崩落の絆 (21)
「くうぅ。ならばならばならばっ。こいつは避けられまい。白い灰(ヴァイスアッシェ)」
 フィーは強く叫び、その手に力を収束させていく。誠也はわずかに脱力感を感じるが、
美咲が使った時のように、一気に力を吸い取られるような感覚はなかった。
 ツヴァイも微かに力を奪われているのか、足元が一瞬ふらりと揺れる。
 だが美咲は全くスピードを緩める事もなく、一気に駆けだしていた。
「!? まぁ、いいっ。うけろぉぉぉ」
 白い灰が一気に美咲に向かって吐き出される。だが、美咲には全く通用しない。白い灰
の届く範囲から横飛びで避け、灰のすぐぎりぎりを駆け抜けていく。
「ばかなっ!」
 絶対の力を持つはずの白い灰(ヴァイスアッシェ)までが避けられ、フィーは愕然とした
表情を浮かべる。
 だがその時にはすでに美咲はフィーの眼前まで迫っていた。美咲の拳がフィーを捉える。
 いや、捉えようとした寸前。フィーはわずかな動作でその拳を避けきっていた。
「……紅い瞳も使えるのね」
 美咲がぼそりと呟く。
 フィーのその右の瞳は確かに紅色に染まっていた。血のように紅い、美咲の持つ瞳と同
じもの。
「当たり前だろうっ。私はお前のクローンなのだ。お前が使える力は使えるに決まってる。
さらに、それだけじゃないっ。私自身がヌルの血を受け入れているんだ。だからっ、私だ
けの力だって使う事が出来る。奇跡は二度続かないっ、今度こそ光を、受けろぉっ蒼の装
弾(ブラオレーデン)」
 フィーの言葉と共に再び光の流撃が襲いかかる。だがその蒼い光を全て何事もないかの
ように美咲は避け続けていく。
「なぜっ。なぜだなぜだなぜだっ」
 フィーは頭をかきむしって、光を放ち続ける。だが地面を砂煙のように舞い上げ続けて
いるだけで、全く当たりはしない。
 舞い上がった原子はきらきらと光を受けて、辺りを完全に隠していく。
「なっ。ど、どこだっ」
 フィーはあわてて瞳を凝らす。だが例え紅い瞳と言えど、物質の先を見通せる訳ではな
い。自身の舞い上げた原子の霧に、美咲の姿を見失っていた。
「力に溺れるものは、戦いには勝てない」
 美咲はぼそりと呟き、フィーへと手を伸ばす。その瞬間だった。
 バチィと空気が弾ける音。ツヴァイの黄色い蛇(ゲルプシュランゲ)が美咲へと襲いかか
る。
「くっ」
 美咲は一歩後ろに下がり、紙一重の差で黄色い蛇を避けきっていた。しかしあとコンマ
数秒でも遅ければ、美咲の体はツヴァイの手によって貫かれていただろう。
 一対二というハンデはやはり大きい。お互いが冷血動物(カルトブリュータァ)であり、
出来損ないなどとは違う。ましてやフィーの力は美咲をも凌駕しているのだから。
「貴様ぁっ。手を出すなといっただろうがぁぁぁぁっ」
 だが助けられたフィーは逆に怒りをツヴァイへと向けていた。もしあのタイミングでツ
ヴァイが攻撃しなければ、間違いなくダメージを受けていたというのに。
「やれやれ。これだから気違いは困るね」
 頭の横で指先をくるくると回しながら、くすくすっと笑みをこぼす。
「ドライを見たせいもあるんだろうけど、力を使うと必ず激高するんじゃあ、冷血動物
(カルトブリュータァ)とは言えないね。僕達は冷血動物なんだよ。いつでも冷静でいなく
ちゃね」
「……うるさい。貴様などにわかってたまるか」
 フィーは、再びぼそりとした呟きに戻る。まるで美咲のような喋りに。
 ツヴァイの言うとおり、能力を使うその瞬間に引き金が引かれるのかもしれない。精神
干渉(ゲヒルンヴェッシェ)の影響があるのだろう。
 誠也は今までの流れの中、何一つ行動どころか口を挟む事さえ出来なかったが、だが戦
いの流れだけははっきりと掴んでいた。このままでは美咲が敗れるのは時間の問題だと。
 フィーが何と言おうとツヴァイも美咲に執着している。いや正確には美咲の紅い瞳にだ
が。チャンスがあれば確実に手に入れようとするだろう。美咲を殺して。
 させる訳にはいかない。誠也はぐっと手を握りしめる。だが自分に何が出来るのかはわ
からなかった。誠也はただの人に過ぎない。彼らのような力は何一つ持たないのだから。
 それでも誠也は前へと歩み始めた。何が出来る訳ではないかもしれない。だけどこのま
ま何もしないでいれば、きっと後悔する事になると。
 しかし誠也の予想は、わずかに外れていた。
「わからないね、所詮、精神干渉(ゲヒルンヴェッシェ)に囚われてる君にはね。君が激高
する正体もそこにある。まぁ精神を無理矢理いじられているのだから影響が出ても当然だ
ろうけど。ドライが、無口であまり喋られないのもその影響だろうしね」
 ツヴァイの顔から不意に笑顔が消える。
