崩落の絆 (18)
 その瞬間、出来損ない達が一斉に飛びかかっていた。
 右手から迫ってくる男が、口を大きく開いた。喉の奥が微かに震えるのがわかる。
「! 音かっ」
 美咲の瞳にははっきりと捕らえられていた。恐らく喉を強化し音を衝撃波として使う欠
片(シェルベ)。出来損ないとしては、かなり高等な類に入るだろう。音は文字通り音速で
放たれる上に目に見えはしない。普通であれば誰にも避けようがないからだ。
 しかし美咲には通用しない。紅い瞳で捕らえた世界はいつ音が放たれるか、またその方
向がどこを向いているか判断する事が出来る。従って実際に放たれる前に止める事も可能
だし、音と言え衝撃波として使う以上はある程度の指向性がある。避ける事も可能だ。
 一対一であれば負ける要素はないし紅い瞳で時間をコマ送りにしている以上、どんなに
人数があっても一対一とさほど変わらない。
 身を翻し、音が放たれる前に美咲は男の喉を押さえる。そのまま叩きつけるように地面
へと落とす。
 いや、落とそうとした瞬間。
 パン! と風船が弾けるような音が響く。脇腹の辺りで小さく、だが鋭い爆風が放たれ
ていた。
「くぅっ」
 美咲は思わず苦悶の声を漏らす。これは出来損ないが放ったものではない。だがツヴァ
イの放ったものでもあり得ない。ツヴァイの影は出来損ないに遮られ届かないはずだから。
「残念だったね。おしいところだったけど、その推測はちょっと違うね。――いや、それ
ともだいぶかな」
 ツヴァイは先の美咲の言葉ににやっと口元を歪ませる。
「そもそも影を操る力は、解明されていない謎の力を操る術(クンスト)ならともかく、人
の一部を強化する欠片(シェルベ)では有り得ない。だけど僕の術(クンスト)は黄色い蛇だ。
影を操る力なんかじゃない。こんな風にね」
 ツヴァイは手をすっと美咲に向ける。刹那、ツヴァイの視線の先に黄色い何かが放たれ
ていた。美咲の紅い瞳を持ってして初めて捕らえられる姿は、まさに蛇のような細く長い
線。
それを鞭のようにしならせて美咲に向ける。
 超高速の鞭。恐らく先端の速度は音速を超えているだろう。普通の人間であれば避ける
のはもちろんその姿を捕らえる事すら不可能に等しい。美咲にとってもその姿を捕らえる
のが精一杯なのだから。
 黄色い蛇を、その先が届くぎりぎりで避ける。だがそれは他と違い狙って動いた訳では
ない。それしか出来なかったのだ。
 バチッ、と空中に火花が散る。あまりの高速の動きに空気との摩擦を引き起こしている
のだろう。焦げた匂いが辺りに広がる。
 あの時、誠也は良く避けられたなと美咲は内心思う。避けてくれて良かったと。ツヴァ
イが手加減していたのもあるだろうが、恐らくはツヴァイの不穏な空気を感じ取って見え
もせずに避けたのだろう。
「さすがだね。黄色い蛇(ゲルプシュランゲ)を避けるなんて。まぁ、いかに君でもいつま
でも避け続けるなんて事は出来ないだろうけど」
 ツヴァイはにこりと微笑みながら、すぅと手を伸ばす。その瞬間、美咲は身構えて一歩、
後へと下がった。
「ただ白い灰(ヴァイスアッシェ)に狙われたら、僕には避けようがないけどね」
 くすくすと笑みをこぼしながら美咲をみつめて、そしてツヴァイはぱちんっと指先を弾
いた。
 その瞬間、ツヴァイの姿が再び揺らめく。
 何が起こっているのか、美咲の目には捕らえられない。ツヴァイの言う通り影ではない
のだとすれば、まるで判断がつかない。かといって紅い瞳を解除する訳にもいかなかった。
その瞬間に攻撃されれば避けようがない。
 紅い瞳は熱探知などと同じように、可視外の領域を熱量や反射によってそこに何がある
かを判断している。それがゆえに闇の中でも見渡す事が出来るのだ。
 だがそれは逆に言えば闇は捕らえる事が出来ないという事でもある。だからこそ美咲は
ツヴァイの欠片(シェルベ)は影だとばかり考えたのに。
 だがそうにしろ違うにしろ、美咲の紅い瞳(レーテプヒレ)では捕らえられないというの
も確かな事実だった。
 もっとも戦いに勝つだけであれば、ツヴァイの言う通り白い灰(ヴァイスアッシェ)を使
えば事足りる。周囲から根こそぎ力を奪う白い灰の前では、どんな力も無に等しいのだか
