僕にも魔法が使えたら (17)
 時間は三日前に戻る。
「教えるって何をだ?」
 洋は目の前にいる綾音に向けて、思わず訊ね返していた。
「鬼と闘える術」
 綾音は淡々と応えると、洋へとゆっくりと近付いていく。
「正直いって貴方には法術なんて使えないわね。ましてや八卦施術なんて到底及ばない」
 綾音は飄々といってのけると、それから洋へと視線を移す。しかし抗議の声を上げるで
もなく、まっすぐに聞き入っている洋に、綾音はふぅん、と声を漏らした。
「貴方が使える術は、そうね。せいぜい現の術がいいところかしら」
 綾音は洋を見つめたまま、手の平をぎゅっと握りしめる。ぽぅっと小さな光がその手の
中に現れた。
「魔力は持っているだけじゃ何も出来ない。まずは現実に表さなきゃいけない。だから私
達がまず覚えるのはこの術。これが出来て始めて魔力をより効果的に使う事が出来る」
「つまり魔法の基礎って訳だな」
 洋の言葉に、綾音はこくりと頷く。
「そう。でもこの術、単体では何も出来はしない。確かにこの術で魔力を現実にすれば、
例えば式神なんかにも打撃を与えられるわ。でもそれは可能性が0でないと言うだけ。魔
力をさらに、そうね例えば炎や雷なんかに姿を変えて始めて本格的な術になるの。
 八卦施術はその中でもさらにそれを極めたものね。八卦の意味するそれぞれの力を生み
出す為の一つの方式」
 綾音は手の中の光を、さっと風に変えてみせる。恐らくそれはごく簡単な術なのだろう。
「だけど貴方はこの基礎の術を覚えるのすらも大変なはずよ。それは一つは生まれながら
にして術の基礎をたたき込まれる私達、天守――守の民とは違うから。けどそれよりも根
本的な問題として貴方が法術を使うに向いていないから。才能がないのよ」
 綾音は一気に言い放つ。
「それでも俺は覚えなくちゃいけないんだろう。その術を」
「そう。貴方が唯一、使えるようになる可能性のある術。でもね。貴方にはたった一つだ
け大きな武器がある。底なしかと思えるその魔力の量。普通の術者なら、それだけあれば
どんな高等な術でも楽々と使えると思うわ。
 だから一つだけ方法があるの。現の術を極めなさい。そうすれば他の誰にも出来ない戦
いが出来るはずよ」
 綾音はにこりといたずらに微笑む。
「他の誰にもその戦い方は出来ないわ。いえ、しないといった方がいいわね。効率が悪す
ぎるもの。そんな戦い方をしていれば、すぐに魔力がつきる。
 例えば身体全体を守る防御壁を張るだけでも、普通の人なら魔力を全て失ってしまうも
の。けど八卦施術を覚え、炎や風をもって身体を包むなら、その十分の一の魔力もいらな
い。これはそれくらい効率が悪い方法だわ。でも貴方にはそれしか術がないのよ」
「なら、やるしかないって事だ。何にしても俺は結愛を助ける。その為に出来る事がある
なら、何でもしてやるさ」
 洋はぐっと拳を握りしめて、そして綾音へと強い意志を込めて、その目を返す。
「いい返事ね」
 綾音は、ふふんと鼻を鳴らして応える。
「でも私の教えは厳しいわよ。ついてこれるかしら?」
 挑戦的な瞳で、じっと洋を見つめていた。

 厳しい修行が始まっていた。
 初めは指先に光が集まる事を想像し続ける。その間、全く他の部分を動かす事なく。た
だ一点を見つめ続ける。
 食事も睡眠もとる事なく、ただ一心に見つめ続ける。それが人が思うよりも苦しいもの
だ。どんなに気が狂いそうになっても、そこからは視線をそらせない。ただ強く指先に光
が現れる事を願い続ける。
 真冬の最中なのに汗がこぼれる。暑さではない。身動きが出来ない事への拒否反応。
 しかしそれでも洋はただ見つめ続ける。
 やがてその指先に本当に光が現れていた。
 そこまでは、それでも簡単だったのだ。半日以上もじっと行っていたけども。だけど本
当に大変なのはこれからだった。
 その光が全身を包む姿を想像する。
 それがうまくいかない。光が段々と広がっていく姿を思い浮かべる。それに従い光は広
