崩落の絆 (11)
 翼はちゃんと帰れただろうか。
 雨に濡れて、風邪ひいたりしていないだろうか。
 まだ電車がなくなるような時間じゃない。帰られない事もないだろう。それでも誠也は
気にはなっていた。翼を傷つけた事が。
 まだ時間は八時を回ったあたりだ。だのにこの街は、もう完全に静まりかえり、そして
誰の姿もない。
 死んでいる街だな。誠也はふと思った。
 今まで殆ど気にした事もなく、毎日普通に過ごしてきた街。都心までは遠く不便だけど
も、それでもずっと暮らしてきた街。
 何もなくて。
 全てがある街。
 雨はしっとりと肌に張り付いてくる。
 いるかどうかもわからない美咲を捜して、確かにそこにいる翼を振り切ってきた。
 何をやっているんだろう。誠也は肌にはりつく服に、くくっと苦い笑みをこぼして。
 それでも探し続けていた。
 一時間くらい歩いただろうか。マンションの近くにある公園へとさしかかる。
 きぃきぃ、といつも通り無人のブランコが風に揺れているな。そう思い、ふと顔を向け
る。
 ブランコが確かに揺られていた。
 その前に、だらりと力なく足を地面に伸ばして。
 誠也は、淡々と言葉を紡ぐ。目の前で雨にぬれながら、微かに震えている彼女に向けて。
「みつけた」
 掛けた声に、彼女はゆっくりと振り返る。
 濡れた髪が微かに顔を隠していた。それでもいつも通りの顔で、ただ美咲はじっと誠也
を見つめている。
「誠也」
 ぽつりと呟いて、誠也から顔を背けた。
 きぃ、きぃ、と鉄がきしむ音だけが響いていく。霧雨は音もなくただ二人を包んでいる。
「こんなところにいたんだな。探したよ」
 一歩ずつ傍に近付いていく。
 しかし美咲は顔を背けたまま、答えようとはしなかった。
 あと二、三メートルくらいだろうか。近付けば、すぐに手の届く場所までやってきた時。
不意に美咲は口を開いていた。
「誠也は怖く……ないの」
 口調はいつもと変わらない。ただ淡々と告げる声。
 振り向いてはいない。まだ顔を背けたまま。美咲はブランコに微かに揺られながら、そ
れでも後ろ髪が語っていた。
「怖い? どうして」
「私は。化け物だから」
 静かに呟いた言葉。そして美咲は振り返る。
 いつもと変わらない顔。ただ霧雨が肌にはりついて、そしてときおり雫になって落ちる。
「化け物? 別に目がみっつある訳でも、口が耳まで裂けてる訳でもないだろ」
 誠也は何事もないように平静に言葉を返していた。
「それでも。私は人と違うから」
 感情を感じさせない顔で。涙も流していない。ただ髪に溜まった雨粒が、ときおり一つ
になって顔を伝う。
 美咲の話は翼から聞いていた。翼が、美咲を化け物と呼んだ事も知っている。
 不思議な力を使ったという事も。
「私には力がある。全てを壊す力。私は。その力で。皆を傷つけた」
 少しずつ、言葉を句切りながら。それでも美咲は、じっと誠也から目を逸らさない。
 まっすぐにまっすぐに冷たいほどにまっすぐに。
「確かに真は傷ついたかもしれない。でも、それはお前のせいじゃないだろ。力を使った
のは、守る為だろ。お前は俺を守ってくれた。なら、それでいいじゃないか!」
 誠也は抑えられなくなったかのように言葉に力を込める。
 誠也には納得がいかなかった。翼の気持ちもわかる。そう言わざるを得なかった想いも。
好きだからこそ、悲しかった想いも。だけど美咲自身がこんな風に思いこむ必要はないは
ずだ。誠也はぎゅっと拳を握りしめる。
「違う」
 だが、美咲はただ一言。ぽつりと告げる。
 何が違うというのか。誠也には何もわからない。何が違うっていうんだ。そう訊ねよう
としたその瞬間、美咲の唇が再び震える。
「真は、私が傷つけた訳じゃない。確かに、そう。でも」
 わずかに顔を俯ける。地面に視線を向けて、頭が沈む。ぽつりと落ちた雨粒が揺れる。
「誠也が倒れたのは。私のせい。私の力、白い灰(ヴァイスアッシェ)。全てを奪い、壊す
力。白い灰(ヴァイスアッシェ)は周りの人から無作為に力を吸い取り発動する。誠也が倒
れたのは、私の力で精力を奪い取られたから」
