崩落の絆 (07)
「美咲さん、それ、それとって」
 翼は美咲へと大きく声を掛ける。
 美咲は目の前の椅子にかけてあったジャケットを手に取る。
「これ?」
「そそっ。それそれ。投げて投げて」
「はい。受け取って」
 翼が大きく答えると、美咲はジャケットを手にとって翼へと投げ渡す。
「よっと。さんきゅ」
 翼はにこやかに微笑むと、再びキーボードの前へと戻る。
「今日はなんだか寒いよねぇ。このスタジオ暖房ないしさ」
 翼の言葉に、誠也がぼそりと応える。
「まぁな。でもやってりゃ少しは暖かくなるだろ。そろそろ始めようぜ」
 誠也はギターのピックを軽く手の上でぽんぽんと浮かべながら、言い放つと一度大きく
空中に投げてキャッチする。
 それからちらりと美咲へと視線を移した。
 ずいぶん溶け込んできたな、と思う。相変わらず淡々とした喋りだったけども、前より
もずっと話す言葉も増えてきたと思う。
「誠也。サビの部分。走りすぎだと思う。少し落として」
 美咲がふと視線を合わせながら呟く。
「っ。了解」
 誠也は口元に苦い笑みを浮かべながら、軽くこめかみに爪を立てる。ずいぶん慣れたも
のだと、再び思う。
 ギターを手にとって、真へと視線を送る。
 真が無言で頷く。ドラムを数回、軽く叩く。
「3、2、1……!」
 真のカウントダウンと共に、一斉に音が鳴り響く。
 皆の演奏が、一つになっていく。軽やかで、それでいて胸に響いてくる音楽。
 すぅと胸の中を通り過ぎていく。草原に吹く風のように。
「いいですね。いけますよ。チケットもけっこうさばけているみたいですし」
 真がにこやかな顔で告げると、タタタンとドラムを打ち響かせる。これは真のかなり機
嫌の良い証拠だ。曲の演奏以外で楽器を鳴らすのは。
「いよいよ、本番です。私達の実力を見せつけましょう。これが、新生エヴァグリーンだ
とね」
 真は、ジャンとシンバルを鳴らす。そしてすくっと立ち上がって、にこやかに笑う。
 ぞくり、と身体が震えたような気がする。
 武者震いという奴だろうか。それとも。
 誠也はぎゅっと手を握りしめる。握ったピックが突き刺さって、ピシと音を立てて割れ
た。
「セイ?」
 翼が不意に声をかけてくる。握りしめたピックの音が聞こえた訳でもないだろうが、心
配そうな顔で覗き込んでいる。
「どうした。なんだか顔色悪いよ」
「いや。何でもない。ちょっと息詰めすぎただけだ」
 誠也は答えて、大きく息を吸い込む。
 実際、たぶんそうなんだろうと誠也は思う。真の楽器鳴らしは珍しいが見た事がない訳
ではない。それにここまで強く感じる訳もない。
 敢えて言うなら美咲の歌声にだろうか。こんな一体感は味わった事がないから。
 もっともライブが迫ってきて、感極まっているのかもしれない。ライブは今まで何度も
体験しているが、今回は特別だ。
 デビューが決まるかもしれない。そして美咲という新しいメンバーのお披露目でもある。
緊張しない方がおかしいだろう。
「へー。たまにはセイも緊張するんだね。鬼の目にも涙ってヤツ?」
「なんか例えが間違ってないか」
 翼の台詞に、憮然とした顔つきで誠也は答える。
「じゃ、鬼の霍乱」
「あのなぁ、もう少し良い例えはないのかよ」
「だってセイって鬼じゃん。いつもひどいことばっかいうしさ。少しはシンを見習って優
しくしてみろよ」
 翼はジャケットを脱ぎ放って、誠也へと投げつける。誠也の頭を包むようにジャケット
が覆い被さっていた。
 誠也の顔に、なんとなく笑みが戻ってくる。何もいつもと変わりはしない。ただ少しば
かりの違いがあるだけだ。
 くくっと笑い声をこぼして、誠也はジャケットを除ける。近くにあった椅子にかけると、
皆の顔を見回してみる。
 さっきまで見えなかったけども、それぞれどこかには不安もあるようだった。しかしも
う誰の手にも震えは残っていなかった。
 
       ◇
 
「いよいよだね」
 翼がぎゅっと手を握りしめて、大きく深呼吸する。
