崩落の絆 (02)
「よぅ。目、覚めたか」
 誠也は、目を開けた少女に向けて、ゆっくりと話しかける。カップ麺をすすりながら。
「で、食うか。やきそばしかねーけど」
 声を掛けて、まだお湯の入ってないカップ麺を差し出す。
 少女は、憮然とした顔で誠也を見詰めている。それもそうかもしれない。どこだかもわ
からない場所で、見知らぬ男が目の前に一人いるのだから。
「ここは俺の家だよ。あんたいきなり倒れただろ。さすがに真冬の夜空の下に、女の子一
人残していくのは抵抗あってな。仕方なく連れて来たって訳だ」
「……そう。貴方が私を捕らえたの」
 少女はベットの上から、静かな声で告げる。澄んだ綺麗なソプラノの声。真の奴の歌が
似合いそうだ。誠也はふと、そんな事を思う。
「捕らえたって人聞き悪い事いうな。むしろいうなら拾ってきたってとこだろ」
 おかしな事言う奴だ。誠也は声には出さずに呟く。もっとも拾ってきたにしても外聞の
いい言葉じゃないけど、とも思うが。
「安心しろよ。別に何もしちゃいない。そんな暇もなかったしな。あれから、まだ十分も
たってねーし」
「そう」
 興味もなさそうにぼそりと呟くように答えると、ちらりと自分の姿を眺めていた。本当
かどうか確認したのだろうか。
 あの場所から誠也の家まではすぐ近くだ。面倒ではあったが、自分のマンションまで連
れ帰っていた。
「で、食うか。腹減ったって言ってたろ。あいにくうちにはこんなものしかないけどな。
食いたきゃ食ってもいい。で、食ったら出て行くなり何なり好きにしてくれ」
 さほど少女には興味もなさそうに告げると、彼女から視線を移し、目の前のギターへと
向ける。
「……食べる」
 呟くように答えて、カップ麺の包装を解いていく。蓋を外した瞬間、ぴたりと彼女の動
きが止まる。
「これはこのまま食べるの?」
「は?」
 彼女の何気ない問いに、今度は誠也の動きが止まる。
「あんたカップやきそばの食べ方も知らないのかよ。どこのお嬢だよ、たく」
 誠也は呆れて、麺にお湯を注ぐ。蓋を閉じて、彼女の前に置く。
「三分たったら中のお湯を捨てて。そのソースをかけて食べるんだよ」
「そう。わかった」
 彼女は頷くと、時計の針をじっと見ている。言われた通り3分きっかりでお湯を捨てて、
ソースをからめて食べている。
「……変な奴」
 誠也は口の中で呟くと、彼女への興味も失ったのか、ギターの弦を軽く鳴らした。
 
「何をしてる」
 掛けられた声に、誠也は顔を上げる。食事は終えたのか、拾った少女が覗き込んでいた。
「あぁ、新しい曲作ってんだよ」
「曲?」
 彼女は怪訝な声で返す。
「そ。次のライブで使う奴な。俺、こーみえてもバンドやってんだよ。デビューもまだの
マイナーバンドだけどな」
 ちょっと誇らしげに、それでいて照れくさそうに口早に答える。誠也の夢は、自分の作っ
た曲で皆に何かを伝える事だった。曲に込めた想い。そこに何かを感じて欲しいと、そう
願っている。
「そう」
 しかし少女は興味も無さそうに、ぽつりと呟いただけだった。珍しい反応に、逆に誠也
の方が興味をそそられる。
 バンドをやっている等と言うと、大抵の女の子は「すごーい」とか「ギター弾いてみて」
とか言うものだし、例えあまり興味がなくても何かしらの反応は見せるものだ。
 だけど彼女はもう興味も無さそうに、ベットに腰掛けている。食べ終えたカップ麺の容
器も、その横に転がっていた。
「そいや、あんた。あんなとこで何やってたんだ。見たことない顔だし、この辺の住人じゃ
ないだろ。この街に友達でもいるのか」
 ぶっきらぼうな声で訊ねる。この時、誠也は初めて彼女の顔をしっかりと見つめていた。
 綺麗な顔をしているとは思う。絶世の、とは言わないが芸能人にいても不思議ではない
くらいの。でも、どこか整いすぎているような気もする。
 やや切れ長の目が、じっと誠也を見ていた。あの時、思ったような紅い瞳はしていない。
