崩落の絆 (14)
「ツヴァイ。また許可も得ずに外に出向いただろう。勝手に出歩るくなといっている」
 両堂は振り返りもせずに告げる。机の上のライトとコンピュータのモニターの明かりだ
けが、この部屋を照らし出していた。
「ふぅん。両堂さんは、よく僕がきた事に気が付くね」
 両堂の背中越しに、微かに笑みを浮かべて近くの机に腰掛ける。
「闇に紛れるのがお前の得意技だろうが、完全じゃない。機械までは欺く事ができん」
 机の上の書類に向かったまま、両堂はただ静かに書き物を続けていた。
「ふぅん。赤外線探知って奴?」
 ツヴァイはくすくすと声を漏らしながら、辺りを軽く見回してみる。しかしツヴァイの
目にはわずかにモニターから漏れる光以外は、もちろん見て取ることは出来ない。
「他にも超音波探知や、熱感知もある。誰であろうとこの部屋に忍び込んで私に気付かれ
ないなんて事は有り得ないし、それらの詳細なデータを分析すれば誰が近付いたかくらい
はわかる」
 両堂は何気ないように告げると、それからやっと書類を置いて振り返る。
 その瞳が、まさに邪魔をするなと語っているようで据えるようにしてツヴァイを睨む。
「なるほどね。対策は万全って訳だ。さすがは。両堂さんだね」
 『さすが』にイントネーションを置いて告げると、ツヴァイはくすくすと口元に笑みを
浮かべていた。綺麗な顔立ちが、どこか崩れる笑み。歪みを伴うような。
 乾いた空気がなだらかに流れる。しんと静まりかえった部屋は、どこまでも冷たい。
「ふん。そんな無駄話をきたのではなかろう。用があるなら手短に話せ」
 両堂はいかにも面倒くそうに、ちらりとツヴァイに視線を送る。
 ふぅん、と小さく口の中で呟いて、ツヴァイは再びくすくすと笑い声を零していた。
「じゃあ、結論から話そうか。見つけたよ、探し物を」
「何?」
 ツヴァイの言葉に、両堂ががたんっと椅子を跳ね上げて立ち上がる。珍しく声を荒げて
いた。両堂の顔に、一瞬だがはっきりと驚愕の色が浮かんで消える。
「なら何故連れ帰らない」
 両堂は唇を歪ませて、ぐっと奥歯を噛み締めていた。ギリギリと歯の軋む音が、静かな
部屋の中に響く。
「ご冗談。いくら僕が《カルトブリュータァ》でも、一人で対抗できるかどうかは心許な
いからね。相手だって《カルトブリュータァ》なのだから、それも最強の」
 くすくすとこぼれる笑みを隠そうともせずに、軽く両手を広げてみせる。その顔に呆れ
た様子がありありと現れていた。
「……」
 両堂は急に無言になって、その腰を下ろす。すでにいつもの泰然とした。しかしどこか
に怒りと苛つきを滲ませた表情へと戻る。
「ふん。それもそうだ。よかろう。出来損ない(ニヒツヌッツ)をつけてやる。好きに使う
がいい」
 両堂は突き放すように言い放つと、くるりと背を向けて再び机に向かう。もう用は済ん
だとばかりに。
「出来損ないね。まぁ、あいつらでもいないよりはマシかな。結局頼れるのは、僕のこの
黄色い蛇(ゲルプシュランゲ)と《シュヴァルツフリューゲル》だけだけど」
 ツヴァイが呟いた瞬間。両堂の隣が突如バチッと音を立てて弾ける。黄色い火花が幾重
にも重なっていた。机の片隅から、焦げた匂いが漂う。
 しかし両堂は全く気にもとめずに、まっすぐに机へと向かったままだった。
「くだらない真似をしている暇があれば、さっさと向かったらどうだ。それとも他にまだ
用事があるのか」
 両堂の言葉にツヴァイがわずかに笑みを漏らした。冷たい、嫌らしい笑みを。
「いいよね?」
 ツヴァイは、今までよりも深く優しげな。そして歪んだ笑顔で訊ねていた。
 両堂は何も答えない。しかしツヴァイはそれでも言葉を紡ぎ続ける。
「探し物連れて帰ったなら、紅色の宝石をもらってもいいよね」
 あはははっ、と楽しそうな笑みを浮かべている。その目に恍惚の色を携えて。
 両堂の目尻がぴくりと動く。しかしそれも一瞬の事。すぐに元の顔に戻り、はっきりと
した声で呟く。
「好きにしろ」
 両堂が答えるが早いか、すぅっとツヴァイの身体が包まれるようにして暗闇に消えてい
く。くすくすくすっと囁くような笑みだけを残して。
 やがて闇の中に、全ての音が消え去っていく。再びモニターの奏でるジジジジっという
鈍い音だけが部屋の中を包んでいた。
「……両堂様」
