崩落の絆 (13)
 思わず誠也は振り返る。その声は優しげなのに明るい声なのに。だけど凍り付くような
音を含んでいる。
 声の主、白い服の男は誠也の向こう、公園の入り口でにこやかに微笑んでいた。
 綺麗な顔をしているなと、誠也は無心にそう思った。
 確かに整った顔は、下手な芸能人よりもよほど端麗で、どこか女性的ですらある。染み
一つ無い肌が、優しそうな風貌をより引き立てている。
 だけどその瞳の中に感じられるのは、間違いない。凍るような眼差し。壊れそうな笑み。
すなわち、狂気。
 思わずぞくりと身体が震える。ただでさえ冷たい空気がさらに温度が下がったような気
もする。
「……ツヴァイ」
 美咲が呟くように彼の名前を呼んだ。知り合いなのだろうか。美咲の態度からははっき
りとした感情は読みとる事は出来ない。
 だけど、それでもツヴァイと呼んだ彼を歓迎している訳ではない事はわかる。
 翼と一緒にいる時のような、微かに浮かぶ笑顔はない。
「やぁ、ドライ。ひさしぶりだね。元気にしてたかい。君は身体が弱いから風邪でも引い
ていないかと心配していたよ」
 こぼれるような笑みを口元に浮かべながら、じっと美咲を見つめていた。その柔らかな
口調とは全く釣り合っていない瞳で。
「何しにきた」
「何ってご挨拶だね。決まってるだろう。君を迎えにきたのさ。早く帰らないと両堂さん
が心配してるよ」
 美咲の問いに、にこやかな笑みで答える。
 心配している。そう告げた台詞の割には、全く真剣味を感じさせない言葉。
 むしろどうでもいい事のように、さらりと流してしまったかのような。
 美咲はその言葉には何も答えない。ツヴァイへと視線を投げかけるだけだ。
 その中で何を考えているのか、何を思っているのか。全く受け取る事の出来ない顔。
 冷静なのか平静なのか。それとも感情を忘れているのか。取り戻しかけていたはずの心
が、今はどこにも見える事はない。
「まさか帰らないつも……」
「私を捕らえに来たの」
 ツヴァイの台詞を遮るようにして、美咲はぽつりと呟く。じっと睨むような視線で冷た
く言い募る。
「いいや。君を見に来ただけさ。僕が君を捕らえるなんて、そんな事ある訳ないだろう。
僕は君の味方だよ」
 かろやかな表情のまま確かに優しく笑んでいた。
 なのに誠也には彼の笑みが薄笑いにしか感じないのは気のせいなのだろうか。
「貴方ならやりかねない」
 美咲は呟くと一歩後に下がる。ツヴァイと呼んだ男から距離をとるかのように。
「心外だね。僕は君がとても気にいっているんだ。《カルトブリュータァ》、最強の少女
をね」
 ツヴァイは満面といってもいいほどに朗らかな笑顔を浮かべながら告げる。
 ぞくっと身体が再び震えていた。
 そして次の瞬間、思わず美咲の前に立ちふさがっていた。
「あんた。誰だ」
 誠也は睨みつけるようにツヴァイの顔をマジマジと見定める。
 綺麗な整った顔。だけどその瞳の奥底には、歪みをどこか覗かせている。
 こいつはやばい奴だ。誠也は直感的にそう悟っていた。何がどうとは言えないが、薬で
ラリっている奴をみた時と感覚として近い。
「僕かい。僕はツヴァイ。《カルトブリュータァ》の一人。そして」
 ツヴァイはそこまで告げると、誠也の目の前へと腕を突き出す。
 刹那、誠也は飛び退くようにして後ずさっていた。ツヴァイの視線から美咲を隠すよう
にして。

「君の、敵だよ」
 ツヴァイは伸ばした手の先を、力強く握りしめる。
 その瞬間、バチッと何かが弾けた。
 誠也は慌てて美咲を押し倒すようにして、後へと飛び退く。
 今、誠也がいたその場所から焦げた匂いが漂う。
 何だ。何が起きたんだ。誠也は内心、焦りを感じながらも、それでもまだ冷静に立ち上
がりツヴァイへと向き直る。
 ツヴァイはそれ以上、何かをしかけるつもりはないのか、にこりと微笑んで誠也を見つ
