僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (19)
「くそっ。十六夜の仕業か!?」
 物干し竿を抜き放ち、咲穂は一気に駆け抜けていく。
「止まってください! 一人では危険です!」
 冴人の声も後ろから響いていたが、止まろうとする様子はなかった。
「とにかく急ごう。何が起きたのか確かめないとな」
 洋の台詞に、こくりと結愛が頷く。
 冴人は僅かにその顔を歪ませるが、すぐに彼も咲穂を追う。
「ばかな。綾音、十六夜よ。自分達が何をやっているのか分かっているのか?」
 ふと遠くから声が響いてくる。天守の長老、鷺鳴のものだ。
「ええ、わかっているわ。それがどれだけの罪かも」
 綾音の声。まだ姿は見えないが、静寂に包まれた忌み杜の中では、はっきりと声が聞こ
えてくる。
「バカな! すでに天地のバランスは危ういほどに崩れている。そんな事をすれば地から
は鬼(キ)が出でて、天からは神が降りるかもしれん」
 鷺鳴の叫び。しかし。
「関係ないわね。どうしても力が必要なのよ。雪人の力が」
 綾音の告げる声。
 ぞくり、と背中が震える。
 綾音らしくもない、淡々とした。
 冷たい声。
 幾度となく綾音の言葉は聞いたきた。術の鍛錬の際には、厳しい試練で殺されかけた事
もある。
 だが。その中には常に優しさがあった。興味が無いふりをしながら、でもお節介を隠す
事が出来なかった。
 それが、綾音の筈だったのに。
 いつから、こんな冷たい声で話すようになったのだろう。
「綾ちんの、声」
 結愛がぎゅっと瞼を閉じていた。
 聞きたくもないだろう。一番の友達で、そして常に敵わないライバルで。結愛の目標だっ
たはずの彼女が、こんなにも冷たい声で話しているだなんて。
 綾音と十六夜。そして長老の姿も見えてきていた。
「来たわね」
 綾音はくるりと振り返る。
「悪いけど。もうこれ以上、相手をしている時間がなくなったの。もう始まってしまって
いる。一刻も早く雪人を連れ行かなきゃならないから」
 綾音の鋭い声。
 それと共に、風、が吹き出していた。
「巽為風(そんいふう)!」
 呪文の詠唱もなく、大成を呼び出す!
 ものすごい風が、皆を包み込んでいく!
「なっ。いくら天才だとしても、大成を呪文なしで呼び出すだと!?」
 咲穂が思わず叫んでいた。
 大成は八卦を二つ掛け合わせる、八卦施術最大の技だ。いくら呪文や印がなくても威力
が弱まるだけで発動できるとはいえ、大成ほどの術では強大な力が必要になる。
 咲穂は物干し竿を斜に構え、風をなんとか受け流していく。
 この刀には、幾度となく咲穂の魔力が込められており、研ぎ澄まされている。その為、
多少の術なら持ちこたえる事が出来るのだ。 しかし。ミシッときしむ音が響いた。限界
が近付いている。
「乾兌離震巽、坎艮坤(けんだりしんそん、かんごんこん)。
 八卦より選ばれしもの、我は汝を使役せす。誘え、艮(ごん)!」
 艮、山を意味する呪文を招来する!
 咲穂の目の前に土壁が現れ、風を完全に防いでいた。
「地守ならではの地の呪文ね。でも、その程度じゃ私は防げないわ!」
 綾音はそのまま間髪おかずに呪文を繰り出していた!
「兌(だ)!」
 沢を意味する八卦を呼び出す!
 勢いのある濁流が、土壁を壊していく。
 だが!
 咲穂はその向こうにはいない。
「上ね!」
 綾音が大きく叫んだ。咲穂は土壁の向こうへと大きく跳躍していたのだ!
