崩落の絆 (23)
「くっ」
 目に見える場所を弾く力には、さすがに銀の息吹を発動させる暇もない。とっさに後ろ
へと飛びすざる。
「黄色い蛇(ゲルプシュランゲ)」
「白い灰(ヴァイスアッシェ)」
 その瞬間。二つの力が同時に襲いかかった。
 白い灰が、ざぁっと頭上から降り注ぐ。そして誠也の行く先を塞ぐかのように黄色い蛇
がぐるりと囲み込む。逃げ道はない。だが。
「無駄だっ」
 ツィンと金属が震えるような音が響いたかと思うと、灰も鞭も結晶と化して消え去って
いた。
「すばらしい。さすがだね、ヌル。白い灰(ヴァイスアッシェ)で力を吸い取られても物と
もせず、全てを粉砕する。君こそが真に冷血動物(カルトブリュータァ)の名に相応しいよ。
その冷静ぶりも。愛しい人が壊れても微塵も動揺しさえしない。冷血動物の名は伊達じゃ
ない」
 ツヴァイは冷笑を浮かべ舌先を出して唇を伝う。唇に滴る血をなめとるように。
「……。美咲、戻ってこい。お前は人であるはずだろ。お前は人間なんだ。力を使うな。
白い灰(ヴァイスアッシェ)を使うな――お前は、俺とは違うはずだろ」
 ツヴァイの言葉を無視するかのように、ただ誠也は美咲に向けて語りかけていた。もう
帰ってこない事は、わかっているのに。
「美咲、戻ってこい」
 だが誠也の問いかけに美咲は声を返さない。悪意も好意もない。ただ見つめ返してくる
のは、淡々とした平たい視線。まるで炉端の石ころを見つめるかのような、瞳。
「紅い瞳(レーテプヒレ)」
 紅い瞳を発動させていた。美咲の右の眸が紅色へと染まり、まっすぐに時間を捉える。
「……美咲」
 呟いた声に、ツヴァイは楽しそうに声を漏らす。
「美しいね。ドライの紅い宝石は。ぞくぞくするよ」
 ツヴァイは恍惚の色を浮かべ、開いた左手をの中指をぺろりとなめる。
 美咲の目をあの時と同じように喰らおうとでもいうのだろうか。
「でも、約束したんだよ。ヌル、君を連れ帰るって。だからその時まで、我慢しなくちゃ
ね。本当に欲しいものは、最後まで耐えて耐えて耐えた後に手に入れるからこそカタルシ
スがある。君も、そう思うだろ」
 ツヴァイはあははっと悦びの色を浮かべて破顔する。
 だが誠也はその声が聞こえなかったかのように、美咲に向けて呼びかけ続けていた。
「美咲、戻ってこい。お前は人だろう」
 誠也は強く叫ぶ。だがその声が届いていなかのように、美咲はその手をぎゅっと握りし
めただけだった。
「無駄だよ。僕らは冷血動物(カルトブリュータァ)なのだから。所詮、人足り得ないもの。
人よりも力があり、そして人よりも。愚かな、くだらない存在なのさ。僕達は創られたモ
ノに過ぎないのだから」
 ツヴァイはくすくすと笑いながら、前髪を静かにゆっくりと優しく払う。血がぽたり、
と滴り落ちる。
「……人、足り得ないか。確かに俺は人じゃないのかもしれない。俺は操られた遺伝子の
中で、偶然生まれた産物に過ぎないのだろう。俺がいなければお前も美咲も人のまま過ご
せたのかもしれない」
 誠也は胸の中がうずく。冷たい感覚の中、それでもなぜか痛む。
 人でありたかった。人であろうと願っていた。強く強く。だから記憶を封じて、独りで
過ごした。やがて記憶も無く孤独の中に寂しさを見つけ仲間を求めた。かけがえのない仲
間を見つけ、夢を見つけ、人として過ごしていた日々。
 だけどそれはもういまは瓦解して、崩落の一途へと向かうだけ。
「だけど、それは俺の犯した罪なのか。俺が全ての始まりなのか。繋いだ絆は断ち切るこ
とが出来ないのか」
 誠也はただ淡々と、淡々と。ただ呟く。
 誠也はその腕をすっと伸ばす。そして強く強く声を上げていた。
「美咲、戻ってこい。美咲」
 美咲に向けて呼びかけた声、美咲はその声にぴくんっと震えていた。もしかして反応を
見せているのか。誠也はここぞとばかりに声を高める。
「美咲っ。戻ってこい」
 美咲の身体がぶるぶると震え、あ、と小さく声を漏らした。
 だが。誠也の声を遮るように、美咲の背に黒い羽根が広がる。そして一気に自分自身を
包み込んでいた。翼の時と同じように。黒い羽根が大きく弾けていた。
「美咲ぃっ」
 誠也の声が張り裂けんばかりに響き渡る。だがその声を聴かせたかった相手は、そのま
まゆっくりと、地面へと落ちる。
「残念。壊れちゃったみたいだね。アインスと同じであまり長くは持たなかったか」
 ツヴァイは悲しそうな声で呟く。お気に入りの玩具が壊れてしまった子供のような声で。