ごくごく普通の色だ。ただ左と比べると、右の瞳の色素が薄い気がする。それがどこか不
思議な印象を与えているのだろう。
 猫のようだな。誠也は心の中でそう呟いていた。時々、猫の中にそうした瞳を持つもの
がいるのは見たことがある。
 すらりとした体も、そんな感じがしなくもない。
「…………」
 彼女は何も答えなかった。答えたくないのだろうか。しかしそれにしては、全く何も反
応がない。
 普通、聞かれたくないことを聞かれたのなら、多少なりとも何らかの反応は示すものだ。
肩がぴくりと震えたり、ちょっと眉をひそめてみたり、だ。
 しかし彼女は何も反応を示さなかった。聞こえてないのかとも思ったが、この距離では
それもないだろう。なら敢えて無視していると考える方が自然だ。
「恩人に対していい態度だな、おい」
 ま、気にしていなかったのは元々、俺の方だけどな、と口の中で呟く。声に出しはしな
いが。
「ま、答えたくないんなら。それはいい。で、あんたこれからどうするつもりだ。もう時
間も遅いから電車も走ってないぜ」
 誠也が帰ってきたのは終電だ。しかも近くの駅まで走る電車に間に合わなくて数駅は歩
いて帰ってきた。それほどの時間だ。
「どこか行くあてでもあるのか」
「特にない」
 彼女はやっと言葉を返すと、窓の外をじっと見ていた。
 当然ながら外は暗い。ここからでは星も見えはしないが、この街の夜空はとても綺麗だ。
「今日だけなら、泊めてやってもいいぜ。ま、身の安全の保証はしないけどな」
 ぶっきらぼうに告げて、しかしギターから意識を移しはしない。ただ一瞬だけ、ちらり
と横目で彼女を眺めてみるが、しかし特に彼女に反応は無かった。
「安全?」
 ぼそりと呟くように訊ねる。
「いちおう俺も男だし。突然、襲うかもしんねーからな」
 本気かどうか掴みにくい声。彼女へと視線を向ける事はない。
 しかし彼女は全くそれを気にした様子もなく、ただ淡々と訊ね返していた。
「それは私とセックスしたいってこと?」
「単刀直入な奴だな、おい」
 思わずギターに向けていた顔を上げて、彼女をじっと見つめていた。誠也にしてみれば、
ちょっと質の悪い冗談だったのだが、まさかこんな反応が返ってくるとは思わなかった。
「それでも構わない。ならその代わり、しばらくここに置いて欲しい」
 まるで何事も無かったように彼女は変わらない眼差しを誠也へと投げかける。
「ぷっ、くくっ。いや、あんた変な奴だな。まったく。んじゃ、これは取引って訳だな。
いいぜ、置いてやるよ。どうせうちには取られるものも無いしな」
 腹を押さえたまま、誠也はまだ端々に笑いを隠せない。これも彼女風の冗談だろうかと
も思う。
 今まで全く周りにいなかったタイプの女の子に、逆にどんどん興味を惹かれていた。も
しかすると最初に幽霊と勘違いした事も大きいのかもしれない。言うならば、もともと興
味の対象だったのだから。その方向には違いがあるものの。
「あっと。こいつだけは別だけど」
 ギターをじゃんと鳴らして、誠也はにこやかに微笑む。大して高いものではないけどな、
と小声で続けていた。
「あ。そいや、まだ名前もきいてなかったな。あんたなんて言うんだ。おっと。俺は水野
誠也。誠也でいいぜ。で、あんたは」
 誠也の言葉に、彼女はきょとんとした顔で誠也を見詰め返す。
「名前……」
 ぽつりと呟いて、少女は眉を寄せた。
「ま、言いたくなかったらそれでいいんだけどな。とりあえずなんて呼べばいいかだけで
も教えてくれよ」
 誠也は半ば肩をすくめながら、ギターへと再び視線を戻す。
 それから、少しだけ時間をおいて。しかしはっきりと言葉が返ってくる。
「ドライ」
 彼女はぽつりと呟くように。しかし澄んだその声は、確かに誠也の耳に運ばれてくる。
「は? ドライ? 乾燥?」
 耳慣れない言葉に、首を傾げる。そういえばドライビールとか言うな、あれは辛口って
意味だったかと内心首をひねる。