がって行こうとはする。
 しかしそれも刹那。急速に身体の中から何かが失われる感覚に囚われて、一気に光が縮
束する。
 がぁっと胃の奥から何か熱いものがこみ上げていた。何度となる身に包まれる感覚。
「げぇ……げほっ……」
「あら、だらしないわね? その程度?」
「……まだだっ!」
 綾音の容赦ない声に、洋は何とか気力を振り絞って答えていた。しかしその気力も徐々
に尽きようとしていく。
 洋はすでに幾度か嘔吐していた。それは魔力を放出する事への拒否反応。綾音はそう説
明していた。
 元来、魔力は人の身体の内側で作用するものらしい。例えば人の持つ治癒能力。それは
内側で魔力が作用しているのだ。
 しかしその力を無理矢理、外へと現そうとする為、身体がそれを拒否するのだと。
 身体が燃えるように感じた事もある。あるいはまるで冷凍されるかのごとく冷たく感じ
た事も。本来は魔力は少しずつ外に出す事を慣らしていくものらしい。そうすれば、こん
な反応は起きないのだと。
 しかし今は時間がなかった。何も食べず、眠らず。ただ洋は心の中で念じ続けた。
 そして。光が身体中を包んだ。
 急速に力が抜けていくのがわかる。一気に意識を失いそうになる。だが沈みそうになる
心を気合で浮かび上がらせる。
「くぅあ!?」
 洋は思わず叫んでいた。だが無情にも光は消えていく。力の全てを使い果たしたように
思えたのに。
「……やっぱり無理だったかしらね」
 綾音の囁きが聞こえる。
 無茶をやっている事は分かっていた。いや、わかっているつもりだった。けれど本当は
何一つ想像がついていなかったのかもしれない。そんな感情が生まれては消える。
「……まだ……おわってねぇ……」
 なんとか気力を留めた。だけど光はもはや生まれようともしない。意識を集中しようと
する。しかし揺らめく大波にさざ波はかき消されていくように洋の意識は遠のいていく。
「だめなのか……。俺には出来ないのか……。天守の一族じゃない、俺には……」
 消えそうになる想いの中で、洋はふと呟いていた。その瞬間、心の中に囁くものがある。
 そうだ。俺は天守じゃないんだ。出来なくても当然なんだ。
 そうだ。俺は結愛を助ける義理なんて元々ない。その為に、命を捨てるなんてばからし
いじゃないか。
 そうだ。俺は闘いなんて嫌いなんだ。
 そうだ。俺は。俺は。
 心の奥。囁きが、幾重にもなって聞こえてくる。力は、もう入らない。ゆっくりと抜け
出していた。
 微かに浮かんでいた拳に残る光が、まるで切れかけた電球のように、ちかちかと点滅を
始める。終わりを告げようとしていた。
「やっぱり只人は只人、か」
 綾音はつまらなそうに呟くと洋から視線を移す。全てが終わったと言わんばかりに。
 そうだ。俺は只人なんだ。だから、もうこんな苦しい思いをする必要はない。もういち
ど囁きが聞こえてくる。
 その言葉に甘えるように、洋の力が抜けようとした、その瞬間だった。
「やはりこの程度ですか」
 ふとその声は聞こえてきた。確かにどこかで聴いた事のある声。だけどもう意識はつな
がらない。誰の声かも洋にはわからない。
「結愛さんは、どうしてこんな男を選んだのでしょう、私にはわかりませんね」
 声は冷たく響く。その中に怒りを含んで。
「呆れましたよ、貴方には。結愛さんを死地に追い込んだあげく、この程度で泣き言を上
げる。くだらない男ですね。貴方は」
 冷たい声。怒りを含んだ声。だけど。
 洋は何も答えない。答えられない。ただ、心の中で反芻する。
 結愛は。そうだ。俺のせいで捕まってしまったんだ。あいつは俺の言葉に従って一人、
久保さんを助けに向かった。鬼に襲われた時、俺を助ける為に禁を破っても飛んできてた
事もあった。一方的にとは言え、俺を見込んだからこそ智添に選んだ。
 結愛は俺を信じている。その結愛を。他に、誰が助ける? その想いに、誰が答える?