「でも君のは醜悪だ。冷血動物の名に相応しくない。所詮《カインスツァイヒェン》を持
たない君は冷血動物(カルトブリュータァ)足り得ないという事か」
「《カインスツァイヒェン》?」
 呟いたのはフィーではなく美咲の方だった。彼らの会話には聞き慣れない言葉が多かっ
たが、これは美咲も知らない単語なのだろうか。
「そうだよ。《カインスツァイヒェン》――カインの印、罪の印をね」
 ツヴァイはゆっくりと呟くとわずかに唇を震わせた。ぞくりと誠也の背に冷たいものが
走る。
 嫌な感じがする。何か聞いてはいけないものに触れている、そんな感覚が誠也を包んで
いた。
「冷血動物になるためには得る印。君も知っているだろ、旧約聖書にある人類が初めて犯
した殺人の罪。肉親殺しの罪。その印――罪の印(カインスツァイヒェン)を」
 ツヴァイの台詞を聞いて誠也は目の前が不意に歪む。わかってはいた、想像はついてい
たんだ。そろそろは。心の中で強く思う。気がついて、けど直視しないでいたことなのに。
 誠也はまっすぐにツヴァイを見つめる。ツヴァイは誠也の想いを読みとったかのように、
口元に嘲けりの色を浮かべていた。
「ここにいる冷血動物は全てみなこの印をもっている。見えないけれど、額の真ん中に罪
の印を背負わされているのさ。――親殺しっていうね」
 ツヴァイの言葉に誠也は震える。思わず美咲へと視線を移していた。
 美咲のその顔は暗い。それもそうだろう、お前は親を殺したんだとたった今、宣言され
たばかりなのだから。美咲は唇を噛みしめて、つぅと血が下あごを伝っていく。冷たい、
血が。
「……思い出した。思い出したよ。私は、確かに殺した。お父さんを、お母さんを、殺し
た。なのに、なのに殺そうとしているお父さんも、お母さんもにっこりと微笑んで言った
んだ。――おかえりって」
 美咲は思わず両手で顔を覆っていた。あのニュースでいっていた五年前にさらわれた子
供、それが美咲だったのだ。そして冷血動物(カルトブリュータァ)として育てられ、送り
込まれた。罪の印(カインスツァイヒェン)をつける為に。家族だろうが、大切な人であっ
ても殺すことが出来る冷血動物の完成を確かめる為に。
 そして美咲は確かに殺したのだ両親を。変わってしまった娘を、だけどはっきりと覚え
ていた愛情の溢れる家族を。その手に秘めた力で、確かに。
「二人とも私が何をしようとしているのかわかっていた。だって私が言ったもの。お前達
を殺すって。それなのにお父さんもお母さんも何も言わないで、にっこりと笑ってて。―
―――そうかって一言、呟いただけで」
 美咲はそのままその場に崩れ落ちる。ぺたんと座り込んで、全ての力を失ったかのよう
に呆然としていた。
 しかしそれでその場が静まるはずもない。
「罪の印(カインスツァイヒェン)だとっ。ならば私もつければよいだけだ。私はクローン
だ。つまりドライを殺せば私にも名乗る資格があると言う訳だろう。ならば、殺してやる。
ドライなど、私の足下にも及ばないのだとはっきり認識させてやる。今までのが私の全て
だと思うな。まだ残ってるのだからな、力は」
 一気に言い放つとフィーは、その口元を大きく開いた。喉が微かに震えだしている。
 熱い。誠也はとっさにそう思った。その瞬間、駆け出していた。美咲の元へと。殺させ
ない。絶対に殺させない。強く願う。
「そうか。君の力でまだ一つみていないものがあったね。ドライから引き継いだのではな
い、君の欠片(シェルベ)を」
 ツヴァイの言葉は、だけどもう聞こえていなかった。誰一人にも。
 フィーの喉が唸るその瞬間、辺り一面全てが翠の劫火が包んでいた。避けられないっ、
誠也はとっさに思う。それほど広範囲に炎は包み込んでいた。例え美咲が紅い瞳を使って
いたとしても避ける事は不可能であっただろう。それほど一瞬にしてフィーの視界全てに
炎が届いていたから。
「どうだどうだどうだっ。例え見えても避けられなければ意味がない。《グリューンフラ
ンメ》に焼かれ尽くせぇぇぇっおう」
 翠の劫火はまるで草原の中にいるかのごとく全てを包んでいく。ツヴァイがそれを屋根
の上から見ていた。フィーが力を使うことを推測し、先に退避していたのだろう。くすく
すと屋根の上で笑っていた。
「くくっ、これで全て焼き尽くしただろう。例え冷血動物(カルトブリュータァ)と言えど、
この炎を受けて無事でいられるはずがないのだからな」
 フィーは満足気に頷いて、そして背を向け歩き出していた。
「帰るぞ。私はオリジナルを越えた。全て焼き尽くし殺したのだ。貴様のいう罪の印(カ
インスツァイヒェン)とやらもこれで満足させただろう。私は『私』を殺したのだからな」
