僕にも魔法が使えたら (23)
「そんなっ。綾ちんが壊したはずなのにっ」
 現れた石柱に思わず大きく叫ぶ。こういった術はあらかじめ作り上げておいた結界が無
ければ発動しない。しかし一度壊された結界は何をしようと使う事は出来ないし、結界を
張り直すにはかなりの時間が掛かるものだ。
「教えておいてやろう。結界は石柱そのものではなく、そこに埋め込んだ宝玉の力による
ものよ。従って石柱だけを壊されても結界は壊れぬ」
 蒼駆は淡々と呟く。そして次の瞬間、バチバチっと石柱から雷撃が走った!
「ぐぅ!?」
「みゅっ!?」
 術は洋と、そしてみゅうの身体を捉えていた。全ての力が吸い出されていく。
「洋さんっ洋さんっ洋さんっ」
 結愛が大きく叫ぶ。しかしその声は洋の元に届いていないのか、ただ洋は苦悶の色を浮
かべるだけだ。
「くくく。きた……きたわっ。この力、この感覚。まさしく雪人の力。これさえあれば私
に敵うものなどもはやない。恨み重なる守の民に一泡ふかせてくれるわ」
 蒼駆が叫ぶ。だが結愛の耳にはもはや何も入っていない。ただ目の前にいる洋の姿しか。
「ゆあっ……!」
 苦しみながらも、しかし洋の声が漏れてきていた。
「洋さん! しっかりしてくださいっ。いま、いま助けますからっ」
 結愛が叫ぶ。力を放ち続ける岩の前で。
「いぬい……だ」
「!? でも、洋さんのその状態じゃっ」
「いいから……やるんだ! はやく!」
「は、はいっ」
 結愛は大きく頷き呪文を唱え始める。
「けんだり、しんそん、かんごんこん」
「ふん。ばかめ。この術を使っている間には簡易な術はきかぬ。ましてや雪人の力を奪う
さなかよ。八卦施術と言えど傷つけられぬ」
 蒼駆は勝ち誇った声を上げた。目を向けると、みるみるうちに蒼駆の力が増していくの
が洋にもわかる。
 しかし洋は苦悶の表情の中にも微かに口元に笑みを浮かべていた。
「お前……今、術の最中だよ……な。なら……もう他に……術は使え……ないだろ?」
「ふん。またあの刃の術でも使う気か? 八卦施術と組み合わせたとて無駄な事だぞ」
 かつて力を吸い取られた時に洋が使った魔力の刃を撃ち出す術。あれは現の術の応用に
過ぎない。今の蒼駆を傷つけるには足りようがない。
「違う……さ。なぁ……結愛」
 洋の向けた視線の先。結愛が一人呪文を唱え続ける。あの時、唱えきれなかった術を。
「八卦より我らを示すもの。選ばれしもの。汝、ここにありて、礎を作りしもの」
「なに!? その術は!?」
 蒼駆が始めて焦りの色を浮かべていた。しかし蒼駆もここで術を止める事は出来ない。
「お願いっ。きて! 乾(けん)!」
 結愛の叫びが響く。乾。天を意味するその言葉は、多大な力を持つ。雷も雨も風も。そ
れは天から来るものだ。すなわち乾は単体でも大成すらしのぐ力を持っているのだ。
 しかし結愛が合わせた三本の指の前に、何一つ現れようとはしない。ただ、がくりと膝
をついてその力を失っていくだけ。
「くくく。力尽きたか! 所詮、呼べぬなら無いも同じこ……と」
 蒼駆の言葉が止まる。空の色が変わっていた。まだ日が暮れるには早い。しかし確かに
その色は真っ赤に染まっている。
「ばか……な!?」
 蒼駆が呟いたその瞬間。
 ドン!! 強い音が響いた。
 雷が! 風が! 雹が! 確かに襲い来ていたのだ。それは一瞬の事。空の色はすでに
青く白く。確かにそこに戻ってきていた。
 叫び声すら上がらない。刹那の出来事。しかし洋をみゅうを捉えていたはずの力は完全
に消え去っていた。洋がゆっくりと崩れる。
「洋さん!」
 結愛が叫びその身体を支えるが、不思議な程に軽い。力を全て使い果たしたのだ。
 乾の術には多大な魔力を必要とする。だが普段の洋で有れば、力を出し切る事もなかっ
