崩落の絆 (06)
「あ、ところでさ。美咲さんってさ。どこに住んでいるの」
 翼の何気ない問に、美咲は再び首を傾げる。何かを考えているのか、少し目を瞑り、そ
して開く。
「誠也の家」
 ぼそっと呟いた言葉に、げほっと誠也が息を吐き出す。
「おいおい。何を」
 誠也は呆れ顔で言い咎めると、小さく溜息をついた。確かに昨日泊めたのは事実だが、
うちで暮らしている訳ではない。いやそんなような約束をしたのも間違いないが、誠也に
してみれば半分は冗談に過ぎなかった。
 しかし翼と真は当然そうは思わなかった様だ。じーっと誠也の顔を見つめていた。特に
翼は半ば睨むような目線を向けている。
「ほー。ボクの知らないうちに、こんな素敵な人を連れ込んでたんだ。へぇぇぇぇ」
 翼の目は全く笑っていない。
「昨日、行き場が無いみたいだったから、泊めてやっただけだよ」
 誠也はわずかに苦笑しながら答えると、美咲へと視線を移す。
「お前も変な事言うなよ」
 苦い笑みを浮かべたまま、美咲を見つめる。しかし美咲は気にした様子もなく、きょと
んとした目で返した。
 誠也は両手を胸の前で広げると、翼へと振り返る。翼はそのままきっと睨みつけていた。
「やれやれ」
 軽く溜息をついて誠也は笑う。
「セイは油断も隙もないよね。まったく。変な事されたりしなかった」
 翼は美咲の顔を覗き込むと、うーんと軽く声を漏らす。
「大丈夫」
 ぽつりと答えた美咲に、翼はにこりと微笑んで。それから小さく息を吐き出した。
「そっか。それなら良かったけど。でも行き場がないって、どうしたの。家出でもしてる
とか」
 翼は美咲の瞳からじっと視線を逸らさない。こういう時、翼は遠慮無く相手に踏み込ん
でいける。
 誠也にしてみれば、本人の話なのだから余計な心配で、余計なお世話だと思うのだが。
「違う」
 美咲は相変わらず淡泊な答えを返して、またいつもの無表情に戻る。先程の小さな笑顔
も今は浮かんでいない。
 訊かれたくない事を訊かれた為か、それとも単に元に戻っただけかは誠也には判断も付
かないが、どこか気にならなくもなかった。
「単に帰りの電車が無くなっただけだろ。見つけた時、時間も遅かったしな」
 誠也は無愛想な声で言い捨てると、翼へと振り向きもせずにギターの弦を軽く鳴らす。
「そっか。あ、でもじゃあ今日は。今日は家に帰るのかな」
 翼はそれでも諦めもせずに美咲に訊ね続けていた。
「誠也の家」
 呟いた美咲の答えに、待ってましたとばかりに翼の目が輝く。
「あ、じゃあ。うちはどうかな。ボクんちおいでよ。せっかくだし、いろいろお話したい
し」
 翼は期待に溢れた瞳で、じっと美咲を見つめる。だが美咲が答えるよりも早く、誠也が
ぼそりと呟いていた。
「そりゃだめだろ。男が女つれこんだら」
「ボクは女だ! ってか、だったら誠也の家に泊まるのもだめだろっ」
 翼はいつも通りの右ストレートで答える。
「それもそうだ。俺が襲うしな」
 くくっと笑いながら答えて、ぽんぽんと翼の頭に手を載せる。翼は余計にムキになって
拳を振るうが、一度も当たりはしない。
「いいよ」
 不意に美咲が呟く。
「え?」
 驚いた顔で、翼が声を漏らす。美咲と誠也の顔を何度も見比べるように、きょろきょろ
と行き来していた。
「翼の家。いっても」
 ぼそり、とした言葉のどこかに、微かに照れた笑みを浮かべている。
「あ、あ。なんだ、そっち」
 翼があははは、と乾いた笑い声を漏らして、ふぅとそっと息を吐き出した。
「うん。まぁ、じゃあ、今日はボクんちだね。決定!」
 翼は嬉しそうに右手を頭上に突き上げて飛び跳ねる。
 その様子を見ていて、誠也を思わず笑みを浮かべていた。男の子のような格好をして男
の子のように喋る翼だけれども、こんな時は年相応の可愛い女の子に見える。まだ中学生
の若い少女なのだ。幼いところが残っていても当然と言えば当然だろう。
 それに翼は、いつも一人だから。誠也は声には出さずに呟く。
「よかったな」
「もち!」
 誠也の言葉に翼は嬉しそうに大きな笑顔で答えていた。
 
