崩落の絆 (26)
「君が恨んでいたうるさいのは消えたよ。満足したかい。それとも今度は僕を恨むのかな。
愛情と憎悪は同じベクトルにあるからね」
 ツヴァイの言葉に、胸が疼いては痛む。
 誠也は確かに両堂を憎んでいた。しかし、それは本当に恨みだけだったのだろうか。い
や、そのハズだ。誠也は自問自答を繰り返す。答のでない問いを。もう憎しみの主はいな
いのだから。
「でも、いいかげん僕も疲れたんだ。君がいなくなれば、これ以上、犠牲もでなくなる。
全て終わる。だから死んでもらうよ」
 ツヴァイはふふっと笑みをこぼして、その手をすっと伸ばす。
 どこからくる。どこにくる。見えない力にもはや勘に頼って避ける以外の方法がない。
もしも自分がツヴァイならば、どうするのだろうか。
 必ずしも攻撃が当たる場所に放たれるとは限らない。避ける事を予測して、あらかじめ
外れた場所に放つ事だって考えられる。そもそもどのような攻撃かすらわからないのだか
ら、避けようがない。
 それを踏まえた上で、ツヴァイはどこに放つのか。それだけを考えるしかない。
 ツヴァイはこの性格だ。彼にとっての面白さを狙うに違いない。
 今、誠也は美咲を守りたい。ただ今、願うのはそれだけ。それ以上に思う事などない。
 もし自分がツヴァイだったら。
 思いついた一つの可能性に、誠也は一気に胸が痛む。誠也はもう避けられない。選択肢
は一つ術を受けるだけ。
「ふふ。いい顔をしてるよ。覚悟を決めた顔だね。なら、いくよ。無色の霧(ファルプロー
スネーベル)」
 ツヴァイの言葉と共に無色の霧が放たれる。いや、放たれたはずだ。
「誠也!」
 美咲が叫ぶ。その声は優しくて、悲しくて。思わず誠也はふわと笑っていた。
 何故よけようとしないのか。美咲は不思議に思っただろう。だがもしもこの術を避けれ
ば、結末はわかっていた。
 ツヴァイは誠也の弱点を狙う。誠也が避ければ美咲が犠牲になる場所を。美咲は先の白
い灰で傷ついている。大した動きは出来ないはずだ。その上で見えない力をかわす事は不
可能に等しい。
「なら、一つ。術同士で相殺させる」
「無駄だよ。金色の槍(ゴルトファルベンランツェ)では穿つ事はできない」
 ツヴァイの嘲るような声。だけど誠也は呼ぶ。
「銀の息吹(ズィルバーアーテム)」
 全てを凍てつかせる銀の息吹を。
「なっ。ばかな。僕の見えない力を防ぐのに、銀の息吹を? 銀の息吹(ズィルバーアー
テム)では粒子は防げない事はすでに実証ずみだろう」
 そう。いかに全てを凍てつかせる力と言え、光や音を凍らせる事は出来ない。ツヴァイ
の無色の霧も見えない以上は、それらと同等の力である事は間違いないのに。逆に言えば
同じ粒子である光の槍ならば可能性がある。そう考えるのが当然のはずだった。
「それとも相打ちねらいかい。でも無駄だよ、君の技はここまで届かない」
 ツヴァイが思わず声を上げていた。
 銀の息吹は全ての分子活動を停止させる力だ。それは絶対零度、凍り付く世界。何者も
耐えられない力。だが粒子を防ぐ力ではない。
 銀の息吹はしゃらららっと音をたてながら白い結晶を舞い上げていく。空気中の水分が
凍り付き、雪と化して固まっているのだ。
 誠也はそのすぐ後ろを、ツヴァイ目がけて駆け出していく。ツヴァイの技を防ごうとす
るそぶりすらないままに。
「やれやれ、やけになったみたいだね。なら、望み通り消えればいい」
 ツヴァイがつまらなそうに呟く。誠也がもっとあがき、苦しむ様を期待していたという
のに、玉砕覚悟でつっこんでくるというのは、ツヴァイにとって望まない結末だ。
 だが誠也には玉砕覚悟なんてない。狙っていたのは、ツヴァイの技などではなかった。
ましてツヴァイ自身でもない。
「遙。自分の力を信じすぎるのは愚かな事だっ。金色の槍(ゴルトファルベンランツェ)」
 誠也が一気に力を放つ。しかし前にツヴァイの放った無色の霧があり遮られるはず。
 だけど誠也の放った金色の槍は消えはせずに、ツヴァイへと向かっていた
