もいない。一人きりの家。昼間は毎日ホームヘ
ルパーさんがきてくれる。しかし夕方を過ぎるとこの家には誰もいない。洋が一人ここに
いるだけ。
 母親はすでにこの世にいない。父親は仕事の為に夜はいつも遅い。そんな生活が始まっ
たのは一年ほど前の事だったかもしれない。
 この生活は洋が強く望んだ事だった。母親を失った時、洋を親戚の家に預ける、そんな
話がなかった訳ではない。
 しかし洋は頑としてこの家から出ようとはしなかったのだ。それでも初めは近所に住む
叔母の家に預けられた。だが洋は一人でこの家に帰ってきた。母親のいたこの家に。
『ぼくはいえにかえります』
 そう書き置きを残して。
 その後、いろいろとすったもんだを繰り返したあげく、ちょくちょく叔母が見に来ると
言う事でなんとか話はまとまっていた。
 そうして洋はこの家で一人で過ごす事になった。時々は父親の職場、大学の研究室で寝
泊まりする事もあったが、でも一人いるのはやっぱり寂しかったのかもしれない。
「僕の部屋、こっちだから」
 洋の言葉に、結愛はこくりと頷く。しかし実際に部屋に案内する前に、ふと結愛はその
口を開いていた。
「……お母さんとお父さんは?」
「お父さんは仕事いってる。お母さんは……天国にいってると思う」
「……そっか……私と、一緒だね」
 結愛は淡々と呟く。
「私と、一緒」
 もう一度同じ台詞を繰り返して、そして小さく微笑んでいた。悲しい、笑顔で。
「これ、あげる」
 結愛がそう言った瞬間。彼女の手の中から、小さな花が現れていた。何の前触れもなく。
「え? それ、どこから?」
「召還術……。私、まだ大した事出来ないけど……」
「しょ……? よくわからないや。うんと、つまりは魔法って事?」
 少し悩んだあと、洋は子供なりに考えた台詞をゆっくりと呟く。
「……うん。まほー」
「わ、すごいね。それ僕にも出来るかな?」
 素直に感心して、目の前の花を見つめる。
「……たぶん、出来ない」
「そっかぁ。僕にも魔法が使えたらな」
 洋はじっと自分の手を見つめていた。もしも魔法が使えたら、とても楽しい事が出来そ
うなのに、と。
「……うんと、まほーは使えないと思うけど、まほーの力は沢山あるみたい……私、あん
まり無いから……二人いっしょだったら、いろいろできるかも」
「そっか。じゃあ、二人でパートナーになれば大丈夫だね」
「……うん」
 結愛は時をおいて。静かに頷いていた。
「ぱーとなー……。じゃあ、いつか私のぱーとなーなってくれるって約束してくれる?」
「もちろんだよっ」
「うん。約束」
 そう言って洋はゆっくりと右手の小指を差し出した。その指を、結愛は自分の小指でとっ
てそっとつなぐ。
「うん。……約束。指切り」
 結んだ指を優しく切る。
「うん、何かあったら。僕が力になってあげる。がんばるから」
「私……も。私のまほーで、がんばって守るから」
「ばかだなぁ。僕はこー見えても強いから、守る必要なんてぜんぜんないよ。最近、空手
の道場に通ってるしっ」
 軽く構えをとって、ていっ、と正拳突きを繰り出してみせる。まだ習い立ての力ない子
供のパンチではあったが、それなりにきちんとした技にはなっていた。
「うん。でも……私はまほーが使えるから」
「ふぅん。まぁ、いいや。じゃあ、約束な」
 指切った小指を結愛へと向ける。結愛はこくりと頷き、そして静かに時間が流れた。
 その、瞬間だった。
「結愛。ここにいたんだね」
 不意にその声は響いた。
「……雪人」
「雪人? 誰、どこにいるの?」
 洋には声の主の姿は見えない。しかし結愛には見えているらしく、顔を俯けてこくりと
頷いていた。
「探したよ。君の気持ちはわからなくもない。でも君はもう天守候補生なんだよ。わがま
まは許されない。さぁ帰ろう」
 声はどこからともなく聞こえ来るのだが、しかし洋には気配すらも感じられない。
「ん、結愛。人前で術を使ったね。只人の前で術を使ってはいけないといった筈だよ」
「……ごめんなさい」
 結愛はばつが悪そうに、その頭を下げた。声の主はそれで満足したのか、ふむ、と軽く
呟いていた。
「まぁ彼もまだ子供だし、大騒ぎする事もないか。ただ念の為、記憶は消しておくよ」
 男の声と共に、洋の頭にキンと冷たい何かが走った。額に何かが触れる感覚。まるで締
め付けられるように頭が痛む。
「ぅぐぐぐぐぐぐ」
「ふぇ!?」
 呻きを上げた洋に、結愛が心配そうに声を漏らす。
「心配する事はないよ。すぐに頭痛はやむ。その時には僕達の事は忘れているけどね」
 声がそう告げた時には、洋は意識を失ったようで、そのまま床で力尽きていた。しかし
その寝顔にはもう苦痛の色はなく、結愛も安心したようで、こくりと頷く。
「でも僕がこうして探しに来るというのは、大変な事なんだよ。わかるね?」
「……うん」
 雪人の声に、結愛は再び頷いていた。
「僕は守の民全員の意志。そして古来より受け継いできた力そのものであり、天守達の魂
の集合体であり、形無きもの。僕がこうして現れたという事は、君の事をみんなが心配し
ているという事なんだよ」
「……うん」
「守の民が強く願えば、僕はそこに現れる。大きな力を持って。だけど大きな力は、時と
して災いを呼ぶ。悪意をもって私を求めるものがいたら、世界を動かす力を手にいれられ
るかもしれない」
 雪人は淡々と、しかし力強く告げる。すぅと音も無く、ここに姿が現れていく。一人の
麗しい青年の姿をもって。
 これは雪人本来の姿ではない。雪人はあくまでも霊体であり、特に形があるものではな
いのだ。雪人はいわば天守の守護霊とでも言うべき存在なのである。どんな姿を取る事も
出来るし、大きな力を持ちそれを人に与える事も出来る。
「だから僕は長居する訳にはいかない。さぁ、帰ろう、結愛」
「……待って」
 結愛は思わずそう呟いていた。じっと洋を見つめながら。
「なんだい?」
「私、洋さんを智添にする。契約したの。認めて欲しい」
「彼は只人だよ。それは出来ない」
 雪人は軽く首を振る。
「でもっ。私、約束したのっ」
 それでも食いつくように結愛は言い募る。じっと雪人を見つめて、一心に願う。
「そうだね。そこまで言うなら、一つだけ条件を出すよ。僕は君の記憶も消す。それでも
君がもう一度、彼を選ぶなら。強く結びついているなら。彼を智添として認めるよ」
「……うん。私、忘れないから」
 力強く頷く。それを見て取ると雪人は結愛の額へと手を伸ばした。その瞬間、結愛の頭
に強い衝撃が走る。同時に結愛の身体からふっと力が抜け、そのまま意識を失っていた。
「忘れない、か」
 結愛をそっと抱きかかえて、その寝顔を見つめていた。安らかに寝息を立てている。
「忘れないといいね」
 雪人はただ静かに呟いていた。


