崩落の絆 (22)
四.知らない心。求め続けた夢。
 
「思い、だしたよ。全て。何もかも思い出さずに済むように記憶を封じていたのに。どう
して、俺の前にあんた達は現れる」
 誠也は呟く。奥歯をぎりぎりと噛み締めて。
「さぁ、どうしてかな。血のなせる技なのかもしれないね。君の血が僕ら全てを引き寄せ
る。そうだろう――――ヌル」
 ツヴァイは誠也に向けて、くすくすといつも通りの笑みを浮かべていた。顔を半ば血で
染めたまま、誠也の事を。ヌルと呼んだ。
「今のが始祖の力の一端という訳だ。すごいね、さすがは最強の冷血動物(カルトブリュー
タァ)だ。これに対抗出来るのはドライの白い灰(ヴァイスアッシェ)だけかな。あの技は
最強の芸術だから。辺りから無作為に力を全て吸い取る技だけに、避けようがないからね。
君とてそれは例外じゃないだろう」
「残念だが、白い灰(ヴァイスアッシェ)は俺には通じない。確かに力を奪うのは防ぐ事が
出来ないが、俺の力を吸い取りきるにはそれだけの器が必要だ。美咲やフィーでは俺の力
の一端を奪うのがせいぜいだろう。まぁ、白い灰そのものを受ければさすがに死はまぬが
れないだろうが、普通じゃ俺を捉えられない」
 誠也は吐き捨てるように告げると、伸ばした手を強く握りしめる。
「思えば、初めて美咲の白い灰(ヴァイスアッシェ)に力を吸い取られた時から、俺の記憶
は戻り始めていた。美咲に吸い取られた力は、俺の記憶を封じていた力だったから」
 誠也は苦々しく呟く。あの時、美咲の白い灰が跡形もなく出来損ないを消したのも、そ
の力が影響していたから。
 美咲が感じ取っていた大きな力は、誠也の記憶と力を封じていた力。
 ツヴァイが憐れみの目で誠也を見つめたのも、誠也に手を出したのも、誠也の記憶が力
が失われているのを確かめる為。
 誠也は全ての力を封じていたから。人であろうとするために。
「俺にとって、お前達は出来損ない(ニヒツヌッツ)と同じだ。お前達は俺の不完全なコピー
に過ぎない。俺の血を遺伝子を、身体の中に組み込むことによって得た力の欠片など恐れ
るには足りない。ましてやリコピーに過ぎない出来損ない(ニヒツヌッツ)など物の数にも
入らない」
 ただ淡々と続けて、まっすぐにツヴァイを見つめる。
 伸ばした手から異様な圧力が発せられていた。いや実際に力を使っている訳ではない。
ただ猛きものが小動物を睨みつけた時のような、圧倒的な力の差の感じさせる威圧感。
 ツヴァイはびくっと身を振るわせて、思わず後ろへと飛び退いていた。
「なら、試してみようか。僕の力がどこまで通じるのか。君の力がどれほどのものなのか、
確かめてみるのも、一興だろ」
 ツヴァイは黄色い蛇(ゲルプシュランゲ)を一気に解き放つ。音速の鞭が誠也に向けて襲
いかかった。
 だが誠也はまるで翻弄するかのような鞭の動きを完全に見えているかのように、微かな
動きだけで避けきっていた。まるで子供の投げるボールをよけるかのように。
 いや、それどころか。
 バチィと空気が弾ける音が響く。だがそれは黄色い蛇が誠也を捉えたのではない。黄色
い蛇を誠也が捉えたのだ。片手で軽々と。
「ひゅぅっ。やるね。さすがはヌル」
 ツヴァイも慌てる事もなく黄色い蛇を解除する。誠也が掴んでいた鞭が音もなく消えた。
「俺は、ただ静かに生きたいだけなんだ。俺達の事は忘れてこの場を去るというなら、俺
もお前達には関わらない。俺と美咲を置いて立ち去ってくれ」
 誠也は再び手の平をツヴァイへと向けた。静かな圧力をかけて、無言の主張を確かに伝
えて。
 美咲へとちらと視線を移す。完全に気を失っているようだった。一瞬とは言えフィーの
翠の劫火に包まれたのだ。かなりのダメージを受けているだろう。いかに美咲が治癒力に
