崩落の絆 (09)
二.紅の記憶。交わした約束の果て。
 
「報告は……以上です」
 スーツの男は、ぶるぶると身体を震わせながら、ちらりと両堂へと視線を移す。
 研究室の中は明かりがない訳ではないが、今は両堂の席にあるスタンドの明かりだけが
灯されている。部屋は真っ暗なままだ。
「所詮、出来損ないは出来損ないか。まぁよい。出来損ない(ニヒツヌッツ)どもは白い灰
(ヴァイスアッシェ)で完全に消えたそうだし。事件のあらましは誰にもわかるまい」
 両堂は呟くと、スーツの男へと顔を向ける。
「しかし完全に溶け去ったか。いかに白い灰(ヴァイスアッシェ)と言えど、そこまでの力
は無いはずだがな。ドライの力が予想よりも上回っていたのか、それとも何か別の要因が
あるのか。調査は必要だな」
 感情の全く含まれていない声で告げると、両堂は近くにあった書類の一つを取り出して
いた。
「これを一研に回せ。場合によっては出さねばならぬかもしれん」
「了解しました」
 スーツの男はあからさまにほっと息を吐いて、書類を受け取る。そして一刻も早くここ
から立ち去りたいとばかりに、きびすを返していた。
「……意志の無い奴め」
 両堂は嘲りの言葉を吐いて、それからくるりと背を向ける。
「で、ツヴァイ。お前は何の用だ」
「おっと。気が付いていたんだね」
 両堂の言葉に応えて、すっと闇の中から整った顔の青年が現れる。ツヴァイだ。
「そろそろ僕の出番じゃないかと思ってね。出来損ない(ニヒツヌッツ)達は失敗したよう
だし。そうなると《カルトブリュータァ》である僕がいくしかないだろ」
 ツヴァイはくすくすと笑みをこぼしながら、近くの机の上に腰掛ける。
「残念。せっかくのお土産だったのに、飾ってくれなかったんだ」
 囁くように告げると、机から軽く飛び降りて立ち上がる。
「そんな事よりも勝手に出歩くなと言っているだろう。大人しく部屋に戻れ」
 両堂はツヴァイの戯れ言を気にもせずに告げると、再び机へと向かう。
「はいはい。わかりましたよ。でも、そんな調子だから息子にも見捨てられるんだよね」
 両手を広げて両堂へと背を向けると、ゆっくりと歩き出していた。だが両堂はその言葉
には全く反応せずに、静かに呟いていく。
「たぶんお前に出てもらう事になる。だが勘違いするな。あくまで捕獲が第一の目的だ」
 ツヴァイの背中からかけた声。
 その瞬間。わずかにツヴァイの肩が跳ねたような気がする。
「もちろん、心得ていますよ」
 ツヴァイは背中を向けている。だから両堂には見えるはずがない。見えるはずがないの
だが、確かにツヴァイは笑ったような気がしていた。口元を歪ませて。
 ツヴァイは振り返る事もなく、そのまま闇の中へと消えていく。恐らく奥から自分の部
屋へと戻ったのだろう。
「出来れば。使いたくないがな」
 両堂は静かに、呟く。
 スタンドの明かりだけが、ただ煌々と辺りを照らしていた。
 
「セイ! よかった、気がついたんだね」  目を覚ました時、最初に響いてきたのは翼の声だった。  誠也は辺りをきょろきょろと見回してみる。見慣れない部屋の中で、ベットに眠ってい たらしい。その上に覗き込むようにして翼が立っていた。  辺りを見回すと、もう一つ同じようなベットがある。ベッドにはたまたま人はいないよ うだが、いくらかは見覚えのある風景に誠也はやっと状況を把握していた。 「病院、か」  そうだ。自分は何者かに切りつけられそうになって。その後、気を失ってしまったんだ。  思い出して、ぞくりと身体を震わせる。忘れられそうも無い、あの紅い瞳を。  でもあれは。強く思う。それと同時だった。 「そうだよ。あの後、誠也と真はこの病院に運ばれて。誠也は殆ど外傷はなかったんだけ どすごく衰弱していたって。だいぶん脈も戻ってきたみたいだから、もう平気だろうって お医者様はいっていたけど。あ、でもまだもう少し安静にしてなきゃだめだかんね」  翼はたまっていたものを吐き出すかのように、一気に言い募っていた。  たぶん不安だったのだろう。いつもよりずっと表情が硬い。誠也はじっと翼を見つめる と、軽く頷いて見せる。 「わかった。でも俺はもう平気だ。