崩落の絆 (03)
「セイ。遅刻だぞっ」
 待ち合わせの喫茶店に入るなり、鋭い声が掛けられる。
 声の方へと振り返ると、すでにテーブルには真と翼の二人が向かい合わせに座っている
のが見えた。
「わり。電車のりおくれちまってな」
 軽く片手をかざして、すぐに翼の隣に座る。
 いつも通りの白いシャツに青い短めのネクタイ。下は淡いブラウンのブレザーパンツ。
やや短めに切りそろえた髪が、いかにも少年らしく見える。ほっそりとして整った顔立ち
の中にも柔らかさを感じるのは、その年齢ゆえだろう。翼はまだ十五歳になったばかりだ。
 もっともその背の低さもあるのかもしれないが。十五歳になったと言うのに、翼はたっ
たの一四二センチしかない。クラスでも一番背が低いとの話だ。
「なんでボクの隣に座るのさ」
「ん。別にいいだろ。どっちだって」
 剣呑な顔をして低い声で唸る翼に、誠也は気にもせずに翼の頭をぽんぽんと叩く。

「よくない! この変態っ。近付くな! 寄るな!」
「安心しろよ。俺はそーいう趣味ねーから。ノーマルだからな、俺は」
 誠也の言葉に、翼の眉が大きく跳ね上がる。
「ボクは女だっ」
 大声と共に懇親の右ストレートが繰り出されるが、軽く誠也に止められてしまう。翼は
悔しそうに捕まれた腕を振り払う。
「誰が女だって? 胸もねーし、色気もないだろ。だいたい女だっていうなら、わたしっ
て言って見ろよ」
「わ、わた……うるさいっ。ボクが自分をなんて呼ぼうが勝手だろ」
 大きく怒鳴って、ぷぅっと顔を膨らませる。
「いつもパンツだしな。スカートの一つくらいはいてみせたらどうだ」
「うるさいうるさいうるさいっ。これ制服なんだから仕方ないだろ。今日も帰りに塾があ
るし、それに気に入ってるんだ」
 翼はつんけんとした声で答えると、きっと誠也をにらみつける。
「それよりちゃんと曲は出来たんだろーね。もし出来てないってなんて言ったらぶっ飛ば
すからね」
 激しく詰め寄ると、翼は拳をぎゅっと握りしめる。しかしその瞬間、真がにこやかな顔
で、ぽんぽんと手を叩いた。
「はいはい。痴話喧嘩はその辺にして、そろそろ本題に入りたいんですけどね」
 真は笑いながら丸眼鏡の位置を直す。少し長い髪の間から覗く顔が、見るからに楽しん
でいるとわかる。
『誰がこんな奴と!』
 二人の声が綺麗にハモっていた。
「さて、次のライブの事ですけどね」
 しかし二人の言葉は全く聞きもせずに、真は淡々と話を進めだす。
「来月の三日に決まりました。はい、おめでとう。ぱちぱちぱち」
 口だけで拍手すると、鞄から何枚かの書類を取り出していた。
「場所はタマゴサイト。チケットは三百枚出します。ちなみに九割以上さばけないと赤字
なので、気合いをいれてくださいね」
 真の台詞に二人の顔がぴくっと引きつる。
「し、真。三百枚のきゅ、九割って、んなむちゃな数字」
「シン。それ絶対無理だ! ボクは多くてもせいぜい三十枚程度しか」
 二人が揃って抗議を始めるが、真は全く聞いていない。
「はいはいはい。でも、これは至上命令です。絶対に果たすように。なぜなら今回のライ
ブは私達のこの先に大きく影響するからです」
 真の言葉に、誠也と翼の二人が顔を見合わせる。
「このライブの出来次第で、とあるCMのイメージソング、とれるかもしれません。ちょっ
とコネ使いましたけどね」
『マジ?』
 二人の声が再びハモる。しかしそれも当然かもしれない。イメージソングがとれるとい
う事は、CD化する可能性も高い。つまりついにデビューが決まるという事だ。
「マジ中のマジです。デモテープ聞いてもらったら、なかなか評判が良かったんですよ。
で、生の音が聞きたいという事になりましてね。テープはボーカルも入ってませんでした