 ライブ当日のステージ裏。ライブの開始まで後三十分と言うところだ。
 他のバンドと共同で行うタイバンではなく、自分達だけで行うライブ。しかも小さいな
がらもメジャーデビューを果たしたアーティスト達ですらライブを行う事があるタマゴサ
イトである。
 チケットは八割程度が捌けていた。インディーズの、それも今ひとつ名も知られていな
いアーティストとしては、かなりの人数を集めた事になる。普通ならば有り得ない事だ。
 もっともそれでも黒字には至っていない。チケットそのものの代金をかなり安く設定し
た事もあるだろう。今回はとにかく人数を集める事が必要だった。これはデビューにつな
がるライブなのだ。ある程度、人数を集めて盛り上げたいという事もある。
「ライブ。成功させるぞ」
 誠也は淡々と呟く。だがその言葉以上に気合いは入っているのは、皆の目にもはっきり
と分かる。
「ええ。もう会場ではお客が待っていますからね。さぁ、いきますか」
「うん」
 真の言葉に美咲が、たどたどしく答える。さすがに彼女も緊張しているのだろうか。
 控え室にいても客席のざわめきがすでに聞こえてくる。三百人近くもいるライブを催す
のは初めてだ。こんな熱気は感じた事がない。
 緊張が手に伝わる。だけど、悪い気はしない。どこか高揚感すら感じていた。
「ああ。いこうぜ」
 誠也は控え室の扉を開けて振り返る。皆がこくりと頷いて誠也の後ろを歩く。
 ステージの電気はすでに消えていた。その瞬間から客もシーンと静まりかえっている。
 打ち合わせ通り、美咲一人を残して皆がステージへと入っていく。その瞬間、微かにざ
わめきが走る。
 タン、タン、タン。真がリズムを刻む音が響く。
 ドンっと大きく鳴らした瞬間。皆の演奏が走り出して、ライトがアップされた。刹那、
客席からいくつか黄色い声が上がる。
 だが前奏を終え歌が始まった瞬間。ぴたりとその声も止まった。美咲が歌いながらステー
ジの真ん中へと向かっていく。
 半分は戸惑い。普段なら翼が歌うはずの曲なのにと言う。だけど残りの半分は。
「翼求めてさまよう人。有りもしない夢に疲れ消える。幻を追いかけて捉えられず心揺ら
めく」
 美咲の声が、演奏を一つにしていく。そして会場の観客達さえも。
 煌めくような。一瞬のような。長く、響き渡るような。
 風のように、草の匂いのように。ただ透き通る息吹が、全体を包んでいく。
 すぅん……。静かに奏で落ちるような音で終える。
 だが会場は静まりかえっていた。いつもなら拍手と歓声が響くはずなのに。誰も何も喋
ろうとはしない。
「こんにちわ」
 しかし美咲がマイクで声を流す。
 その瞬間。
『うおぉぉぉぉーーー!』
 客席から大きく声を漏れた。波のような拍手を誘う。
 収まらない拍手に、真がドラムをかき鳴らした。その瞬間、ぴたりと拍手が止まる。全
ての音を失わせないと言わんばかりに。
「エヴァグリーンのライブへようこそ!」
 真が叫ぶと同時に、再びドラムを叩き付けるように弾く。観客も張り裂けんばかりの歓
声を上げる。
「メンバーの紹介をします。まずはリードギター、セイ!」
 真の台詞に答えて、誠也がギターを思いっきりかき鳴らす。踊るように指先を弾いて、
ピックが震えだしていく。
「キーボード、ツバサ!」
 今度は翼が大きく手を振り上げて、キーを叩き付けるように奏でていく。流れるように
キーボードから風が吹いた。
「ドラムはこの私、シン!」
 自分の声と同時に、真がドラムをものすごい速度で打ち付けていき、リズムを刻む。
「そして私達の新しいメンバー。ボーカル、ミサキ!」
 真の答えて、美咲が軽く手を上げる。
『うおぉぉぉぉーーー!』
 客席からはちきれんような声が響く。
 何の告知もなく突如現れたメンバーをもうすでに受け入れて。今までにない一体感が会
場を包んでいた。新しいエヴァグリーンを。
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