 物干し竿の刃がきらりと光る。
「狙いは悪くないけど、それじゃあ身動きが取れないでしょう!」
 綾音が咲穂へと狙いを定める。
 その、瞬間だった。
「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤(けんだりしんそんかんごんこん)。
 八卦より選ばれしもの、我は汝を使役せす。きなさい、震(しん)!」
 冴人の呪文が完成していた。綾音を捕らえるようにして、雷撃が襲う!
 しかし。
「甘いよ。俺っちがいる事を忘れちゃ困るね。坎(かん)!」
 十六夜の呪文が、水を生み出す。綾音の前に、巨大な水の珠が現れる。
 バチィッ!
 雷撃が水の珠に触れ、電撃を含んでいく。
「このままお返しするよ。巽(そん)!」
 風が吹き出していた。
 雷撃を含んだ水の珠が、風に押され冴人へと帰っていく。
 それが冴人へ触れるようとした、その瞬間。
「けんだり、しんそん、かんごんこん。 八卦より選ばれしもの、我は汝を使役せす。いっ
ちゃえーっ、離(り)!」
 結愛の呪文が完成していた。
 炎が、水の珠を一気に蒸発させていく。
「ほぅ。やるね。水の術を炎で防ぐなんてね」
 十六夜が感嘆の声を上げる。本来、炎の術は水の術に弱い。だが込めた力によっては、
それを覆す事もある。
 もちろん、この術はすでに雷撃や風の術の影響を受けている為もあるのだが。
 何とか間に合った事に、結愛がほっと息をついた。
 その瞬間。
 綾音の風の術が、彼女を中心に放たれる。
 物干し竿で斬りつけようとした咲穂を、直前で防いで。
 ガガガガガガ!
 壊れた機械のような音を発して。
 ダン! 咲穂を吹き飛ばしていた。
「くぅ!?」
 咲穂が苦痛の呻きを上げていた。
「……すごい」
 洋が、呟く。いまの一瞬の攻防に、とてもついていけなかった。幾多の術が交錯した状
況に。
 それもその筈だ。洋は元々、一介の高校生に過ぎない。本格的な戦闘訓練を積んだ訳で
はない。
 今までは敵が一人。あるいは大した力も持たない鬼だったからこそ、戦えてきたのだ。
「相手は守の民きっての実力者二人です。このくらいの術は、平然と使うでしょう」
 冴人が冷静な声で呟く。
 しかし、その内心はとても穏やかではいられなかった。
 数の上では2対4。圧倒的に有利なのはこちら側。しかし、綾音と十六夜は一種、圧倒
的な力がある。
 今まで全ての術を、印も呪文もなく放っていた。ゆえに術に時間が掛からず、人数の不
利を打開している。それを可能にするだけの力があるのだから。
 だが。一つだけ、こちらの有利を上げるとするならば。
 綾音も、十六夜も。単身だという事。
 それは冴人と咲穂も変わらない。
 でも、一つだけ違う事がある。
 こちらには、守(もり)と添(そえ)が揃っているという事。
 即ち、結愛と洋の二人がいる。
 守と添の関係は、決してただの魔力をやり取りするだけの関係じゃない。
 二人は、確かに心が繋がっているのだから。
「認めたくない事実ですが」
 冴人は口の中で呟く。しかし声にはしない。
「貴方も働いてください」
 洋へと囁くように告げると、しっかりと印を組み始める。とにかく今は闘う他にない。
「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤(けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん)。
 天沢火雷風水山地(てん・たく・か・らい・ふう・すい・さん・ち)」
「大成を使うつもりね。でも、私には通用しないわよ!」
 綾音は冷静に術を組み立て始める。この闘いで初めて印を組んでいた。大成に対して、
万全を期しているのだろうか。
「乾兌離震巽坎艮坤……」
 綾音の印を組む音が響き渡る。しかし、彼女の術が完成するよりも早く、冴人の術が組
みあがっていた!
「八卦より選ばれしもの。互いを合わせ、更なる威を駆れ!
 雷はその身を持って震と為る! 震為雷(しんいらい)!」
 冴人の術に答え、一本の巨大な雷が一気に降り注ぐ!