 彼女にしては、長い台詞だな。誠也はなぜかそんな事を考えていた。自分がどうして倒
れたかなんて、どうでもいい事に思えたから。
 誠也はもう一歩だけ美咲へと近付く。その顔がみえないほど近くに。
「力。それがあるから、人と違うってか?」
 敢えて軽い口調で答えると、誠也はそのまま美咲の乗るブランコの前に立った。
 こくん、と美咲が頷く。
 誠也は何も答えない。何もいわない。きぃと揺れるブランコを止めて、そしてぐっと鎖
を掴む手に力を入れる。
 美咲は慌てて顔を上げる。すぐ前にいる誠也は、そっと笑っていた。
「なら。簡単だろ。使わなきゃいい」
 誠也はこともなげに告げると、もういちど優しく微笑む。誠也には似つかわしくない、
ささやかな笑みで。
「でも」
「いいんだよ。それで。俺がいいっていうんだから、いいんだ」
 何か告げようとした美咲の言葉を遮り、誠也は有無を言わさぬ口調で告げる。
「それに力があろうがなかろうが、お前はお前だ。誰にも変わらないさ」
「……うん」
 美咲は小さな声で頷いて。そして。
 微かに。本当に微かだけど、口元に笑みを浮かべていた。
 どんな笑顔よりも、素敵な笑顔だな。誠也は声には出さずに呟くと、ははっと軽く笑い
声を漏らす。
 二人して笑っていた。他の人にはわからないだろうささやかな笑顔。
 だけど、二人には確かに通じ合っていた。他には、何もいらないくらいに。
 雨は、二人を濡らしていた。
「誠也、ありがとう」
 美咲は淡々とした、でもどこかいつもより抑揚がある声で呟いていた。
 わずかにその顔に照れた様子が見えるのは、自分の気のせいだろうか。誠也はわずかに
苦笑して、軽く瞬きを一つ。
 先程みた笑顔があるから、そんな風に見えるのだろう。調子のいいものだ。心の中で呟
くと誠也はブランコを囲う柵の上に腰掛ける。
「別に何もしてないけどな」
「いいの」
 美咲はいつもと変わらない口調で静かに告げる。でもどこかに意志を感じさせる声。い
つもと違う声。
「私、決めたから」
 自らの手を胸の前で握りしめて、そしてじっとその手を見つめていた。
「約束する。私はもう二度と力を使わないって」
 そして顔をあげて、誠也へとそっと握りしめたままの手を差し出す。
 いや、違う。誠也は、ふと気が付いて微かに失笑する。美咲のその小指だけが、ぴんと
立てたまま伸ばされていたから。
 それは約束の印。子供のような、そんな印。でも美咲にはなぜかふさわしいような気も
していた。彼女は子供っぽいところなんて、どこにもないのに。
「ああ。約束だ」
 小指を結んで、そしてその指を切る。
 いつか自分もこんな風に約束を交わした事があっただろうか。わずかに物思いにふける。
「思い出せないな」
 美咲には聞こえないくらいの声の独り言。苦い笑みを浮かべながら、誠也はまだのばし
たままの指先をみつめていた。
 微かに感じた温もり。雨の中、冷たい風。もうこの時期、十分以上に寒い。
 だけど寒さを感じさせていなかった。指先に感じた熱だけが、ただジンジンと現実味を
帯びている。
「誠也」
 美咲の自分を呼ぶ声に、誠也ははっと意識を戻す。
「聞いて欲しい」
 淡々とした声。でも、どこか声が微かに震えているような気もする。
「何をだ」
「私の。事を」
 美咲は誠也へと顔をむけて、そしてブランコをもういちど、きぃと揺らした。
 殆どわからないくらいに。
「ああ、聞かせてくれ」
 誠也は頷いて、そして言葉を待つ。
 美咲が語り始めるまで。
 わずかな。だけど永い沈黙が過ぎて、そしてやがて美咲はゆっくりとその唇を開いた。
Back Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  まぁ面白かった  普通
つまんない  読む価値なし


★一番好きな登場人物を教えて下さい
誠也  美咲  真  翼  ツヴァイ
両堂

★もしいたら嫌いな登場人物を教えて下さい(いくらでも)
誠也  美咲  真  翼  ツヴァイ
両堂

★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!