 俺しか、いないじゃないか!
 洋の心の中で強い感情が生まれた。それは大きな風となり新しい波を作る。意識を飲み
込もうとしていた囁きよりも強い強い心。
「俺が結愛を助ける!」
 強い想いは確かに声に変わっていた。消えかけていた光が、一気に強く光る!
「あそこから戻ってきたというの!?」
 綾音は強く輝きだした光、洋へと視線を戻す。消えかかっていたはずの輝きは、今やは
ちきれんばかりにこの部屋を照らしている。
 そしてもう一度、大きく、強く輝く!
 その、瞬間。洋の身体をはっきりと光が包み込んでいた。もう危うげな光ではない。煌
々と照り続ける確かな姿で。
「できた……ぜ」
 息も絶え絶えに、しかしそれでも苦しげな顔の中に笑みを一つ。
「驚いたわね。もうてっきりダメだと思っていたのに」
 綾音は素直に驚きを隠そうともせずに、洋のその顔を見つめていた。
「約束の力かしらね」
 綾音はふぅんと呟き、上から下までその輝きを確かめる。
「……声が聞こえた。もし、あの声が聞こえなかったら……もうダメだったかもしれない。
でも俺は必ずあいつを見返してやる」
 確かに聞こえてきた声。ここに姿は見えないけど、それは直接心の中に伝わってきた。
 どういうつもりだったのかはわからない。それでもあの声のおかげで、洋は失いかけて
いた気力を取り戻す事ができた。
 だから、感謝している。だけど、あいつには負けない。そう洋は思う。
「ふぅん、そう」
 何か全てを見透かしているような笑みを浮かべて、綾音は泰然と洋を見つめていた。そ

してその手をぎゅっと握りしめ、すぐに開く。
 綾音の手の上に光の玉が生まれていた。ばちばちばちっと、まるで電気が放電するかの
ように弾けながら。
「雷球。まぁこれは大した術じゃないわ」
 微笑んだまま、洋へとまっすぐに対峙する。
「しっかり耐えてね。この術、それでも只人ひとりくらいなら平気で殺せるから」
「な、に?」
 光を維持するだけで精一杯の洋には綾音が何を言っているか分らなかった。しかしその
瞬間、綾音は手を大きく後へと下げ、そして一気に。洋に向けて投げつけていた!
「な!?」
 思わずぎゅっと力を込める。
 雷球が洋へと迫る――!
 ドン!! 大きな音が響く。強い光が放たれ、綾音の目が一瞬くらむ。
「さて生き残ってるかしら?」
 まぁ死んでたら所詮はそれまでの事ね、と淡々と呟いて、光の元へと視線を凝らす。
「あら」
「てめ……殺す気か……」
 微妙に焼け焦げながらも、それでも意識も失わず光に包まれた洋がそこにたっていた。
「ちゃんと生きてたわね。でもこれで貴方は完全に物にしたわ。それが貴方だけが使える
術。魔力の鎧。名付けるなら、そうね魔皇鎧かしら」
 綾音はにっこりと微笑む。
「俺の……魔法」
 洋は感慨深く呟き、僅かに笑った。そしてその瞬間。ふっと意識を失い、倒れていた。
全ての力を出し切ったらしい。
「やっぱり、だらしないわね」
 そう言いつつも綾音の瞳は笑っている。倒れ込んだ洋へと近付くと、完全に寝入ってい
る洋の寝顔をじっと見つめる。
「ま、これだけ出来れば上出来だけどね」
 呟いた言葉に、洋のいびきが答えていた。
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