僕にも魔法が使えたら (03)
「あ、洋さん。だめですよ、それは」
 少女が不意に声を上げる。ちょうど洋が安売りのキャベツを手にとった瞬間だった。
「だめって何がダメなんだよ。安い時に買っておかないと、余計に金かかるだろ」
 完全に主婦の発想で呟いてから、しかしそれでも手にとったキャベツを買物カゴに入れ
るのは止める。
「そのキャベツは質が悪いです。芯のところが少し変色してるし、ほら、持ってみても身
が詰まってないです。芯の色が綺麗で持った時に重量感のあるのがいいキャベツですよ」
 そう言って「はい」と違うキャベツを差し出した。なるほど言われてみれば確かに違う
な、と洋も思う。
「良く知ってるな、そんなこと」
「はい! 私、料理は得意ですからっ。食べるのはもっと得意ですけど」
 そういって「てへっ」と笑みをこぼした。その笑顔に洋は「こうやって普通に会話出来
ていれば可愛らしいのだが」と心の中で呟くが、しかし声に出したりはしない。言えば調
子にのせるからだ。
「料理得意そうには見えないけどな」
「あー疑ってますね、洋さん。いいですよっ、じゃ今日の晩ご飯は私が作りますから確か
めてくださいっ」
「なにぃっ。本当か!?」
 少女の台詞に、ぴくんっ、と強く反応してしまう。ここのところ自分で作った料理しか
食べていないからだ。
 長年一人で生活してきただけあって、洋もそれなりに料理は作る事が出来るのだが、や
はりバリエーションには限りがある。たまには違う物が食べたいとの欲求は強い。
 しかしそう叫んでしまってから、はっと己を取り戻す。考えてみれば、何でこの少女と
仲良く買い物をした上に食事を一緒にしなくてはならないのだ、と。
「はいっ任せてください。洋さんに食べてもらえるなんて嬉しいです」
 しかし洋のそんな内心には気付いていないのか、少女は嬉しそうに本当に嬉しそうな笑
顔を浮かべて食材を選びだしていた。思わず抗議の言葉を失わせるほどの笑顔。
 ああ、俺はこうして深みにはまっていくのかもしれない、と洋は内心諦めに近い台詞を
呟いていた。
「おい、ストーカー娘」
 呼び止めた声に、少女はしばらくきょろきょろと辺りを見回した後、不意にくるりと洋
へと向き直る。
「ふぇ。それって私の事ですか?」
 振り返った少女はいつも通り首を傾げてはいるが、買い物カゴを両手で支えているせい
か、身体までは傾けはしない。
「そうだ。お前だ」
「やだな、洋さん。私そんな名前じゃないですよ」
 買い物かごを小さく揺らしながら、少女はにこやかな笑みを向けていた。もっとも洋は
彼女が動く度にかごの中でころころと転がるジャガイモの方が気になっていたのだが。
「私の名前はゆあです。愛を結ぶと書いて結愛。わ、いい名前ですねー。びっくりです」
「自分でいい名前いうか? たく」
 そう言いながらも、洋は内心確かに可愛らしい名前だと思う。今風のしゃれた名前が意
外と似合っている。
 しかし洋はなぜかもっと古風な名前を想像していた。何となくこの不思議な少女は、ど
ことなく古めかしいものを感じさせるのだ。
 服装も膝より上のミニスカートだし、サイドだけ三つ編みにして可愛くまとめた髪も今
時の少女にしか見えないのだけども。
「あ、でも洋さんもいい名前ですよね。海のような大きく広い心をもった人になれってい
うことですよね」
「そうらしいけどな」
 結愛と名乗った少女の台詞に思わず頷いてしまう。確かに洋という名前は、その通りの
意味で両親がつけてくれたものだ。
「ま、それはいいとして、だ。それを貸せ」
 言うが早いか返答を待たずに、結愛の買い物かごを手に取った。中に入ってるジャガイ
モを自分のかごに移すと、結愛の持っていたかごは元の位置に戻す。
「一つあればいい」
 それだけ告げて結愛の答えも待たずに、すたすたと野菜売り場を後にする。
「はいっ」
 結愛は大きく言葉を返した。

