崩落の絆 (08)
「それから、スペシャルメンバーとしていつも通りベースの健ちゃんとサイドギターのゆー
じの二人をお招きしています」
 ライブの時の特別メンバーである二人を紹介すると、真はそれからまっすぐに皆を振り
返る。
「真せんぱーーーい!」
 それと同時に女の子達の黄色い声が上がる。その殆どが真に対してのものだった。実際、
あの後チケットの殆どを捌いたのは真一人だ。いくら金額をかなり安めに設定したとはい
え、この人数を集めるのは並大抵な事ではない。
 CMの算段をとってきたのも真だし、時々真のコネがどこからやってきてるのか不思議
に感じる事もある。
 真は微笑みながら女の子達に手を振って、それから皆を見回した。
「それではこれから短い間ですが、めいっぱいお楽しみください」
 真は言って、タンタンタンとドラムを鳴らし始める。その音を合図に、次の曲が始まっ
ていく。
 エヴァグリーンのライブが、流れ出していく。全てを一体に包むように加速しながら。
 いくつもの曲が流れ、止まない拍手と声援が響く。
「それでは、これが最後の曲です。消えなかった雨」
 ライブはますます加熱して、そして幕を閉じようとしていた。
 まだ終えていないけども、大成功。そう言っても間違いはないだろう。メンバーの演奏
も会場の一体感も。
 その、はずだったのに。
 会場のライトがすっと消えた。完全に一つの明かりもなく。
 演出の一部だと思ったのだろう。観客は何も言わずに、しんと静まりかえる。
「なんだ?」
 しかしメンバーはそうではなかった。予定にない状況に戸惑いを隠せない。
「《ニヒツヌッツ》!」
 不意に誰かの声が響いたような気がした。
 その瞬間。きらりと何か、が輝く。キィィィン、と金属がぶつかり合うような音が響い
て、それと同時に「ぎゃぁぁ!」と大きく叫び声があがった。
 飛沫が舞い上がる。その飛沫は、べたりと顔に響く。
 嫌な匂いがする。ぬとりとなま暖かい。
「きゃぁぁぁ」
「うわぁっ」
 あちこちから怒号や悲鳴が響き渡る。だが暗闇の中で、はっきりと何が起こっているの
かよくわからない。
 ただ何か大変な事が起きた。それだけはさすがに理解していた。
 そうだ、こうしている場合じゃない。何が起きたかはわからないが、とにかく翼や美咲
を守らなければ。誠也は心の中で呟く。
 その時、闇の中を何かが走った。しゅんと風を裂くような音が響かせて。
「させない!」
 声が響く。美咲の声だ、と誠也は思う。
 その瞬間、どんっと横手から誰かがぶつかってくる。予期せぬ事に誠也はそのままごろ
ごろと倒れ転げていく。
「《レーテプヒレ》!」
 きらり、と赤く何かが光る。それは紅い瞳の色。闇の中だというのに、なぜかそれだけ
は分かった。
 あの時、確かに見たと思った光。
「三体、か。所詮出来損ない。《クンスト》には耐えられない」
 美咲の声は響く。その瞬間には、もう会場は大騒ぎになっていた。入り口のドアが開き、
逃げようとする人の波でごった返す。
 外の光が入ってくる。
 その時、誠也は倒れたまま確かに目にしていた。美咲の右の瞳に紅が輝いていたこと。
 そして美咲の取り囲むように、血を滴らせた長い爪の男達が立ちふさがっていたことを。
「貴様を貴様を捕らえれば、俺達は救われるんだ。出来損ないなんかじゃない、力を!」
 爪の男の一人が叫んだ。だが美咲は全く取り合わない。
 ただ右目を光らせたまま、すっと右手を伸ばす。
「《ヴァイスアッシェ》」
 美咲の声が響く。
 その瞬間、誠也は急速に力が抜けていくのを感じていた。目の前が薄くなっていく。
 
 
「三体、か。所詮出来損ない。術(クンスト)には耐えられない」
 美咲は呟くと、ぎゅっとその手に力を入れる。
 右目が熱く感じる。紅く血がたぎっているのを感じていた。《レーテプヒレ》の影響だ
ろう。内心思う。
 暗闇の中だったが、美咲にははっきりと見えていた。《レーテプヒレ》――紅い瞳があ
る以上、美咲にとっては闇も、あるいは時間すらも無意味に過ぎない。最強の《シェルベ》
なのだ。
 美咲には二つの力がある。
 一つは《シェルベ》。破片を意味する力。身体の一部を変異させる事で得る力。
「貴様を貴様を捕らえれば、俺達は救われるんだ。出来損ないなんかじゃない、力を!」
 《ニヒツヌッツ》――出来損ないの一人が叫ぶ。だが美咲は気にする事もなく、辺りを
見つめる。
 紅い瞳(レーテプヒレ)が発動している最中、美咲には時間がコマ送りにして見える。ど
んなスピードで動く物も美咲にとっては緩慢な動きに過ぎない。
 出来損ない(ニヒツヌッツ)がその爪を刃と化して、一気に振りかぶる。彼等の持つ破片
(シェルベ)の力だろう。
 だが美咲にはもう一つ、彼等には無い力があった。
 すっと右手を伸ばす。
 その瞬間。目の前が完全な世界へと変わる。三六〇度全てを見通せる、真っ白な、ただ
それだけの世界。
 精神潜行とでも言うべきだろうか。美咲はこの世界をどう説明したらいいかわからない。
《ヴァイスアッシェ》を使う時、美咲にだけ垣間見える世界。