ただろう。しかし今は力を吸い込まれている最中。そこから無理に力を使い、乾を呼びだ
したのだ。洋が無事ですむ筈がない。
 これは一つの賭けだった。恐らく乾の術と言えど、そのままでは蒼駆には通用しない。
綾音の大成ですらもトドメを刺すには至らなかったのだから。いかに乾と言えど、あの大
技に優る力はない。
 しかし術を唱えている最中なら。守りの術を使えぬ状態なら。これだけの術なら突破出
来る。そこまで読んで洋は結愛を術から逃したのだ。だがその代償は大きかった。
「洋さんっ、洋さんっ、洋さんっ」
 結愛が何度も名前を呼ぶ。しかし洋はぴくりとも動こうとしない。
「私っ、私、いやですっ。洋さんがいなくなったら、いやですっ」
 大粒の涙をこぼしながら結愛は叫ぶ。
 その言葉はどこにも届かない。いや。
「く……。候補生ごときが、よくも私を……。だが私を倒すまでには……至らなかったぞ」
 息絶え絶えに。あちこちから血を流しつつも、それでも蒼駆はそこに立っていた。
「許さぬ……。かつて倒されし同胞の痛み。必ずしやお主達にも味合わせてやる」
 自分の手をそっと身体に当てる。その瞬間、ゆっくりとその傷がふさがっていく。しか
し完全には癒しきれない。
「く。今の力ではこれが精一杯か。まぁ、いい。後はその小娘一人倒せば良い事。さすれ
ば再び雪人の欠片から力を奪えばよい」
 先程の力には及ばずとも多大な力だ。蒼駆はそう呟いて、再び錫杖を結愛へと向ける。
「み、みゅうっ」
 みゅうが慌てて声を上げていた。純粋に恐怖から浮かぶ声。
 みゅうは雪人そのものではない。仔猫の身体を借りて少しだけ雪人の力と意志を与えら
れたもの。あくまでも本質は猫に過ぎない。
「もはや多くの術を使う力はない。だが、まだ私には残っておる。こいつがな」
 懐から二枚の人型の紙を取り出していた。
「式神!」
 結愛が叫ぶ。式神は契約の元使う力だ。従える際には多大な力が必要だが、使役するに
は大した力は必要としない。
「所詮、こやつらは小鬼に過ぎぬが。今のお前には十分であろう?」
 放った紙が、むくむくと形取っていく。
『キキィ!』
 そして二匹の鬼へと、その姿を変えていた。
 その瞬間、みゅうが結愛へと走り出す。
 しかし同時に蒼駆が錫杖を振るい、みゅうの行く手に風を作る!
「みゅう!」
 みゅうが思わず声を上げる。
「させぬ。力は与えさせぬぞ。前々からの様子を見ていれば触れねば力は渡せぬようだか
らな。人の身であれば傷を受けぬやもしれぬが、その器では厳しかろう?」
 蒼駆はそう言い放つと、口元に歪んだ笑みを浮かべる。完全に勝ち誇った表情と共に。
 今、蒼駆が使った術は大した術ではない。人の身であれば、わずかに抵抗を感じる程度
の風を呼び出すものだ。
 しかし仔猫の身体に吹き付ければ、それだけでも十分な驚異になる。これでみゅうは動
く事が出来ない。
「では、行け。小鬼ども」
『キキィ!』
 二匹の小鬼は合図と共にその鋭い牙を立てて襲いかかる!
「けんだり、しんそん……ううん。だめだめだめっ、もう八卦施術は使えない。なんとか
他の術で……」
 唱えかけた呪文を中断し、襲い来る小鬼の攻撃を身をひねって何とか避ける。すぐ傍を
小鬼が通り過ぎていく。
「なら。これならどうっ。いけーっ、炎矢(えんや)!」
 結愛が印を結び叫ぶと同時に、小さな炎の矢が現れる。炎の矢はすぐさま勢いをつけて
小鬼の内、一匹へと向かっていく。しかし。
「キィ!」
 小鬼は目の前に迫った炎をその爪で切り裂く! 炎は無惨に散り去っていく。
「ええっ。そんなぁ、効かない!?」
 結愛は少々情けない声を上げる。その瞬間、もう一匹の小鬼が結愛へとその牙を向けた
!