 しかし。その瞬間、くるりと綾音から十六夜へと視線を移す。
 この術は始めから十六夜に向けて放たれていたのだ。
「俺っちに向けてきたか! ならば、艮(ごん)!」
 山を意味する八卦を呼び出す。一瞬の間の後に、土壁が十六夜を包み込む。
 だが。
 さすがに大成を防ぐには至らない! 雷は土壁を突破し、そして十六夜に襲いかかる!
 しかし!
「甘いわよ、冴人。巽(そん)!」
 綾音の術が解放される!
 その瞬間、大きな風が吹き出していた。
 その風は、雷を防ぐではなく、十六夜その人を包んでいく。
 ドン! 冴人の放った雷が地面を打ち付ける。だがそこには十六夜の姿はない。風の力
で身体そのものを移動させたのだ。
「なっ、どこに!?」
 冴人が叫ぶ。
「ここだよ」
 十六夜の台詞が、真後ろから聞こえる。
 やばい! 冴人は反射的に飛び退いていたが、しかし間に合わない。
 ザン! と切り裂くような音が響く。
「ぐぅぅ!?」
 冴人が強い呻きを漏らしていた。十六夜の愛刀「佐助」によって、背中を斬りつけられ
たのだ。
 致命傷とは程遠い。僅かに切っ先が裂いただけの傷。
 だが、この闘いの場ではその傷そのものが致命的な弱点となる。
 痛みは意識の集中を妨げる。それは術はもちろん体術や、相手に対する注意力を散漫に
させる。
 戦闘では、一刻が命をやり取りする。この傷はそれだけでもかなり大きなハンデを背負っ
た事になる。
「冴人くん! いま傷治すから!」
 結愛が大きく叫ぶ。
 冴人は、それを止めようとして。しかし声が出ない。
「ばか! そんな事してる間があったら攻撃しろ! 手を休めたら、やられる!」
 咲穂が大きく叫ぶ。
 物干し竿に雷撃を伝え、そしてそれを大きく放った!
 びゅん! 空気を切り裂くように、十六夜に向けて放たれる。
 だが、それも簡単に防がれ、咲穂が「く」と思わず声を漏らす。
「でもでもでもっ。冴人くんが……」
 結愛が一瞬、迷ってきょろきょろと辺りを見回していた。
 ――その隙を見逃す綾音ではなかった。
「震!」
 雷の術を唱える。綾音から、雷が一気に飛びかかる!
 その瞬間。
 結愛の前に飛び込む、洋の姿があった!
「結愛! 冴人に構っている場合じゃない。あいつには悪いが、いまは集中しろ!」
 魔力を大きく広げて、綾音の術を防ぐ。
 洋の使える唯一の術だ。
「もう遅いわね」
 だが綾音が呟いたその瞬間。
 十六夜の術が炸裂していた!
「艮為山(ごんいさん)!」
 十六夜の、初めてみせる大成だった。山と山を意味する二つの八卦が奇妙に絡み合う!
 土壁がいくつも生まれていく!
 それぞれの人物を覆い隠すように、お互いを遮断していく。
「冴人ならこの術、防ぐ事が出来たでしょうけど貴方達には無理ね。悪いけど先に行かせ
てもらうわ」
 綾音の台詞が無情にも響いた。
 この術をうち消す事は、とても出来そうにない。土の術をうち消すには、五行で言う木
の術に当たる「震」か「巽」を使う必要がある。
 しかし大成に当たる術をうち消すには、同等の力が必要だ。一人で大成を使う事が出来
るのは冴人だけだ。結愛は使えない事もないが、それだけで力を全て失ってしまう。また、
結愛の得意としている炎の術では、うち消すには力が足りないのだ。
 もちろん時間をかければ脱出は可能だ。しかし今一番必要としているのは、その時間だっ
た。
「ばいばい」
 綾音の声と、駆けだしていく足音だけが響いていた。
 土壁の中に取り残されたままで。
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