「なっ」
 ツヴァイは驚愕の色をはっきりと浮かべる。霧のように広がる術、無色の霧(ファルプ
ロースネーベル)は金色の槍が貫いた場所にも確かにあるはずなのに。それを突き抜けて
金色の槍がツヴァイへと向かう。
「ぐぅっ」
 さしものツヴァイもこの光の槍は完全には受けきれなかった。容赦なく体が刻まれてい
く。
「なぜ、力が届く」
 苦しげに言葉を紡ぐ。ツヴァイもすでに大きく傷ついていた。あちこちが焼けこげ、そ
の腕も足も戦えるほどには動かないだろう。
「教えてやるよ。お前の技は触れたものを消し去る力だろう。だがその力には粗さがある。
俺の銀の息吹で生み出したものはなんだ。それが答えだ」
「そう、か」
 誠也の言う通り無色の霧は、触れたもの全てに対して発動する。すなわち銀の息吹で生
み出した大量の雪の結晶を飲み込み、そして力を失ったのだ。
「もう力は……使えないな。やられたよ」
「遙。もういちど言う、美咲と俺の事は忘れてこの場を去ってくれ。俺達もお前を追わな
い、頼む。俺達はそっと生きたいだけなんだ」
 誠也の言葉に、ツヴァイは傷ついた体を引きずるようにして、だけどくすりと笑う。
「君は甘い、ね」
「遙。頼む、わかってくれ」
 誠也はじっと視線を送る。ツヴァイはしばらく何か考えているようではあったが、やが
てふぅと小さく溜息をついた。
「わかったよ。ヌル」
 ツヴァイは呟いて振り返る。背を向けて歩き出して。そしてすぐにもういちどくると向
きなおる。
「君がいかに偽善者かってね」
 ツヴァイが鋭く叫び、そしてすぅと息を吸い込む。
「翠の劫火(グリューンフランメ)」
「遥ぁっ!」
 誠也の声が高く謳うように響く。翠色の業火が一気に世界を包んでいく。
 フィーの放った翠の劫火は誠也の銀の息吹で全て無効化させていた。だが今の誠也には
対抗出来るほどの力を放つ事はできない。
 しかしその瞬間。高らかに声は伝う。
「白い灰(ヴァイスアッシェ)」
 白い灰が、ヴヴンと鈍い音と共に放たれる。しかし炎が腐るはずもなく、わずかに炎が
近付くのを遮っただけ。すぐに炎は二人に向けて走る。
「美咲、お前だけでも逃げろ。お前一人守るくらいの力ならっ」
 誠也は傷ついた右腕を、なんとか持ち上げて振るおうとして、しかしうまく動かない。
度重なる無理が一気に押し寄せてきたのだ。
 いま、いま動かなくてどうする。必死で腕を振るおうとするものの、身体はついてこな
い。例え誠也が冷血動物だといっても蒼の相談を受けて原子レベルで分解されたのだ。ま
ともに動くはずもない。
「私は、誠也を守るって決めたから。だから、白い灰(ヴァイスアッシェ)」
 再び白い灰を放つ。しかし炎が一瞬、止まるだけで効果は殆どあがらない。
 それでも美咲は力を放ち続けていた。
「お願い、全ての力を吸い取って」
 美咲の声が歌うように踊るように、ただ願いを込めて響く。
 そうか、美咲は。誠也は心の中で呟いていた。白い灰(ヴァイスアッシェ)の力を吸い取
る能力に全てをかけたのだろう。それでこの炎の持つ力を奪い取るつもりなのだ。
「白い灰(ヴァイスアッシェ)」
 間髪いれすに再び放つ。例え白い灰が力を奪うといっても時間をかけてしまえば、二人
まで炎は届いてしまう。とにかく放ち続けるしかなかった。それが自分自身の力を失う結
果になっても。
「美咲っ、美咲。やめろ、無茶はするな。俺が、俺がやる」
 半ば叫びだしながら、誠也は一気に手を振るう。声にならないほどの痛みが走る。それ
でも誠也は叫んでいた。
「銀の息吹(ズィルバーアーテム)」
 スゥンと冷たい金属が鳴らすような甲高い冷たい音が響き、炎を白い結晶と化して消し
ていく。美咲を炎から守る事に必死で力の加減など出来ていなかった。世界が真っ白く染
まっていく。
「な。」
 ツヴァイの呟きだろうか。しかし誠也の耳にはもう届かない。辺り一面が全て白く染まっ
た事にも気がつかずに。いまはただ美咲に誠也は駆け寄って手を差し出して声をかける。