長けた冷血動物(カルトブリュータァ)とは言え、一刻も早い治療が必要だ。
「頼む」
 誠也は目をツヴァイから離さないままで、ゆっくりと呟く。言葉の外に聴かないという
のなら力尽くでもという意志を込めて。
「頼む、ね。まぁ僕はその願い聞いてもいい。ドライの紅い瞳には未練はあるけど、まだ
死ぬには少しばかり早いからね。でも――君は運命から逃げるつもりかい。君も罪の印
(カインスツァイヒェン)を背負っているのに? 聖書のカインは嫉妬からアベルを殺した
けども、君は怒りで家族を殺した。たった一つ求めていたものを奪われたから。君がもっ
て生まれた力を使い殺した。殺した。殺した。殺したんだよ、君は」
 あはははっと楽しそうに笑顔を浮かべて、ツヴァイは背に羽根を浮かべる。黒い羽根、
闇の翼を。
「戦う気か。だがお前では俺には敵わないぞ」
 誠也の言葉は脅しや挑発ではない。冷然たる事実。ツヴァイの黄色い蛇では誠也の身に
当てるどころか触れる事すら出来ない。だがかといって黒い羽根(シュヴァルツフリュー
ゲル)が誠也に影響を及ぼすとも思えない。
 ヌル、と呼ばれ、始祖と呼ばれた誠也は全ての冷血動物(カルトブリュータァ)やあるい
は出来損ない(ニヒツヌッツ)の礎となったもの。ヌルとは、ドイツ語でゼロを意味してい
る。全ての計画は、誠也と共に始まったのだから。
「戦わないさ、僕はね。勝っても負けても計画が台無しになるからね。プロイェクト『ビー
オテヒニックヴァッフェ』。日本語に訳せば生物兵器計画。安易な名前だよね。力を持つ
君の遺伝子は人間のものとわずかに二%違う。だけど人とチンパンジーの差もそんなもの
なんだよ。そのわずかな遺伝子が、君を、人であらざるものに変えた。君は、人じゃない。
僕も、ドライも。人ではあり得ない。冷血動物(カルトブリュータァ)なのだからね」
 挑発しているとしか思えない口調で、ツヴァイはくすくすと笑みをこぼす。だがツヴァ
イの口振りは戦えば勝ち目がないことも重々に承知しているとしか思えない。誠也の力が
どれほどのものなのかも。
 ならば、なぜ争いをしかける。それも口火を誠也に切らせようとしていた。戦いの鉄則
の一つに先手必勝というものがある。先に仕掛けた方が大抵は有利に事を進められるもの
なのに。もちろん仕掛けさせておいて、その裏をとるという方法もない訳ではない。だが
それはあくまでも力が均等している場合においてのみ通用する戦い方だ。圧倒的な差があ
る現状で意味があるとは思えない。
「何を考えている」
 誠也は呟く。だが何にしてもツヴァイに引くつもりがない事だけはわかる。そして誠也
も引くことは出来ない。そこに美咲で倒れている以上は。美咲を守るために。
 思えば美咲に惹かれだしていたのは、自分と重ね合わせていたからかもしれない。誠也
は自らの力で記憶を封じていた。人として生きる事を望んだから。人で有りたいと願った
から。二%の違いを封じた。
 だが深層意識は、螺旋の奥底にあった記憶は美咲と自分を重ね合わせていたのだろう。
同じく人であろうとする美咲を守りたいと願った。例え自分には無理でも美咲には人でい
て欲しかった。
 だから、守るために。誠也は力を集めだした。
「くるかい。銀の息吹(ズィルバーアーテム)。それとも別の力かな」
「……銀の息吹(ズィルバーアーテム)」
 誠也は独白するようにぼそりと呟く。その瞬間、銀色の結晶が誠也のまわりに飛び散り
始めていた。
 全ての分子運動が止まる、すなわちこの世界のどんな物質も凍り付くという事。例え白
い灰(ヴァイスアッシェ)や黄色い蛇(ゲルプシュランゲ)と言えど同じ事だ、避けることは
出来ない。
 いや、そうか。