 その瞬間。部屋の入り口から申し訳なさそうなか細い声が響く。入り口にはスーツ姿の
男が一人立っていた。振り返りもせずに、両堂は「なんだ」と訊ね返す。
「い、一研からの返答がありました。現在、進捗状況は九七%で現状では」
 どこかおどおどとした声で、スーツの男は話し始める。だが皆まで告げる前に、両堂が
口を挟む。
「可か否か、それだけを告げろ。時間の無駄だ」
「ひっ……。し、しかし」
 口ごもる男に、両堂が振り返り視線を向ける。特に表情に変化がある訳ではない。いつ
も通りの顔つきで。だが、みるみるうちにスーツ姿の男の顔色が変わっていく。
「わ、わかりました。可です。た、ただし現状ではツヴァイ」
「以上か?」
 冷たい声でスーツ姿の男の声を遮る。
「ひっ」
「以上かと聞いている」
「い、以上です。失礼しましたっ」
 翻すようにスーツ姿の男は入り口から駆けていく。脱兎のように。両堂からはすぐに姿
が見えなくなり、ただ足音だけが淡々と響いていた。
「……能なしが」
 クズに比べれば偏執狂の方がまだマシだな、など口の中で呟きながら、両堂は再び書類
へと向かう。
「だが、可か。ならば、この状況では使わざるを得ないだろうな。気は進まんが」
 呟いてデスクの電話のスイッチをいれる。ピピヒ、と何度か電子音がなったあと、すぐ
にスピーカーからひび割れた声が漏れる。
『はい。一研です』
「私だ。準備を整えろ。以上だ」
 簡単に告げる両堂の声に、しかし電話先からの応答はない。いやないかに思えたが、や
や時間を挟んで、冷静な声が返る。
『まぁ、私は両堂さんが出せっていうなら出しますけどね。あの気違いに任せてどんな結
果になっても責任もちませんよ。まだ《ゲヒルンヴェッシェ》は完璧じゃないんです』
「かまわん。何かあってもデータは残っている」
『わかりました』
 ガチャッ、と音を立てて電話が切れる。ツーツーとスピーカーは鈍い音を奏でていたが、
すぐにスイッチが切られ音は途絶える。
「気違いか。所詮、ここには気違いしかおらぬではないか。――私も含めて」
 ふん、と鼻で笑う。
 そして再び部屋の中に静寂が訪れた。
 
 あれから少し時間が流れた。  完全に雨に濡れた身体は冷えきっている。ぞくっと身体が震えていた。それが本当に寒 さから来るものなのかは誠也にはわからなかったが。  美咲も再び黙して語らなくなった。何も言わずに誠也の後をついて歩き続けている。  まぁ、どこかにいかないだけマシか。誠也はいらつきを隠せずに、内心毒づく。  いつもの誠也だったらこんな事は思わないだろう。間違いなくツヴァイの気に毒されて いた。長く雨に濡れて疲れきっていたことも幾分かあるだろうが。  温もりが欲しいなと切実に思う。いま美咲を抱きしめれば、暖かいかもしれない。ふと そんな事を思うが、自嘲するように口元を歪ませる。馬鹿な事を考えていると。  やがてマンションの前に辿り着いていた。二人無言のまま、階段を上がる。  そして。部屋の前に、一人たっている少女の姿をみつけていた。 「翼。」  先に呟いたのは、美咲の方だった。誠也は驚きのあまり言葉を失っていたから。  いや。本当は予測できていた事だった。もしかしたら、とはずっと思っていた。  だけど、帰っていて欲しい。そう願っていたから。 「待っていたよ」  翼は静かに言い放つ。寒さに身体を震わせながら。 「お前、帰らなかったのか」 「まぁね」  誠也の言葉に飄々と答えると、ちらりと美咲に視線を送る。  美咲はわずかに顔を俯けて、翼と視線を合わせようとしない。 「ま、もうこの時間じゃ電車もでてないだろうし、いまさら帰れとはいえないな。とりあ えず入れよ。タオルとシャワーくらいは貸してやるよ」  誠也は半ば呆れ声で告げると部屋の扉を開けて振り返る。 「二人とも入れよ」  扉をあけて中へと手招きすると、翼がにこやかに微笑み返していた。 「んじゃ、遠慮なく。へへっ、セイのうちくんのひっさしぶりだね」  翼は軽く言い放って、ささっと中へと入っていく。  美咲は誠也へと視線を向けていた。誠也は頷いてみせる。  美咲は一瞬ためらうが、しかしそれでも扉の中へと入っていく。  誠也はわずかに苦笑すると、扉をゆっくりと閉めた。
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