 フィーの背中でこうこうと炎は燃え続けていた。中にある全ては焼き尽くされていく。
辺りの家々に火が飛び移らないのが不思議ではあったが、もしかするとフィーの意志で広
げる範囲を選択出来るのかもしれない。
 喉から炎を吐く力。単純にそれだけであれば大した力ではない。だがこれだけの炎を、
しかも自分の意志で操る事が出来るとすればかなりの力である事には間違いがなかった。
 だがツヴァイはくすくすと笑いながら、すっと立ち上がる。
「そうだね。確かにこれは究極の親殺しだ。心構えは買うかな。でもやっぱり、君は。い
らない」
 ツヴァイの台詞とともに、バチィと空気を弾く音が響いた。
「え。」
 静かなフィーの言葉。それは一瞬の事だった。ツヴァイの黄色い蛇がフィーの体を突き
抜けていた。いまフィーは紅い瞳を発動させていなかった。その為に超高速の黄色い蛇を
捉える事が出来なかったのだ。まさかツヴァイがという思いもあった。いがみ合っていて
はいても仲間だという意識もあっただろう。
「ツヴァイ……貴様っ」
 フィーにはまだ息がある。口元から血をこぼしつつ、だけどそれでも死に至る事はない。
「冷血動物(カルトブリュータァ)は他の人間よりも治癒能力が高い。それも異常なまでに。
僕の腕がもう治りかけているのと同じでね。だから、このくらいじゃ死なないだろうけど。
でも、死んだ方がマシかもしれないね」
 ツヴァイはくすくすと笑いながら呟く。確かにその腕はもう殆ど治りかけていた。あの
時、だらんと下げきっていたのが嘘のように。
「くそっ。裏切り者がっ。紅い瞳(レーテプヒレ)」
 フィーが叫ぶと、瞳がすぅと紅く染まる。だがツヴァイは全く慌てる事もなかった。
「無駄だよ。いくら見えても、もう君の身体は僕の黄色い蛇(ゲルプシュランゲ)で捉えら
れているんだ。抜け出させない。そして白い灰(ヴァイスアッシェ)も、翠の劫火(グリュー
ンフランメ)も使えないだろ。繋がっている今なら、君自身も巻き沿いを受けるから」
 ツヴァイは黄色い蛇をそのまま自らに引き寄せていく。フィーの身体ごと、ツヴァイの
真っ正面へと連れ去られていた。フィーは必死で抵抗するものの、しかし全く動きがとれ
ない。ツヴァイの黄色い蛇が、完全に身体に巻き付いているから。
「君には失望したよ。細心の注意を払っていた僕の苦労が水の泡だ。だから、君は。いら
ない。君に残された価値はこれだけだ」
 ツヴァイの手が、すっと伸びる。
「離せっ」
 フィーが叫んだ。だが、その声はむなしく伝うだけ。
 ツヴァイはその細い指先をぐっと押し込んでいた。フィーの眼窩の中に。
「ぐぅがゃ」
 言葉にならない声がもれる。びじゃっと風船を割ったような音が響いて、そのくぼみか
ら一気に血を吹き出していた。
 引き出されたツヴァイの指先に残ったのは、紅色だけ。真っ赤に彩られた眼球。その瞳
だけでなく、白眼まで紅く染められたもの。
「美しいね。しかし……ドライの瞳の方が、輝いているかな。意志の光を感じるよ」
 ぐっと拳に力を入れる。
 びしゅわっと音が響いて、血が白眼が溢れ出してツヴァイの顔を染める。その手の平を
開き、ぺろと舌先で嘗めた。
 ふふっと笑みをこぼして。自らの半顔にその血を塗りつけていた。
 フィーを絡め取っていた黄色い蛇を手元へと戻す。刹那、どさっと大きな音がしてフィー
の身体がその場に落ちる。
「ぐぅぅぁががが」
 フィーは悲痛な叫びを漏らしながら、辺りをのたうち回っていた。生きたまま腹に穴を
穿たれ目を抉られるのは、どれほどの痛みなのだろうか。
 冷えた空気が流れたような気がする。焼き付ける炎の中なのに何か冷たく凍え消える。
「出てきなよ。いるんだろ」
 ツヴァイの言葉に誠也はその顔を上げた。燃えさかる炎の中だと言うのに、全く焼き付
けられる事もなく。ただそこに立っていた。
 美咲を抱きかかえて、ゆっくりと翠の劫火をかき分けるようにして抜け出していく。炎
の外苑まで辿り着くと、その手をすっと振るった。
 あの時。美咲が力を、白い灰を使って見せた時には使えなかったはずの力、しかし今は。
確かに生み出されていた。《ズィルバーアーテム》――全ての分子運動を停止させる極寒
の力、銀の息吹。この力の前では翠の劫火など、風の前の塵に等しい。
「忘れていた。忘れていたかった。もう何事もなかったように、忘れていたかった。だが
それも許されないのか。俺は静かに生きていたかったのに」
 誠也は美咲を道路の脇に降ろす。右手を開いて、そしてまっすぐにツヴァイへと向けた。
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