心配するな」 「うん」  身体を起こして見せる誠也に、翼はなんとか呟くような声で首を縦に振るとベット脇の 椅子に座る。 「真の奴は?」 「シンは……まだ意識不明の重体だよ。命はなんとか取り留めたみたいだけど、まだ予断 を許さない状況だって。面会も謝絶してる」  誠也の問いに、なんとか口を動かしているといった様子で、ぽつぽつと語り始める。  あの時降り注いだ生暖かい液体は、たぶんシンの血だったのだろう。ぬとりとした嫌な 感触が、まだ顔の辺りを包んでいるような気がした。  軽く手で拭ってみる。もちろん今は綺麗にふき取られていたが。何となくまだ気持ちが 悪かった。  直前の様子を思い浮かべる。何があったのかは全くわからない。ただ刃物を持った男達 が乱入して大騒動になった。美咲や翼を守ろうと思うものの刃物の男は俺にも斬りかかろ うとして、それを美咲が逆にかばってくれた。そこまでは覚えている。  その後の記憶は断片的だった。紅い瞳。白い刃。そして急撃に力尽きて、崩れていく瞬 間。その瞬間はまるで映画のコマ送りを見ているようだった。でもそれだけ。それ以上の 事は何も記憶に残っていない。 「そうだ。美咲は。あいつはどうしたんだ」  誠也の言葉に、ぴくんと翼が身体を震わせる。あからさまに様子がおかしかった。 「知らないよ、あんな人の事なんか」  翼は顔を背けて、誠也と視線を合わせようとはしなかった。 「あんな人って。お前達、仲良かったじゃないか」 「知らない! あんな化け物の事なんて!」  翼が大声で叫んで立ち上がる。がたんと音を立てて、椅子が転げていた。  誠也へは背を向けたまま、翼は窓から外を見つめている。 「知らない! 知らないから。あの人の事なんて、知らない」  翼はただ独り言のように「知らない」と呟き続けて、それから身体を小刻みに震わせて いた。 「何があったんだよ。化け物って」  誠也はただ困惑するしか出来なかった。あの時、美咲に紅い瞳をみたような気がする。 その光はまるでこの世の生き物でないようにも見えた。その事を言っているんだろうか。 「ボク。ボク見たんだよ、あの人の手から白い灰みたいなのが降り注いで……。それで、 それで……それで」  言葉が出てこないのか、同じ台詞を何度か繰り返す。  振り返りはせずに、ただ翼はその場でじっと肩を振るわせて。 「みんな溶けちゃったんだ。腐って、肉が落ちて。跡形もなく溶けて消えた。あの人が、 殺したんだ」  小声で、振り絞るような声で。翼はぎゅっとその手を握りしめていた。強く。 「翼」  誠也が彼女の名前を呼ぶ。  その瞬間。ぽとり、と水滴が床に落ちた。 「泣いてるのか?」 「泣いてない! 泣いてなんかいるもんか!」  誠也の問いかけに翼が振り返る。その目に涙をたっぷりと溜めたまま。 「泣いて、ない。泣きたくないよぉ……でも、涙の奴が、止まらないんだ」  誠也へとすがるようにして、翼が抱きついてくる。わんわんと大声を漏らしながら。 「どうしてこんな事になっちゃったんだろ。もうすぐ夢が叶うはずだったのに。ねぇ、セ イ。教えてよ。どうして」  翼の言葉に、誠也は何も答えてあげられなかった。翼だって、そんな事はわかっている だろう。 「シンは大丈夫だよね。死んだりしないよね。また一緒にみんなでバンドをやれるよね」  翼は、ただ誠也の胸をぎゅっと掴んでいた。 「世界に救いなんて無い」  誠也がぽつりと呟く。その瞬間、びくんと翼が大きく震える。 「あるのは、ひとりいる現実。でも、その瞳まっすぐに向けていればそれでいい、だろ」  誠也が告げたのは、エヴァグリーンの新曲の歌詞の一部分。  苦しい時に本当に自分を救ってくれるのは、他の誰でもない。自分しかいない。そんな 意味を込めてつけられた歌詞。普段なら真が作る歌詞を、今回は誠也が曲に合わせて考え た歌詞。翼はこの歌詞が、いたくお気に入りだったから。 「お前の名前は、翼だろ。いつでも羽ばたけるんだ。そして俺達もどこにもいかないさ。 だから、心配なんてする必要はない」  誠也はぽんと翼の頭に手を載せる。  いつもなら振り払うその手の温もりを、翼もいまは離そうとしなかった。
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