し」
 真の声に翼がびくっと肩を震わせる。
「もしかして、もしかしなくてもやっぱりそれってボクが歌うの」
 翼は顔を伏せて、小さく固まっていた。先程までの剣幕はどこにいったのか、しゅんと
小さくまとまっている。
「仕方ないだろ。いいボーカル見つからないんだから。俺もシンも歌下手だし、まがりな
りにも歌えるのお前だけなんだから」
 誠也の言葉に、しかし翼は小さく手を膝を上で握り、細々とした声で答えていた。
「でも、ボク、本業はキーボードだよ。ボクのせいでデビュー出来なかったらどうしよう。
自信ないよ」
 心配そうな顔で、ちらりと誠也と真の顔を見上げる。
「ま、心配すんなって。なんたって俺のギターと真のドラムは、ぱっちりだ。あとがしょ
ぼくてもなんとかなるだろ」
「うん。……って、ちょっとまて。セイ、どさくさに紛れて酷い事いったな。ボクはボー
カルは自信ないけど、キーボードには自信があるんだっ。取り消せっ、今すぐ! 五秒以
内! いーち、にーっ、さーんっ」
 さっきまでの落ち込み具合はどこに行ったのか、大騒動が始まっていた。
「ああ。そういや、うちってキーボードもいたな。一応」
「一応ってなんだよっ。一応って!」
「だって、練習にもあんまり出てこないしな」
「ぐっ。し、仕方ないだろ。ボクはまだ中学生だし。学校に塾だってあるんだ。うちはエ
スカレーターで受験がないだけマシだろ」
 翼はぷいっと首を背けて、頬を膨らしていた。いつも通りの様子に、くくっと誠也は笑
みをこぼす。
「でも、私達エヴァグリーンには必要な人ですよ。翼さんは」
 真がフォローを入れるように、にこやかに呟く。翼が嬉しそうに微笑んで、しかし口で
は「当然だよね」と答える。
「もちろんです。エヴァグリーン、永遠に色褪せない私達でいる為に、力を尽くしてくだ
さいね」
 にこりと微笑んで、そしてテーブルの上にどさっと紙束を置く。
「がんばって売ってきてくれますね」
 大量に置かれたチケットを前に、誠也と翼の顔がぴくぴくと引きつっていた。
 
「翼求めて彷徨う人。

 有りもしない夢に疲れ消える。
 幻を追いかけて。
 捉えられず心揺らめ……いたっ」
 歌の最中で、翼が不意に叫ぶ。どうやら舌をかんだらしい。キーボードの音も乱れ、そ
こで皆の演奏が止まる。
「おい、翼。しっかりしろよ。何回とちってんだよ。まだ出だしだぞ。歌は初めてでも、
曲はもう何度も練習しただろ」
 誠也がギターを止めて、翼へと歩み寄る。
「う、うん。ごめん、セイ」
 翼は珍しく素直に頷くが、しかし誠也の顔は見ていない。キーボードと歌詞カードをずっ
と睨んでいるばかりだ。
「お前らしくないな。いつもは自信満々だろ」
 誠也の言葉に、しかし翼は「うん」と小さく呟いただけだった。
「そんなにプレッシャーを感じる事はないんですよ。私は翼さんの歌声も好きですし」
 真もドラム越しにゆっくりと声をかける。しかし翼は、完全にがちがちに固まっていて
声も出せない。
「ち、しゃーねーな。なんだかんだ言っても翼はまだ中学生だし緊張もするか。じゃ、ちょ
っと休憩にしようぜ。ついでに落ち着くように暖かい飲み物でも買ってきてやるよ」
 誠也は軽く言い放つと、ぽんぽんと翼の頭に手を置く。
「う、うん。ありがと、セイ。シンも。ごめんね」
「いいって。気にすんな」
 それからすぐにくるりと背を向けてスタジオの外へと向かう。
「あ、私はコーヒーをブラックでお願いします」
 背中から真の声が聞こえてきていたが、誠也はとりあえず無視しておく事にした。
 スタジオの外に出た瞬間。ひゅう、と冷たい空気が身を包んだ。寒い。
「冷えるな、今日は。もうすっかり冬って事か」
