僕にも魔法が使えたら (15)
「そんな!?」
 思っていたよりもずっと火の回りが早い。四階の廊下にもすでに火が回っており、この
中を突っ切るしか逃げ道はない。
 非常用のシューターもあるはずだが、そこまで辿り着くよりも新校舎へ続く渡り廊下へ
と向かう方が近い。近いのだが。
「それでも火を突っ切るしかないか」
 唇を噛みしめる。洋一人なら、この程度の火の手ならなんとか抜け出せるだろう。しか
し、ここには佳絵もいる。彼女の身が竦んで歩けなくなる可能性もある。
 煙もかなり強くなってきている。火事での死因の一位は、火傷よりも一酸化炭素などに
よる中毒死のはずだ。あまり時間もない。
 と、ふと思い当たり、振り返って廊下の隅へと向かう。
「し、新堂くん。そっちは行き止まりだよ」
 佳絵が声を漏らすが、洋は「わかってる」と答え、そのまま奥へと向かった。
 廊下の突き当たり。旧校舎の各階には手洗いと掃除用の水道が備え付けられている事を
思い出したのだ。蛇口をひねってみる。勢いよく水が流れ出した。
「よし、水道は生きている」
 呟くと同時に備え付けてあったバケツに水を組んでそれを頭からかぶる。
「久保さん、ごめん」
「え?」
 佳絵が呟くが早いか、バケツの水を今度は佳絵へと掛けていた。
「きゃっ」
 佳絵が思わず目をつぶり叫ぶ。
「突然、ごめん。でもこれで少しなら熱を遮断出来る。渡り廊下には火がいっていないか
ら、そこまで一気に走ろう」
「う、うん」
 佳絵が頷くのを見て取ると、洋はさっと走り出した。佳絵もその後からついていく。
「煙を吸わないようにハンカチを口に当てて。少しの辛抱だから、がんばってくれ」
 洋の言葉に、佳絵が再び頷く。それを見て取ると洋は足を早め再び駆けだしていた。
 しかし、その次の瞬間。
「ご、ごめんなさい。新堂くん。ま、まって。う、うまく走れないの」
 一生懸命走ろうとしていたのだが足はすぐんでしまっているのか、上手く動かない。し
かし佳絵は普通の女の子なのだから、それも仕方ないのだが。
「この辺はあまり火も回っていない。大丈夫」
 洋はそう言って、そっと手を差し出す。
「う、うんっ」
 佳絵は慌てて言葉を返していた。洋の手を取り、そして微かに顔を赤らめる。
「いこう」
 洋はもういちど佳絵に告げると、ゆっくりと手を引いて走り出す。佳絵も今度はその歩
みを止めようとはしなかった。
 僅かに火花が飛び散る中、渡り廊下へと急ぐ。一階から燃え上がる煙が少し喉に痛い。
しかし渡り廊下までいけば煙の量もずいぶん減る。新校舎に辿り着くまでの我慢だ。
「久保さん、見えたよ。あと少しだ」
「う、うん」
 洋の声に、佳絵はこくりと頷いた。
 やがて渡り廊下へと辿り着き、ほっと一息つく。そして通り抜けようとした、その瞬間
だった。
 グオン! と爆音が響く。
 音が聞こえた瞬間、洋は佳絵の手をひっぱり渡り廊下へと投げ出すように力を入れる。
「し、新堂くんっ!?」
 佳絵の声が響く。佳絵を覆いかぶるようにして立つ洋の背中に、いくつかの破片が突き
刺さっているのが見て取れたから。
「大丈夫。たぶん発火したのが理科室だから、何かの薬品に引火したんだと思う。でも、
こっち側にはまだ火がいっていないから、今なら十分逃げられる。心配しなくていい」
 油断したな、と呟きながら洋はゆっくりと立ち上がる。制服の破れ目から、僅かに血が
滲んでいた。
「ち、ちがうよ。そ、そんなことじゃなくて。ひ、洋くんの怪我を心配しているの」
 佳絵はところどころどもりながら、それでも彼女にしては叫ぶような声で洋へと言う。
まっすぐに向けられた視線は、洋から逸らさずにいるままで。思わずいつも通りの「新堂
くん」でなくて「洋くん」と呼んでしまった事にも気付かずに。
「ああ、これくらいなら大した怪我じゃない。空手やってた頃は、時々もっとすごい怪我
してたしな。フルコンタクト系だったから直接殴り合うんだ」
「そ、そうなんだ?」
 平然と言い放つ洋に佳絵は頷いてしまう。
 もちろんそれは洋の嘘だ。小中学生が学ぶ空手が寸止めでない訳はないし、そもそもそ
んなに強い打撃を与えられる訳もない。しかし空手には疎い佳絵はそんなものかと思い、
ごく単純に安心していた。
「いこう」
 背中に走る激痛を無かったように振る舞いながら、洋はただ走り続ける。
 しばらくして無事二人は脱出する事が出来た。残してきたはずの大鬼も、いつまのにか
姿が見えなくなっていたのだが、洋にはそこまで気にする余裕はなかった。
 やがてなんとか脱出する事が出来た。傷は厚い学生服のおかげで見た目ほどではなかっ
たのだが、それでも病院へと運ばれ治療を受ける事になった。全治七日という事らしい。