「よっ、と。とうちゃーくっ。ここがボクんちだよ」  翼はマンションの一室の前で、くるりと振り返って告げる。 「うん」  美咲は静かな声で頷いていた。  誠也のマンションと比べると、かなりの高級マンションだと言う事がわかる。入り口で のオートロック。廊下の床材。ドアの構造。エレベーターの仕組み。一つ一つとっても、 設備にお金がかかっている。  翼が扉を開いた瞬間。入り口の明かりが自動的に灯る。 「綺麗」  ふと美咲が言葉を漏らす。部屋の中もこざっぱりと整頓されており、また高級品に溢れ ている。 「……綺麗でも誰もいない部屋だけどね」  翼にしては珍しく口の中で呟く。わずかに寂しそうな顔を浮かべて。  しかしすぐにいつもの元気な顔に戻って「あ、はいってはいってっ」と美咲をせかす。 「うん」  美咲はそれに気が付いているのかいないのか、全く変わらない顔で頷いただけだった。  リビングに入り、翼はソファーにどんっと飛び込むように座る。 「あ、美咲さんも座って座って」 「うん」  美咲が腰掛けるとをみてとると、翼はにこやかに微笑む。よほど美咲がいるのが嬉しい らしかった。美咲は殆ど何も喋らないが、一人、翼が声を上げる。いや、そうなるかと思 えた瞬間。 「いないの?」  不意に美咲が語りかけていた。わずかに驚いて、そして翼の顔が曇る。 「両親の事だよね。いないよ。いるけど、あいつらこの家には帰ってこないんだ。オヤジ はいつも仕事仕事だし、あの人はそれをいい事にどっか男のとこ」  翼はぽんと足を伸ばして、ソファーの前のテーブルにのっける。 「で、ボクはいつもここで一人ってわけ。ま、いいけどね。あいつらいたら、こんな真似 出来ないし。はしたない、そんなんじゃ白川の名が泣くってね」  翼は大きくのびをして、つまらなそうに口をすぽむ。 「あ、ごめん。くだらない話して。そうだ、美咲さんは。家族はどんな」 「いない」  翼の質問に、美咲はわずかに顔を伏せて答える。 「……ごめん。さっきから、ボク、無神経な事ばかりしてるね」  翼も面を下げて、寂しそうに呟く。 「いい」  しかし美咲は気にもしていない様子で、淡々と答えていた。 「うん。ありがとう。でも、なんだかうちら家族に恵まれてない人ばかりだね。セイもシ ンもそうだし」 「そうなんだ」 「うん。シンは片親なんだ。父親はお酒飲んで暴力ばかりふるってたって」  翼は淡々と語りだしていた。普段だったらこんな話、絶対に他の人にはしなかっただろ う。しかしただ今は、どうしても話しておきたかった。美咲がエヴァグリーンの一員になっ たからなのか。それとも傍にいる温もりからか。翼にはよく分からない。  ただ美咲の両の瞳を見つめていると、どんな事でも話してもいいかな、という気持ちに なってくる。吸い込まれるような色の眼差しに。 「誠也は」 「誠也は、両親ともに行方不明。ただ詳しい事は誠也も覚えてないみたいでさ。いまは残 された遺産とバイトとで暮らしてるみたい。でも父親に関しては何か嫌な思い出があるみ たいで、あんまり話したがらないよ。なんかあの小憎たらしいセイが、なのに辛そうな顔 するから、ボクもどうも訊きづらいし」  翼はそこまで話して、ぎゅっと手を握りしめる。 「なんでボク、勝手に人の事まで話してるんだろう。駄目だよね、こーゆーの」  伸ばしていた足を降ろして、すっと立ち上がった。美咲へとくるりと背を向けて、その ままじっと立ちつくしていた。  肩を静かに振るわせながら。軽く涙を拭って。  なんだか不意に悲しくなっていた。どうしてだか翼にはわからない。一人でこの家にい る時に泣いた事なんて一度もなかったのに。  背中を見せたままでいる翼の肩に、そっと腕が絡められる。  そのままぎゅっと抱きしめられていた。美咲の、細い白い腕で。 「美咲、さん」  何も言わない美咲に、翼はそっと呟く。肩に回された腕に、そっと手を添えて。  そして、強く目を瞑って。笑っていた。 「エヴァグリーン。色褪せない、永遠」  美咲は静かな静かな声で告げる。  それだけの言葉を。  でも翼には。他に何もいらなかった。  その瞳に、その顔に。子供らしい涙を見せていられるだけで。
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