「わわわっ。避けるっ」
 慌ててその場に伏せて、その牙を避ける。結愛の頭上を小鬼が飛びすぎていく。
「もうっ。怒ったんだからっ。えっとえっと、ならならなら、炎槍(えんそう)!」
 先程よりも大きな炎が結愛の目の前に現れる。そして今にも結愛へと襲いかかろうとし
ていた小鬼へと向けられる。
「キィ!?」
 小鬼もこの炎は避けきれない。グゥン! 低い爆音と共に小鬼が炎に包まれた。
「やった!」
 結愛が喜びの声を上げたのもつかの間。
「キキィ!」
 炎が消え去った後から再び小鬼の姿が現れる。多少はダメージを受けたようではあるが、
あまり効いているようにも思えない。
「ふぇ。ぜんぜん、きいてない〜」
 そう言いながらも、なんとか小鬼達の攻撃を避けていく。
 しかし決定的な打撃を与えられる八卦施術は使えず、小技の術は通用しない。このまま
ではいつか小鬼の牙にとらえられるのは間違いなかった。
「みゅう!」
 みゅうが結愛へと駆け寄ろうとする。しかし次の瞬間には、蒼駆の力が飛ぶ!
「みゅーっ」
 風をなんとか避けて、それでも前へ向かおうと足を進める。
「させぬわっ」
 けれど何度やろうとも風に遮られ、結愛の元へは向かう事が出来ない。
「ファーッ!」
 みゅうが威嚇の声を上げるが、もちろん蒼駆はそれでうろたえたりはしない。ただ口元
に歪んだ笑みを浮かべるだけだ。
 みゅうは大きく身構える。一気に駆け抜けようとしたのか猛スピードで走り出した。
「ばかめ。それでは風を避けきれまい!」
 蒼駆はくくくとくぐもった笑い声を漏らし錫杖を振るう。風がみゅうへと吹き付ける。
 みゅうは――避けきれない!
「みゅぅ!?」
 風が直撃し、みゅうを有らぬ方向へと吹き飛ばしていく。
「これでもはやろくに身動きはとれまい」
 蒼駆がみゅうから視線を移し、残る結愛へと視線を戻した瞬間だった。
「ね、ねこ!?」
 不思議な叫び声が聞こえてきた。
「な?!」
 慌てて振り返ったそこには。
 驚きながらも、はっきりと立ち上がった冴人の姿があった。顔にみゅうを張付けたまま
だったが。
「冴人くんっ」
 結愛が叫ぶ。一瞬、駆け寄ろうとするが、しかし小鬼に遮られて近寄る事は出来ない。
慌てて攻撃を避ける。
「離れろっ。くそっ」
「みゅーっ!」
 冴人はみゅうを引っぺがそうとして手を伸ばすが、それよりも早くみゅうはしがみつい
たまま背中へと移動する。
「みゅうっ」
 勝ち誇った声を上げると、それからぴょんと飛び退いた。遠巻きに冴人を眺めている。
「……だから私はこの生き物が嫌いですよ」
「みゅっ」
 淡々と呟く冴人に、みゅうが短く答える。どうやら何か抗議しているらしい。
「な。まさか風をわざと受けてそやつの元にいこうとは。ぬかったわ」
 蒼駆が呟く。僅かとは言え力を取り戻し傷を癒した冴人に対抗する術が無かった。
「しかし何故だ。いかに雪人といえど、所詮、そやつは力の欠片に過ぎぬ。そこまで劇的
に回復させる力は無いはずだ! 何故だ!」
 蒼駆が鋭く声を上げた。確かに結愛が復活するのにも、洋が復活するのにも長い時間が
必要だった。みゅうが触れたとは言え身動きすら出来ない冴人が回復するには早すぎる。
 しかし蒼駆の問いに冴人は眼鏡の位置を直しながら、僅かに声を潜めて答えていた。
「認めたくない事実ですが。……それは私が猫アレルギーだからでしょう。アレルギーと
いう事は、それだけ猫に過敏と言う事でもありますから、つまりはこの生き物からの影響
を受けやすいという事です」
 僅かに眉を寄せていたのは、あまりしたくもない説明をしたからだろうか。
「まぁ、いいでしょう。おかげで力はすっかり回復しました。私が動けない間によくも結
愛さんに好き放題やりましたね。そのお礼はさせていただきますよ」
 冴人は言うが早いか、印を結び始める。
「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」
 一文字ずつ、はっきりとつぶやき、そして合わせた両手の形を、少しずつ変えていく。
「くっ。させるか!」
 蒼駆が慌てて印を結び、錫杖を振るう。風が冴人へと襲いかかる、しかし!