ら。それでも美咲は使いたくなかった。自分を人有らざるものと示す術(クンスト)は。
 美咲がわずかに見せた躊躇。それは時間に直せば数秒にも満たなかっただろう。だが戦
いの場では十分な時間。特に異能力を持つもの同士の戦いでは。
 刹那、美咲のもとに出来損ない達が一斉に飛びかかる。その背に、美咲の捕らえられな
い黒い闇を背負って。
 その闇が、美咲を包み、そして。
「特別に教えてあげるよ。黒い羽根(シュヴァルツフリューゲル)は影なんかじゃない。闇
だよ。人の心に巣食う闇。僕はその心の闇を具現化し、操る事が出来る」
 ツヴァイは美咲が出来損ない達の闇に完全に包まれたのを横目にしながら独白する。
「心の闇。それが僕の欠片(シェルベ)さ。僕の黒い羽根(シュヴァルツフリューゲル)を受
けたものは、全て心の闇を増幅させ促進させる。やがてそれは具現化し翼と化して。弾か
せる」
 ツヴァイは恍惚とした目を向けて、ただ一人喋り続けていた。恐らくは聞こえていない
美咲へと向けて。
「ため込んでいた感情を破裂させるかのように。例えば、あの君をどこかで羨んでいた少
女のようにね」
 告げた瞬間。
 美咲を包み込んだ闇が、全て。弾けた。
 
「……両堂様」  スーツ姿の男は、ぺこりと頭を下げる。言葉だけはまだはっきりとしているが、やはり どこかに震えが隠せない。 「準備は全て完了しました。すでに現場に向かわせています。恐らく今夜のうちには報告 があり、収束するものと思われます」  言い終わると再び男は頭を下げる。モニターと机の上のスタンドだけが漏らす明かりは 部屋の中をそれでも彩っている。 「誰の判断で出した」 「え?」  戻ってきた声に、男は思わず唾を飲み込む。向けられた射るような視線に、身体の芯か ら冷えきっていく。 「誰の判断で出したと訊いている。準備を整えろとは言ったが、すぐに出せとは言ってい ない。もう一度訊く。誰の判断で出した」 「そ、それは」  スーツ姿の男の顔がみるみるうちに青ざめていく。白を通り越して。 「勝手な事をしおって。クズだクズだとは思っていたが、ここまでとはな。貴様は不要だ」  両堂は今までと変わらぬ苦虫をかみつぶしたような声で呟く。  だがその瞬間、スーツ姿の男はあからさまに取り乱していた。腰を抜かし、じたばたと もがくようにして逃げだそうとしている。 「ひぃぃっ。お助けっ、お助けを」  大きく叫びわめく。しかし両堂はその声が聞こえていないかのように、すっと手を伸ば した。  フュン。軽い風を切るような音が響く。その瞬間、スーツ姿の男の身体を光のシャワー が幾重にも包み込み、そしてそのまま崩れ消え去っていく。殆ど一瞬の事だった。超微粒 マイクロレーザーの輪舞。 「プロイェクト『ビーオテヒニックヴァッフェ』。あれはその要なのだ。貴様の勝手な判 断が許されるものではない」  両堂は呟いてすぐに自分の机の前へと戻る。  電話のボタンを押し、電子音が鳴り響く。だがそれはすぐに止まり、スピーカーから再 び音が流れ始めた。 『はい。一研です』 「私だ。第二次警戒防衛に移れ。データのバックアップを忘れるな」 『わかりました。しかし奴はすでに出ていますが』 「構わん。どちらにしても間に合わん。それよりも、実験のデータを確保しろ。特に冷血 動物(カルトブリュータァ)のデータは詳細までバックアップを取れ。猶予は一時間。出来 るな?」 『また無茶な事を。まぁ、やれと言うならやりますけどね。じゃ、私は忙しいですから』  がちゃん、と電話が切れる音がスピーカーの向こうで響く。 「ふん。有能な奴ほど、勝手なものだな」  両堂は静かに呟くと、そして机の上の書類を全てまとめる。  そして軽く手をかざす。その瞬間、まとめた書類があっという間に灰へと変わった。 「処分は終了だな。……ツヴァイの奴が全て丸く収められれば、荒事にならずに済むが」  ふと何かを思い浮かべるように天井を見つめるが、すぐに視線を降ろしコンピュータの 前へと座り直す。 「過度の期待は抱かぬ方が良いか。奴と言えど、簡単には抑えられまい」  両堂は自らの手の平を眺め、そしてぎゅっとその手を握りしめた。
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