「なぜ、だよ。なぜだ」
 誠也は両手で頭を抱え込むようにして、首を振るう。美咲を迎えにきたはずなのに。
「どうしてみんな壊れていく。俺はただ、生きることを確かめたかっただけなのに」
「無理な話だな。お前が生きている以上、平穏では有り得ない。お前は選ばれた存在なの
だから」
 ツヴァイと美咲の向こう側。確かにそこに一人の男が立っていた。確かに見た顔、忘れ
られない顔。絶対に、忘れはしない顔。
 なぜだ、なぜこいつがここにいる。誠也は強く奥歯を噛みしめていた。
「やぁ、両堂さん。わざわざ貴方がでばってくるとはね。僕に任せてくれればいいものを」
 ツヴァイは目の前の男、両堂の名を呼ぶと腕先ですっと辺りを示す。
「この惨状はなんだ。焼けこげた壁、崩れ去ったアスファルト、腐食しきった死体。よく
もまぁここまでやってくれたものだ。いくらこの辺りには潰れた店ばかりで人がいないと
はいえ」
 両堂は冷たい声で呟くと、辺りをくるりと見渡した。白衣の裾がわずかにたなびく。
 凛とした視線をツヴァイに、あるいは美咲に。倒れたままのフィーに向けている。
「フィーを潰したのはお前か。フィーはプロイェクトの中でも貴重なサンプルだというの
に」
 転がるフィーに一瞬だけ目をやって、ふんと声を漏らす。フィーはびくりとも動こうと
しない。気を失っているのか、あるいは命の灯火すら消えているのかもしれない。人であ
れば間違いなく死は免れない重傷なのだから、有り得ない話ではない。
「彼女はいらない。せっかく記憶のないヌルを簡単に連れ帰れたはずなのに、彼女の暴走
のせいでヌルの記憶を呼び戻してしまったからね」
「ふん。まぁ、いい。データは残っている。再生は可能だろう。あの能なしめ、フィーは
あくまで探索ではなく備えとして置くはずだったのに。おかげでプロイェクトに一月は遅
れが出たな」
 両堂は凍えるような声で言い放つと、そして誠也へと顔を向けていた。
「ひさしぶりだな。ヌル――いや、誠也」
「なぜだ。なぜ貴様は生きている。確かに死んだはずだ。俺が、この手で殺したんだから。
なぜ、生きている」
 誠也はわずかに感情を含ませた声で、苦い声で呟く。
 奥歯がぎりぎりと鈍い音をたてていた。いつまでも止まらない。
「簡単だろう。私がここにいる以上、答えはひとつ。あの時、私は死んでいなかった。た
だそれだけの事」
 両堂の言葉に、誠也はぐっとその手を握りしめる。そして、力を集めだした。
「銀の息吹(ズィルバーアーテム)か? やれやれ、少しは久しぶりの再会を楽しんだらど
うだ」
「うるさい。貴様は、貴様だけは許しておかない。許さない。生きていたなら、足りなかっ
たのなら。もういちど殺すまでだ。俺は、人でいたかったのに。ただ生きる事、それだけ
を求めていたのに。貴様は全てを狂わした。こんな力などいらなかった」
 誠也は不意に強い叫びを上げていた。どこか壊れていた感情が、一気に現実へと引き戻
されたような感覚。怒りと憤りと憎しみと、強い想いによって、心がここに帰ってくる。
「ふん。お前はそのために生まれて来たんだ。お前に生きる意味があるとしたら、ただプ
ロイェクトの為。それ以上に意味などないわ。その為だけに創ったのだからな」
「……殺してやる。罪の印(カインスツァイヒェン)だろうが、完全なる冷血動物(カルト
ブリュータァ)だろうが、すべてを受け入れてでも、貴様だけはこの世界から消し去って
やる」
 誠也は鈍い声で告げると、握りしめていた手を両堂へと一気に解き放つ。
 銀色の息吹が、きらきらと空気の結晶を作りながら一直線に両堂へと向かっていく。
「……今度こそ、終わりだ」
 誠也が呟く。だが。
 バチバチッと光の渦が走る。その瞬間、何かがキィンと冷たい音を立てて銀の息吹は消
え去っていた。
 何を行ったのかは、はっきりとはわからない。だが恐らくはツヴァイの力だろう。黄色
い蛇か何かを使って、両堂に届く前に何かをぶつけたのだ。銀の息吹はそれを凍り付かせ
た為に、両堂までは届かなかったのだろう。
「その程度では私は殺せないな。あの時、私を殺そうとした時の方がよほど力強かったぞ。
退化したか」
 両堂は静かな声で呟くと、何事も無かったかのように誠也へと向けて歩き出す。
「帰るぞ、誠也」
「いやだっ。俺はもう戻らない。人として生きるんだ。あんたがいる限り、俺は人になれ
ない。いつまでもモルモットのまま」