「効きませんよ、そんな術は。貴方も知っての通り、術の詠唱中には呪力の障壁が出来ま
す。簡易な術の影響など受けません」
 冴人は呪文を唱え続ける。
「八卦より選ばれし者。我は汝を使役せす。こい! 震!!」
 幾筋かの雷がふりそぞく!
『キキィ!?』
 結愛へと襲いかかろうとしていた小鬼を一度に二匹共とらえていた。
 そしてその瞬間には、みゅうは綾音の元へと走っている。かなり力を失っているようで、
その足取りはどこかおぼつかなかったが、それでもみゅうは走り続けていた。
「もはや貴方に勝ち目はありませんね。今、白旗を上げるなら命は助けてあげない事もあ
りませんよ?」
 眼鏡の位置を直しながら、冴人はふんと鼻を鳴らした。
「確かにここまで追いつめられるとは、まったく思うてもおらぬ事態よな」
 蒼駆はくくくと笑みを漏らしながら、そう告げる。しかし追いつめられている筈なのに、
蒼駆には全く動揺がなかった。
「そろそろ奥の娘も復活する頃か。しかしそうすると雪人の力も殆ど無くなることよな」
 蒼駆はふむと口を結ぶと、じゃらんと音を立てて錫杖を振るう。
「そうね。この子はもう動けないでしょうね」
 ふと声が響く。声の主、綾音は腕の中でふらついているみゅうへと一度、視線を移す。
「綾ちん!」
 結愛が大きく友人の名を呼ぶと、綾音は軽くウィンクして微笑みながら答えていた。
「待たせたわね、結愛」
「安心しましたよ。貴方も無事なようで何よりです」
 冴人は綾音をちらりと横目で見入ると、ぽつりと呟くように告げる。
「あら。私の事なんてすっかり忘れてると思ってたけど。誰かさんの事が心配で」
 くすくすと笑みをこぼしながら、綾音はいたずらっぽい瞳を返した。
「……何を言ってるんです。自分の相方を忘れる訳ないでしょう?」
 全く困った人です、と続けながら冴人はしかし綾音から目をそらす。あからさまに不審
な態度だ。
「ふぇ?」
 結愛はきょとんとした顔で二人を見つめるとぐっと首を倒す。そのまま身体ごと倒して
いくと、ふぇ〜ともう情けない声を漏らす。
「結愛さん。そんな事をしている場合ではありませんよ。男を倒した訳ではありません」
「そうだっ。洋さんはっ」
 結愛は慌てて振り向いて力尽きた洋をただ見つめていた。みゅうが寄り添っている。力
の殆どを失っているにもかかわらず。
 いまなら結愛にもわかる。みゅうを拾ったあの時に感じた奇妙な匂い。あれは多大な魔
力の匂いだったのだと。
 洋と似た匂い。そして、懐かしい想い出の中の匂い。あの時、息絶えていた「みゅう」
と同じ匂い。懐かしく、悲しく、切なかった記憶の匂い。
「みゅう」
 みゅうが小声で、掠れるような声で鳴いた。ボクは元気だよ、とまるで示すように。
 結愛は、何も言えなかった。このままではみゅうは消えてしまうかもしれない。みゅう
を失いたくはない。
 でも、洋を失いたくはなかった。洋はもはや魔力の殆どを奪われている。蒼駆と、そし
て結愛自身の手によって。
 それは結愛を助ける為。その為に力を出し尽くし、そして倒れた。二度までも。例えそ
れが洋の望んだ事だったとしてもだ。助けられるものなら助けたい。結愛は確かにそう願っ
ていた。
 いま洋を助けられるのは、みゅうだけだ。しかしそれはみゅうを失う事でもある。みゅ
う自身もう力を限界まで使い果たしている。それなのにみゅうが力を使えば、今度はみゅ
うを失ってしまう事になる。
 みゅうは雪人の力の欠片に過ぎない。全ての力を失えば消えてしまうのだ。だけど。
「洋さんにいて欲しい……。二人なら何でも出来るねって、約束したのに。私……一人じゃ
何も出来ないよ……」
「結愛さん」
 冴人がぽつりと声を漏らす。その刹那。
「みゅう」
 みゅうがそっと声を上げる。
 任せて、とも。さよなら、とも。どちらにも聞こえる声だった。
「みゅうっ。みゅうっ。私、私っ、私っ!」
 ひとしきり叫ぶと、しかしそれきり何も言えなくなって、結愛はそのままぺたんと地面
に座り込む。近付く事も出来なかった。
 みゅうが、ぺろりと洋の身体を舐める。
 その瞬間だった。光が、放たれる。
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