「違う。ドイツ語で三って意味」
 彼女は淡々と告げると、それからくるりと振り返った。
「寝る」
 淡々と呟いて、先程まで横になっていたベッドへと潜り込む。
 一瞬、唖然として何も言えなくなったが、その後に笑みが思わず浮かんでいた。
「なんていうか、面白い奴だな」
 口の中で呟いて、ちらりと視線を移す。彼女はもうすーすーと寝息を立てて眠っている。
どうみてもドイツ人には見えなかったが、もしかするとハーフか何かなのかもしれない。
 くくっと声を漏らして、それから再びギターへと意識を戻した。おかしな態度にすっか
り興味を惹かれてはいたが、今は構っている時間もない。今夜中に一曲作り上げねばいけ
ないのだから。
 ギターの音が時折響き、そして夜は更けていった。
 
「よ、起きたか」
 ベッドから降りてくるドライと名乗った少女に向けて、軽く声を掛ける。しかしそれ以
上は気にもせずに台所でフライパンに向かっている。
「くうか。目玉焼きだけど」
 焼き上がった目玉焼きを皿に移し、くるりと振り返る。彼女の前に皿を置いて、再びフ
ライパンへと向き直った。
「いらねーなら俺が食うけどな」
「食べる」
 少女はぽつりと呟いて、テーブルの前に腰掛ける。そのまま無言で目玉焼きを食べだし
ていた。
 ぴっ。背中から、小さく音が響いた。テレビのリモコンの音だ。
 まだ朝早い。おきまりの情報番組が流れているだけだ。
「お、おはようテレビか。そういや最近見てなかったな」
 自分の分の目玉焼きを手にしたまま、誠也は彼女の向かいに座る。
「って、もうこんな時間かよ。やばいな、おい」
 テレビの中の時計は七時十五分を指していた。今日はライブに向けての打ち合わせがあ
る。郊外にあるこの街からは、早めに出ないと間に合わない。
「さっさと飯くって出ないとな。って、訳で俺は外に出るけどあんたはどうする」
「私も行く」
「そうか。じゃ、食ったら駅まで一緒に出るか。って、あんた女だから準備とかあるか」
「特にない」
 少女は淡々と答える。微妙に調子が狂うが、しかし構っている時間もない。
 テレビの中の番組が、昨日のニュースをいくつか読み上げていた。
『本日一つ目のニュースです。今朝早く、水瀬製薬社長宅にて一家全員が死亡している事
が発見されました。発見されたのは水瀬製薬社長の水瀬雄造さんと妻の涼子さんの二人で、
警察は殺人事件と断定しました。
 遺体の状況から犯人は水瀬さん夫妻を取り押さえた後、生きたまま腐食性のある薬品を
かけ犯行に及んだものと思われます。
 第一発見者は社長を迎えにきた運転手で、殺害推定時刻は昨夜十時頃と見られており、
現在、犯人の足取りを追って調査中です』
 告げられたニュースに、誠也は軽く眉を潜めた。
「最近は物騒な事件が多いけど、しかしまたこれは残忍なことだな」
 ちらりと少女へと視線を移す。彼女は何の反応も見せずに、ただ目玉焼きをぱくついて
いる。
「自分には関係ないってか」
 声には出さずに呟くと、しかし自分も食事を進める。確かに時間もあまりない。
 テレビの中で司会者とコメンテーターが、事件について語り合っているのが見える。
『水瀬製薬社長と言うと、五年前に当時十二歳だったお嬢さんが誘拐された事件がありま
したね。結局、犯人からは何も接触がなく現在もお嬢さんは見つかっていませんが、今回
の犯行も何か関連があるんでしょうか』
『どうでしょうか。水瀬さんは仕事上のトラブル等も抱えていたとの噂ですから、その関
係からの怨恨の線もありますね』
 好き勝手な事を言い続けている。
 ぷちん。テレビが突然、音を立てて消えた。見ると、少女がリモコンを手にしている。
どうやら食事を終えたらしい。
「行く」
「お前、ホントに変わった奴だな。ま、いいけどな。じゃあいくか」
 ちょうど誠也も食事を終えたところだった。
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