 銀の息吹(ズィルバーアーテム)といえども凍り付かせる事が出来ないものもある。フィー
の蒼い装弾(ブラオレーデン)の光や、ツヴァイの黒い羽根(シュヴァルツフリューゲル)の
闇は元々が粒子である為に凍りつきはしない。とはいえど術を使っている当人は避ける事
は出来ないのだから、それがさほど意味を持つとは思えない。よくて相打ち、悪くすれば
力が暴発するだけの事だ。それなのに。
 ツヴァイはだが誠也から銀の息吹(ズィルバーアーテム)が発せられる前にその翼を大き
く開いた。闇が大きく広がり、そして打ち出された。ぶぅんと空気が震えるような音が響
き、そして闇が包み込む。
 美咲を。
「なっ」
 誠也は思わず力の発動を止めていた。想像もしていなかった、すでに倒れている美咲に
攻撃を加えるだなんて全く意味がない事だ。とどめを刺すつもりなのかもしれないが、こ
の状況でそれに意味があるとは思えない。
 だがツヴァイは、あはははっと大きな笑みを浮かべていた。全てが思い通りに向かって
いるその悦びに。黒い羽根の力、人の闇を増幅させる力。だが冷血動物である美咲には通
用しない。あるのは闇の風に伴うわずかな物理的ダメージだけのはず。
 誠也の内心とうらはらに、しかし美咲は突然立ち上がっていた。その傷を癒やしながら。
「ふふっ、確かに普通なら僕の闇の羽根は冷血動物(カルトブリュータァ)には通用しない。
でも、いちど試してみたことが有るんだよ。巨大なダメージを受けて意識を無くしている
時ならばどうなのかってね。結果、同じだったよ。人や出来損ない達と。アインスは、そ
れで壊れたんだから」
 ツヴァイの視線が美咲へと向けられる。とろんとした瞳をして、しかし動きだけは機敏
に目の前で手を握りしめる。
 ふぁさっと、美咲の背に闇の羽根が広がっていく。そして翼が大きく開いた瞬間、美咲
の目も見開かれていた。
「死ね」
 わずかに震える声で、美咲は呟く。誠也はその言葉に驚愕の色を隠せない。
 心の闇を増幅させるはずの黒い羽根。だとすれば美咲の心の中には、人を殺そうと望む
意志があったとでも言うのだろうか。
 誠也は思わず顔を背けていた。
「白い灰(ヴァイスアッシェ)」
 囁きのように、唇を微かに動かす。美咲の握りしめた手に、力が集まり始める。
「――美咲!」
 誠也は大きく叫んで美咲へと駆け寄っていた。白い灰が、誠也へと降りかかる。
「くそっ。銀の息吹(ズィルバーアーテム)」
 銀色の息吹を呼び出す。さら……と白い灰は結晶と化して、そのまま地面へと落ちる。
「白い灰(ヴァイスアッシェ)」
 だが美咲は全く気にする事も無く、白い灰を再び呼び出していた。
 美咲だから、白い灰(ヴァイスアッシェ)だからこそ出来る技。他者から力を奪い取る技
だからこそ、いくら防がれようと自らの力は殆ど失わずにかけ続ける事が出来る。
 誠也は再び銀の息吹で迎え撃つ。だが美咲は。
「白い灰(ヴァイスアッシェ)」
 再び力を解き放っていた。私は人ではないと証明するかのように。
 誠也の身体が震える。やめろ、と叫びだしたかった。だが喉元でその声を留める。
「無駄だ。利かない」
 誠也の声に、美咲の手が一瞬とまる。そしてその手をすっと降ろす。
 わかってくれたのか、と誠也は一瞬感じて。だがそんなはずも無い事を、すぐに噛み締
めていた。
「黒い羽根(シュヴァルツフリューゲル)」
 呟いたのは美咲。ツヴァイから与えられた闇の翼。だがこの力はツヴァイのものとは違
う。あの時、翼が使ったように空間を弾かせる力。
 バチィと高く音が響く。翼がやったように狙いを敢えて外す事もない。誠也の腹部で大
きく弾けていた。
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