その肌をところどころ腐食させて、力を一気に使い果たして、それでもゆっくりと笑って
いる少女に向けて。
「平気か」
 誠也の声に美咲は笑顔で返して、それなのに。
「……こないでっ」
 刹那、美咲が叫んでいた。そして傷だらけの体で、駆け出してそのままの勢いで、誠也
へと体当たりしていた。
「なにをっ」
 完全に不意をつかれて誠也は思いっきりはじき飛ばされていた。ぐぅっとくぐもった声
を漏らす。
 美咲は、まだ元に戻りきっていなかったのか。そう感じてしまった、その瞬間。高らか
に澄んだ声が響く。
「蒼の装弾(ブラオレーデン)」
 蒼い光の弾が、いくつもいくつもいくつも打ち込まれていた。辺りをしゃらららららっ
と金属が崩れるような音をたてながら、原子の煙を巻き上げていく。
「よくもよくも私を、私をぉっ。痛い、痛いんだよっ。痛いんだぁっ」
 狂った声。まだ死んでいなかったのだ。
 腹と目をえぐられて、うずくまって。そのまま姿を見せていなかったフィー。
 彼女はこの時を待ち続けていたのだろう。皆が傷つき、そして気を抜く瞬間を。
 美咲はそれをいち早く察知して、誠也を逃す為にはじき飛ばしたのだ。それなのに美咲
の事を一瞬でも疑ってしまった自分に、誠也は強く両手を握りしめる。
 原子は舞い上がり、そして辺りを包み隠していく。何が起きているのかは、誠也でも見
通す事はできない。響くのは甲高く伝わる音と、フィーの声だけ。近付くことさえできな
かった。
「死ねっ、みんな死ねっ。死んでしまえっ。滅びろ。私を産んだ奴らも、オリジナルも。
消えろぉぉっ。消えろぉっ……ぐぅっ」
 叫んでいたフィーが、不意に呻きを漏らす。だが何が起きているのかは、まったくもっ
てわからない。砂煙のように舞い上がった原子の群れが、全てを覆い隠していたから。
 やがて煙塵が舞い降りる。静かに霧が晴れるように、視界が整っていく。
 フィーが立っていた。立ちつくしていた。
 血を吐き出して、服が真っ赤に汚れていた。いやこの血は、そもそも目を抉られ腹を穿
たれた時のものかもしれないが。だがいまの呻きは、力を使い果たしたゆえのものに違い
ないだろう。
「あは、あはははっ。あははははっ。殺したよ、殺した。オリジナルを、殺した。これで
私が、本物だ。私がっ――がはぁっ」
 再び血を吹き出していた。
 辺りには、他に何も残らない。ただ少女と誠也と、崩れ去った全てがあるだけ。誠也の
胸の中が崩れ落ちる。ここにはもう誰もいない。美咲はいない。もういない。ツヴァイも
美咲も、この場にはただ荒涼とした原子の砂が風と共に舞い散るだけ。目の前に残ったの
は少女と、自分だけ。
 ずんと重くのしかかる。なぜ、俺は美咲を疑ってしまった、と。あんなにも必死で自分
を守ろうとしてくれていたのに。どうして俺は。たった一瞬の事なのに。
 しかしそれに答えるものは、ここには何もない。
「痛い、痛いだろ。なぜだ。なぜ痛い。私は冷血動物(カルトブリュータァ)だ。痛いはず
ないだろうが。なぜ。なぜ痛む」
 フィーは自らの腹に空いた穴をじっと見つめ、とたん顔のくぼみから紅い色がこぼれ落
ちる。
「痛い……。なぜ、私は生きている」
 普通の人間であれば、とくに息絶えている傷。だけどフィーはまだ耐えきっていた。
 恐らくもう死は逃れられないだろう。それでもフィーは目的を叶える為に生きて、しか
し美咲を倒すという指標すらも失い、いまはもう残った左目をうつろわせるだけ。
 誠也へと視線を向ける。そこには意志の無い声だけがある。
「ヌル、か。貴様は生き残っていたのだな。だけど貴様も、殺す。殺すぞ。殺せば、私は、
冷血動物(カルトブリュータァ)になれるだろう。ツヴァイの言う、究極の親殺しとは、そ
う言う事だろう。はは、あいつも、もうこの世界にはいないだろうが。私が消し去ったは
ず」
 静かな声には、もう力はない。例え傷ついた誠也であろうと、今のフィーに倒される事
など万に一つの可能性も有り得ない。
「私には、意志なんていらなかった。なぜ、私は生まれてきたんだ。私は、生きる意味が、