めていた。
 ――憐れみの目で。
「《ゲルプシュランゲ》」
 美咲がぽつりと呟く。
「黄色い蛇。貴方の術(クンスト)」
 ツヴァイを睨むようにして美咲は呟く。その瞳に緊張が隠せない。
 じわ、と瞳が赤色にそまり始める。恐らく意識した訳ではないのだろう。あの時誠也が
見たようなはっきりな紅ではない。滲みだしたような、淡い色。
「その通りだよ。でも、君がみたのはこれが初めてだったね。もっとも今もまともに見え
はしなかっただろうけど」
 優艶な笑みを浮かべて、くすくすっと声がこぼれた。
 怖いヤツだと、はっきりといま感じていた。この男は必要となったらためらう事もなく
俺達を殺すだろう。誠也の内心に汗が流れる。
 雨はしとしとと降り注いでいた。ブランコは風に揺れている。
 流れる時間は早くも遅くもならないものだ。しかし、いまこの瞬間。誠也にはほんの一
秒がいつもの数十倍の長さに感じられた。
「でも、君の白い灰(ヴァイスアッシェ)には敵わないけどね。あれは最強の芸術だよ」
 言って空を仰ぐ。
 雨が彼の肌を伝い、その顔から雫となって落ちる。
 闇が辺りを包んでいた。公園を照らす街灯の明かりだけが、微かな光。その闇の中で、
ツヴァイは、ふぅと息を吐き出す。
「さて、そろそろかな」
 静かな声で時間に終わり告げる。
 びくん、と誠也の身体が揺れた。
「勝手に出てきたからね。戻らないと両堂さんに怒られそうだし、帰る事にするよ」
 淡々ともらした言葉。刹那すぅと街灯の明かりが消え、ツヴァイは闇の中に溶け込んで
いく。
「《シュヴァルツフリューゲル》」
 美咲が呟く。
「正解、だよ」
 ツヴァイの声だけが、辺りに響いていた。その姿はどこにも見えない。
 そしてそのまま確かにあった気配が、ゆっくりと消えていく。
 身体がまだ硬い。痛い。冷たく凍えていた。誠也は目が開き震えるのを止められもしな
い。
「なん、なんだ。奴は」
 誠也は吐き捨てるように声を漏らすのが精一杯だった。今まで感じた事の無い恐怖に肌
が逆立つ。
 美咲と出会った時にも、わずかな恐れは感じた。しかしそれとは根本的に違う。確かな、
はっきりとした恐怖。今までどんなものに対しても感じた事のない。
 刹那、ずきんと頭が痛む痛い。
「くそっ……」
 少し時が流れると共に胸の中に怒りすら感じる。
 確かに嘲られていた。はっきりと馬鹿にされていた。
 恐らくは、誠也が何の力を持たない事に。
「誠也」
 美咲が名前を呼ぶ。だが、それにも気が付いていなかった。胸の前で拳を握りしめて、
それだけを見つめていた。
 確かに俺には力がない。美咲のような、あるいはツヴァイのような力は持っているはず
もない。誠也は口の中で呟くと、強く瞼を閉じて顔を俯ける。
 再び頭に痛みが走る。何かを思い出しかけていた。なんだろう。何か幼い頃の嫌な思い
出のような気がする。幼い頃か。殆ど記憶になんか残っちゃいない。それよりも俺は今が
大切なんだ。だのに何を思い出すというんだ。俺は答えなんか求めちゃいない。
 誠也は、自問自答を続けていた。答えはでない、でるはずもない。
 ツヴァイという異質なものに触れた事で、ただ記憶が混乱しかき回されているだけなの
だから。何か答えがあるはずもない。
 それでも疑問は次から次に沸いて浮かぶ。いくつかの記憶が断片的に頭を横切る。
「誠也、誠也」
 美咲の声がもういちど響く。その声に誠也は初めて気がついたように、はっと顔を上げ
ていた。
「……美咲」
 しとしとと音もなく降り注ぐ雨。身体中がもうべたりと濡れていた。
 だけど、服を濡らしているのが雨なのか、それとも苦しみの産んだ汗なのか。誠也には
もうわからなかった。
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