 誠也の声が震えていた。絶対的な力を持ちながらも、越えられない壁を目の前にして叫
ぶと誠也はまるで子供のように首を振るった。いやそれは正しくないかもしれない。
「モルモット? 別にそんな風に使い捨てるつもりはないがな。お前は貴重なサンプルだ。
同じような遺伝子操作を行っても、力を身につけたのはお前だけだった。他の冷血動物
(カルトブリュータァ)は全てお前の遺伝子を輸血という形で強制的に取り込ませたものに
過ぎないからな。だがその彼らにも螺旋の狂いは計測されている」
 冷静な声で呟くと、じっと誠也をみつめる。その目は確かに目の前にあるもの全てを実
験材料としてしかとらえていない、感情の含まれない瞳。
 誠也の胸の奥が痛みだけで埋め尽くされていく。誠也の中にどこか満ちていた冷たさが、
少しずつ熱く変わっていく。目の前の男を殺したい。完全に無に還るまで壊したい。その
想いだけが誠也の心を燃え上がらせていく。
「殺してやる。お前がいなければ、母さんは死なずにすんだ。お前がいなければ、俺は生
まれてこなかった。こんな世界で、生きる事を、人である事を求めて彷徨うこともなかっ
たんだ。冷たい、冷たい、冷たい想いを抱かずに済んだのに。だから全てをゼロに戻すた
め、殺してやるよっ、親父ぃっ」
 それは正しくなかったかもしれない。子供のように、ではなく。誠也は子供そのものだっ
たのだから。目の前にいるこの男の。
 そして次の瞬間、目の前の男に向けて誠也は一気に駆け出していた。
 だが両堂はびくりとも動こうとせず、ただ誠也を待ち受ける。
「ツヴァイ」
 両堂は軽く手をあげて、隣に立つツヴァイの名を呼んだ。その瞬間。
「はいはい。仕方ないね、黄色い蛇(ゲルプシュランゲ)」
 ツヴァイの黄色い蛇が誠也に向けて放たれる。
「邪魔だ。今更、お前ごときが何をしようと俺には通用しない」
 銀色の結晶が一気に収束する。ツヴァイの黄色い蛇は完全に凍り砕け消え去ってしまう。
「死にたくなかったら下がってろ。お前では俺はとめられない」
「さぁ、どうかな。君は勘違いしてる」
 呟いた瞬間。ツヴァイの体がすぅと歪む。黒い闇の中に消え去っていく。
「それで隠れたつもりか。死にたいなら、容赦はしない」
 誠也は大きく手を振るうと、放射線状に銀の息吹が放たれる。円形に向けられた銀色の結
晶はまわりのもの全てを壊し、その時間を止めていく。
 誠也の銀の息吹には避ける以外の回避方法はない。美咲の白い灰と同じく、いやそれ以上
に全てを壊す力なのだから。白い灰(ヴァイスアッシェ)のように他者の力こそ奪いはしない
が、誠也自身がもつ力の絶対量を省みれば、それは些細な事に過ぎない。
 フィーの蒼の装弾(ブラオレーデン)のように曖昧な狙いでしか使えない力でもない。思う
ままに自らの力を降り注ぐ事が出来る。
 暗闇の中にいても全ての方位に対して向けられた息吹は、何もかもを停止させていく。
 しゃららららら、と金属が崩れるような音が響き辺りのもの全てを凍り付かせ、そして砕
く。だが、その瞬間。その声は響いた。
「紅い瞳(レーテプヒレ)」
 それはツヴァイの声、すぅと紅色にその右の眸が光る。確かに美咲やフィーと同じ紅色の
眸。闇の中に紅色の眸だけがうつろい、そして誠也の銀の息吹を避け続けていた。
「それは、美咲の」
「違うね。これはフィーのもっていた力。君も知らない訳じゃないだろ。僕達が君の血を受
け入れた事によって生まれた存在なのだと。確かにそれによって得た力は欠片に過ぎないの
だろうね。でも、そんな血でもかき集めれば――――一にも二にもなる」
 ツヴァイはくすくすと笑う。闇の中から声が響いていく。紅い瞳の力で、わずかな隙間か
ら避け続けたのだろう。
「僕はアインスの、そしてフィーの力を得ている。それだけじゃない、数多くの出来損ない
(ニヒツヌッツ)の力をも。君に勝るとも劣らない力を、いくつも持っているのさ。他者の血
を取り入れる事によって」
 ツヴァイはくすくすと微笑みながら、再びその顔に滴る血を嘗めぬぐう。
「でも、これが出来たのは僕とフィーだけだ。ドライにアインスの血を打ち込んでも何の反
応も示さなかったからね――だから許されたんだよ。君をつれて帰ることで、ドライの紅い
宝石を手にする事を」
 あはははっと高らかに笑う。
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