わからない」
 フィーはたどたどしい足取りで、誠也へと向かう。
「冷血動物になれば、何も思わずに済むと信じていたのに。でも、オリジナルを殺しても
何も変わらなかった。私は何も知らないまま、何のために生きている」
 誠也へと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。いや、もしかするとただ独白しているだけなのかも
しれない。
 美咲を全てを壊した張本人ではあったが、誠也は怒りを感情をぶつける事は出来なかっ
た。その、残された左の瞳を見つめていると、胸の中に寂寥とした想いだけが浮かぶ。
 何故か自分自身をみている様な、そんな感覚すら浮かんでいた。
「私には、過去がない。だから、未来もない」
 フィーの呟きは、どこか音にならない気がした。風のように通り過ぎていくだけで。
 フィーは美咲のクローンだ。だがクローンであるがゆえに、今まで生きてきた記憶がな
い。だから、何のために生きて良いのかもわからないのだろう。
「何も考えずにいられたら、よかったのに。未来に怯えなくても」
 フィーはただ呟きを漏らし続けるだけだ。静かに誠也へと向けて歩きながら。
「ヌル、私はお前も殺す。殺すぞ。死にたくなかったら、止めてみせろ」
 台詞には、全く重みがない。ただ機械のように音を漏らしただけ。
「蒼の装弾(ブラオレーデン)」
 手をのばし、声を漏らす。だがもう力は発動しない。
「ならっ、翠の劫火だ」
 口から大きく息を吐き出す。なま暖かい空気が、微かにはじき出される。
 大量の血と共に。
「殺す。殺すぞ、ヌル」
 それでもフィーはただ殺意を。全く力の籠もらない殺意を向けて、ただ歩いていた。
 誠也にはその姿は、自らの意志を伝えているようにしか思えなかった。殺してくれ。と。
 もう耐えられなかった。何一つ残らない世界で、目の前に立つ人は自らを失わせようと
躍起になっている。世界には何も残らないのか。自分以外、何も。
「……銀の息吹(ズィルバーアーテム)」
 誠也は大きく右手を振るう。誠也自身にも力は殆ど残されていなかったが、それでも最
後に残された力は、拒絶の意志は確かな息吹と化してフィーへと向かっていく。
「くるかっ。私には、その程度の力など、ちか……ら、な、ど」
 猛き声も、しかし少しずつ動きを止めていく。フィーは、避ける力もなく銀の息吹に包
まれていく。
「き……かな……い……」
 それでもフィーはただ誠也へと向かって歩き続けていた。真っ白な彫像と化すその瞬間
までは。
 誠也はしばらくフィーを見つめていた。今にも動きだそうとしているように見える彼女
をそのまま。美咲と同じ姿の彼女を。
 しかし完全に凍り付いた彼女が動き出すはずもない。
 フィーは全てを壊して、そして自らも砕けた。ただ最後に、誠也を目指して。
 ここから始まった絆は、いま全てを失って。崩れて、落ちる。
 誰もいない。残されていない。恨むべき相手も、傷ついて傷つけた敵も、愛するべき人
も。何もかもが消え去ってしまった。誰が、いったい誰がこの結末を望んだのだ。俺はこ
んな結末なんて求めちゃいなかったのに。
 人として生きたい、大事な人を守りたい。それだけのちっぼけな願いすらもお前には求
める権利などないと、世界はあざ笑うようで。真白にある、たった一つの熱すらも冷やし
ていく。
「世界に救いなんてない。世界に救いなんてない。あるのは一人いる現実……」
 エヴァグリーンの自らの作った歌詞を呟いて。誠也は、目を瞑り頭を振るう。
 髪がばさ、と目の前で舞った。目の前に広がる、現実を否定するかのように。
 だけど、その声を聞くものは誰一人なくて。誠也は、そのままぺたんと座り込んで、小
さく、呟いた。
「それでも、目を逸らすなと……いうのかよ」
 その問いに対する答は、誰一人もっていなかった。
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