 そしてその後もいろいろとばたばたとしていたが、なんとか一息つく事が出来た。

「ただいま」
「みゅう」
 洋に答えるように、みゅうが小さく鳴く。
「みゅうみゅうみゅうっ」
 何かを訴えるように連続して鳴き続けると、それからくるりっと背を向けて走り出す。
「どうした、みゅう?」
 洋は突然のみゅうの様子に、一瞬傷の痛みも忘れてその後を追いかける。そして向かっ
た先。客間に待っていたのは。
「遅かったわね。待ちわびたわよ」
 再びこたつで蜜柑を食べている綾音の姿があった。
「またかっ。またなのか!?」
「酸っぱいわよ。この蜜柑。もう少し甘いのはないの?」
「勝手に上がり込んで、しかもひとんちの蜜柑食べといてわがまま言うなっ」
 叫びを上げた瞬間、さっと痛みが走って思わず顔をしかめる。
「傷、痛むみたいね。まぁ只人としては、なかなか立派だったわよ」
 綾音は淡々と告げると、ずずっとお茶をすする。どうも彼女には、今ひとつ緊迫感がな
いな、と洋が思ったその瞬間だった。
「ま、それはそれとして。私が今、ここにいるのは貴方に伝えたい事があるからよ」
 突然、綾音のその顔が切り替わる。
 鋭い光がその眼に宿っていた。その瞳を見ていると、空気が一気に引き締まったような、
そんな気にすらなる。
「何から話しましょうか。そうね、まず貴方が一番気にしているだろうこと。結愛の処遇
についてから話しましょうか」
 綾音の言葉に、洋は傷の痛みも忘れて目を見開く。
「でも予想通りかしらね。雪人を差し出す事はないわ。あの子は見捨てられたって事よ」
「なんだと!?」
 淡々と言う綾音に、洋は怒鳴るように声を上げた。しかし綾音は眉一つ動かさずに、た
だまっすぐに洋を見つめている。
「私に怒らないで。私が決めた訳じゃないし。でもね、それについて少し気になる事があ
るの。訊くつもりがあるなら話すけど?」
 無言の内にそうして声を荒げるなら話さないという意味を込めて綾音は淡々と告げる。
「……わかった。先を続けてくれ」
「それじゃあ話しましょう。まずは、あの僧服の男の事。あいつが何者なのかは知らない
けど、あの男の言い様なら雪人が何を意味してるか知っているはずよ。そして、それなら
人質なんてとっても意味がないだろう事も」
 綾音は少し目を伏せて、それから再び洋へと向ける。
「なら何故、結愛を捉えたのか。いくつか考えられるけど、一番ありそうなのは結愛を取
り返そうとする私達を罠へとはめる事。私達、天守がいて困る術師は少なくないわ。天の
力を得ようとする者にとって、天守は何よりも邪魔な存在だもの。だから長老会の決めた
結論は『候補生一人の為に危険は犯せない』と言う事。つまり見捨てるって事よ」
 綾音はそこまで告げると、いちど洋へと視線を送る。静かに耳を傾ける洋に、そっと頷
くと再びその口を開く。
「雪人は天守の宝。私達が守り続けている意志を持つ力よ。その力は地を動かし天を震わ
せると言うわ。私やあの子のような候補生と引き替えに出来るものじゃない」
 綾音は僅かに苦笑すると、一瞬だけ目を閉じる。しかしすぐにまた淡々と話し出した。
「でも、貴方は納得していなさそうね?」
 どこか挑戦的な瞳で、じっと洋を見つめる。何か射すくめるような、そんな強さを秘め
て。
「あんた達、天守とやらが結愛を助けないというならそれでもいいさ。でも俺は一人でで
もいく。結愛を助け出してみせる」
 それでも洋は、その瞳に屈するような事は無かった。あの場面を思い出して、ぎゅっと
拳を握りしめる。絶対に結愛を助け出すと。
「みゅうっ」
 その瞬間、みゅうが大きく声を漏らした。
「そうか。お前もいくか。ああ、必ず結愛を助け出そう」
 みゅうに向けて呟くと、その身体を抱きかかえて肩へと乗せた。
「みゅう!」
 どこか決意を込めたような声で、みゅうが叫ぶ。洋の勝手な思い込みかもしれなかった
が、一人でも仲間がいてくれるのが素直に嬉しかった。例えそれが小さな仔猫だろうと。
「死ぬわよ」
 綾音は、ぼそりと呟くように告げる。聞くだけでどこか寒さを感じるような声。それで
も洋はひるむ事も無かった。
「あいつがいっていた通り、俺のミスなんだ。なら、命に代えてでも取り戻すだけだ」
 正直、何が出来る訳でもないだろう。再び鬼を呼び出された時、空手だけで対抗出来る
とは到底思えない。しかしそれでも不思議と怖くはなかった。
「覚悟は出来てるみたいね。なら、教えてあげるわ。貴方次第だけど、ね」
 綾音はいたずらに微笑んでいた。
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