 寒さのせいか、あまり人通りはない。もっともこのスタジオが、やや辺鄙な場所にある
からかもしれない。どちらかというと、この辺りは住宅街にある。そのせいか料金も格安
で、誠也達はいつもこのスタジオを利用していた。
 近くの自動販売機でコーヒーを二つと、ミルクティを一つ買う。
「あいつコーヒーダメだからな」
 誠也はぼそっと一人呟く。いつもの独り言の癖。翼には直せと言われるが、どうにもこ
れだけは直る様子がない。ま、大物にはありがちな癖だよな、と心の中でうそぶく。なん
だかんだといっても、誠也は翼の事を気にかけていた。仲間として。それから、同じ想い
を共有する者として。
 と、その瞬間目の前をパトカーが横切っていく。
「今日はやけにパトカーが多いな。なんかあったのか」
 朝から見ただけでも五回目になる。しかもまだ昼をやや回ったところである。一度や二
度ならともかく、これだけの回数を見かけるのは尋常ではない。
「ま、俺には関係ないけどな」
 口の中で呟くと、自販機の中からミルクティを取りだして顔を上げて。
 その、瞬間だった。
「お。」
 誠也は思わず声を上げる。通りの向こうに、一人の女性が歩いているのが目に入った。
昨日、みかけたばかりのあの少女が。
「あ。」
 彼女も誠也に気が付いたらしく、軽く言葉を漏らした。
「こんなところで会うなんて奇遇だな」
「そうかも、しれない」
 どこかはっきりしない口調で彼女は呟くと、わずかに顔を伏せていた。
 やや昨日より大人しい感じがして、誠也は内心首を傾げる。もっとも彼女の事は殆ど何
も知らないのだから、おかしい事ではないかもしれない。誠也は思い直して、苦い笑みを
こぼす。
「で、何をしてるんだ」
「散歩してた」
 何事もないように彼女はぼそりと呟くように答えると、それからじっと誠也を、正確に
は誠也の持つ缶コーヒーを見つめていた。
「なんだ。コーヒー欲しいのか」
 誠也の台詞に目をぱちくりとさせて、それから一言。
「欲しい」
 淡々と告げる少女に、思わず誠也はくくっと笑みを漏らす。
「相変わらず変な奴。ま、いいけどな。ほら、やるよ。これくらいならおごってやる」
 缶コーヒーを一つぽんと投げ渡す。
 意外と素早い動きで彼女は缶コーヒーを受け取ると、缶コーヒーをじっと見つめていた。
「あったかい」
「さっき買ったばかりだからな。よっと」
 手渡した分の新しいコーヒーを買う。
「さてと、俺はそろそろいくよ。ダチが待ってるし。バンドの練習中なんだ」
 軽く手を上げて振る。そして背を向けようとした瞬間。
 ふと彼女の目が沈んだ。
 いや、そんな気がしただけだったのだろうか。見返した彼女の顔は、今まで通り淡々と
した素顔。どこか感情を感じさせない、人形のような。
 彼女が決して感情が無い訳ではない。現に先程、目を見開いてみせていた。恐らく微か
に色の違う両眼がそう感じさせるのだ。
 しかし、それでも彼女の瞳に沈鬱の色は無い。気のせいに違いない。そう思うのに。
「見に来るか」
 なぜか、誠也はそう訊ねていた。
 少女は一瞬、驚くように眉を上げて。
「いく」
 静かな声で答える。
 その答えに、今度は誠也が眼を開けてみせた。言ってみたものの、「来る」と答えると
は思ってもいなかった。しばらく沈黙がその場を包み込む。
「どうしたの」
 先に静寂を崩したのは少女の方だった。何となく、誠也にはそれすらも意外な気がして
いた。
「あ、いや。なんでもない。それより、なら行こうぜ。ここは寒いしな」
 やや声を震わせながらも、誠也は背を向けて歩き出す。少女はこくりと頷いて、ゆっく
りとその後を追った。
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