「あれ、何か変な匂いがしませんでした?」
 家への帰り道、ふと結愛が呟く。
「匂い? ああ、どこかからカレーの匂いがするな。腹減ったよ」
「そういうのでなくて……」
 結愛はくんくんと鼻をひくつかせる。
 犬だなこいつは、と洋は思う。考えてみると出会った時も匂いを嗅いでいたが、あれは
何だったのだろう、とも。
 しかし洋がその疑問を口にするよりも早く結愛は「あっ!」と声を漏らす。かと思うと
次の瞬間にはもう走り出していた。
 慌てて洋も結愛を追いかける。もうすっかり結愛のペースに巻き込まれているな、と思
いながらも、すでにそれが嫌でもない自分に気付いて洋は軽く苦笑を漏らした。
 一、二分走ったところで、洋の家の側を流れるどぶ川の土手が見えてくる。かなり汚れ
た川だ。普通なら誰もこの川に入りたいとは思わないだろう。ましてやこの時期だ。水だっ
て凍るように冷たいはずだ。
 しかし結愛はその手前にあるガードレールを乗り越えると躊躇なく川へと飛び降りる。
ちゃぷんと大きな音が響いた。
「何やってるんだ、結愛」
 川沿いまでたどり着いて下を眺めると、結愛がどぶ川の中を歩いていくのが見えた。お
かしな奴だとは思っていたが、ここまで変だとは思いもしなかった。
 だけど次の瞬間。洋はその感想を全面的に却下する事になる。
「もう大丈夫だよ」
 結愛がそう言って抱きかかえたのは、一匹の仔猫。みゅー、と微かな声を漏らしていた。
ほんの小さな声。川沿いを歩く人でも気付かなかっただろう声。洋も結愛が抱きかかえた
その瞬間まで気が付いていなかった。
 恐らくは隣に転がっている段ボールに入れて捨てられていたのだろう。そこから投げ出
されて中州で泣いていたのだ。
 結愛はじゃぶじゃぶと冷たい音を立てて土手へと戻ると、不意に「ふぇ」と呟いた。
 どうやらどうやって登ろうか悩んでいるらしい。両手には仔猫を抱いているが、かといっ
て手を使わず登れるほど楽な傾斜でもない。
「そいつ貸せ」
 ぶっきらぼうに言い放つと、洋は結愛へと手を伸ばす。
「ふぇ?」
 一瞬、何のことか分からなかったのか、結愛は首を傾けていた。
「猫だよ。猫」
「え、洋さんまで汚れちゃいますよ」
 ややためらう結愛に、しかし洋はやや口調を強めて答える。
「いいから早く」
「はいっ」
 結愛は大きく声を返すと、泥まみれの仔猫を洋へと手渡した。洋はその仔猫を受け取っ
て左手で抱えると再び右手を延ばす。
「ふぇ?」
「こんどはお前だよ。手かせ」
「あ、はいっ」
 洋の言葉に笑顔を浮かべながら、結愛はその手を両手でとる。
「いくぞ」
 声と共に結愛をぐっと引き上げる。思ったよりもずっと軽々と持ち上がった事に驚きな
がらも、しっかりと結愛を抱え上げていた。
「寒いだろ」
 結愛の姿をじっと見つめて溜息をつく。飛び跳ねた水で白いスカートがところどころ茶
色に染まっている。
「大丈夫ですっ。これくらい寒くなんかない……くしゅん」
 小さくくしゃみをひとつ。
「言ってるそばからじゃないか」
「みゅー」
 洋の抱いた猫は掠れるような声を漏らすと、それから腕の中にもそもそと潜り込む。
「こいつは素直だな。寒いってよ」
「ふぇ」
 結愛は目を見開いて猫を覗き込もうとするが、猫は完全に洋の腕の隙間に入り込んでい
て姿を見せはしない。
「いくぞ、ずぶぬれ娘」
「ふぇ。洋さん、私そんな名前じゃありませんってば。ありません、ありません、ありま
せんよーっ。ゆあです。ゆあ。名前で呼んでくれないと悲しいです。悲しいですからっ」
 結愛の必死の抗議をよそに、洋はすたすたと歩いていく。
「わ、無視はダメです。いじめ格好悪いですよー」
 結愛はずっと抗議の台詞を言い続けながらも、洋の後ろからついて離れなかった。
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