 白い光がいくつも見える。大きな力が三つ。これは出来損ない(ニヒツヌッツ)の物だろ
う。それからさらに強い力が一つ見えた。この力は《カルトブリュータァ》並だ。
 他にも誰か敵がいるのかもしれない。
 だがどちらにしても関係は無い事だった。美咲に《ヴァイスアッシェ》がある以上は。
 美咲は伸ばした右手の先を、ぎゅっと握り締める。
 いくつも見える白い光が拳に向かって吸い込まれていく。その光が十分以上に集まった
と感じた瞬間。
 美咲はその手を大きく開いた。
「《ヴァイスアッシェ》」
 その声に応えて、美咲の手の平から白い灰のようなものが降り注いだ。
 逃れようの無いスピードで。出来損ない(ニヒツヌッツ)達を包み込んでいく。
「術(クンスト)か!」
 彼等のうち一人が叫ぶ。慌てて身を翻そうとする。
 だが、もはや遅い。すでに力は発動しおえている。
 白い灰が、ものすごい勢いで彼を包む。
「ぎゃぁぁぁ」
 つんざくような悲鳴が一つ。
 その瞬間、ズズッ、と何か引きずるような音が響いた。
 いや、違う。引きずったのではない。
 彼等の肉がずり落ちたのだ。完全に腐食して。
 さらにそれだけではとどまらない。その落ちた肉、あるいは奴らの身体そのものからも
白い煙が発せられ、じゅうじゅうと鈍い音を発していた。
 溶けているのだ。跡形も残さぬように。腐り落ちながら。
 ズズッと鈍い音をいくつも発して。身体からいくつも肉を落とし溶けながら。
 逃れようもなかった。捉えた全ての物を腐食させる術(クンスト)。美咲の持つ最強の力
《ヴァイスアッシェ》――白い灰からは。
 すっと美咲の目に現実が戻ってくる。もはや出来損ない(ニヒツヌッツ)達は跡形も無く
完全に溶け去っている。影も形もない。
「誠也」
 誠也の名を呼んで、会場を見回す。もはや観客の姿は誰一人としてなかった。
 そこにあるのは。鋭利な刃物で斬りつけられ血で塗られている真。そしてまるで全ての

生気を失ったかのように真っ青な顔で虚ろな目を浮かべる誠也。
「あ……」
 思わず声を漏らしていた。真は傷から見て出来損ない(ニヒツヌッツ)にやられたに違い
ない。
 だがいまこうして倒れている誠也は。間違いない。自らの白い灰(ヴァイスアッシェ)が
原因だと気が付いていた。
 全ての物を腐食させる力、白い灰(ヴァイスアッシェ)。それは同時に全ての力を奪う力
でもある。白い灰(ヴァイスアッシェ)は周りにいる人間から無作為に力を奪い、その力を
もって発動する。この奪う力には例え《カルトブリュータァ》と言えど対抗する事はでき
ない。
 それ故に最強の力なのだ。誰も抗う事の出来ない力だから。
 その自らの力で誠也の力を根こそぎ奪い取ってしまったのだ。
 美咲は、胸の中がぎゅっと締め付けられていた。美咲のもう一つの力、術(クンスト)を
使ったのはこれが初めてではない。
 初めてではないはずだ。確かに記憶に残っている。
 思い出そうとすると、キンと頭が痛む。だがぼんやりと脳裏に記憶が映り始めた。
 その瞬間だった。
「化け物!」
 強い声が響いた。
 美咲は思わずその声の方向へと振り返る。
 ステージの脇から、ぶるぶると膝を震わせて。それでも必死で立ちつくして、こちらを
睨んでいた。
 翼が。
 あんなに優しい瞳をしていた翼が。いまは怒りと恐怖に彩られている。
「シンとセイを返せ。何をしたんだ。ボク達をどうするつもりだよ!」
 叫びながら、近くにあった小物を片っ端から投げつけていく。
 美咲は、一歩も動かない。
 動けなかった。
「翼。」
 ただ、その一言を発するのが精一杯だった。なぜか胸が苦しい。痛い。冷たい。
「軽々しく名前を呼ぶな化け物!」
 返ってきたのは罵倒の言葉だけだった。美咲は何も答える事も出来ない。
「ボク、見たんだから。あんたの手から灰のようなものが降り注いで、それから……ぐ」
 翼は言葉の途中で口を押さえる。それからそのままぺたんとその場に座り込んで、必死
で何かに耐えていた。
 思い出したのだろう。出来損ない(ニヒツヌッツ)達が腐食していく様子を。嘔吐してし
まわないだけ、まだ翼は意志を失ってはいない。
 睨みつけるような、だけどそれ以上に恐れを抱いた瞳で、ただ美咲を見つめている。
 美咲は、一歩だけ翼に近付く。その瞬間、翼の肩がびくっと震える。
「く、来るな。ボクまで、ボク達まで殺すつもり? 人殺し! シンとセイと、ボク達の
夢を返して!」
 近くにあるものを、再び美咲に投げつけながら翼は叫ぶ。
 その瞬間。ガスッと鈍い音が響いた。
 美咲の額から、すっと血が流れる。
「あ……」
 翼が小さく声を漏らす。微かに戸惑いとためらいを含む声。
 だけど美咲は何も感じていなかった。痛みも、血が流れている事すらも。
 ただ翼に背を向けて、そして走り出していた。
「……化け物、二度と来るなぁ!」
 背中から、声は追うように響いた。
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