『洋、洋。こっちにおいで』
 声はどこからともなく響いてくる。
「俺を呼ぶのは誰……だ?」
 洋はどこか定まらない声で答えると、ハタと気が付いて辺りを見回した。
 真っ暗で何も見えない。そもそも自分がどこにいるのかもわからない。何も無い空間に
ぼんやり浮かんでいるような、そんな感覚にとらわれている。しかし、それでいて洋はしっ
かりと地面に立っている。
『僕は君だよ』
 声は確かに答えた。不思議な答えを。聞こえてくるのだから、この声が洋のものである
はずがないのに。
「俺は……俺だ」
『そう。君は君、そして僕は僕だよ。でも、僕は君の一部でもある』
 呟いた声に、声ははっきりと答えていた。
 こいつは何が言いたいのだろう。思わず首を傾けそうになって、ふと思い出す。
「それより結愛は!? ここは!?」
『ここは君の心の中。深い場所。そして魔力の源。僕は君を助けにきた』
 声が響いたと思った瞬間。一人の男が目の前に姿を現していた。何の前触れもなく。し
かし洋はそれを不思議とも思わない。
「誰……だ? お前が今の声の主か?」
「そう。僕が君を呼んだんだ。存在が失われようとしてる君を」
「……?」
 男の言葉に洋は首をひねらざるを得ない。何を言っているのか全くわからなかった。
「かつて僕は、いや僕を構成していた『僕』は君の記憶を封じた。だけどその時、君は僕
とつながってしまった。君の多大な魔力が僕を捉えていたんだ。そして僕が生まれた」
 男はただ淡々と語り続ける。
「再び結愛と出会って、君は記憶を刺激された。その歪みから僕は姿を現した」
「何を言ってるんだ?」
 洋はふと口を挟んでいたが、しかし男は気にもとめようとはしない。
「そして、今。僕の力は殆ど尽きようとしている。だけど、僕は消える訳じゃない。還る
んだ。『僕』ではなく、僕を捉えた君の元に」
 男は洋へと手を伸ばす。慌てて避けようと思うが、身体がうまく動かない。
「無理をしないで。君は殆ど力を無くしている。安心して。僕は元々、君の一部でもある
んだから。意志の集合体である『僕』、雪人の心の欠片が君とつながって僕が生まれた」
「お前、まさか!?」
 やっと理解していた。取り戻した記憶と、今起きようとしている事実を知って。
「そう。僕はみゅうだよ。いまは君の心の中にいるから、こうして話す事が出来る」
 みゅうはにこやかに微笑みながら、ゆっくりと告げる。
「いまから僕の残った力を全て君に渡すよ。そうしたら君は帰るんだ。結愛の元に」
「みゅう! そんな事したらお前は!?」
 洋が驚きの声を上げるが、みゅうは全く気にもしていない様子でゆっくりとその手を伸
ばした。その手の先が洋に触れた瞬間、ゆっくりと洋の中に溶け込んでいく。
「いっただろ? 僕は元々、君の一部でもあったんだ。ただ君の中に還るだけ。それに僕
はあくまで雪人の力の欠片に過ぎないんだ。僕が消えても、雪人が消える訳じゃない」
「ばかな! お前はお前だ!」
 殆ど消えて無くなっていたみゅうに向かって、それでも洋は叫んでいた。
「……結愛を頼むよ」
 みゅうは小さな声で告げて。
 そして、消えた。洋の中へ。
「みゅうーっ!!」
 叫ばずにはいられなかった。
Back Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない  読む価値なし

★一番好きな登場人物を教えて下さい
洋  結愛  綾音  冴人  みゅう
裕樹  佳絵  蒼駆

★もしいたら嫌いな登場人物を教えて下さい(いくらでも)
洋  結愛  綾音  冴人  みゅう
裕樹  佳絵  蒼駆

★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!